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第44夜 六
lll 知り得ること、知り得ぬもの lll




「……な……!?」

 何体の屍人たちを葬ったろう。
 元締めであるガレアノやキュラーを狙おうとしても、壁役の屍人たちのおかげで突破口がつかめずにいた、そんな戦いの最中だった。
 突如、城内から天を突き破るように、光が放たれた。
 白い、白い……一見はまるで陽炎のような、けれどどこまでも強い輝き。
 唐突に放たれたそれは、一同の戦いの手を止めるに充分だった。
 命令のままに動きつづけるはずの屍兵や鬼人たちまでもが、まるで金縛りにあったように、その場に縫い付けられている。微動だに、せず。出来ず。
 苦戦している一同を嗤って眺めていたキュラーとガレアノもまた、光の発された方向に視線を転じていた。
 驚愕と――ほんの少しばかりの、歓喜をたたえて。

 遠い地にいる彼らの主も、同じものを見ていることを確信しながら。



 リィン……キィン……リィィィン……
 風の音に混じって聞こえる、優しく懐かしい音色がひとつ。
 そこに立っている吟遊詩人が、時折かき鳴らす竪琴の音ではない。
「――ああ」
 今すぐにそこに飛んでいきたい衝動を堪えて、レイムは、至福の吐息をもらす。
 軽く身を震わせて、彼は再び空を仰いだ。
 その場に向けて吹く風にいざなわれ、一方向に進む雲の群れをいとおしそうに見る。
「そういうこと、だったのですね……」
 自分は、なんと愚かな思い違いをしていたのか。
「……ですが、なんにせよ」
 そのことが判った以上、もはや遠慮は要らぬ。
 壊れても良い。最後にそれが、自分の手元にくるのなら。
 ……手に入れられるのなら。

「目覚めは近い……と、いうことですか……」

 ならば自分も急がなければ。
 新しい、代わりの器となるべきモノを周囲に積み上げたその存在は、急いた心を落ち着かせるように、胸に手のひらを押し当てた。
 この脆弱な状態から、元の力を手に入れて、世界を手に入れて、
「……貴女を手に入れる」
 その魂を、求めつづける。この己ある限り、永久に。



 光の発信地をいち早く察したのは、先ほど城内に潜り込んだシオンとマグナ、トリスだった。
「……会議場!」
 他の場所よりも一段と高い造りになっている、その最上階。
 そこから、ほとばしる、溢れる光。
「……?」
 ふと頬を濡らすものに気づいて、ネスティは指でそれに触れてみた。
 ――涙。
 泣いている?
 それにしては感情の乱れがない。
 ただ、粛々と溢れる涙。
「……これ……は……」
 少し離れた場所で、双子とアグラバインに護られながら懸命に召喚術を放っていたアメルの声が、やけに大きく聞こえた。
 そうして、そちらに視線を向けずとも判ってしまった。
 彼女も同じように、泣いているんだということ。

 周囲を見やれば、呆然と光を見ている一同のなか、同じように頬を濡らす人がいる。
 アメル然り、トリスとマグナ然り――そうして、カイナにルウ……ミニス。ハサハ、レシィ。
「……そういうこと……かよ……」
 そうつぶやいていた、バルレルの姿は……見なかったコトにしてやるのが吉だろうか。



 ここまではっきりと、その力を感じたのは初めてだった。
 いつかの夜、そうしてあの小娘がサイジェントに飛ばされた日、大きな力の陰になっていたそれが。
 何のベールも誤魔化しもなしに、それは、唐突に出現していた。
「……バノッサさん……」
「ああ?」
 ちょうど部屋にいたカノンが、ぽろぽろと涙をこぼしている。
 自分の頬にも一筋、跡をつくったであろう水滴を少し忌々しく思いながら、弟分のことばに耳を傾けた。
「……あの人……ですよね?」
 ボクは少ししか知らないけど、でも、判りました……
「ああ」
 さっきと同じ単語を用い、含んだ意味は別物。それがバノッサの答えになる。
 それから、乱暴に目元をぬぐって、少しだけうっとおしそうな表情になった。
「……何してやがるんだ、アイツ……?」
 すべて終わったはずのあの日、聖王都近くで別れた彼らのことが――そのなかのひとりのことが、やけに気になった。
 そんな自分を不甲斐なく思い、それでも、気持ちはすぐに切り替わらない。
 指に刺さった抜けない小さな棘のように、それは、かすかな痛みを訴えていた。



「……泣いている……」
「泣いてるのはおまえらだろ?」
 雰囲気ぶち壊しのツッコミを入れたガゼルには、謹んでペン太くんを進呈し、アヤたちは顔を見合わせる。
 こどもたちと一緒に、フラットの一角で勉強会中、いきなりこんなコトになったのだ。
 とめどなく溢れる透明な雫は、等しく彼らの頬を濡らしつづけていた。
 だけど不思議と、哀しくもなく、感情の昂ぶりもなく。

「……ちゃんが泣いてる……?」
「……どうしたんだろう……」

 やはり幼馴染みゆえか、察したのはアヤとハヤトが1番だった。
 それでも声には確信がなく、視線は戸惑いがちに仲間たちを眺めているばかり。
 ふと、キールが手の甲で目をこすり、憂いをにじませてつぶやいた。
「……また何か、厄介ごとに巻き込まれていなければいいが……」
 2人を除けば、ほんの少ししか一緒にいなかった、黒髪と夜色の目を持った少女を思い出し、一行の間に沈黙が下りる。
 心配なのなら、聖王都にでも訊いて手助けが必要なら向かえばいい。目立たないように。
 ただそれだけのことだ。
 けれど、まるで彼らが禁忌の森から戻るのを計っていたかのように、サイジェント周辺には、急激にはぐれ召喚獣たちが出現しだしていた。その対応に追われているため、それも出来ない。
 金の派閥だけに任せておけないし、城の騎士団も人間相手ならともかく召喚獣には耐性が低いし。
 そうなると密かに白羽の矢が立てられるのは自分たちであり、さらに今回はバノッサまで駆り出している状態。

 ……だけど、やっぱり、心配してしまう。

「やっぱさ――」

 聖王都に訊いてみない?
 そうつづけようとしたカシスが、ふと、首を傾げる。

 ふわりと、風が彼らの頭上を薙いでいった。
 ――だいじょうぶ。
 小さな小さな、囁きひとつ落っことして。

「…………?」


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