煙は、数分ほどもすると徐々に薄れ始め――最後には、きれいに霧散した。
未だ咳き込むビーニャと、苦い顔で立っているガレアノとキュラーの姿がそこにはある。
「もォ、何よなんなのよッ、ムカつくったらぁ!!」
悔し紛れに床を蹴って癇癪を起こしているビーニャと対照的に、キュラーとガレアノは落ち着いたものだった。
ただし、その表情は苛立ちを露にしていたけれど。
「見たか、キュラーよ」
「ええ。今のはたしかに、我々の邪魔をしてきたあの召喚師ふたりでしたな」
声を発したマグナ、立ち上がったトリス。
そのふたりの姿しか、彼らは確認していなかった。
隠密のプロたるシオンと、床に伏せたままだったには、どうやら気づかなかったようである。
「……忍び込んだのはやつらだけだろうか?」
「おそらく。大人数で城内に忍び込むようなバカな真似はしないかと。どちらにせよ、逃がすわけにはまいりますまい」
強いキュラーの口調に頷き、ガレアノが何かの仕草をする。
暗い光が、一瞬、彼のまわりを包むように生まれ、すぐに霧散した。
「デグレアの民よ。かりそめの眠りから、今、ここによみがえれ。この街に紛れ込んだ、命ある者をひっ捕え我が前へつれてくるのだッ!」
「ちょっ、ちょっとガレアノちゃん! ちゃんがきてたらどーすんのよ!!」
「判っとる」
まで傷つけるつもりかと、慌てて飛び上がったビーニャに、ガレアノは面倒くさそうに手を振った。
「だから、捕えろという命令にしただろうが」
城内に忍び込んではおらずとも、あの一団のことだ、おそらく街の方で様子をうかがうなりしているのだろう。
すでに民人すべて、屍人に変えられたとはつゆ知らず。
を聖王都だかファナンだかに置いてきているなら良いが、連れてきている可能性も、ないではなく。
というか、あの少女の性格なら黙って置いていかれるわけがなく。
ならば、と、選んだ命令が、それだったのである。
「あ、なぁんだそっかァ。さすがガレアノちゃん、冴えてるゥ♪」
それならオッケィよ♪ と、ビーニャも至極ご機嫌そうに笑う。
「――それはわざわざ、どーも」
聞こえてきたその声に、すぐに笑みは凍りついたけれど。
「まっ、待って待って止まって!!!」
派閥脱走時より遥かに素晴らしい速度を記録して城を脱出し、一心に、マグナたちは外へ向かっていたのだけど。
さきほどとおった中庭で、不意にトリスが叫んだ。
「どうしたんだよ?」
あたりに気配がないことを確認して、こそこそと壁際に身を寄せて。
――そこで、初めて。
「あれ……は?」
目の前にトリス、少し横にシオン。
で、マグナ自身。
……もうひとりは。は?
「どうしよう、いつの間にかいなくなってて……!」
一緒に行動していたはずのトリスが、この有様。
シオンに目を向けると、彼は表情を険しくして、云った。
「――さんはたしか、黒の旅団にいたはずですね」
「あ、うん」
「それならば、あの召喚師たちとも顔見知りであった可能性は、充分にありえるのではないかと」
「……!」
「でっ、でも、はあたしたちと一緒に戦うって――」
身を乗り出したトリスに、シオンは、軽く手を持ち上げて諌める仕草。
「そうではありませんよ。むしろさんの性格を考えると、こちらの方が可能性が高そうなのですが……」
そして、シオンが口にした『こちらの可能性』を聞いて、トリスとマグナはそのまま音立てて、固まったのである。
実にシオンのことばどおり、は未だ会議場に留まっていた。
目の前に、顔なじみである召喚師3名を見据えて。
「……どういうことですか?」
つむいだことばの冷たさに、むしろ、自身が驚いた。――表には出さなかったけれど。
「どういうこと、とは?」
あくまでとぼける気なのか、キュラーが軽く笑んで問う。
それは、先ほどまでの凄絶な冷気を伴なったものではなくて、過去ずっと聞きなれた、声。
表情も柔らかく。
これが演技だったのなら、あれが真実だったのなら、気づかなかった自分は、なんて間抜けだったのだろう。
スルゼン砦も、ローウェン砦も、そしてトライドラも。
記憶がない間に邂逅した彼らの姿が、戦に高揚した故ではない本当の姿だったのなら。
――なんて……
小さく頭を振った。
感慨にふける場合じゃない。
「聞きたいことは、みっつあります」
指を立てて。
ひとつめ、
「ルヴァイド様のお父さんが、あなたたちに殺されたというのは本当ですか」
ふたつめ、
「元老院議会は、デグレアの人たちは、いつから――屍人になっていたんですか」
