濃い、血のにおいが、場を満たす。
濃い、魔力の流れが、場を満たす。
ぴちゃりぴちゃりと波打つ赤い液体が、壁の明かりと紫の怪光を反射して、たとえようもない色に輝いていた。
「――やはり、どうにも、あのときに勝るものには出逢えぬようですね」
たった今絶命したばかりのソレを無造作に放り出し、レイムはため息をつく。
「申し訳ありませぬ。なかなか、満足していただける素材にことかきまして……」
彼らの目の前には、所狭しと積み上げられた召喚師たち。――の、死体。
ガレアノたちが集めたもの、レイム自ら収集したものと様々だが、たった今試した最後の一体でさえも、彼らを満足させるには至らなかった。
「ファナンを攻略させた暁には、黒騎士に命じて取り寄せることにしましょう」
あの街には、金の派閥なる召喚師の集団がありますれば……
恭しく、しかしおぞましいことを告げるのはキュラーである。
だが、その場の誰も、それに対して非難を向けることはない。
それどころか、
「キャハハハハハッ! 楽しみだねぇ」
と、ご機嫌に、笑いだす者までいる始末。
「しかし、こうも使いでがないものばかりでは、困りものだな。新たな依り代にすることさえも出来んとは……」
ぼやくガレアノだったが、それを、ビーニャがご機嫌なまま、なだめにかかる。
「短気はいけないよォ、ガレアノちゃん? アタシたちのときだって、そう簡単にはいかなかったんだもん」
彼らを元いたかの地より選び導き、後々になって、この世界に本格的に溶け込むための器を捜したのは、紛れもなく。
「そうですね……我らが主が尽力してくださったからこそ、今の我々があるのです」
感謝しております。
キュラーがその感謝を捧げる相手は、当然のように、それを受け止める。
「そうかしこまらずとも良いんですよ、キュラー?」
えもいわれぬ笑みたたえ、にこやかに、告げる。
「ビーニャもガレアノも、本当に、私のためによく尽くしてくれているのですから。……こちらこそ、感謝していますよ」
「……レイムさま……」
「……勿体無いおことばです」
キュラーと同じように、残り二人も跪いた。
それはごく自然に、それが当然なのだというように。
……まさか、と思ったのが始め。
そうだったのか、と思ったのが次。
そうして最後に残ったのは、ただ、驚きだけだった。
「……先輩たちの追ってた事件も、あの3人の仕業だったんだ……」
声を出しては気づかれる危険もあったけれど、驚愕がそれを後押しした。
普段なら止めるだろうネスティも、難しい顔になって応じる。
「それに、レイム。……のことばどおりだ。やはり、あの3人とかかわりを持っていたんだな」
これまで、彼と奴らが同じ場所に同じ時にいるところなど、見たことはない。
けれど目の前の光景は、顧問召喚師とその部下という構図を想像させる材料としては、充分すぎるものだった。
……いやさ、充分すぎるというだけでは足りない。どこか、もっと、王と臣下のような印象を、眼前の4人からは強く受ける。
「じゃあ、をさらったのは奴らなの? ……それこそどうして……」
ルヴァイドたちにはかなわなくとも、の話す彼らの姿は、面白いとか楽しいとか、そんなものが多かった。
それは、仮面を被っていたのかもしれない。でもそれは、その分、彼女を大切にしていたということではないのか。
それなのに、何故――今さら。今さら、を。
ぎゅ、としがみついてきた、それぞれの護衛獣をなでてやっているマグナとトリス、それからネスティの耳に、愕然としたギブソンの声が届いた。
「……君たちが云っていた3人の召喚師とは、本当に彼らのことなのか……?」
問いの意図を、3人は一瞬掴み損ねた。
「え? ええ、間違いないです」
が、少しどもりながらも、ネスティが応じる。
奴らは、これまでに何度も戦ってきた敵だ。今さら、その顔や声を間違えたりはしない。
「……ならば、これは悪い夢としか思えない……」
そうして――それを受けたギブソンはつぶやいた。
「私は、彼らの顔を知っている――知っているんだよ」
「……え……?」
少しの間を置いて、ネスティがそれだけを口にした。
聞こえているのかいないのか、ギブソンはなお、召喚師3人の顔を食い入るように眺めている。
「派閥から送られてきた、失踪した召喚師たちの人相描き――あの3人の顔は、そこに描かれていたものと同じなんだ……」
「――!?」
ばっ、と、全員がギブソンを見た。
それに遅れること一瞬。
「さて、と……」
ゆっくりとしたレイムの声が、云った。
「お行儀の悪いことはやめて、そろそろ顔を見せてくれませんか? 皆さん」
マジデスカ。
鎖をぎちぎちやって、なんとか壁ごと引っぺがせないかと苦心していたは、ばっきん、と。音さえ立てれる勢いで、固まった。
皆さんって皆さんって。
当然、やっぱり、いつもの皆さんですか。
なんでここが判ったんですか。
ってゆーか。ってゆーか。
やばいやばいやばいっ!!
