時間の経過をはっきりと認識しているわけではないけれど、少なくとも、とうに夜は明けているだろう。
どうやら地下室らしいこの場所、当然壁には窓なんてなく、外の明かりが入ってこれるような造りにはなっていない。
あげくに朝食なんて食べさせてくれるわけもないから、おなかは空くし喉は渇くし。
――いや、問題はそんなことより。
「レイムさーん……」
情けない声で呼ぶと、壁に磔られたの前にいる人物が、つと顔を持ち上げる。
「はい、なんでしょう?」
その微笑みも声音も、以前と変わらない優しさ。だけど伴なった冷気も間違いなく、現実。
……顔の下半分を真っ赤に染めてる鼻血も、あーその、うん、やっぱり現実。
――その人は、その人だった。
はあ、と、ため息をついて、は云う。
「お願いですから、撮影大会いいかげんにやめてください」
「何を仰ってるんです。さんの姿もこれが見納めなんですから、せめて記念に残してさしあげようとしているのに」
「磔の記念なんぞ要りませんてば」
つれてこられてから数時間、ビデオカメラを設置して、フラッシュたかれまくってみろ。
しかも壁に磔状態で。
誰だって嫌になるに決まってる。
「第一、見納めってどういうことです」
地下室で磔にされた女の子と、それを嬉々として撮影している吟遊新人。それは、傍目には実に愉快な光景だ。
だがその実、話している内容は、かなり切羽詰っていたのである。――主にが。
「おや。先ほど申し上げましたが……」
しょうがありませんねえ、と、レイムは笑う。
何せ此処につれてこられて、真っ先に云われたセリフが、
「――貴女をね、壊してしまおうと思うんです」
……だったんだから。
いやもう。
これで身の危険を感じるなってほうが無理だろ。
(ぱしゃぱしゃぱしゃ)
なんて思う傍から、休みなくきらめくフラッシュの点滅。……こっちの方でも、別の意味で危険を感じるけどな。
「これでも、遺憾なのですよ」
シャッターをきる手をふと止めて、レイムは申し訳なさそうに微笑んだ。
「――私は、さんのコトも本当に気に入っていたのですよ?」
そう、その姿をあますところなく記録しておこうと励むくらいには!
アルバム数百冊作成してしまうくらいには!!
デグレアの城をさん色に染めてしまおうと思うくらいには!!!
すんな。
いつぞの大平原で暴露された『デグレア城をさんで染め上げちゃえ計画』を思い出し、口元引きつらせたを余所に、レイムは、口調を平坦なものへと切り替えた。
「……本当に、残念です」
貴女がそうであったら、貴女を喪わずにすむのですが。
握りしめていた情熱のこぶしを、つと、元の位置に下ろし、彼は、傍にあった椅子に腰掛ける。テンション降下とともに、やっと、撮影大会も終わりらしい。
がいる周囲を囲むように配置された、紫色の――たぶん水晶か何かだろう。それは自力発光しているらしく、彼がそちらに移動してしまうと、表情は、逆光のために見えなくなった。
どこか影法師めいた印象をに与えながら、レイムは云う。
「ねえ、さん。貴女は貴女の持つ力をなんだと思いますか?」
「……?」
それは、腕にまといつく光とか、この間出てきた白い陽炎とか?
目だけで問うと、レイムの頭が小さく上下する動きを見せる。そうしてまた、問いかけ。
「どうして、それは、魔力――いえ、召喚術として作用しないのだと思います?」
だが、彼は答えを求めているわけではないのだろう。というよりも、知っていながら、あえて問いかけている、そんな感じ。
とはいえ、の返す応えはひとつ。
「……判りません」
「そう――そうですね」
不出来な生徒に怒るでもなく、レイムは――たぶん笑ったのだろう。
「貴女は何も知らない……知るわけも、ない」
つぶやいて、彼は立ち上がる。
影法師が近づく。紫色の双眸がはっきり見えるほどの至近距離まで、レイムは身を寄せてきた。
彼のたたえている表情が、やはり微笑であったことに気づいて――予想はしていながらも、は少し驚いた。
「だけど」
さらり、髪をなでる手のひら。
頬に触れ、指先で唇をなぞり、そうして首筋に――
「これがいつか力を発した。――それなら、知らずとも、そのままで在らせてくれたということなんですね」
それだけは、感謝しますよ。
僅かに身を引き、空いた腕を腹の辺りで曲げ、上体を傾がせ、レイムは極めて紳士的な礼をする。
そうして、
「返していただきます……」
プツッ――
小さく、あっけなく。
そんな音と共に、銀の鎖は、連結を断ち切られた。
首の皮膚がひっかかって切れたのか、ピリっとした痛みがを襲う。
――ふと。今さらながら、思った。
そういえば、これは、このひとの髪と同じ色だったな、と。
りん、
引きちぎられたペンダントは、レイムの手から下げられ、静かに揺れていた。それが寂しそうに見えたのは――単に、しばらく身につけていた故の感傷だったろうか。
――思い出すのは、いつも、最後の瞬間。
最後の最後の力でもって、あの子は自分のところに来てくれた。
それを身に受けたあの瞬間、すべてのかかわりが消えることを覚悟して……知っていたんだろう。
だけど、と。
これだけは、消してしまうことは出来ないと。
自分にはもう不要だけれど、これだけは――残してほしいと。
穏やかに。最後の器がかき消えるまで、あの子は、微笑んでいた。……すべてを覚悟し受け容れた、笑みだった。
だけど――またたきほどの最後の一瞬、頬を伝った雫を、彼女は見逃したりなどしなかったのだ。
――思い出すのは、白い、陽炎。
先日デグレアを基点として世界を覆いつくさんとした、清冽な、苛烈な、純白の輝き。
「……このメイメイ様ともあろう者が」、
ふはあ、と、ため息。
「すっさまじい勘違いだったわ〜……」
普段よりは朱に染まっていない頬に手のひらを当て、片肘ついて――思い出すのは、ひたすらに、あの子を求める存在のこと。
「だけど判ってるのかしらね……むしろ、【】ちゃんが在るからこそ、【あっち】は、存在を確信できてないっていうのに……」
手を伸ばせず、こまねいているというのに。
今のアナタの力は、いざ剥き出しになったときに、あの子を、果たしてくびきから逃れさせるコトができるのかしら――
「あ〜、もぉ」
……運命の一端を垣間見ることができるからこそ、余計に動けなくなることもある。
今のメイメイは、まさにそんな気分だった。もう何度も味わってきた、これからも味わっていくだろう――むずがゆい、じれったい、そんな気持ち。
「なんだってこんなにあれこれ入り混じってんのよ誰も彼も〜!」
真実を知るひとりだからこそ、余計に、告げられないコトだってある。
すべてが望むだろう未来は、何も知らないからこそ選ぶだろう道の先にあることを、判ってしまっているからこそ。
――思い出すのは、いつだったか、ファナンの街で泣きじゃくっていた子。
何も知らないことを嘆いていた子。
やっと、銀を渡せた相手。
でも、
「……知らなくていいんだから。ちゃんは」
それは部外者だとか当事者だとか、そんな範疇で区切られるものではない。
何も知らないからこそ、何にも囚われずに道を選ぶことが出来る。
「……うらやましいわね」
あなたもそう思うでしょ?
かつて友人だった存在に向け、届かないことばを、メイメイは静かにつぶやいた。