「ミモザ先輩、何考えてるのかなぁ……」
とりあえず今日はもう調べものはやめておきなさい、というミモザのことばとともに屋敷を追い出され。
トリスとは、連れ立って街を歩いていた。
珍しくマグナがトリスの傍にいないが、それはフォルテに剣の稽古をつけてもらうためだった。
まだまだ、ふたりは新米召喚師。強い召喚術を扱えるわけではなく、かといって肉弾戦にも弱いままでは、足手まとい必至だったからだ。
トリスはそれを聞いて、自分もと云っていたけれど反対された。
フォルテからマグナが習うのは、長剣を用いての型である。短剣を主として使うトリスとは、毛色が違う。
「さぁ…でも、何か考えがあるんじゃない?」
怪訝そうに首をかしげたままのトリスの気分を変えようと、話しかけてみる。
けれど、トリスはやはり「うーん」と首を傾げ、
「昔からミモザ先輩が何かを思いついたときって、とんでもないことばっかりだったから……」
「と、おっしゃいますと?」
「最初のときは、あたしたちの寝坊癖を直そうとして、時限式ペン太くんを寝ている間にしかけてきたし、その次なんかゲルニカの術を利用して火力発電? っていうのをやろうとしたらしいし」
そういえば一番最近は、フリップ師範が気に食わないからってあの人の毛生え薬の入った壺をこっそりスライムポットに――以下省略。
それはまた、なんというか。
「……すごい先輩だね」
トリスが不安になるのもよーく判って、はしみじみとつぶやいた。
それからふと、周囲を見渡す。
「って、そういえば、あたしたち何処に行ってるの?」
「うん? ケーキ屋さんだよ」
話と一緒に気分も切り替わったか、どこかうきうきとした表情と声で、トリスは答えた。
「ケーキ?」
もしや奢ってくれるんだろうか、でも、あまり食指が動かない。
ということは、
「でも、あたし、なんか甘いのはあんまり……」
「ううん、違う違う、アルバイト」
「……あるばいと?」
このへんで待ち合わせてるはずなんだけどなー、と額に手を当てて、トリスがそのへんを見渡した。
――と。
明らかにこちらを目標と定めてやってくる、人影がひとつ。それは、オレンジ色の服を来た女性だった。
「トリスさーん! 今日もお手伝いありがとうございますー!!」
彼女はオーバーなほどに感謝の意を示し、
「おや? そちらの方は?」
初対面であるを見て、きょとん、とトリスに誰何した。
そんな彼女は、どうやらパッフェルというらしい。
繁華街の、とあるケーキ屋のアルバイター。
お互い自己紹介を終えたところで、トリスがに説明する。
「……で、パッフェルさんのお仕事が大変そうだから、あたしもたまに手伝ってるの。今日、と一緒に出かけることになったから、もよかったらどうかなーって」
「はあ」
おいおい、そういうことは先に説明してくださいトリスさん。暇だったから良かったものの、所用があったらどーするつもりだったんすか。
いささか思うところがなくもなかったが、まぁ、働いてみるというのもなかなか面白そうだ。トリスがそう気負ってなさそうなのも、そんな予感を膨らませてくれる。
だもので、は二つ返事で頷いた。
「ありがとうございます〜♪ ではでは、早速お店の方へご案内しますね〜♪」
自分の負担が少なくなるうれしさからだろうか、スキップしそうな勢いでパッフェルがの手をとる。
「あ、あたしも〜」
そうしてそれをみたトリスが、にしがみつく。
この場合パッフェルにしがみつくべきなんじゃないですかぃ?
そうは思うものの、慕われているのが判って、妙にうれしい。
気持ちのまま、顔をほころばせたの耳に、パッフェルの声が届く。
ごく自然に顔を寄せ、他の誰にも聞こえないくらいの大きさで。
「諜報員さんが、こんなところで何をしておいでです?」
「――え?」
きょとん、とパッフェルを見上げる。
それを見て、パッフェルは舌打ちを心中で留めることに、ようやくのことで成功する。
……演技ではなさそうだ。いや、絶対に違う。
この人は嘘をついてない。
パッフェルは、本職が本職のため、国家内外の団体には詳しい。
そのなかのひとつ、デグレアの特務部隊『黒の旅団』に、優秀な諜報員がいることを知っていた。
実を云えば、顔も見たことがある。過去にデグレアの内情を調べるため、城内に入り込んだ彼女を見つけ出し、相手取ったのは今目の前にいる少女。
そう――ここにいる、のはずだった。
常に影に入るように動いたため、自分の顔を見られてはいないと断言できる。
だからこそ、綱渡りだと自覚しつつ、カマをかけてみたのだが。
「ちょーほーいん、ってなんですか?」
結果は、晴れやかな惨敗だった。
記憶喪失中で単語の意味すら判らないが、無邪気にパッフェルに問う。
「ちょうほういん、っていうのはですねぇ」
にこにこ笑いながら、彼女は答える。
「ちょうちょさんがほえーっと飛んでるみたいにふわふわした人のことなんですようー? こんなところにいると、悪い人にひっかかりますから、あんまり一人で出歩いちゃいけないんです〜♪」
今日はおふたりのようですから、だいじょうぶでしょうけどー♪
嘘八百。
けれども幸い、かどうかはともかく、はすっかりそれを信じたらしい。眉根を寄せて、あからさまなふくれっつらで、パッフェルにくってかかってきた。
「あたし、ほえっととかしてないです!! ね、トリスっ!」
「…………」
くすくすくす。
ちょうちょさんが〜、のくだりからしか聞いていなかったトリスが、の発言に笑う。
「なんで笑うのーっ!?」
そうして、とトリスはそれは賑やかに、掛け合いを繰り広げ始めた。
その姿はどこから見ても、ごく普通の少女である。
デグレアで相対したときの鋭さ、気を抜けばこちらがやられそうだった、刃のような殺意を発していたのが嘘のように。元気に楽しそうに、活発に朗らかに。
……それから、瞳の奥にほんの少しの不安を抱いて。
あの夜パッフェルに命の覚悟をさせた少女は、そんなふうに、日の光の下で笑っている。
「――――」
ふむ、と、音にはせずにつぶやくパッフェル。
いったい何があったんでしょう?