ビーニャがを攫うときに見せたモノや、先日のデグレアでぶつけてきた、黒い魔力。
あれがもしも、今までは見せなかった彼らの本気だというのなら。
そうしてレイムが何やら口走っていた、『もう遠慮は要らない』とか云うのが事実なら。
冗談抜きにやばいんですけど、この状況。
それじゃあ、また。覆すため、アレに頼らないといけないんだろうか。
一度開かれた回線は、それをたしかに容易にするけれど――
けれど。
それは自分のものでない以上、かかる負荷が生半可ではない。
それに正直、あまりアレには頼りたくない。
なんというか……自分が自分でなくなりそうで。嫌な云い方だが、侵蝕されてしまいそうで。
それでも、正真正銘やばくなったら、その覚悟さえ決めなければならないかと、頭の隅で思ったのは本当だった。
――が。今はまだ、とりあえず。
「……っ」
ぎち、ぎち。
かなり脆くなっているだろう壁は、が力を入れるたび、少しずつ少しずつ欠けてゆく。小さな小さな手応えだが、それを頼りに、今は、今の自分が出来ることを――ただ懸命に。
顔を見合わせて、頷きあう。
今の呼びかけは、明らかに自分たちに対してのものだった。
……ゆっくりと。全員が、奇襲に用心しつつ立ち上がる。幸いというか、その懸念は無駄に終わった。
こちらが立ち上がる間、相手は何もせず、悠然と視線を注ぐだけだったのだ。
「気づいていたというわけか……」
その相手、全員を一瞥し、苦い顔でネスティが云う。
「カーッカッカ!」
返答として、勝ち誇ったように笑うのはガレアノだ。
「さすがに、二度も同じ失態はせぬわい」
「失踪した召喚師たちの周囲に姿を見せていたのは、貴様だな?」
そうしてそれを遮るように、ギブソンが心なし大きな声で云った。
つい、と、レイムの唇が笑みの形に持ち上がる。
「ほう……私のことをかぎまわっていたのは、貴方でしたか」
「そのとおり。蒼の派閥の召喚師、ギブソン・ジラールだ」
こんなときまで悠長に名乗らんでいいでしょうギブソンさんー!!
猿轡をかまされたが隣の部屋で激烈な心中ツッコミをかましているとは知らないマグナたちは、まず、目の前の疑問を解消しようとした。
――目の前。
積み上げられた、まだ生々しさの残る召喚師たちの死体。
そうして、そこから滴る赤い雫。
虐殺。
目に映るのがそれだけだったなら、一言で説明はついたろう。
だが、そうして片付けることを許さぬかのように、彼らの理解を阻んでいるのは、それら死体の積み上げられた下部に、落ちていく血を受け止めるような構造物が設置されていることだった。
「レイムさん! いったい、何のためにこんなことを!!」
レイムは笑う。
ゆっくりと――鮮やかに、壮絶に。
「血識がね……必要だったのですよ」
「……ちしき……?」
誰かが、おうむ返しにつぶやいた。
知識。智識。……ちしき?
「知識というものはね、血液に溶けて、全身をめぐっているのです」
ことばの意味をつかめない、幼子に説明するような調子で、レイムは優しげな微笑たたえて「ならば」とつづけた。
「――その血液をすべて抜き取ることが出来たなら」
その人の知識を、すべて頂くことも夢ではないでしょう?
「我々は、これを、【血識】と呼んでいるのですよ――」
ことばが、耳に入って。
脳に到達して。
組み立てたくないことばを、構築し、理解し、そしてそれが、感情に触れるまで。
果たして、時間はどれくらい経ったのか。
血識。
人の血を貪って得られる、――それは、ちしき。赤く、黒く、粘りつく。それは。
吐き気を覚えてか、トリスが口元を押さえた。
ハサハとレシィがよろめく。
……こんな話を聞かされて、平然と出来る人間がどこにいる。
「そんな――」
「そんなことだけのために、貴様は、あれだけの人間を犠牲にしたのか!?」
そう怒鳴るネスティの声も、震えていた。
けれど。
「なァに怒ってンのよ?」
せせら笑う、甲高い声。
「アンタだって、ニンゲンじゃあないじゃないのさ」
「……!!」
表情を強張らせたネスティへ、追い打ちをかけるように、ガレアノが云った。
「融機人の身体には、一族の記憶が脈々と受け継がれていると聞くが……」
「クックック……さぞかし、血識の味も濃いのでしょうなあ?」
そうキュラーがつむぐと同時。
黒い、赤い――それこそ、血のような。
禍々しい力が、忽然と、その場に現れた。
「……これは……っ!?」
絶大なプレッシャー。悪寒。
湧き、溢れ、彼らのいる部屋を満たすだけでは飽き足らず、のいる側の部屋まで、それは侵蝕してきた。
意図的に隠していたものを、おそらく一気に解き放ったのだろう。ビーニャのそれを見ていたからこそ、は、そう推測した。
そのビーニャだけでも辛かったのに、今、それが3人分。
直接相対している彼らにとって、今の状況は、どれほどの負荷だろうか。
「――っ、――っ!!」
ぎりぎりと、力を入れる。腕に、歯に。
猿轡を噛み切る方が先か、壁ごと引っぺがす方が先か。
ああもうっ、――誰か気づけ、誰か……!!
