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第44夜 参
lll 元老院議会 lll




 城の周辺ならばが案内できたが、さすがに中枢部分になると勝手知ったる、というわけにはいかない。
 外から見た城の形から推測し、あとはとシオンの勘が勝負になった。
 けれど、道はどこかでつながっているものであり、幸いなことに、しらみつぶしに探すほどせずとも、ほどなく目的地は見つかったのである。

 元老院議会が、その意志を定めるときに会議を執り行なう一室。
 おわんを置いたような形の部屋で、中央がいちばん低く、その周辺から壁にそってせりあがるように席が設けられている。
 がいた世界風に云うなら、素直に国会とかなんとか出たのだろうが、あいにくあちらの知識は10歳どまりだ。
 ……落ち着いたら、綾姉ちゃんにあっちの世界の教えをいくらかでも請おうと、そんなひそかな決意もあったりするが、それは別の話。
 足元を見る。床に敷き詰められているのは、上品な、とは云い難いけれど、高級なものだと判る毛足の長い絨毯だ。
 会議場のある階はすべて、同じような絨毯が敷き詰められていた。
 忍び込み中のたちには、ありがたいことである。足音を吸収してもらえるから。
 足音も殺して息も殺して、後ろにいるトリスに、身振りで鍵が開いたコトを告げる。
 さすが、シオンの大将ご愛用の万能鍵。
 それから、視線を右手に転じた。
「……」
 こういう会議場には、必ず複数の扉が設けられている。ここのそれも、云うに及ばず。
 4人でどやどやと行くのは難だということで、臨時に二手に分かれたシオンとマグナ組が、無言で手を振ってみせた。
 準備万端、ということだ。
 相変わらず人間の気配は感じられないが、用心に越したことはあるまい。
 最後に頷きあって、は扉に手をかけた。

 蝶番の油がかかされていないおかげか、もともとの建てつけがしっかりしていたのだろうか。
 恐れていたような金属のきしむ音もなく、スムーズに扉は開く。
 滑り込むに充分な、最低限の空間だけ扉を開け、トリスに軽く合図。それから、中に滑り込む。
 殆ど間をおかず、トリスも続いて入ってきて、再び扉を閉めようとしたところを、手で押し留めた。
 どこぞの一反木綿なら通れるくらいの隙間を確保して、中途半端に開けたままの状態にさせる。
 完全に閉めてしまうよりは、少し開けておいたほうがいい。
 通りすがりの人間が不審に思う危険もあるが、いざ内部で一悶着起きたときには、どちらが逃げ易いかと云われれば答えるまでもないから。
 そうして、待たせておいたトリスのところに、低い姿勢で戻ったときだ。
「……、あれ……」
 顔面蒼白になったトリスが、指差した先。

 ――床に伏している、数人の……

 もはや、屍としか思えない、それは。

「元老院……議員……?」

 デグレアの季節は、ほぼ一年中を通して雪がちらつくほど、冷気の支配する地だ。
 それ故に、食べ物の保存にはさして苦労しない――自給には苦労するが。
 だからか、明らかに死体であろうそれらが、その状態になってどれほど経つのか、把握出来なかった。
 遠目にも判る衣服の汚れから、明らかに、絶命してから数ヶ月どころでないことだけは、見てとれる。

 ――ぞ。と。
 ぞわり。と。
 そこまで見てとったその次に、背中が粟立った。

 それなら、何なのだ――何だったのだ。
 これまで黒の旅団に対して命令をしてきたのは。
 レイムが連絡をとっていたという、議会は。
 ここに横たわる数多の死体は。

 今の、この状態を。黒の旅団は、召喚師たちは、知っているのか?

 ――キイ、

 と。軽く金属のきしむ音。
 はっとして、トリスとは床に伏せた。
 幸い、開いた扉はたちの入ったところでもなく、マグナたちの向かった扉ではなく、ほぼ向かい側にあたる位置のそれ。
 そうして。

 入ってきたのは――3人。
 先頭を歩いていた男が、倒れ伏している屍にかがみこみ、軽く腕をとった。
 力なく持ち上げられたそれは、ぼろりと指の先端を欠けさせる。
「――っ……!」
 吐き気を覚えて口元を押さえた。
 小さな動きだったおかげか、入ってきた彼らは気づかなかったらしい。
 続いてやってきた少女が、その横から同じようにしゃがみこんで。
「どぉ? ガレアノちゃん」
「む……いくらこの街の気候が寒くとも、年月が経ちすぎたわ。所詮ナマモノか」
「さすがに、ガタがきていますな……ここまで使えただけで、良しとするべきでしょう」
 その声。
 ビーニャ。
 ガレアノ。
 キュラー。
 彼らを。知っている。
 記憶喪失のときにそれぞれ戦ったこともそうだが、かつて、一緒に過ごしていた人たち。

 だけど彼らを知らない。

 何。あの表情。
 何。何をしてる?
 見たことのない冷たいカオ、おぞましいものを平然と持ち上げて。

 ……何が。どうなって。
 初めて見る彼らの表情に、心臓が早鐘のように鳴りだした。不安と恐怖と、云いようのない、嫌悪を覚えた。
 それは今まで決して、彼らには感じなかったモノなのに。