みっつめ、
「……あなたたちの目的は、何なんです……?」
徒に戦争を長引かせるなど、正気の沙汰で考えられることではない。
第一、国が戦争を仕掛けるのは、自国のために相手の国を、領土を欲するからこそだ。
長引けば長引くだけ、相手も自分も消耗するというのに。
議会をこうして外道な手段で牛耳る時点で、すでに、デグレアという国自体をどうでもよく考えているのは判った。
けれど、一国丸々滅ぼしかけてまでこの人たちがしようとしていることは、いったいなんだというのか。
「……答えてください」
静かに、は告げる。
応えて、ゆっくりとキュラーの笑みが深くなる。
「ひとつめには、肯定を。ふたつめには、そうですな……少なくとも、始まりは鷹翼将軍殿が命を落とされる以前より、とお答えしましょう」
「キュラーちゃん!」
どうしてバラしちゃうのよ! と、ビーニャがくってかかる。
だが、キュラーは静かにかぶりを振ってみせた。
「小手先の誤魔化しは通じますまい。……彼女はそこまで愚かではないのですから」
びみょーに。誉められているのかいないのか。……いないんだろうな。
そう、が苦笑しかけたときだ。
自分にそんな余裕があったのかと驚いたのもそうだけれど、直後のビーニャを見て、は目を丸くした。
――ひどく。痛みを覚える。
泣いていると云っても過言ではない、ひどく切々と。
その表情は、心の琴線に訴える。
「どォしてよッ!」
叫びに応えるように、手近な机がひとつ、爆音もけたたましく吹き飛んだ。
「……ビーニャ……?」
思わず、彼女の名が口から零れた。
瞬間。
「呼ぶなァッ!!」
の真横に叩きつけられる、雷。
弾みで再び机が弾け、欠片が頬をかすめて飛び散る。
動けなかった。
動いたら自分が机と同じ運命を辿っていただろう恐怖もさることながら、――ビーニャが。
彼女の表情と、叫びが。
その横で、ガレアノが表情も険しく舌打ちを漏らす。それは、ビーニャの癇癪が理由ではない。
「奴らめ――」それが誰を示すのか。「屍人どもでは役不足のようだ、キュラー、行くぞ」
「ビーニャをこのままにしておくのですか?」
の生命を失うことになれば、あの方が黙ってはおりますまい――?
そのことばに、ちらりとガレアノがを見る。
初めて見る、険しい視線はそのままに、だけど……どうして、それを、知っていると思うんだろう。
あの方とは誰だ、とか――これはまあ、順当に考えれば該当者がひとりいるが。
どうして、こっちはルヴァイドと同じように捨て駒扱いじゃないのか、とか。
疑問は山ほど。
だけど。
力を抑えることもせず、四方八方に炸裂させているビーニャの雷から身を躱すのに必死な今、悠長に問いを投げかける暇などにはない。
そんな彼女を一瞥し、ガレアノは云った。
「――ニンゲンは窮地に陥れば、信じられぬ力を出すという。これできっかけになるならよし、ならんのならそれまでだ」
「……なかなか手厳しいですな」
「たまには必要だろう」
罰ならばワシが受けるさ。
の頭上に浮かぶ疑問符の山に、気づかぬわけはないだろうに。
キュラーとガレアノは方針を定めたらしく、さっさと会議場から姿を消した。
残されたのは、感情の昂ぶりのままに魔力を放射しつづけるビーニャと、その被害を被らないよう苦心しているだけだった。
いったいどこに潜んでいたのか、それは唐突に彼らの前に姿を見せた。
明らかに血が通っていないと判別できる肌、薄汚れた衣服、うつろな、落ち窪んだ目。
――屍人。
しかも、おそらく、デグレアの民。
「……やはり、デグレアの人々も屍人や鬼に変えられていたようですね……!」
休みなく刀を揮いながら、シオンがつぶやく。
その横でマグナとトリスも戦っているが、いまいち、動きに精彩がない。
理由は分かっている。
今ここで論じても、どうにもならない理由だ。
「どうしよう、どうしようシオンさん、が――」
屍人は主に、城のほうから湧いて出る。はおそらく、まだ城に残っていると思われる。
ふたりの迷いを把握して、シオンは、彼にしては珍しく苦い表情になった。
ここから逃げ出さなければ、消耗戦になり、最終的には敗れるだろう未来がありありと予想できる――けれど、それをするにはを見捨てなければいけないのだ。
けれど。
決断は一瞬。
「走りますよ、トリスさんマグナさん!」
「大将!?」
「何を迷っているのです! 彼女とて何も考えなしに残ったわけではないでしょう!」
まずは自分たちが生き延びることを一番に考えなさい!!
