ギブソンとミモザの屋敷の2階には、大きな書庫がある。
中身は多種多様。
彼らの専門である召喚術に関するものから、各国の歴史、または食べ歩きの旅ガイド等々。
ちょっとひっくり返せば、もっと珍しいものも出るんじゃないかしら。とはミモザの弁だ。どうやら本人たちも、全部を把握してるわけではないらしい。
ミニスがきた日の夜、一度許可を貰って入らせてもらったところ、雑学やマナーなんかの本も見つかった。
なので、それをきっかけには手っ取り早く日常生活における知識だけでも吸収すべく――
というのが第一の目的ではあったが、実は書庫のなかのちょっと古ぼけた本のにおいや、それから空間の静けさが気に入ってしまったのが本当のところ。
ともあれ、そんなこんななんとなく入り浸っている、ここ数日。
そしてそれは、本日もご多分に漏れず。
ただし追加で3名ご案内。
「これも違う……」
「…………」
頁をめくる。
「これもだめ……」
「…………」
ちらり、と、目をやる。
「えーと、これは……」
「……これでもない……」
「…………」
ため息、ひとつ。
「あのー」
「あ、? いたのか」
「うん、あなたたちより前から」
は本を読む手を止めると、それまで座っていた書庫の脚立から飛び降りた。
着地と同時に、少々積もっていた埃が舞ったが気にするほどのもんでなし。
ネスティが嫌そうに鼻と口を手のひらで覆うが、そんなの何処吹く風である。
「ていうか、ちょっと休んだら? ずいぶん長いこと此処で調べものしてるでしょ?」
あたしは好きな本読んでるからいいものの、そっちは根詰めてるわけだし、時間かけても疲れるだけだと思うんだけど。
「駄目だ。今はあの黒騎士たちについてわずかでも情報が欲しい」
間髪入れずにネスティが返答する。
その後ろで、マグナとトリスが疲れきった顔で、持っていた本をまた1ページめくった。
あれは相当疲れてるとみた。
……いや、それよりも問題は。
ちらり、と、再び調べものに戻ろうとしたネスティを見る。
傍の兄妹たちと同じくらい、もしかしたらそれ以上に疲労がにじみ出ていて。
「もー!」
背後から、がばっと本を横取りして。
「何をするんだ!」
「本をかっぱらったの!!」
あまりにもあまりなの返答にことばをなくすネスティ。
それを見て、マグナとトリスがくすくすと笑う。
はぁ……と巨大なため息をひとつついて、ネスティはに向き直った。
「ふざけてる暇はないんだ。君だって、あいつらのことは見ただろう? 徹底された指揮系統と、それを遵守した動き。あれは組織だった訓練を前提に成立するものなんだ」
そしてそうである以上、彼らはそれなりの組織力を持った団体ということになる。
対抗するためには、こちらも相手に対して可能な限りの情報を集めなければならない――
「いや、それは判るよ」
ネスティのことばを半ばで遮り、は頷いた。
「なら」
「でもね、それとこれとは別問題」
彼の云うことは判るし、納得も行く。
だけどからしてみれば、それは自分の身体を酷使してまでやるようなことではないと思うのだ。
「こんなのずっと続けてたら、ネスティさんが倒れちゃうよ」
だから告げた、その瞬間。
「そうよ、ちゃんの云うとおり!!」
いきなり、書庫の入り口から声がかかった。
4人同時に視線を送れば、そこに立っているのはネスティが頭の上がらない人たちのひとりである、ミモザ。
「一息入れましょう。私たちもちょうど、休憩しようと思ってたのよ」
「ですが……」
「わーい、休憩休憩!」
「やったー、お茶とお菓子!!」
反論しようとしたネスティのことばも、やっと労働から解放されて大喜びするマグナたちに遮られた。
がしっ、と、笑顔のまま、ミモザがネスティをひっつかむ。
有無を云わせず引っ張っていかれるネスティ。それにるんたったとついていくマグナとトリス。
それを笑って見送っていたを、ふとトリスが振り返る。
「はこないの?」
問いには、ぱたぱた手を振って。
「あたしは今ここにいるのが休憩みたいなものだから。もーちょっと、本読んでいきます」
そう云って彼らを見送ると、再び明かりを持って脚立に戻り、読みかけの本を手にとった。
「……?」
