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第46夜 九
lll それぞれの夜 -1- lll




 さて。頭のなかで、レッツ復唱。
 あたしは、ギブソンさんたちと一緒に、まだみんなが起き出す前から、怪しげな召喚師のいるという、廃棄された館に行きました。
 そうしたらそこにいたのはレイムさんたちで、なんと人間から血識を奪おうとしていました。
 しかもキュラーさんとガレアノさんとビーニャは……悪魔でした。
 なんとか退けて逃げてきたけれど、はっきり云ってヤバかったです。

 ……果たして、彼らは、何なのでしょう。
 ……何をしようとしているのでしょう?

  わすれたの?

「……」
 くはー、と、でっかいため息をついて、は寄りかかっていた手すりにそのまま突っ伏した。
 食事も兼ねた結果報告のあとだ。
 疲れているだろうってことで、みんなの追及は強くなく、今だって、そっとしておいてくれてる。
 レイムたちのコトについては、もう完全に割り切ったと宣言したから、わずらわされてはいないと判ってくれてるだろう。
 ――うん。わずらわされているのは、別のことだ。
 時折、自分の奥深くから聞こえる声。
 一度開いてしまった回線は、もう向こう側から閉じられたはずだけど、繋がってる実感は強くなってしまってるらしい。かすかに――かすかに、いつも、それを感じてる。
 耳を傾けた方がいいのかもしれない、そう思うけれど、何かが怖い。
 ……たぶん、それは、自分のものじゃないからだ。
 あの白い陽炎と同じように。


「あ、アメル」

 呼びかける声。――の名を呼ぶ声。 
 それにひどく安堵する自分がいる。
 名前って本当にありがたい。記憶喪失の頃、名前見つけてもらったときもそう思った。

 。あたしの名前。――あたしは

 こんな夜に、テラスでぼんやりとしていたを、不審に思わなかったはずはないだろうに、アメルはにこりと笑いかける。
「お風呂、もうみんな入っちゃいましたよ」
 日常のつづきでしかないそのことばにも、安心している自分がいる。
 ああ、なんか相当、キてるんだな。あたし。
 人間とばかり思っていた人たちが、実は悪魔だった驚きは、おそらくみんな変わらないだろうに。
 それでも、心の平穏の在るべき場所は、こういった何気ない日々のなかだって、きっと知っているんだろうね。
「うん、今行く」
 だから。
 考え込んでもしょうがないコトは、頭から放り出して、も笑った。

 ちょっと涼んでいく、というアメルに、湯冷めしないようにとは云い置いて、彼女の横をすり抜ける。

「……」
「え?」

 通り過ぎざま、ふと、耳に届いたつぶやき。
 なんだろうと振り返った。
 けど、
「なぁに?」
 ゆるやかに微笑むアメルの表情は、純粋に、が振り返ったことにのみ疑問を抱いているんだと、示していた。
 他は――見当たらない。よしんば隠しているとしても、そうであるなら突っ込むのも失礼だ。
「……ううん、気のせいだったみたい」
 そんな大したことでもないんだろうと、勝手に判断して、はもう一度笑う。
 それから、くるりと身を翻した。


 今度は自分ひとりだけになったテラスの、けれど手すりまでは行かず。
 出入り口の扉に寄りかかったまま、アメルは、夜空を振り仰ぐ。
 昨日は新月、今日は細い三日月。
 それから、散りばめられた宝石のように輝く、たくさん、たくさんの星々たち。
「……思い出した、って」、
 ぽつり、零れる。
「そういえば、に云ってないなあ……」
 誰に届くこともないつぶやきは、呼気と一緒に闇に溶けた。
 それは、禁忌の森で。がサイジェントに飛ばされたあと、真実を明らかにしたときの?

 云うべきか云わざるべきか、実は迷っている。
 だけど、云わないほうがいい、と、心の底では思っていた。

 だって――は違うから。

 それでも、口にしてしまいたい気持ちはある。
 誰に聞かせるわけでもなく、胸に形として居座るそれを、吐き出してしまいたい、そんな衝動。
 今のこのときは、それなりに好機だと思えた。
 だから。
 もうこのときから胸に秘めたきりにしておこうと。これきりなのだと。そう気持ちを定めて、アメルは告げる。
 目の前にはいない、彼女に向けて。

「アルミネは、貴女を知っていたのよ」

 ――豊饒の天使の記憶に、貴女は、いるの。
 貴女では、ないけれど……

  白い陽炎。清冽な、苛烈な、輝き。
  ただ刻まれているのは、その力の顕現と、その中心で微笑む――


 融機人の血は、濃い。
 どういった仕組みなのかと問われれば、判るように説明出来る自信もないが、先祖からずっと、脈々と――はっきりと、受け継がれてきた記憶が宿るのだから、当然だろう。
 その点では、あの悪魔が云ったことばも外れてはいるまい。
 だから欲しいのだといわれても、大人しく血を奪われてやったりなど、絶対にしないが。
 が――そんなことよりも、
「……何だというんだ」
 最近、何かがひっかかる。
 すべてを、皆の前に明らかにしたときから、小さく、小さくあった感覚。
 クレスメントは、その魔力を失った。
 ライルは、召喚兵器に関する知識を失った。

 奪われた――誰に。天使に? ……アルミネに? いかな天使といえど、魂を砕かれ自身を留めきれない状態で、そんなことが出来るのか。

 それに、それだけではない。
 表現するなら『血が騒ぐ』というのが正しいのだろうか。だが、戦いの予感ではない。
 失った知識。記憶。
 それは召喚兵器に関すること、だけではない。そんな気がしてならない。
 あの、白い陽炎を見たときから?

 ふと、自分の身体を見た。その奥に流れる血を。

 この血は。ライルは。

「……君を知っていた……?」

 白い陽炎をまとい、中心で微笑む――   君は誰?
 それが、彼女でないことだけは、判るけれど……
 それは、彼女なのだけれど……



 誰かと同じ月を見上げる、誰かとは違う場所。
 ファナンの中央通りを、自宅に向かって歩く、ひとりの女性がいた。
 夜に女性の一人歩きときては危なげだろうが、この街で、彼女に手を出すような人生肥溜めに突っ込みたがる奴はいるまい。
 柔らかな金色の髪に、優しげな微笑を刻んだ女性。ファナンの議長こと金の派閥の召喚師兼ミニスの母、ファミィ・マーン。
 手には、一通の書状。
 ゼラムへ――蒼の派閥本部へ赴くために、したためたものだ。
 評議会へこの話を持っていったのは、早朝。
 そして結果が出たのが、ついさっき。
 長年にわたる派閥の対立を考えればしょうのないことと云えるかもしれないが、それにしても、と思わなくもない。
 同行者として選定された、かなり苦い顔をしていたウォーデン家の当主を思い返して、ファミィはくすりと微笑った。
 ミニスちゃんは元気かしら、と、埒もないことを考えて、ますます笑みを深くする。

 彼らは今、ゼラムにいるのだろう。
 ならば、仕事が終われば、少しくらいは娘の顔を見に行っても罰は当たるまい。
 さんざん大変な目に合っているようだけれど、これも、あの子の成長につながるかしらね――
 母親ならではの当然の楽しみを目の前に、ファミィはご機嫌だった。

 ……つと。
 一度だけ立ち止まり、周囲を見渡して。
「……」
 困ったように愁眉をひそめた。それ以外は。


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