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第46夜 七
lll 白い翼 lll




 空恐ろしいまでの重圧。負荷。呼吸さえも許されない空間へと、そこは造り変えられようとしていた。
 耳を突き抜けて脳まで破壊しそうな嗤い声が、ひたすらに彼らの感覚を鈍化させる。
「……悪魔が……どうして……!?」
 歯をくいしばりながら、意識を覚醒させるためも兼ねてネスティはうめいた。
 膝をつくわけにはいかなかった。
 一瞬たりとも、気は抜けない。
 せり負けるわけにはいかない。
 そうなってしまったが最後、この身は悪魔たちに引き裂かれると本能が察していたから。
「気ヲツケロ、えるじん……奴ラハ、コレマデ相手ニシテキタ連中ト、格ガ違ウヨウダ……!」
「それは、そうでしょう」
 何しろ彼らは、私のお気に入りです。
 エルジンをかばうためか、じりっと前に出たエスガルドのことばをとらえて、レイムが微笑う。――嗤う。

「さらった召喚師の肉体を依り代に、血識によって召喚術を学ばせたのですから……ね」

 ざわりと。
 押し寄せる圧迫感も、不快感も、はじきとばすほど、血が昂ぶったのが判った。
「レイムさんっ! 貴方は……貴方はなんてことをッ!!」
「ひゃーっはっはっは! 諦めなさい! 貴方たちのあとに、彼女もすぐに送って差し上げますからねぇ!?」
 ――彼女。それが示すのは。
「……のこと!?」
「他に誰がいるというのです?」
 狂ったようにあげた笑い声を、表情を、すぐさま消し去って。
 再び彼がたたえる表情は、淡い笑み。
 けれど、双眸に宿る狂気は今や、隠しようがない。
「どうして!?」
 叫んだのはトリスだった。
 抱きつづけた疑問が、眼前の恐怖を押しのけんと膨れ上がって彼女の背を押した――見ている者は、そうとった。

「どうしてを攫ったの! どうしてを殺そうとするの!? は、ゲイルなんかには関わってない、普通の女の子なんだよ!?」

 それに――と。一息おいて、トリスはつづけた。

「貴方は……っ、のこと、大事だったんじゃないの!?」

 そのとき。それを聞き終えた瞬間。そのレイムの表情こそが、見物だったかもしれない。
 狂気を愉悦に染め変えて、吊り上げた口の端もそのままに――彼は、ひどく優しく、微笑んだのだ。

「勿論」告げる。それは肯定。「さんも大切ですよ」
 ――でなければ、とうの昔にビーニャの依り代にでも選ばせていただいていましたとも。

「けれどね」
 つづいて、否定。

 勘違いを、していた。
 思い違いを、していた。

 そのために無駄にした時間が、今はただ、許せない。

「……トリスさん、判りますか?」

 正面から向けられる双眸。
 それと目を合わせることが出来ずに、トリスは顔をそらす。
 レイムにとっては些細なことなのか、特に気分を害した様子もなく、ことばは続けられた。

「私が欲するのは、たったひとつなのです」

 他の何を捨てても、他の何を破壊しても、食い尽くしても、消し去っても。
 ただそのひとつだけが残ればいい。
 ――それはすでに狂気以外の何物でもないのかもしれない。
 ビーニャの周囲の空気が少しだけ、揺らいだ。ガレアノとキュラーの肩……にあたる部分が、ほんの僅か、上下する。

 じゃあ、と。間をおかず、口を開いたのはミモザだ。
 気をそらして、反撃のチャンスをつかむつもりか。
「……じゃあ。……ちゃんは、何だというの?」
 それにレイムが答えるより、先。

 視線を動かしたアメルと、そちらを見ていたの目がぶつかった。
 天使と、彼女の視線がぶつかった。

 ――お互い、覚悟を決めているのだと、察した。

「……彼女はね――」

 頷くための間をおいて、そう、レイムが答えをつむごうとした。

 先んじたその叫びは、刹那よりも早かった。

!!」

 アメルが、呼ぶ。その名を。

 彼女の視線を追って、マグナたちがを見た。
 とたん、苦痛ばかりが支配していた表情に、驚愕と歓喜が混ざりこむ。
 レイムが振り返る。
「――」
 ちらりと見せたかすかな動揺は、果たして本当だったのか、それとも演技だったのか――続いて振り返った悪魔たちは、たしかに動揺していたのだけれど。

 だけど、それは、紛れもなく。隙だった。

 聖女は真っ直ぐに、両手を伸ばした。
 押し寄せる重圧は、彼女だけをその瞬間解放したかのように。何に抗する様子もなく、自然に持ち上がった腕。それが目指す先は、――ひとり。

「あたしに貴女のちからをかして!」

 リィン――キィン――
 いつかどこかで感じた耳鳴り。 共鳴。

 アメルの声が終わるかどうかのうちに、の身体を白い陽炎が覆う。
 先日のように焔をかたどるかと思われたそれは、けれど、純白の羽になった。
「なっ……!?」
 これはさすがに予想出来なかったか、レイムたちまでもが驚愕の声を零す。
 そうしてそれを尻目に、の姿は、たった今までいた戸口からかき消えた。

「――っと?」

 不意に感じた浮遊感。
 咄嗟にレシィとハサハを抱え込んだ判断は、あながち間違いではなかったようだ。
 なんとなれば、またたきひとつほどの間に、たちは隣部屋への入り口から、十数メートル離れたアメルの傍に移動したのだから。
 ああっ、なんだかどんどん人間離れしてないかあたし!!
 苦悩しつつもハサハとレシィを解放したの腕を、今度はアメルが手にとった。
「……ちからを、かしてね」
「アメル……?」
 これを知ってるの?
 ことばにならない問いかけに、アメルは小さく、一度だけ頷いた。
 それから、レイムたちに向き直る。
 双眸に宿るのは、強い光。剛い意志。
「……させませんから」
 光り輝く羽が、アメルの背から出現する。

 黒い赤い闇を駆逐し、清冽な光が、場の主導権を取り返す。

「くっ……!?」

 ここにきてはじめて、レイムがその表情を苦痛に歪めた。
「ガッ……」
 悪魔たるガレアノたちにはなお響くのか、顔色――あるのかどうか判らないけど――を変えて、後ずさる。

 アメルの声が、高らかに、その場に響き渡った。

「貴方たちなんかに……を傷つけたりさせません!」
 今ここにいるこの人を否定するような相手に、奪わせない。喪わせない。

 そうして、それ以上に。

「もう誰も、傷つけたりなんかさせない!!」

 光が。迸る。
 レイムの、悪魔たちの、苦悶の声さえもかき消して。

 視界が完全に光で覆い尽くされる前に、赤い影が動くのが見えた。
「今ダ……!!」
 それは。
 ずっと脱出のチャンスを図っていた、真紅の機械兵士の声。


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