読書再開して、あまり間もないうちに、また、入り口で人の気配。
なんだろうと見るの視線の先には、ついさっきここを出て行ったはずの。
今は階下で休憩しているはずの、ネスティだった。
「……ネスティさん……人の話聞いてました?」
あたしはたしかに、ちょっと休憩しろと云いましたけど、それはことばどおりの『ちょっと』って意味じゃないんですけど。
「聞いていたつもりだが?」
ジト目でまた脚立から飛び降りるの足元から舞い散る埃を防ぎながら、ネスティは再び書棚に向かう。
また本を奪い取ってやろうかと、が思った矢先。
「……今は、少しでも時間が惜しいんだ。この事態を打破するためにも」
真摯な顔で振り返り、ネスティが告げる。
それはまぎれもない本音で、けれど、けっして賛成できない類のもので。
状況を鑑みるだに、たしかにネスティの行動は正しい。少しでも敵の情報を集め、自分たちに有利に働くようにしようというのは。
けれど――
「君には悪いが」
が口を開きかけたとき、再び、ネスティが云った。
「僕は……レルムの村になど行かなければよかったと――関わらなければよかったと、思ってる」
聖女に。黒い騎士たちに。ひいては、にも。
本当に自分の身を案じてくれているだろう少女が、ことばをなくして立ち尽くすのを見て、ネスティの心中にも苦々しい思いが沸きあがる。
何を云ってるんだ、と。
どうして、マグナでもトリスでもなく、あの日の被害者でもあるこの子に、僕はこんなことを云っているのだろう。
けれど――
何故か隠しておけない。心を。
の前にいると、自分の隠しているものをすべてさらけ出させられてしまいそうな気がする。
自分の弱い心も醜さも、それから一族のことも。すべて。
そうさせるだけの、何を、この子は持っているんだろう。
記憶がない以外はどこから見ても、まったく普通の女の子なのに。
どうして。
どうしてこんな、遠く、深くから、湧き上がる――
「まあ、それはそうですよね」
「え?」
はっとして顔を上げると、は、ネスティのすぐ前に立っていた。
「だって、誰だってもめごとはヤだと思いますから。ネスティさんがそう思うことは、当たり前ですよね」
皮肉も含みもなく、本当にそう思っている口調で、は云う。
「……」
そして続けた。
「たしかに、レルム村の一件から、まるで流されるみたいにあたしたちはココにいますけど、みんな、このままでいいとは思ってないはずです――今、停滞しているように思えるのは、いちばんいい方法を探すために時間がかかってるだけだと思う」
だから。
「ネスティさんひとりだけが、そんなに気に病んで、根詰めて、頑張らなくてもいいんじゃないかって」
だからね。
「もっと、みんなに頼ってみても良いと思うし、むしろそうしてくださいって感じだし。とりあえず目下のところ、ちょっとじゃなく休んでほしい」
どうして、と思う。
「……判った」
どうしてこの子は、こんなに、心を軽くしてくれるんだろうか。
どうしてこんなに、人を素直にさせる力があるんだろうか。
「じゃあ、部屋に戻りましょう!」
にっこり笑って、がネスティの手をとる。融機人である自分の手を。
「ひとりで行けるよ」
「とと?」
そっけなく、の手を払って歩き出した。
「ま、待ってくださいよー! 部屋まで送ります」
あわてて追いついてきたは、こりもせずにまた、ネスティの手に自分のそれを添えて。
思わず、皮肉げに問いかけずにはいられなくなった。
「君はお子様よろしく、手を繋いで歩くのが好きなのか?」
云ってしまってから、ちょっと冷たく当たりすぎたかと自戒したけれど、
「好きですっ!」
は、そんなネスティの困惑なぞどこ吹く風。
さっき以上に笑顔満開で、云ってのけてくれたのである。
「だって、なんだか安心しません? いっしょだなぁ、って」
それにネスティさんの手ってちょっと体温低めで気持ちいいんですよね。
さらに力をこめて手を握り、にっこりにっこり笑うを見ているうちに。ふと、自分の気が緩むのを、感じてしまう。
体温が低いのは当たり前。自分はたちの思っているような“人”ではなくて、この身体のなかに流れているのは血液だけではなくて。
だけど。
「部屋までだぞ」
「はーい」
