「――召喚っ! テテ!!」
夜の街道沿いに、少女の声が響く。
同時に、淡い若草色の光が、彼女の手にしたサモナイト石を中心にして生まれた。
が。
「げっ」
頭上に生まれたソレを見て、少女――は、すかさずその場から飛び退る。
ごがーん。
地面と金属のぶつかる実にいい音を立てて、召喚された金タライは、その場にむなしく転がった。
「……」
眉間を押さえてため息をつくネスティを、気まずい思いで見上げると、ふとへ視線を動かした彼は、また、ため息をついて頭を振った。
……とほほ。
――デグレア脱出後、その帰り道でのことだ。
一晩目は、ある程度まで離れたあと泥のように眠り込んだ一行だったけれど、二晩目にもなれば、日中疲労をおして移動したとはいえ、体力のある者なら、ある程度復活もする。
てか、2日目は昼過ぎまで休憩所を占拠して寝こけてたのだけど。実は。いやでも午後はがんばったし?
ともあれ、足元に空しく転がっているタライを蹴って、は、ネスティに負けないくらいでっかいため息をついた。
「ねえ、もう無駄だと思うんだけどー」
情けない声をあげる理由は、ちゃんとある。
何せ、足元にあるのはタライだけではない。
バケツにスコップ、ファーストエイドに包丁にまな板、雑巾やら長靴やら鉄鉱石やら。
「いや、出来ればもう少し頑張ってほしいトコだがなあ」
手にした銃の調整をしながら、レナードが笑った。
実はその銃も、が召喚したものである。……テテを喚ぼうとして。
見てみたら現在使ってるものよりも高性能だったらしく、めでたくレナードさん専用となったわけで。
……が、銃を武器とするのは、ひとりだけではない。
「そうですよぉ。もう一丁出していただくまではお願いいたしますぅ〜」
両手を合わせてにじりよるパッフェルさん、あなたです。
「本来の目的と別の意味で頑張れなんて云われても〜……」
「にしても、ここまでミスしまくるもんか?」
俺だって、ミョージンくらい普通に喚べるぜ?
「うるさいやいリューグのくせに」
「なっ……何がだよ!?」
半眼になったと、八つ当たりにうろたえるリューグの前で、何か考える素振りをしていたネスティが、つと、首を傾げる。
「……召喚術として作用させるような魔力の使い方が、先天的に出来ないということか……?」
「先天的もなにも、あたしは元々――」
「エルゴの王の幼馴染みが何云ってるのよ、もう」
先ほど彼女の頭に落としてしまったポワソぬいぐるみ(本物じゃないのがいとかなし)をつっつきつつ、ルウ。
「あたしは違うもん」
「でもさあ、あのときのアレは本当に凄かったって、俺思うよ?」
「あたし、あれって絶対魔力だと思うんだけど」
「……それは否定しないけどさあ」
目を閉じればまだ、感覚がおぼろげに思い出せる。
いつか大平原でレシィを呼んだときとか、屍人の砦でパッフェルと戦ったときとか、禁忌の森で悪魔と剣を交えたときとか――
それらの感覚に通じる、不思議で遠い、モノ。
……そういえば、何がなんだか判らなくて、ファナンで訊かれたとき、泣いて逃げたっけ。今じゃもう、そんなの気恥ずかしくて出来ないや。
右手に持ったサモナイト石をもてあそびつつ、そんなことを思っていたら、すっ、と。横から、それを取り上げる手。
……ネスティの手だ。
「ほら」
と、彼はトリスに石を放り投げた。
「ネス?」
きょとんと見返すトリスへネスティが何か云うより先に、
「あ。終わり? 終わり?」
バンザイ、と、顔全面に書いて問いかける。
それを見て苦笑して、ネスティは小さく頷いた。
実は、トリスにもう一度見本を見せるように云おうとしていたコトは、おくびにも出さずに。
「……とりあえず、に召喚術の素質がないのは、これでもう疑いようなくはっきりしたわけだからな」
「うっわネスティさんキツッ」
「何を云ってるんだ。少なくとも、君の力が召喚術という形で作用するものでないことは判っただろう」
「……まあ、ね」
だからこそ、ネスティがもう一度召喚術に挑戦してみないかと訊いてきたときも、頷いたのだ。
結果は見てのとおり、惨敗だけど。
だけど、じゃあなんなのかって訊かれると、答えようがないのもまた、事実。
それでも、ファナンで癇癪起こして泣いたときよりは、進歩していると思いたい。
ただ判らない知らないで泣きじゃくった頃よりは、たぶん。
少なくとも、知りたいと思えるようになったくらいだし。
――源も理由も。
突き詰めて、見つけて、……それから。
……それから?
ルヴァイド様たちに、本当のコトを教えて。
……それから?
帰るべき故郷は壊された。
そこで過ごした記憶さえ、血で汚された。
……ふつり、胸の奥にこごりだす、黒いかたまり。
これを憎しみというのなら、なんて冷たくて哀しい感情だろう。
許せない。赦さない。
思い知らせたいと願えば、そのための行動も辞さないだろう――だけどその先には、きっと何もない。
それでもそれに向かわざるを得ない、強い感情。
「」
「え?」
いつの間に傍にきていたのか、マグナがじぃっとこちらを覗きこんでいた。
振り返る一瞬、ひどく哀しい顔に見えたけれど、改めて視線を合わせた瞬間、彼はにへっと相好を崩す。……かわいい。
そう思ったから、ってわけでもないのだろうけれど。
ふわりと身体にまわされる、マグナの腕。
トリスにそうしてるみたいに、優しく包み込んでくれる――お兄ちゃんみたいな感じがした。
「怖くない怖くない」
だいじょうぶだいじょうぶ。
幼い子をあやすみたいに、ぽんぽんと。
背中をなでてくれる、優しい手のひら。
「……マグナ?」
「だいじょうぶ」
俺もね、おんなじようなモノ持ってるけど、だいじょうぶだから。
とても小さく、耳元で囁かれたことば。
思わず彼を見ようとして――抱きこまれたままだったので、かろうじて視線だけを動かした。
「の大切な人たち、きっと取り返せるよ。だからだいじょうぶ」
――だいじょうぶ。マグナはそう、繰り返してくれた。
だいじょうぶ。
今度こそ、こちらのことばは届くだろう。
告げるそれは、彼らにとっては、ひどく辛い真実かもしれないけれど。
それでもあの人たちは、それを受け止める強さがあると信じてるでしょ?
黒い冷たい感情があるのなら、それよりも大きい暖かい感情で包み込んであげればいい。
消せない憎しみがあるのなら、そんなもの忘れるくらい幸せになればいい。
「……俺はそう思うよ」
「……うん」
頭をマグナの肩に押し付けて、髪が乱れてしまうのも構わずに、何度も何度も頷いた。
それから、ふぅ、とわざとらしく息をついて――笑う。
「マグナもやっぱり男の子なんだねえ」
「ちょっと待ってそれどーいう意味だよ」
思惑通り、がばっと向き直ってマグナがくってかかる。表情はと同じだけど。
だけどが答えようとした瞬間、ぺいっとロッカがマグナをひっぺがした。
ああ、なんか久しぶりに見たなこの光景。
「またー! なんでいっつも邪魔するんだよー!」
放り投げられたマグナが、その拍子にぶつけたらしい頭を押さえてそう云うけれど、にこやかなロッカを見て黙り込んでしまった。
どうでもいいけど、ロッカの笑顔が最近、以前にも増して怖いのは気のせいだろーか。
解:否。