空恐ろしいまでの重圧。負荷。呼吸さえも許されない空間へと、そこは造り変えられようとしていた。
耳を突き抜けて脳まで破壊しそうな嗤い声が、ひたすらに彼らの感覚を鈍化させる。
「……悪魔が……どうして……!?」
歯をくいしばりながら、意識を覚醒させるためも兼ねてネスティはうめいた。
膝をつくわけにはいかなかった。
一瞬たりとも、気は抜けない。
せり負けるわけにはいかない。
そうなってしまったが最後、この身は悪魔たちに引き裂かれると本能が察していたから。
「気ヲツケロ、えるじん……奴ラハ、コレマデ相手ニシテキタ連中ト、格ガ違ウヨウダ……!」
「それは、そうでしょう」
何しろ彼らは、私のお気に入りです。
エルジンをかばうためか、じりっと前に出たエスガルドのことばをとらえて、レイムが微笑う。――嗤う。
「さらった召喚師の肉体を依り代に、血識によって召喚術を学ばせたのですから……ね」
ざわりと。
押し寄せる圧迫感も、不快感も、はじきとばすほど、血が昂ぶったのが判った。
「レイムさんっ! 貴方は……貴方はなんてことをッ!!」
「ひゃーっはっはっは! 諦めなさい! 貴方たちのあとに、彼女もすぐに送って差し上げますからねぇ!?」
――彼女。それが示すのは。
「……のこと!?」
「他に誰がいるというのです?」
狂ったようにあげた笑い声を、表情を、すぐさま消し去って。
再び彼がたたえる表情は、淡い笑み。
けれど、双眸に宿る狂気は今や、隠しようがない。
「どうして!?」
叫んだのはトリスだった。
抱きつづけた疑問が、眼前の恐怖を押しのけんと膨れ上がって彼女の背を押した――見ている者は、そうとった。
「どうしてを攫ったの! どうしてを殺そうとするの!? は、ゲイルなんかには関わってない、普通の女の子なんだよ!?」
それに――と。一息おいて、トリスはつづけた。
「貴方は……っ、のこと、大事だったんじゃないの!?」
そのとき。それを聞き終えた瞬間。そのレイムの表情こそが、見物だったかもしれない。
狂気を愉悦に染め変えて、吊り上げた口の端もそのままに――彼は、ひどく優しく、微笑んだのだ。
「勿論」告げる。それは肯定。「さんも大切ですよ」
――でなければ、とうの昔にビーニャの依り代にでも選ばせていただいていましたとも。
「けれどね」
つづいて、否定。
勘違いを、していた。
思い違いを、していた。
そのために無駄にした時間が、今はただ、許せない。
「……トリスさん、判りますか?」
正面から向けられる双眸。
それと目を合わせることが出来ずに、トリスは顔をそらす。
レイムにとっては些細なことなのか、特に気分を害した様子もなく、ことばは続けられた。
「私が欲するのは、たったひとつなのです」
他の何を捨てても、他の何を破壊しても、食い尽くしても、消し去っても。
ただそのひとつだけが残ればいい。
――それはすでに狂気以外の何物でもないのかもしれない。
ビーニャの周囲の空気が少しだけ、揺らいだ。ガレアノとキュラーの肩……にあたる部分が、ほんの僅か、上下する。
じゃあ、と。間をおかず、口を開いたのはミモザだ。
気をそらして、反撃のチャンスをつかむつもりか。
「……じゃあ。……ちゃんは、何だというの?」
それにレイムが答えるより、先。
視線を動かしたアメルと、そちらを見ていたの目がぶつかった。
天使と、彼女の視線がぶつかった。
――お互い、覚悟を決めているのだと、察した。
「……彼女はね――」
頷くための間をおいて、そう、レイムが答えをつむごうとした。
先んじたその叫びは、刹那よりも早かった。
「!!」
アメルが、呼ぶ。その名を。
彼女の視線を追って、マグナたちがを見た。
とたん、苦痛ばかりが支配していた表情に、驚愕と歓喜が混ざりこむ。
レイムが振り返る。
「――」
ちらりと見せたかすかな動揺は、果たして本当だったのか、それとも演技だったのか――続いて振り返った悪魔たちは、たしかに動揺していたのだけれど。
だけど、それは、紛れもなく。隙だった。
聖女は真っ直ぐに、両手を伸ばした。
押し寄せる重圧は、彼女だけをその瞬間解放したかのように。何に抗する様子もなく、自然に持ち上がった腕。それが目指す先は、――ひとり。
「あたしに貴女のちからをかして!」
リィン――キィン――
いつかどこかで感じた耳鳴り。 共鳴。
アメルの声が終わるかどうかのうちに、の身体を白い陽炎が覆う。
先日のように焔をかたどるかと思われたそれは、けれど、純白の羽になった。
「なっ……!?」
これはさすがに予想出来なかったか、レイムたちまでもが驚愕の声を零す。
そうしてそれを尻目に、の姿は、たった今までいた戸口からかき消えた。
「――っと?」
不意に感じた浮遊感。
咄嗟にレシィとハサハを抱え込んだ判断は、あながち間違いではなかったようだ。
なんとなれば、またたきひとつほどの間に、たちは隣部屋への入り口から、十数メートル離れたアメルの傍に移動したのだから。
ああっ、なんだかどんどん人間離れしてないかあたし!!
苦悩しつつもハサハとレシィを解放したの腕を、今度はアメルが手にとった。
「……ちからを、かしてね」
「アメル……?」
これを知ってるの?
ことばにならない問いかけに、アメルは小さく、一度だけ頷いた。
それから、レイムたちに向き直る。
双眸に宿るのは、強い光。剛い意志。
「……させませんから」
光り輝く羽が、アメルの背から出現する。
黒い赤い闇を駆逐し、清冽な光が、場の主導権を取り返す。
「くっ……!?」
ここにきてはじめて、レイムがその表情を苦痛に歪めた。
「ガッ……」
悪魔たるガレアノたちにはなお響くのか、顔色――あるのかどうか判らないけど――を変えて、後ずさる。
アメルの声が、高らかに、その場に響き渡った。
「貴方たちなんかに……を傷つけたりさせません!」
今ここにいるこの人を否定するような相手に、奪わせない。喪わせない。
そうして、それ以上に。
「もう誰も、傷つけたりなんかさせない!!」
光が。迸る。
レイムの、悪魔たちの、苦悶の声さえもかき消して。
視界が完全に光で覆い尽くされる前に、赤い影が動くのが見えた。
「今ダ……!!」
それは。
ずっと脱出のチャンスを図っていた、真紅の機械兵士の声。