 嘘。だったんですか?
 6年もの間、接してくれていた、あなたたちと。
 今、余人なきこの場で見せている、あなたたちと。

 どちらを。信じればいいのだろう。

 だけどどうして、それでも、あの彼らを知っていると思うのだろう。

「それに比べてさァ、ルヴァイドちゃんって意外と使えないよねェ」
 さっさと見切りをつけたらしいビーニャが、すっくと立ち上がって云った。
 殆ど腹ばい状態まで姿勢を低くして、視線を床に落とす。
 これ以上見たくないのもあったけれど、彼らに視線を向けつづけるわけにはいかなかった。そこから気づかれないとも限らないのだ。
 小さく肩を震わせたの背を、トリスがそっとなでてくれた。

「まったくだな。大口を叩く割に、我らの加勢なしでは街ひとつ落とすこともできぬのだから」
 見下しきったガレアノの声。
 たしかに、ルヴァイドたちと彼らは、仲が良かったとは云い難かった。けれど、そこまで露骨なものではなかったのに。
 この数ヶ月の間に何が変わったのか、それとも、最初から隠しおおせていたのか。
「まあまあ。ふたりとも、そう責めるものではありませんよ」
 なだめるようなキュラーの声。
「戦いが長引くほうが、我々にとっては都合が良いのですから。それにあの男の価値は」、
 にぃ、と、口の両端を持ち上げて、笑むのが、見えたような気がした。
 あからさまに含まれた揶揄が、たちまでも蝕まんとする錯覚を覚えさせる。
「武人としての力量よりも、その愚直さにあるのですから――」

「――!」
 そりゃあたしかにルヴァイド様は思い込んだら結構突っ走る人だけど!
 愚直とまで云われるほどじゃ、ない……!!

 とっさに発しかけたことばを飲み込むために、敷物に爪を立てた。

 キャハハハハッ! と、甲高い笑い声。見なくても判る、ビーニャだ。
 以前はただ、元気だな、と受け止めてたそれが、今はとても耳障りに聞こえた。
 彼らに対して生まれた、嫌悪のせいか。それとも、これまでは知らぬうちに薄幕でもかけられていたのか。

「ほォんと、かわいい黒騎士サマったら! 自分に命令してる元老院議会が、屍人の集まりだってコトすら気づかないンだもんねー!」

 衝撃を隠し切れない様子で、トリスがつぶやく。
「そんな……ルヴァイドたちは……それじゃあ……!?」
 口を両手で押さえているけれど、それでも漏れてしまった小さな小さな声は、幸い、の耳をかすめただけだった。
 それをかきけすように、ククク、と聞こえる、含みのある笑い声は……これにも覚えがある。キュラー。
「まして、反逆者として処刑されたというご自分の父親が――」
 の耳が一層ダンボになる。
 聞きたくないような、聞かないほうがいいような。
 そんな、澱のようなものが胃の腑あたりに沈殿していく感覚。

「……真実に気づき、たった一人で我らに挑んで返り討ちにされたとは、思いもしますまいな」

「カーッカッカッカ! まさに、親子揃って愚かなことよ!」

「――――」

 ……澱なんて。ほど、かわいいものか。
 救いさえ光さえ感じられない。
 黒い、淀みだ。今、自分を侵蝕しようとしているのは。

 立ち上がって。床を蹴って。
 彼らを問い詰められたら、どんなにいいだろうかと思った。
 それでも、床に爪を立てて堪えるのは、今この場にいるのが自分だけではないからだ。
 トリスがいる。
 少し離れた場所には、マグナとシオンがいる。
 ここで自分が勝手に動けば、彼らを危機にさらしてしまう。――そんなことだけは、出来なかった。

 けど。

「くそぉっ!!」

 不意に聞こえたマグナの声が、の我慢を無駄にしてくれた。
 そしてそれは当然、議員たちの屍体の傍に立っていた、キュラーたちにも届いて。
「そこにいるのは誰ですかっ!?」
 険しいキュラーの声が、マグナたちがいるであろう場所に向けて、発された。

 トリスがぎょっとして、ほとんど反射的にだろう、立ち上がる。
「だめ!」
 あわてて手を引っ張って、が再び身をかがめさせようとした刹那。

 ボンッ!

 鈍い、何かが破裂する音。
 それと同時に、たちのいる一帯が煙に覆われた。
「ケホッ! ゲホッ! なによこの煙っ!?」
 どうやら煙は下までも瞬時に流れたらしく、ビーニャのむせる声が聞こえてくる。

「ひきあげますよ!」


 シオンの小さな声が、横手から指示を出した。
 とっさに視線を向けるものの、白いものに阻まれて、シルエットが見えるか見えないか。
 それでも、それに導かれるままに立ち上がり、トリスは夢中で走り出したのである。
 ――傍にいたはずの気配がひとつ、消えていることにも気づかないまま。


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