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第45夜 八
lll 消えたあの人 lll




 ――寒さを感じて、身震いしたはずみに目が覚めた。
「……うー?」
 意味不明な発音とともに、うっすらと目を開け――窓がひとつ、開きっぱなしなのに気がついた。
 誰かが開けたのかと見渡したけれど、今のところ、誰か起きている様子もない。
 寝る前に、たしかに閉めたはずなんだけどな……?
 入り込む夜気は心地好いが、このままだと風邪をひきそうだ。
 天上のまどろみをくれる寝床から抜け出すのは惜しかったけれど、もそもそとベッドから這い下りる。
 そのまま窓に向かおうとして――

 ずるッ! べしゃッ!

「あだッ!」

「な、何!?」
「どうしたの!?」

 何かに足をすべらせた。盛大にしりもちをついた震動で、他の人たちも、目を覚ましたらしい。
 パッ、と灯るあかり。
 静かに満ちていた闇が、あっという間に払拭され、部屋の中が明々と照らされる。

 そうして起き出してきた人たちに向けて、トリスはまず、起こしたことを謝罪すべく両手を合わせた。
「ご、ごめーん……窓閉めようと思ったら、すべっちゃって……」
「窓? 閉めませんでした?」
 きょとんと訊き返したアメルも、けれど、夜気を察したのか小さく身を震わせた。
「あ、本当だ……誰だい? 開けたの」
 いちばん窓に近い位置に寝ていたモーリンが、ぶつぶつ云いながらも、閉めようと手を伸ばす。
 けれど。

「……待て!」
「待ってください!」

 鋭い、護衛獣ふたりの声が、モーリンの手をその場に縫いつけた。
 ビクリとして手を止めた彼女は、それでも声に従って、慎重に手を下ろす。
「……どうしたんだい?」
 声に含まれていたものを感じたのか、口調も顔つきも改めて、声の主たちを振り返る。
 そうして、それと同時だった。

「……ちょっ……ちょっと! がいないわよ!?」

 ますます空気を凍らせる、ミニスの叫びが部屋に響いたのは。


 トリスが足をすべらせたのは、が愛用している、夜着のうえに羽織る薄手のショールだった。
 それをひっつかみ、血相変えて部屋におしかけた後輩たちを相手に、まずギブソンがしたことは、彼らをなだめて落ち着かせること。
 次に、隣の部屋で寝ていたミモザを叩き起こすことだった。

「……バルレルくんとレシィくんの云うとおりだ。悪魔に似た魔力の波動が、かすかに残っている」

 開け放たれたままの窓に近寄り、目を閉じて意識を澄ませたギブソンの第一声に、トリスたちが愕然とした表情になる。
 そうしてその事実とともに、気がかりなことがいくつか浮上していた。
「っていうか……コレって、召喚師行方不明事件での目撃人物がいたって場所に漂ってたモノと似てない?」
 まだ半分寝ぼけ眼のミモザが、同じように叩き起こされたエルジンに訊いている。
 が、答えたのは、エルジンではなくエスガルド。24時間稼動OKの彼には、寝ぼけ眼なんて関係のない世界だ。
「ホボ、間違イナイト思ワレルガ――」
「だけど、どうしておねえさんが攫われなきゃいけないのさ……?」
 相棒の語尾に重ねて、とうの問われたエルジンが、ぽつりとつぶやいた。
 そう。
 魔力の件と同時に、気になるのは、まさにその点。
 この部屋に寝ていたのは、だけではない。
 クレスメントの一族たるトリス、聖女と呼ばれるアメル、金の派閥の召喚師であるミニス。その素性を知らずとも、魔力に気づかぬわけもあるまい。
 だというのに、何故、召喚師としての地位を持っているわけでもない、そも召喚術不適合との太鼓判を押されたが、攫われなければならないのかと。
「……イヤな感じだな……」
 表情を歪ませて、バルレルがつぶやく。
 それは誰かに聞かせるというより、無意識に零れてしまったもののようだった。はっとした顔になって、彼が口を閉ざすと同時、
「バルレル! 何か判るの!?」
 判るなら教えて!
 切羽詰った様子の召喚主に、けれどバルレルは、なにやら云いよどむように視線をそらした。
「バルレル!」
 それを見たトリスが、再度、その名を呼ぶ。
「――白い光」
「光?」
「あ……」
 バルレルの吐き捨てたことばを拾って、ギブソンたちが怪訝な顔になる。
 同時に、アメルやミニスは、はっとした様子。
 機を逃していてまだ話してはいなかった出来事――が白い陽炎にも似た魔力を顕現させたこと――を口早にトリスたちが説明すると、ゼラム側の面々も、ようやく得心がいったようだった。
「そうか……それほど強大な力が権限したのなら、敏感な人間であれば、感じ取っていてもおかしくないかもしれないな」
「……それって、感じ取れもしなかった私たちが鈍いってこと? ギブソン」
「いや、そうは云っていないよ。……偶然に、相手がデグレアの近くにいたのかもしれないしね」
「それで偶然、おねえさんだって判ってゼラムまで追いかけてきたっていうの?」
 ちょっと無理がありすぎない?
 ギブソンとミモザの夫婦漫才の合間に、エルジンがツッコんだ。
 だけど、他に答えはない。手がかりも――この場に残された魔力の名残くらい。

 一同を、重い沈黙が押し包む。完全に覆われるその前に、
「――とにかく、こちらは予定通りに動こう。問題の召喚師のいる屋敷を調査すれば、何か判るかもしれない」
 実際、手がかりはそれしかないのだから、と。ギブソンが、そんな空気を打ち破って告げた。
 視線を落としていた全員が、はっとして彼を見た。
 そうして全員がほぼ同時、勢い込んで何か云うよりも先に、ミモザが片手を持ち上げて制する。

「同行する人間も予定から動かさないわ。トリス、マグナとネスティを起こしてきて頂戴。ギブソン、すぐに準備にかかるわよ!」

 それから、同行勘定には入れていない数人が、ひどくもどかしい表情になったのを見て、小さく苦笑する。
「あなたたちのほうがよっぽど大変なのよ?」
「――何をすればいいんだい?」
 背に流したままの金髪を揺らし、モーリンが首を傾げた。
 ミニスも、ぎゅぅっと両手を握り締めてミモザを見た。
 真剣なふたりの表情を真正面から受け止めて、ミモザは、ひとつうなずいた。

「嘘をついてちょうだい」
 ――は、私たちと一緒に屋敷の調査に行きました、って。

 不自然な態度は見せないで。
 不安な様子も見せないで。
 いつもどおりに過ごしなさい。
 少しでも欠片がこぼれたら、そこから一気に瓦解する。
 自分たちが戻ってくるまで、【日常】を続けなさい。

 それは、以前あの子がいなくなったときの騒動を考えれば、当然のように、とられてしかるべき措置だった。


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