それ以外に何も云わず、また、ネスティは歩き出した。ちょっとだけ、の手から伝わるぬくもりに、心地好さを感じながら。
がネスティを部屋まで送って居間を覗くと、まだ何人かがティータイム中だった。
さっきまではフォルテたちもいたらしいが、ミニスのペンダントを探しに出かけたとのこと。
とりあえず席に混ぜてもらって、ふぅふぅ、飲み物を冷ましながら、ことの次第を話して聞かせる。
マグナとトリス、ギブソンとミモザはそれぞれ顔を見合わせると、さっきのネスティに負けないくらい大きなため息をもらした。
「だいぶカリカリしてるみたいねー、あの子」
あの子、というのはネスティのことだろう。
トリスにマグナ、にとっては怖いけど頼れるお兄さんなのだが、この先輩たちから見れば、彼もまだまだ子供なのだ。
ギブソンも、なんだか手のかかる子供の話をしているような顔になって、
「無理もあるまい。今の状況は彼にとって不本意すぎるようだから」
「それは見てて判りましたけど……」
「彼は生真面目な性格だからな。任務の遅滞に必要以上の責任を感じているんだろう」
「そういうとこ、昔のあなたみたいよね。ギブソン?」
ミモザが茶化し、云われたギブソンは苦笑する。
任務っていうとたしか、召喚師としての見聞の旅に出るってやつだっけ?
最初に逢った日、彼らが話してくれたことを思い出す。
あの日もう旅に出ようとしていたのだとしたら、けっこうな日数、結局ゼラム周辺から動いていないことになる。
……そりゃ、イライラもして当然かも……
うーむ、さっき知ったようなこと云ったの、失礼だったかな。あとで謝っておこ。
「それに、これは思っていたことなんだが」
再びギブソンが口を開いた。
「君たちは、どうも他人に干渉することを嫌ってるようだね」
「「「え?」」」
予想外の一言に、マグナとトリスとの間抜けな声が重なった。
後輩とその友達の反応が楽しいのか、笑いながら、ミモザが横から云ってくる。
「キミたちは、あんまりそんなコトなさそうだけどね? 他のみんなはどうかしら」
云われて――3人は顔を見合わせ、しばらく考え込んだ。
今指摘されるまで気にもしなかったいくつかのことが、瞬間的に、脳裏に浮かんでは消える。
そうなのかなぁ、と、やっぱり3人で顔をつき合わせていると、
「成り行きで行動を共にしているようなものだから、仕方ないかもしれないが、今のままじゃいつか息がつまってしまうぞ」
と、ギブソンの追い打ち。
それは、さっきのネスティを目の当たりにしていたたちにもよーく判る。
「そう、ですね。そうかもしれない」
マグナが、トリスとの分の意見も代表するように、うなずいた。
だけど、だからと云ってどうすればいいんだろう。
ネスティだって今は休んでくれているけれど、目が覚めたらまた、絶対に書庫に入り浸る予感びしばしだ。
「……俺たちも引きずってな」
「マグナにーさん……」
遠い目になるマグナを見、トリスがほろりと涙した。
「これから先」
そんな兄妹を苦笑して眺めたあと、ぽつり、ギブソンが云う。
そのことばは今までのものと違い、誰かに聞かせるためのものではなく、むしろ。
「これから、敵と渡り合うには仲間同士の信頼が大切になっていくはずだ」
……むしろ、何かを思い出し、それがことばになって零れだしているような。
「信頼というものは、交わし続けてきた言葉の中から、自然に生まれてくるんだよ。時として、それは圧倒的な力でさえもはねのける強さとなる」
そう。
それはかつて。
「私はこの目で、そんな光景を見たことがあるんだ……」
それはかつて、起こった出来事。
それはかつて、関った事件。
――それはかつて、伝説の存在を再臨させた、遥か西の地における――
「……」
何かとてもとても、大切な記憶を、刹那、共有したような感覚。
優しいギブソンの目を見ているうちに、そんな錯覚に襲われて。は数度、目をまたたかせる。
だがそれは、一瞬のこと。
続くミモザの声に、その場の空気は一気に180度反転した。
「よぉし! こーなったらおねえさんが一肌脱いじゃおう!」
「な、なにを?」
唐突な先輩のことばに、後輩たちが驚くのも気にしていない様子で、ミモザは宣言した。
それはそれは楽しそうに。