「……!!」
ピン! と、ハサハが両耳を立てた。
「ハサハ!?」
「……おにいちゃん……っ」
「だいじょうぶだ、俺の後ろに隠れてて」
「……あ……」
それを、眼前の敵から放たれるプレッシャーへの怯えととったマグナは、すかさずハサハを背中にかばう。
声を発する機会を逸して、ハサハは戸惑いながらも、召喚主の行動に従った。
けれど。
つと、同じようにトリスの後ろに動かされたレシィを見て。
彼が、同じようにハサハを見ているのを見て。
ふたりは、小さく頷きあった。
黒く、赤く、闇と血の入り混じった空気が、部屋を満たす。
「この魔力……っ、まさか、貴様ら……!」
思い当たるモノがあったのか、ギブソンが、それまで以上に険しい表情になったときだ。
バンッ!!
地上の階に続く入り口でもある、天井の跳ね板をどつき開ける音。
雪崩れるように階段を駆け下りる足音。
「ギブソン!!」
「ミモザ!?」
先頭きって駆け下りてきたミモザの後ろから、エルジンとエスガルド、それにアメルが姿を見せた。
屋敷の外側を探索していたはずのメンバーだった。
こちらはさすがに予想していなかったのか、レイムの目が少し見開かれる。
だけどそれだけ。
すぐに微笑を浮かべて、彼はあくまでも余裕の表情を崩さない。
「おやおや、勢揃いというわけですか?」
どうしてここが判ったのです? 言外の問いには、エスガルドが応じた。
「すきゃんノ結果カラ建物ノ地下ニ、不自然ナ空間ヲ発見シタノダ」
「……ナイスタイミング、ってところかな」
場に満ちた、一触即発の空気を敏感に察したらしく、エルジンがホルスターから銃を抜く。
彼は本職の召喚師だけれど、この広いとは云えない空間で、大技は使えないと認識してのことだろう。専門のパッフェルやレナードにはたしかに及ばないものの、銃の腕前だって大したものだし。
最後に駆け込んできたアメルが、実に楽しげなレイムを見て、一瞬動きを止めた。
「……レイムさん……っ!?」
いつかアメルは云っていた。話し合えば判り合えると。
けれど今。
戦いを目の前に、至極――至極愉しそうな笑みを浮かべた彼を見て。どんな思いを、抱くに至ったのだろう。
「アメル……」
苦しげに、トリスが彼女を呼んだ。そして叫ぶ。
「やっぱり、あの人、普通じゃない……!!」
話し合いなんて出来ない、見えるものが違いすぎるよ!
「楽しんでるんだ……」
マグナがうめく。
「こんな……人の血を奪うなんてひどいことしておいて――あいつ、それを、愉しんでるんだよ!」
「……!!」
目の前の光景。
滴る血だまり。山と積まれた死体。
愉悦の笑みを浮かべた、銀の髪の召喚師。
――ニィ、と、レイムの口の端がさらに持ち上がる。
「ええ……そうですとも。私は今、最高に愉しい気分でいますよ……?」
あなたたちのその顔が、これから苦痛に歪むと考えるだけで。
あなたたちの血識を、これから貪るのだと思うだけで。
「――たまりませんねぇ――?」
「レイムさん……貴方は……っ!!」
アメルの押し殺した叫びは、まさに、の心境でもあった。
キュラーや、ガレアノや、ビーニャが、あんなコトしていたのだから、そりゃあ、ちょっとそんな気はしていたけど。
さっき自分を前にしていたときの、狂気宿したような双眸もたしかに見ていたけれど。
だけど――
そうするつもり……だったのか。
どこかでまだ、甘い考えがあったのかもしれない。
デグレアで向けてくれてた笑みとか、変態ぽかったけど面白かったトコロとか。
それを。
その笑みをたたえたまま、自分たちさえも、血識を得る糧としてしか見ていなかったのか。
ああ、そうですか――
頭の芯が急速に冷える。
あの人が欲しているのは、やはり、そうなのだと。ここにあるこれは、不要なものでしかないのだと。
否応ながら、理解する。
だけど。
あたしは、なんですけど ね?
笑わずにはいられない。
今のあたしを壊せば、それが成ると考えているのだとしたら。
ただそれだけで、欲しいものが手に入るなんて思っているのだとしたら。
第一、それ以前に、冗談じゃないよ。
大人しく、壊されてなんかやるものか。
あなたにとってあたしはどうでもいいかもしれないけど、あたしはあたしが生きるために生きてるんだから。
……ぎちり。
それまで以上に込められた力に抗えず、壁がまたひと欠片、零れた。
わたしは あなたに いきてほしい
「……」
意識の最奥、聞こえる声には耳を塞ぐ。
――それとほぼ同時、レイムたちがいる方の部屋で、爆音が響いた。
それは、戦いが始まった合図。