ぐるりと回りこむように屋敷内を移動して、は庭に出た。
台所横の勝手口を通り過ぎて、玄関が見れる場所にきたとき、不意に横手から声をかけられる。
「あっ、おねえさん!」
「殿」
「あれ? ふたりとも何してるの?」
ギブソン邸の塀は、の腰までが石壁で、そこから肩までの高さには、金属製の格子のような感じのものがくっついている。
ちなみに先端が鋭利なので、泥棒さんが乗り込もうとしたらちょっと痛い目を見そうである。
あのふたりのコトだから、他にも仕掛けしてそうだし。
何はともあれ、その壁越えた道のほうにいたふたりが、出てきたを発見したのは当然だろう。
そうして、エルジンが、にこりと笑って問いに応じた。
「うん、ボクたち一度、サイジェントに戻ろうと思ってさ」
「え?」
云われ、改めて見やれば、彼らはきっちり旅支度をしていた。
不意の帰省発言に、疑問が浮かんだのがわかったんだろう。エルジンはクスクス笑って――それから真面目な顔になる。
「あんな悪魔が現れちゃったからさ……もしかしたら、ボクたちの力だけじゃ追いつかないかもしれないって、カイナおねえちゃんとも話したんだ」
だから、それ以上の力を持つ存在――つまり、
「えるごノ王ニ、加勢ヲ頼モウトイウコトニナッタノダ」
「綾姉ちゃんたちに!?」
「そ。行ったり来たりさせちゃうけどね」
先日――というほど近いわけではないけれど――禁忌の森で一仕事、してもらった件だ。
尤もそれは、いったいどういう方法でか、無に帰してしまったわけなのだけれど。
ああ、なんかちょっぴり申し訳なく後ろめたい……
そう考えて、ふと。
「じゃあ、無線で呼べば早いんじゃない?」
わざわざ迎えに行くより、そのほうが、よっぽど手っ取り早いと思うんだけど。
訊いてみたら、エルジンとエスガルドは顔を見合わせた。
その次に、なんとも云えない空気を漂わせて、
「……それがねえ……悪魔大量出現の弊害で、聖王国の、なんていうのかな、磁場みたいなものが変になっちゃったみたいでさ」
はぐれ悪魔ってことは、結局召喚されたってことでしょ。
「尋常でない数の門が、王国のあちこちでぽんぽん開きすぎて、おかしくなっちゃったようなんだ」
ぱっ、と両手を顔の横で開いて、エルジンは、ため息ひとつ。
「この間、おねえさんがサイジェントにいたとき繋がったのも、今思えば奇跡みたいな感じだったんだね」
実際、あれから全然使えなくなっちゃってるんだ。
「無線ノ電波ガ、さいじぇんとマデ届カナイノダ。オソラク、アチラカラモソウダロウ」
「……こんなトコロにまで二次災害が……」
のつぶやきに、ふたりはもう一度顔を見合わせ、まったくだ、と、ため息をつく。
少し重くなりだした空気を払拭するためも兼ねて、は、再度問いかけた。
「話は判ったけど……サイジェント行くの、エルジン君たちだけ?」
「アア。幸イ、ぎぶそん殿タチトノ共同調査モ一段落ツイタコトダカラナ」
「思い立ったが吉日ってことで、さっさと動くことにしたんだよ。それでも何日もかかっちゃうけど……」
彼らが心配していることが何なのか、それはなんとなく判る。
行って戻るその間に、戦いが本格的に始まってしまうかもしれないこと。
それでも、出来る限りの手を打つことは、きっと無駄ではないだろう。
「だいじょうぶ。もし間に合わなくたって、あたしたちがなんとかすればいいんだから」
最低でも、加勢が到着するまで保たせられれば。
心配顔のエルジンに、は、どーんと胸を叩いて云った。
それを見て、エルジンが、ぷっ、とふきだす。
「うん。判ったよ。頑張ってね!」
「エルジン君もエスガルドも気をつけてね」
「各々方ニ、ヨロシク伝エテオイテクレ」
手を振って歩き出す彼らに手を振った。
それからふと思いついて、
「エルジン君、エスガルド!」
『?』
振り返った二人に、目一杯、腕を振り回してみせた。
「いってらっしゃい!」
ふたりはきょとんと顔を見合わせて――すぐにエルジンは破顔し、エスガルドは全身で向き直った。
「いってきます!」「イッテクル」
そのまま見送るの向こうで、戦争前特有の喧騒に溢れる、ゼラムの中央通りに、ふたりの姿が消えていった。
――間に合うかどうかは五分だろうか?
