「……たぶん」
問われた当人の、なんとも頼りない答えに、誰何したマグナたちはかすかな脱力を感じた。
でも、それはいつもどおりのの仕草。
陽炎のような白い光をまとって、城のほぼ最上階から舞い下りるなんていう真似にはさすがに驚いたが、今、首を傾げて困ったように笑うその表情は、間違いなくだった。
――安堵。
彼女がここにやってきたとき、まるで別人のように一瞬思えたから。
――よかった。
それにしても、その焔はいったい何だろう、と、驚きが去ったあと疑問が浮かぶのは当然。
だけど誰かがそれを訊くより先に、は首を横に振った。
「訊かないでね。実際、もう何がなんだかわけ判らない上に許容量オーバーみたいなんだから」
「……ということは、まだ目覚めてはいないのだな?」
にぃ、と笑みながら、彼女へ問うたのはガレアノ。
屍兵や鬼人たちを操ることさえ止め、悠然と、こちらを見て嗤う。
「知りません」
そうして、その鬼人使いに、はひどくぞんざいなことばで返した。
前ならば決してやらなかったろう、不機嫌丸出しの表情とことば。
それは明らかに、が、キュラーたちに対しての感情を塗り替えたことを意味していて――それでも。
それでも、その口調にかすかににじむ、過去と同じ気持ちの色。
……それをどこまでも純粋なのだと賞賛するべきか、それともどこまでも愚かなと見限るべきか、彼らは少し判断に迷った。
そのキュラーとガレアノを視界から外さず、は手を持ち上げる。
ゆらゆらと、少女のまわりの白い陽炎が、降りだした雪と混じって、揺らめく。
その手を、真っ直ぐに屍人たち、それからキュラーとガレアノに向けて、はもう一度、彼らに呼びかけた。
「これで、満足ですか」
――応えて、キュラーが、にぃ、と笑んだ。
「ビーニャはどうされましたかな?」
「たぶん寝てます」淡々と、「こっちも遠慮成しにやりましたから」と付け加える。
「……そのうち目を覚ますんじゃないですか」
「……そこまで力を行使しておいて、判らないと仰るのですか」
笑みを消して、ため息混じりにつぶやく鬼人使いへ――彼女は、視線を緩めないまま告げた。
「――知らないんですよ」と。「は知らない。知らないで、選んだんだから」――と。
「……?」
まるで、自分でないような云い方をする。そう、鬼人使いと屍人使いの視線に宿る疑問。
その眼前に、ゆらりと、陽炎が揺らいだ。
焔の合間を縫うように、ひとしずく、ふたしずく――の頬を伝った涙が、雪の上に淡い染みをつくった。
誰もが思わぬその光景に、静寂だけが降り積もる。
それを破ったのは、自身だった。
「最初に断っておきますけど、こういう力が使えるっていうの、なんか本当に理由とか判らないし」
ただ、哀しくて懐かしくて。
云って、は、一瞬だけ振り返る。
視線はマグナとトリスをとおり、ネスティとアメルを刹那映して。
そうして最後に、きっ、とキュラーとガレアノを睨みつけた。
「でも、判らない知らないで済ませられる状況じゃないみたいだし、何かあなたたちにもかかわりがあるみたいだし」
だったら。
「あたしはあたしの理由を捜します」
「――ほう」
「それから」、
陽炎が――焔が盛る。決意のまま――強く。
「……絶対に負けません」
あなたたちが何を望んで何を成そうとしているのか、まだ判らない。
だけど、大切な人たちを傷つけられて、今もまだ、苦しんでいる人もいて。
その先に何を求めるのか判らなくても。
――傷つけさせなど、しない。
――おとなしくやられたりなど、させない。
あたしは、あたしのまま、それを望む。
「――左様ですか」
「だが」
キュラーとガレアノが、同時に嗤う。
「この包囲から、果たして抜けられると思っているのか!」
それまで凍り付いていた屍人たちが、再び蠢きだした。
「!」
一同から一人、離れた場所で対峙していたを案じた、何人かの声が響いた。
だけど、
「だぁいじょーぶ!」
とうのは、元気よく振り返って、にっこり、笑顔を彼らに返す。
「思ってるから大口叩いたんだもん!」
そう。
せっかく発現したこの力、ここで使わずにいつ使う。
手のひらに熱を感じる。
