TOP


第46夜 八
lll その、ちから lll




 ――ちょっと固い腕。ひんやりとして、だけど暖かな身体。
 小さく聞こえる駆動音。潤滑オイルのにおいが、かすかに鼻孔を刺激する。
 震動を伝えないようにしているのか、慎重に、足を滑らせるように歩いているのが判る。

 ――ああ、なんだか久しぶりだ。

 まだイオスがいなくて。ルヴァイドは、忙しいらしく留守にしていた時。
 なんだっけ? 迷子になったんだっけ?
 泣いていた自分を見つけてくれたのはゼルフィルドだった。……まだ、彼のことをよく知らなかった自分は、急に現れた機械兵士に驚いて、それでよけいに泣きじゃくったけれど。
 足をくじいているの知ったゼルフィルドが抱き上げてくれても、まだ、泣いていた。

 だけど、ゼルフィルドは何も云わずに、を腕に抱えて歩き出した。
 今思えば、たぶん、どうことばをかけていいのか、どう慰めればいいのか、判らなかったんだろう。
 ルヴァイド自身もそう云っていたし、あとで聞いた話では、機械兵士には子守り用のプログラムなど搭載されてはいないらしいから。――や、されてたら、それはそれで素晴らしいが。
 でも、判ったのだ。
 普段なら結構大きく聞こえる足音が、小さいことに。
 普段ならもう少し速いはずの歩みが、遅いことに。

 それからだったっけ。自分が、ゼルフィルドに懐きだしたのは。
 力の加減に苦心しながらも、せがむと遊んでくれたし、疲れたらおぶって帰ってくれた。
 日向ぼっこを一緒にするのが好きで、そのまま寝こけてしまったを連れ帰ってくれたことだって、何度も何度も。数え切れない。
 ここ最近は、さすがに、そんなこともなかったけれど、触れ合うのが嫌になったとか、そういうわけじゃない。決して。

 ……今だって。触れたいよ。
 抱き上げて、また、肩に乗せてほしいよ。

 そこまで考えて。

 あれ?

 そう思った。
 あたし、何でゼルフィルドにおぶわれてるんだろ?
 何かしてたっけ?
 日向ぼっこじゃないし、遊んでもないし。
 ――そもそも――

 ……あれ?

 どうして、目の奥が熱いのかな……?

「……ィルド……?」

 つぶやいた。
 そのとたん、ばちっと意識が覚醒した。

「あ、おねえさん目が覚めた?」
 真っ先にそれに気づいたのは、エスガルドの肩に座っていたエルジンだった。
 その腕に抱えられたを覗き込んで、だいじょうぶ? と笑いかけてくる。
「……あ……うん」
 ぱちぱち、とまたたきして頷いた。
 そうだ。……何を勘違いしていたんだろう。
 ゼルフィルドはここにはいない。の傍らには、いない。
 袂を分かってしまった、かつてもいたあの場所に、彼は、あの人たちといるはずだった。
、起きたの?」
 ちょっと背伸びして見上げてくるトリスに、うん、と笑みをつくってみせた。
 そうして、その彼女の隣を歩くマグナに背負われた少女が、同じようにを振り仰ぐ。
……だいじょうぶ? どこか変なトコロない?」
 あたし、加減が判らなくて引きずり出しすぎちゃったかも――
 そう申し訳なさそうに云うアメルだったが、それはいったい何のことだと疑問符出現。
 だが、

 あ、そっか。すぐに思い出した。

  ちからをかしてね

 最奥に呼びかけた天使の声は、たしかに、そこに届いていたから。
 まだ、そのときの残滓がかすかに残っているから。
 だけど、彼女がそれを使えたということは。
「……アメル、判っちゃったの?」
「……うん」
 問えば、アメルは、困ったように笑った。
 が、彼女以外の人間にとって、それは当然初耳のこと。
「あの白い陽炎の正体を?」
 それまで黙ってやりとりを見ていたネスティが、とうとう会話に参加した。
 何も云わないけれど、エルジンもエスガルドも。ギブソンもミモザも、マグナもトリスもレシィもハサハも。興味津々。
 全員の視線を受けて、アメルは少しだけ、考えるように目を伏せた。

「……の、奥にあるのは――魔力じゃない。そう、思うんです」
 訥々と、聖女は告げる。

「魔力と呼ばれるものになる前の、ただの、力なんです。だからこそ、純粋で、だからこそ、扱う者の意志によってその属性を変える……」

 でも、自身はその力に方向性を示すことは、まだ出来ない。
 ただ力であるそれを、顕現させるだけ。
 それがどのようになるかは、の意志が働きかけられない以上、面した状況次第なのだと。

 つまりは――世界が、それを選ぶ?