陸路にせよ海路にせよ、サイジェントまではやけっぱちに遠いらしいし。
とにかくサイジェントにさえつけば、誓約者さんたちが掟破りのレヴァティーン召喚とかかまして、戻りは楽だろうけれど。
まあ、そんなこと考えてるだけじゃ意味がない。
間に合うにしても間に合わないにしても、可能性があるのなら、やっぱり、動かないよりは動く方がいいってことだ。
「……あたしもだよねぇ。それは」
ふと身につまされる心地で、は、そう、小さくつぶやいた。
「何がです?」
「うわあ!?」
仰天して飛び上がったが振り返ると、
「ああ、さんひどいです〜! 別に気配消してたわけじゃないんですよ〜!?」
とーとつに背後に出現したメイド姿のアルバイターさんが、傷ついた表情でそうのたまった。
背後にくるまでは気配消してたでしょうがアナタ。
そう云ったら、実に微妙な笑顔でお返事に代えてくれたけど。
「エルジンさんたち、出発されたんですねえ」
挙句、話の転換をしようというのか、そんな一言つきで。
別に追及するつもりもないので、素直にそれに付き合ってみる。……追及しても、きっと、ひらひら避けられそうだし。
「そうみたい。綾姉ちゃんたちを呼んでくるんだって云ってましたよ」
「……ええ、存じ上げております」
「……存じてたんですか」
てゆーかさ、毎度思うんだけど、
「パッフェルさん、その素晴らしいまでの情報入手速度は、いったいドコからどーいった手段で?」
「あら。偶然、カイナさんとお話してらっしゃる最中に通りかかっただけですよ〜?」
にっこにこにこ。
やっぱり、さっきの追及しても、きっと同じようにして躱されたんだろうなあ。
容易に導き出せた結論にダメージを受け、はそのまま、塀に突っ伏した。ちゃんと、とがってる部分は避けて。
けれど、
「あ、そうそう」、
とパッフェルが手を打ったので、また、何事かと顔を持ち上げる。
「金の派閥と蒼の派閥が、正式に協力することが決まりましたよ」
「……ほんとに!?」
顔どころか、全身で跳ね起きて、はパッフェルに向き直った。
蒼の派閥と金の派閥の確執が、どれほどのものなのか、は詳しく知らない。
顧問召喚師としていたレイムは、派閥には所属していないとのたまっていたし、蒼とか金とかあるとか、教えてはくれなかったし。
だけど、この旅の最初――そう、ミニスと初めて逢ったとき。
金の派閥の人間と知られたら、嫌われるかもしれないとか。
あと、それを知ったときのネスティの怒りっぷりとか。
それだけ見ても、ふたつの派閥の間には、きっと、深い長ーい溝が横たわっているんだろうなってコト、思い知らされたものだ。
「ええ」
朗らかに、パッフェルは首肯した。
「先ほどラウル師範が見えられたのも、そのことを伝えにこられたらしいんです。……フリップさんが、一足先に暴走されたみたいでしたけど」
だからその情報網はいったい――もういい省略。
「……暴走?」
たしかにアレは、暴走と呼んで差し支えない暴れっぷりだった。っていうか、そもそも、なんであんなにブチ切れてたんだあの人。
そんな、疑問を浮かべてるのが判ったんだろう。
パッフェルは、笑みをつかみ所のないものに変えて、
「どうにも、あの方は、いろいろと思うところがおありのようで――あまり勧められた考え方ではないのが、困りものと云えば困りものですけれどね」
まああの方はほっといて、今はとりあえず、ふたつの派閥が協力するという歴史的快挙に立ち会えた瞬間を喜びましょうか。
「……パッフェルさん、何気に酷い……」
「ほほほほほほ。」
「棒読みで笑わないでください」
「でもでも、さんは嬉しくありませんか?」
蒼の派閥と金の派閥。
思想的に相容れないが故に、古くから対立を繰り返し、山と積み上げられた確執。
それを乗り越えて協力するという英断に至った、それぞれの長たち。
「嬉しいっつーか……あたし基本的に派閥の人間じゃないんですが」
「あらま。そうでしたっけ?」
そうです。と、わざとらしく驚くパッフェルに、一応真面目に応じてみせて、
「むしろ、パッフェルさんの喜びっぷりが気になりますが。パッフェルさんだって、直接には蒼の派閥関係ないんじゃ――」
「うふふー。それがそうでもないんですよー?」
楽しそうに。
しごく、楽しそうに、パッフェルはそう云った。
そう。表情はたしかに、微笑を浮かべていた――
けれど。
「……パッフェルさん?」
どうしたんだろう。
少し寂しそうな、そんな顔に見えたのだ。
「これ以上はヒミツですけどねっ♪」
「あーのーでーすーねー」
だけどすぐに、彼女は表情を普段どおりに戻してた。
でもってやんわりと、だけどきっぱりとそれ以上の追及を阻害してくれたのである。
結局、とどのつまり。
パッフェルは食えない人間だという印象を、より強くしただけなんじゃないかと。
が、脱力と共にそう思ったときだ。
――若草色の光が、背後で一瞬、輝いた。そうして次の瞬間。
バサァ!
――大きな羽ばたきの音。
「なっ……!?」
振り返ったたちの頭上を、見慣れた影が横切った。
「シルヴァーナ!?」
「ミニスさんっ!」
銀色のワイバーン。
その上に乗っている少女。
同じものを見て、けれどパッフェルとが呼んだのは、それぞれ別の存在の名。
一瞬、その琥珀の双眸を、ミニスはたちに向けた。
けれど何も云わぬまま視線を前方に戻すと、さらに高く高く、シルヴァーナを飛翔させる。
そうして。
あっという間に飛び去った彼女を追いかけようかどうか、いや追いつけるのかどうか、迷ったたちの後ろから、ばたばたと、複数の足音。
「! パッフェルさん!」
「トリスさん、ミニスさんはどうなさったんです!?」
「マグナ、ネスティ! 何があったの!?」
血相変えてやってきた、蒼の派閥3人組に問いかけたたちは、けれど、すぐさま彼らと一緒に走り出すことになった。
ファミィ・マーンがゼラムにやってくる。金の派閥の代表として。
相手の信を得るために、それは政治上必要な判断だ。それはいい。
それは、いいのだけれど。
先日レイムたちが、金の派閥の召喚師から血識を奪おうと画策していた事実。
それを考えると、非常にまずい予想が出来上がることを、後につづいたふたりとも、また、察知したからだ。
――ファミィを失うわけにはいかない。金の派閥という存在のためにも、何より、ミニスのためにも。
親を失う子の気持ちを、は知っている。
事情は違うけれど、きっと、それは変わらないはずだ。