身体の奥の鼓動を感じる。
足を肩幅ほどに開いて、雪に覆われた地面を踏みしめた。
ぎゅ、と、両手を握りしめ。
――そうして、ひかりがほとばしる。
暗雲を貫き、闇を洗う白い閃光。
それは屍人たちを土くれに返し、同時に、の目の前にいたキュラーとガレアノの目を灼いた。
『っ、ぐあぁ!?』
「みんな今のうち!」
「え?」
「あ、うん!」
力技なその光景に呆然としていたマグナたちが、声に答えて動き出す。
「させるかあぁッ!」
走り出したと同時、背後から聞こえたガレアノの声。
答えて、まだ形を保っていた屍人たちが、いっせいにこちらに群がりだした。
「! もう一回、今の出来ないの!?」
「無茶云うなー!」
さっきの閃光で、身体にまといついていた光はきれいさっぱり消えている。
無理な注文をしてくれるミニスにことばだけでツッコんだのはいいが、はっきり云って、もう一回使えるもんならだって使ってしまいたい。
ここまで大量の屍人がいたなど、予想していなかったから。
――つーか……ね。
混乱の極み。だが、頭のどこかは、妙に冷めていた。
――デグレア住民、全部、完全に、屍人に変えてくれたってことですか……
洋服の繕いを教えてくれた女官も。
稽古相手になってくれた、老兵も。
転げまわって遊んだ年下の友達も。
気風のよさで慕われていた、店の女将も。
――全部全部、壊してくれたってわけですね……
ふつふつと、腹の底が煮え繰り返りそうな感情が、たぎる。
この道を選んだ大きな理由は当然、仲間たちが好きだからだし、ルヴァイドたちを失いたくないからだ。
けど。
こんな光景を、望んだ覚えなど、ない。
――許せないよ。怒るよ。……哀しいよ。
あたしのもうひとつの故郷を、それと知ってて壊したんだから……!
「もうすぐ門を出るぞ! 頑張れ!!」
「屍人引きつれて行く気かよ!?」
鼓舞しようと叫ぶマグナに、冷や汗たらしてフォルテが云った。
追いかけてくる屍人の動きは鈍いが、確実に自分たちを追いかけつづけるのが判る。数も多い。
こんなん引き連れて街道まで行く気はないし、第一こっちには体力の限界ってもんがあるんです。
――が。
良い考えも浮かばぬまま、結局、一行がひたすらに走って門をくぐりぬけたときだった。
一団の中央あたりを疾駆していたカザミネが、いつの間にやら最後尾に位置していたコトに、が気づいたと同時。
ざむっ! と、雪を散らして、カザミネが立ち止まる。
……まさか。
咄嗟に浮かんだ考えを、否定しようとしたの耳に、シオンの声が入り込む。
「カザミネ殿!」
「心得てござる!!」
まさか。
全員が、驚愕の表情になったその瞬間。
「キエエエエエェェェェェッ!!!」
裂帛の気合い、同時に刀を一閃。
それだけで、それなりに丈夫な造りだったはずのデグレアの城門は、すっぱりと斬り崩されたのである。
鈍い、大きな音を立てて瓦解した城門は、結果的に、追いかけてくる屍人たちを阻んで。
……やっぱカザミネさん人間じゃないヨ……
のそんな感想と同じコトを思った人は、果たして何人ほどいたのだろうか。……おそらく全員だ。
ビーニャにもガレアノにも、罰は与えられなかった。
一行を追うことを断念した彼らの前に現れた主は、怪我の功名ですからね、と、しごく機嫌よさげにそう云ったから。
「……そうそう、あなたたちに新しい仕事があるのですよ」
ちょうど、デグレアの民の用意も終わっているようですし。
「は……」
跪いた3人を前に、主はにこやかに微笑んで。
――聖王国から少し外れた場所にある、廃墟と化した屋敷の存在を告げた。
新しい器候補に移る実験を開始するため、ただちにそこへ移るようにと。
それから、
「写真は撮ったのですか?」
……
「……は?」
「顕現させた彼女の姿を、当然写真に撮ったのかと訊いているのです」
「……は……」
「……」
「……」
ちょっと、重い、沈黙が漂った。
……レイム様、にこやかに微笑まれるそのお顔に青筋が何本も見えます……
冷や汗流して別の意味で黙り込んだ3人に、災いが訪れるのは3秒後のコト。
ところでこれ、労災効きますか?
あるかそんなもん。