「――は、はい!」
シオンの叱咤を受けて、ふたりは飛び上がった。
そしてすぐさま、向かってくる屍人たちをいったん退けると、身を転じて走り出した――城門のほうに。
けれど。
「……しまった!?」
もたもたしていたのが仇になったか。
門の方からも、すでに屍人たちが群れをなしてこちらへ向かってきていた。
挟み撃ち――その単語が脳裏をよぎった刹那、
「皆さんふせてくださぁいっ!」
「レシィ!?」
ここにいるはずのない、聞き慣れた護衛獣の声に、トリスが目を丸くする。
けれど驚きに動きを止めるようなことはせず、そのことばのとおりに、雪の積もった地面に倒れこんだ。
それとほぼ同時、
「おいでませ、鬼神将!」
「いっちゃえシルヴァーナ!」
「くたばりやがれっ、ゾンビどもがッ!」
「シャインセイバーっ!!」
「あなたたちのようなお客様は、当店ではお断りですよっ!」
爆音と銃撃とが炸裂し、群がろうとしていた屍人たちは、きれいに一掃されたのである。
……一部、どうにも戦闘に似つかわしくない発言が混じっていたが。
それはとりあえず、黙殺の方向で。
「だいじょうぶかい、ケガは!?」
ストラのためだろうか、手のひらに淡い光を浮かべたモーリンが駆け寄ってきた。
「おにいちゃん、だいじょうぶ?」
「ご主人様、お怪我ありませんか??」
ハサハとレシィが心配そうに、それぞれの主に伺いを立てた。
その横で、レオルドがセンサーをめぐらせた。何かを探すように。同じようにバルレルが、周囲を見渡している。
そうして。
「ど、どうしてみんなここに?」
目を丸くしたマグナの問いに、答えたのは、フォルテ。砕けた調子で後ろ頭に手をやりつつ、
「いや、待ってるだけってのはどーも性に合わなくってな」
「いろいろ感じるものもあったから、パッフェルさんにお願いして街の様子を調べてもらってたんです」
「それで見てみたら、スルゼン砦のときとおんなじじゃないですか……」
思い出してしまったのか、はあ、と、この人にしては苦い顔でパッフェルがため息をついた。
けれどすぐに気を取り直して笑顔になり、
「というわけで。これはヤバイって思ったので、こうして助っ人の出前にきたわけですよ、ハイ」
「いろいろ感じた……って?」
きょとん、と、アメルのことばにトリスが疑問を示す。
それに応えて、聖女がつと、トリスの護衛獣の方を見、
「ええ、最初に気づいたのはバルレル君なんですけど。魂の泣く声が聞こえるって――」
そう云うのと。
きっちり油はさしているはずの関節をぎちぎちときしませて、レオルドがマグナを見るのと。
すっさまじく胡乱げな表情になったバルレルが、トリスを見るのとは。
まるでタイミングを計ったように、同時だった。
「主殿、殿は――」
「おい。アイツは――」
どこ行った、と、続けられるより先に、シオンが小さく首を振る。
そうしてもはや、それだけで事情をつかめるようになった自分たちを、果たして誉めてやるべきなのか。
それとも、懲りないあの少女に今度こそきつく云い聞かせるべきなのか。
反応に迷った一同のうち、起き上がって向かってきた屍人を、力任せに斧で横殴りにして、まずリューグが怒鳴った。
「またか、あいつは……!」
けれど。
「――リューグさん」
静かな声で、シオンが呼びかけた。
表情にはかすかに苦いけれど、声音はすでにいつものとおり。
「たしかに、さんの行動は、時折独断に走りすぎるきらいがありますが、あまり責めてはならないのではないでしょうか?」
「……何故です?」
再び、どこからとなく湧いて出てくる屍兵たちをなぎ倒しながら、ロッカが問う。
双眸にあるかすかな懸念に、蕎麦屋の大将は小さく苦笑した。
あなたたちが心配しているのを、さんはけっしてないがしろにしているわけではないと思います、と、前置きして。
「決着をつけようというのなら、自分自身が動かなければ得られない。それをさんは判りすぎるほど判っているんですよ」
目の前に糸を解く手がかりがあるなら、手を伸ばさずにいられない。
