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第46夜 十
lll それぞれの夜 -2- lll




 同時刻、黒の旅団の駐屯地。
 久方ぶりに目の前に現れた顧問召喚師を見て、ルヴァイドは心底厭そうな顔になった――りはしなかった。
 無表情に、唐突に訪ねてきた銀髪の男の顔を見ている。
「何の用だ。本国が動いたか」
 淡々とつむがれることばに、レイムはさらに淡々と返す。
「ええ。――金の派閥の議長が、蒼の派閥との協力のためにゼラムへ赴くとの情報が入りまして」
 ふたつの派閥が協力しては、これからの戦い、少々不利ですからね?
「……」

「彼女を捕え、本国に更迭せよとの達しです」
「承知した」

 迷いもなく。逡巡もなく。
 ただ、ルヴァイドは頷いた。

 レイムが退出するのと入れ替わるように、イオスがルヴァイドの天幕を訪れる。
 色の白さは変わらないけれど、ルヴァイドはそれに気づく。もまた、ここで同じく彼を見ていたら気づいたろう。
 ――もともと色白だったイオスの顔色は、最近、それに増して色を失っていることが多い。
 だが当人は己のそれに気づかぬまま、努めて感情を殺した声で、ルヴァイドを仰いだ。
「奴は……なんと?」
「金の派閥の議長を捕えよとのことだ」
 たしかに先日の力を見れば、それは当然の判断だろう。
「……ゼラムへ行くのですか」
「そこまでする必要はあるまい。ファナンからゼラムまでの街道の途中で押さえる。――召喚術は、奴がどうにかするだろう」
「ルヴァイド様……」
「どうした?」
 イオスを見やるルヴァイドの表情には、先日まで見せていた苦悶はない。
 淡々と、落ち着いたものだ。
 けれどイオスには判る。きっと、今の彼をが見たら、哀しむだろうということも。
 ルヴァイドは、心の傷を消したわけではない。
 むしろ、さらにばっくりと開いたそこから、ずっとずっと多くの血が流れ出しているだろう。
 それを隠しているだけだ。
 押し込めて、いるだけだ。

 デグレアの騎士として。任務の遂行を、国の勝利を、――敵の排除を。

 さえ、も。

 よすがはもはや、それだけしか残されていないのだと。
 自分たちが、デグレアという国家に属する存在である、かぎり。
 この道を違えない、かぎり。

 では。   違えれば――

 待つのは、裏切りの罵声。さらなる冷遇。
 けれどあの子を殺さずにすむ。

 どちらを選ぶ? どちらもほしい。
 いつかが悩んだ道を、時を違えて彼らも悩む。
 ただ違うのは、それを、まだ幾つものくびきのなかで選択しようとしていることだった。

 くびきのひとつは、もはや、屍人の街と化したことを、彼らはまだ知らないが故に。


 ルヴァイドの天幕を辞したイオスが向かったのは、己の天幕ではなく、ゼルフィルドのところだった。
 睡眠をとらずにすむ彼は、夜は総指揮官の周囲の護衛をしていることが多い。
 今日もそうだった。
 じっと佇んでいる機械兵士は、一見して、まるで夜の闇に放置された置物のよう。
「ゼルフィルド」
 その傍に寄って呼びかけると、ウィィ……と、駆動音が発生する。
 かすかに光を放つ双眸。機械的な光だけれど、それはイオスの目に、何故だかひどく優しく映った。
 それに促されるように、イオスはつぶやく。
「僕たちは……どうすればいい」
 夜気の冷たさを反映して、ひんやりとした冷たさを伝える、黒い機体に手を触れて。
「真理は、ひとつではないのか……?」
 デグレアに勝利を。
 と、再び同じ道を。
 どちらも同じくらいに。どちらも等しく。