「人は魔力としてしか、世界に満ちる力を使えない……でも、彼女は、本当に純粋な力として、それを取り込める……」

 それを無理して召喚術として作用させようとしたから、毎度毎度、素っ頓狂な結果が出るのだと。
 世界に通じると云えば聞こえはいいが、他の四界への接触は、の奥のどこかが拒んでいるわけだから――と、これは、一行が屋敷へ向かう途中に立てられた、ギブソンの仮説。
 だがも、それで納得出来る部分がないでもない。おそらく、自分が召喚術によって問答無用で喚びこまれたのが、知らないうちにトラウマになっているんじゃないだろうか。
 そして、だ。
 そうなると、自然、召喚対象はこの世界か、元いた世界の物品に限定されるということだ。

 だからして、これは、決して万能ではない。
 ないけれど。

「……あたしは、それを天使の力に共鳴させることで、さっきみたいなコトが出来たんです」

 ゆっくりと、ゆっくりと。
 ことばを探しながらつむがれたひとつの答えに、一同の目が例外なくまん丸になった。当のでさえ。
「……ちゃん」
 まだ呆気にとられたままの表情だけれど、ミモザがをまじまじと見て。
「はい?」
 一言、云い放った。

「絶ーっ対に。それ。連発しないほうがいいわ」

 まったくだ、と、彼女の隣で頷くギブソンも同時に視界に入れつつ、は先刻以上に目を丸くする。
 待ってくれ蒼の派閥の召喚師。
 世界の真理を探究するのが仕事なら、この存在ははっきり云って無視出来ないんじゃないですか?
 ……切羽詰ったときにしか出来ないんだから、研究するから出せって云われても無理だけど。
「だって考えてもごらんなさい?」
 後輩含め含め、怪訝な顔の一同に、ミモザ姐さん演説開始。

「召喚術はあくまで、他の世界から喚び寄せるためのものでしょ。私たちは、そういう魔力しか持ってないわけでしょ」

 でもちゃんは、世界自体の【力】を引き込めるわけでしょ。世界に干渉してしまえるわけでしょ。
 つまり、望んだそれを世界が承認したなら、はっきり云って、
「……」
 あんまり云いたくないセリフだけど、と。
 やや沈黙したのち、ミモザは一応断って、苦い顔で続けた。

「……絶対無敵の、兵器扱い、されちゃうわよ。」

 そう。それはけして、万能ではない。
 万能ではないながらも、この世界内においてはそれこそ、召喚兵器以上のチカラとして。

 それを聞いた全員が、とんでもない、と云いたそうな表情になったのに気づき、は慌てて手を振り回し、否定した。
「で、でもね!? これって喚ぼうって思って出るんじゃなくて、なんかこう、来てくれるっていうか、来そうだから手伝ってって云うか――」
 助けてくれようとしてるから、じゃあ助けてって感じで!
 喚べって云われても喚べないし、第一それだけでも、自分自身にまつわる力じゃないのはっきりしてるし!
 ってゆーか兵器扱いなんてごめんだし!
「お、おねえさん、判ったから落ち着いて」
 ぜーはー、力説後息を切らして肩を叩かれてるを一瞥したギブソンが、苦笑して後を続ける。
「まあ、もうこんな風に力を使わなければだいじょうぶだろう。あとは、私たちが黙っていれば済むことだからね」
「……あ、でも……」
 そう云って、ちらりとマグナとトリスが見たのは、自分たちの護衛獣。の、半分のふたり。
「バルレルとレオルドには話していいですか?」
「絶対、黙っておくように約束させますから」
「こらこら、ふたりとも。私にはどうにも云えないよ」
 とはいうが、問題なんてあるはずもない。
 視線を向けられたは、一拍遅れて同じように見上げてきたふたりに向けて、こくりと頷いてみせた。

「……でも」
「?」

 直後、顎に指を当てて考え込む顔になったに、再び一同の視線が集中する。
「自分で云うのもなんだけど、一度出るとたしかに問答無用の力なんだし……便利と云えば便利だよね」
 ま、あからさまに違和感ばりばりなのは確かだけど。
 絶対確実に、疲れまくって体力消耗しまくるのも、確かだけど。
 ……これまでに数度、窮地を救われた経験が、にそう云わしめる。
「だからって、わざと自分を危機に追い込んで顕現させようなんて云いだすつもりじゃないだろうな?」
「……」
 黙りこんだのは、肯定だととられたんだろう。
 ひきつった笑みでもってツッコミを入れてくれたネスティの表情が、ぴきっと、さらにさらにひきつる音さえ聞こえた。

「しません絶対とは云わないけどしませんごめんなさい」
「……微妙に気になる云いまわしだな……」
「だって、不可抗力で危機になったら、判らないし」

『……』

 きっぱりはっきり云い切ったら、今度こそ、以外の全員が遠い目になった。
 エスガルドも例外ではない。ああ、なんって楽しい人たちだ。
 ……とりあえず、と、ちょっぴり疲れた様子でマグナが云った。
「最低、この件が終わるまでは、の力については、秘密にしておくってことで、いいよな?」
「うん。ごめんね」
「どうして謝るの?」
 きょとんと問いかけるトリスに、小さく苦笑い。
「だって、嘘つかせちゃう」
 そう云ったら。
『……』
 さっきと同じような沈黙が舞い下りて、やっぱり、以外の一同が、なんとも云えない顔でお互いを見て。
 ぽりぽり、と、頬をかく振りをして、ミモザがまず視線をそらした。
「――実はねえ」
「?」
 なんだなんだと思いつつ、彼女の次の発言を待つ。