ましてここはデグレア。かつての故郷、今の敵地。
次いつ訪れられるか分からない、相対できるのはこれが最後の機会かもしれない。
それが、身体を動かしたのなら。
「そうですねぇ……さんてば、そういうトコロ、自分がっていう責任感が強いですから」
自分の立場を、双方への負い目としても感じているのかもしれないですね。
「……そんなふうに思わなくても、いいのに」
ため息混じりのパッフェルの声は、連続した銃声のなかでもほどよい大きさで聞こえる。けれど彼女はすぐ、「でも」と気を取り直したらしい。
「実は私、さんに関してはあんまり心配していないんですよね」
「パッフェルさん――」
とてもお気楽に聞こえるそのことばに、アメルが少し非難の混じった視線を向けていた。
でも次の瞬間、聖女は、ぱちくりと目を丸くする。
かつての暗殺者の浮かべている、ひどく優しい微笑みに驚いたんだろう。
「サイジェントなんていう、遠い遠ーい西の果てからでも帰ってきたじゃないですか、さんは」
だからきっと、今度もちゃんと戻ってきますよ。
……あの人たちだって、大好きな皆さんのところに、ちゃんと帰れたんですから――
それは、ことばにならない、懐かしい思い。
の光と、遠い自分の記憶を重ねてしまうのは、ただの感傷なのだと自己判断していても。時折湧き起こる気持ちは、心地好くて手放し難い。
「そうさね。はだいじょうぶさ!」
やはり素手で触りたくはないのか、そこらのボロ布を拳に巻きつけた状態で屍兵を殴り飛ばしていたモーリンが、それを聞いて軽やかに笑う。
だから、今は。
「とりあえずこっちはこっちで頑張らないとね!」
再びシャインセイバーをぶっ放し、ルウが勇ましく告げた。
その仲間たちの会話に、マグナもトリスもだんだんと、固かった表情が落ち着いてくる。
リィンと耳鳴りが聞こえ、空間が、一瞬ゆがみを見せたのは、ちょうどそのとき。
「これはこれは……わざわざ集ってくださっていたとは、手間が省けますな」
そうして降ってきたその声に、シャムロックの身体が大きく震えた。
空耳ではない。聞き間違えるわけもない。
この声は。
「キュラー!?」
ほぼ全員が、声のしたほうを振り返る。
「……ガレアノ。テメエもかよ」
チッ、と、舌打ちも荒く、キュラーの横に佇む男の名をレナードがつぶやく。
どちらとも、相手と深い因縁があるのだから、当然の反応だろう。
そうして、キュラーとガレアノの姿を見たトリスとマグナが、はっとしたように声を張り上げる。
「気をつけて! 元老院議会は、こいつらに乗っ取られてたの!!」
「なんだって!?」
「黒騎士たちは、だまされて操られてるだけなんだ!」
「……そんな……」
ネスティと同じような驚愕の声が、そこかしこから零れた。
「貴様ら……」
そのなかで、押し殺した怒声をつむぐのは――アグラバイン。
屍人と化した、かつての故郷の民を前に、手をあぐねていたその憤りさえも内包して。
「貴様ら、なんということを!!」
今にも突進していきそうなアグラバインの前に、つ、と立ちはだかった人影、ひとつ。
「貴方がたが此処におられるということは――さんはどうされているのです?」
それに、そちらも1名足りないようですね?
隙を見せないシオンの問いに、キュラーの表情が奇妙に歪んだ。
それはたしかに笑みなのだろうけれど、おおよそ常態の人間ならば浮かべようのない、実に形容し難い表情。
だが、答えたのは鬼人使いではなく、屍人使いの方だった。
「なら、今ごろビーニャと一悶着起こしておろうよ」
それよりも。
「貴様らこそ、他人の心配をしている余裕があるのか?」
そのことばと同時。
地に伏していたはずの屍人たちが、次々と立ち上がる。
それだけに留まらず、別の場所からも包囲するように新手が出現した。
「貴方がたには此処で死んでもらいます」
下された、宣告。そうして。
「『鍵』となる娘だけは、こちらにいただかせてもらうがな!」
「ふざけんな! くたばるのはてめえらだッ!!」
戦いの火蓋が切って落とされる。