 ――欲しい道。つかみたい選択。

 どちらを選ぶ。

 どちらも選ぶな。心を殺せ。
 選ぶ権利など、もはや棄てた。

 ただ、最初に描いたとおり、己の国家の勝利のために。

 それでも。

「それでも、僕は…… ルヴァイド様は……」

「……」
 ゼルフィルドは何も云わずに、イオスのつぶやく声を聞いていた。

 少し前まで、今イオスがいる場所にいたのは、たいてい黒髪の少女だったことを、思い出しながら。
 ……彼女が触れる感覚を、浮かべていた笑顔を、思い出しながら。



 記憶は矛盾する。
 矛盾させられている。

 その糸を操る詩人は、糸を読み解く占い師と対峙する。

「……まあ、云われてみればそうですね」
 わざわざ出向いてきてアドバイスをくださったのはありがたいのですが、と、詩人は云った。
「ですが、そうする貴女のメリットは? しかも、これではまるで私に味方するようではありませんか」
 立て続けの問いにも、
「べっつにぃ〜?」
 と、彼女は動じない。
「ただ私は、馴染みのお客さんに、雑談をしにきただけよぉ〜」
 いつものようにほんのり頬を朱に染め、にんまり微笑う占い師を前に、レイムは小さく苦笑した。
 ……やりにくい。
 自分にもそう思う相手がいたことに、少なからず驚きながら。
 もっとも、それは不快な感情ではなかった。
 こんな感覚、彼女以外にはけしていなかろうと思っていたが、それが彼女の友人ならば、まあ、納得出来ぬわけでもない。
「それにしてもまあ、貴女も随分と入れ込んでおられますね?」
 所詮、アレはただの器でしょうに――
 気を取り直して続けたレイムのことばに、占い師は露骨に顔をしかめた。
「その器を、お気に入りって云ったのは誰だったかしら?」
 あからさまな嫌味のおまけまで、ついてくる始末。
 けれどレイムは、それをさらりと流す。
「……ええ。出来れば、綺麗なまま残してさしあげたいんですけれどね」
「とか云いつつ、壊そうとしたのは、どこのどちら様だったかしらね〜」
「もう、しませんよ」
 痛いところを突かれた自覚も強く、もう一度、苦笑。
「――この身に、力が戻るまでは」
 壊れてしまえば、たしかに、その奥に眠るものは目を覚ますだろう。
 けれど、かつての力の欠片程度でしかない今の自分では、足りない。占い師が云ったとおり、剥き出しのそれを手元に留めておけるかどうか保証はないのである。
 ――結局は。
 己の力を取り戻し、世界を壊し、くびきなどなくしてしまってから、改めて手に入れるしかないのだと。
 それが、現実。それを、願い。

「……しかし、一応訊きますが」
「はいはい?」

 ふと怪訝な顔になった銀髪の詩人に、占い師はにこやかに応じる。
「良いのですか? そうすればたしかに彼女は再び囚われずにすむでしょうが――」

 結局は、私がこの世界を壊しますよ。

 良くない、と云われようが、止めるつもりなどないレイムの気を知ってか知らずか、
「別に〜。それは私、全然構わないわよ」
 還っちゃえばいいだけ、なんだもんね〜
 なんだったら、あなたたちと一緒にあちらさんまで移住して、新家業はじめてもいいし?
 けらけら、占い師は笑う。
 そうして詩人は、ますます苦笑を深くした。
 竜神と呼ばれる存在の持つそれに酷似した角を、その頭部に持つ占い師。
 友人の居た、この世界を。まだ棄てきれないでいる、彼女。

「――でもね」、

 ふと、占い師は笑みを引っ込めた。
 真摯な顔になって。メイメイは云う。

「……最初の気持ちは、忘れちゃダメよ」

「……最初の……?」

 おうむ返しにつぶやく詩人へ、占い師は首肯してみせた。

「――あの子は、それを忘れないから」
 もし失いかけたとしても、手を伸ばして引き寄せるから。
 それをも台無しにしようというのなら、おまえも忘れてはならないよ。

 最初に願った、たったひとつの望みのために。
  ……あの子の願いは。辿り着くのは。
  欲する道の先に見る灯り、それは結局、ただそのひとつ。


 ねえ? 占い師は問いかける。銀の髪の詩人に、それを思い出させるべく問いかける。

「あなたがこのすべてを始めた、最初の願いはなんだったのかしら?」

 世界を憎み、ニンゲンを憎み。
 身勝手なそれらを憎みつくし。
 壊すためにこそ、力を欲する、

 その最初の願いを理由を、あなたは、忘れちゃいけなかったはずよ。
 最初で最後の、たったひとつのそれを。

 ……云われ、詩人はゆっくりと表情をほころばせた。

「忘れてなど、おりませんよ」
「なら、いいけどね〜?」

 ゆぅるりと微笑む詩人。
 にっこりと笑う占い師。

 全然似てなどいないふたりは、至極似通った笑みを浮かべて、互いを目に映していたのだった。


 その夜起こるすべて、起こったすべてを見ることは、誰にも出来なかった。
 強いて云うのなら、天に輝いていた月だけがそれをかなった、と、云えるかもしれない。
 だが、月はそれを誰かに知らすこともない。
 故に、誰も、月が知ることを、知らない。
 ――すべてを知ることは叶わないからこそ、誰もが迷う。
 それはたぶん、強大なる力を持つ存在でも、未来の可能性を見通せる存在でも、叶わないことなのだ。

 天にしろしめす無言を、地に歩き続ける者たちは、ただ仰ぐのみ。


 それでも――迷いながらも傷つきながらも、地を踏みしめて進むのは、その先に待つものを知らないからだと。

 だから、進めるのだと……どこかで、誰かがつぶやいた。

 だからこそ、それは強さにもなるのだとも――云った。
 そんな夜のひとつが、そうしてもうすぐ明けてゆく。


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