「別件で、ちゃんにも、嘘、ついてもらわないといけないのよね」



 ゼラムに戻り、ギブソンとミモザ邸に帰り着いたにバルレルは云った。
「酒100本おごれ。それで手ェ打ってやる」
「そんな金ないやい。」
 はコンマ1秒の間もおかず即答した。
 ――エスガルドに抱っこされたまま。
 そうしての返答に、当然バルレルは一気に機嫌を降下させて、げしげしと門扉を蹴っている。
 だけど、バルレル。
 そーいう憎まれ口とか八つ当たりとかしてるけど、わざわざ、レオルドとモーリンと一緒に、門のトコロで待っててくれたんだね。
 なんて思いながら、はいそいそとエスガルドを下りて、そんな彼にそっと身を寄せた。
「……ねえ」
「あンだよ」
 不機嫌全開、仏頂面満開。
 だけど話を聞いてくれる、結構お人よしな悪魔。
「あとでマグナたちから話あると思うんだけど……キュラーとかビーニャとかって悪魔知ってる?」
 ……ぴくり。かすかに肩が震えるのを、ははっきり見てとった。
 それでも。
 バルレルは真っ直ぐにを見て。
「知らねェ」
 としか、答えない。
「……」
 ああだめだこりゃ、と、その仕草でも諦める。
 視線そらしてとぼけまくるつもりとかなら、あとででも追及しまくるって手も使えるのだけれど……今、バルレルは、正面からを見てる。
 そして、その双眸は云っている。
 絶対に話さねぇぞと云っている。
 それは知ってて知らないふりをしてるんじゃなく、きっと、知っていてそれでも教えない、教える気になれない、何かの理由があるということだ。
 そりゃまあ、だってそのへんの事情を汲めないほど、自分の件だけに切羽詰まってるわけじゃないのだけれど……

「……ドけち」


 ぶう、とむくれるを見て、バルレルは心中で小さく舌打ちした。
 アイツらとうとう、コイツの真ん前でやりやがったのかと。
 かっさらわれた窓辺の魔力の残滓から、ヤツらであるとは思っていたけれど、とうとう正体みせやがったかと。
 どーする気だよ。そう思わずにはいられない。
 この自分が細心して、下手に爆発しないようにしてるというのに。
 ……チャンネルが開きかかってる、今がいちばん厄介なのに。
 一瞬。その屋敷だか本拠地だかに乗り込んで、周り見えてんのかテメエら。とかなんとか、どつきたくなったりもしたけれど。

 目の前のに云うのは、ただ一言。
「そりゃテメエだろ」
 オレ様の働きに報いる財力すらねえってんだからなァ?

 ――酒を断った件への揶揄満載のそれに、ぴくり、と、の表情が引きつった。
 頬をつねろうと降ってくる手を躱し、やり返す。

 まだ知るな。抱えてるモンの正体なんか。
 もしかしたら少しくらいは勘付いてるかも知れねえけど、目覚めさすな。
 ……オレは、『』だって結構気に入ってんだ。
 壊れて目覚めさすなんて、最悪な展開にだけはさせてやらねぇ。


 べし、と肩をはたく小さな手。一撃目は甘んじて受けただったが、さすがに二撃目は笑って躱す。
「おかえり。。変なコトされなかったかい?」
「うん、平気」
 なんてやってる横から、ストラの準備してくれてるモーリンをありがたいと思いつつ、別に外傷もないからそう答えた。
「オカエリナサイマセ」
「レオルドもありがと。心配かけちゃったね」
 そう云うと、レオルドから聞こえる駆動音が、少しだけテンポを変える。
 その横でやっぱり護衛獣たちの本日の努力をねぎらっていたトリスが、きょと、と周囲を見渡した。
「ミニスは?」
「ああ、ユエルと一緒に遊びに行ってるよ。――ボロ出してなけりゃいいんだけどねえ」
「出してないわよっ」
「わあ!?」
 とーとつに、頭上からその声は降ってきた。
 見上げたら、ふわふわと宙に浮いてるワイバーン。と、乗ってるミニスと……お寝み中らしいユエル。

 おいおい君たち、王都をシルヴァーナで悠々飛んできたんかい。

 目立たない場所飛んできたから、平気だもん。

「……だいじょうぶ? ケガとかしてない?」
「うん。気力根こそぎとられた気分だけど、外傷はないよ」

 ユエルを起こしては難なので、自然と会話は小声になる。
 それでも、午前中のくだりを説明されて、たちは、思わず笑ってしまった。
 決定。本日一番のお留守番苦労人は、ミニスだ。

 夕暮れの屋敷の前で、顔寄せ合って何事か話し合っているワイバーン連れ機械兵士連れの一行を見て、通行人が不思議な物体を目撃したような顔になっていたのは、彼らの預り知らぬことではある。


←第46夜 七  - TOP -  第46夜 九→