などと考えてみても、答えが天から降るわけもない。そう、あのときの白だって、未だに答えは出ないまま。
「……」
調律者の一族と一緒にいるのならちょうどいい。ついでだから一緒に観察させてもらいましょう。そう思い、パッフェルはそこで思考を打ち切った。
「さあさ、お店に着きましたよー♪」
パッフェルに案内され、店長に紹介された後、ふたりは制服に着替えるためにロッカールームへ向かった。
トリスはもう数度やっているのでさっさか着替えているが、にとっては初めて見る服。
……これをあたしに着ろ、と?
服を両手に掲げたまま、困惑して立ち尽くす。
胸から上の生地はないし、第一胸の部分の布が他に比べて薄い。上にジャケットを羽織るらしいが、それで胸の生地が隠れるわけではない。あげくにスカートがミニ。
ミニなのだ。
ミニなんですよそこの奥さん!!
どこに奥さんがいるかなんてどうでもいい。今問題なのは、なんでこんなに身体の線を強調するよーな服なのかということであるッ!!
「あれ。、着方判らないの? あたしが着せてあげようか」
苦悩していると、とうに着替えたトリスが可愛らしく笑いながらを伺ってきて。
これを断れる人間がいたらお目にかかりたい気分で、は心のなかで涙を流しながらうなずいた。
あれよあれよと云う間に、トリスは手早くを着替えさせる。
女の子同士なので、遠慮もへったくれもあったもんじゃないし。
「うわぁ、、よく似合ってるよー!!」
「ア、アリガト……」
思わず、どこぞの機械兵士のよーな受け答えをしてしまう。
いつぞやアメルに語ったように、まずスカートに違和感を感じるし、胸が強調されてるのが恥ずかしくてしょうがないし。
おまけに頭に乗っけてるのはレースのカチューシャ。
もしもに記憶があったら、メイドみたいな格好だとさめざめと嘆いていたに違いない。
「楽しいね、!」
「そ……そう?」
なんかあたし、大事なものをなくしたよーな気がするんだけど……
けれどそんな気分は、次のトリスの一言でふき飛んだ。
「うん! あたし、こうして同い年くらいの友達とわいわいやったコトって今までなかったから、すっごく楽しいっ」
「……え?」
無邪気に笑いながら、蒼の派閥の少女は告げる。
「あたしとマグナ兄さん、小さいときに事故で派閥に引き取られたんだ。それで、何か危ないコトしないようにって、見張られてたし」
仲良く出来そうな同年代ってネスしかいなかったんだけど、ネスって、ある意味お兄さんみたいなもんだから。
「でも、ラウル師範も兄さんも、ネスもいたから、寂しいとかはなかったんだけど――やっぱりさ、こうしてとかアメル、それにケイナさんや…みんなと出会えて女の子同士の話とか出来て、すごくうれし……」、
黒騎士やイオスたちに狙われてるのに不謹慎かな、と続け、少し早口だったトリスのことばが、そこで途絶えた。
「……?」
そうして首を傾げるトリスを抱きしめた。強く。
「……?」
もう一度、呼ばれる名。そこに含まれた疑問。
どうしたの?
それに答える余裕もなかった。
どうして。
それはことばにならない問い。
どうしてそんなに哀しいことを、あなたは笑顔で話せるの。
どうしてなんでもないような顔で云えるの。
は記憶がない。見張られるというのがどんな気分なのかなんて、想像するしかない。
だけど、トリスたちがほんの小さな頃からそんな境遇に置かれていたということは事実。
そしてその環境をいつの間にか当たり前のものだと思っていたに違いないことも、きっと。
感じるのは、そんなことをした蒼の派閥という集団への憤り。
表に出せないそれをつつみこんでなだめるように、ただ、はトリスを抱きしめる。
「……」
あたたかいなぁ、と、トリスは思っていた。
同情なんか欲しくないけれど(だってそんなもの示されたって意味がない)、こうして、何も云わずにトリスを抱きしめてくれるの腕は。
あたたかいなぁ、と素直に思えた。
記憶がないと云っていたから年は知らないけど、たぶんは自分より年下。
なのに、まるで母親みたいな暖かさで、包み込んでくれている。
「お母さんがいたら、こんなかなぁ……」
思いが、意図せずことばになった。
それにぴくりと反応して、ががばりと顔をあげる。
「ちょっとトリス! あたしいくらなんでもお母さんなんて年じゃないよー!?」
むくれた口調で、でもの顔は笑ってる。
それに大きな安心を覚えて、トリスも笑った。
「トリスさーん、さーん!! 着替え終わりましたかー!?」
そんなパッフェルの声が、扉の向こうから聞こえてくるまでふたり、笑っていた。
でもって。
せっかくだから服が似合うかどうかみんなに見て貰おう、と意気込むトリスをなだめるのに苦労したのは、とりあえず別のおはなし。