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第43夜 伍
lll 帰り道、寄り道 lll




 そんなこんなで日も暮れて、今晩は泥のように眠ること決定な雰囲気のなか、たちはぞろぞろとモーリン宅に向かっていたのだけれど。
 ふと、そこに横から声をかけてくる女性がいた。

「あらあらまあまあ、皆さんおそろいで。もう特訓は終わったのかしら?」
 だったら、立入禁止を解除するように兵士さんたちにお願いしておかなくては――

 そうつぶやいているのは、たちもよーく知ってる、いろんな意味ですごい人。
 その名もファミィ・マーン。
 買い物でもしていたのだろうか、えらく可愛らしいバスケットにお野菜などが入っている。
「お母様っ!」
 娘であるミニスが、真っ先に反応して母に駆け寄った。
 夕陽を浴びて、なんとなく感動の再会っぽいなと阿呆なコトを考えてみたりする
「どうしたの、お母様。夕食のお買い物?」
「……は?」
 そんなミニスのことばに、きょとん、と一同呆気にとられる。
「ファミィさん、マーン家って食事は自分で作るんですか!?」
 金の派閥の議長っていうから、もっと、こう、あれな感じだと。
 あれってどれだ。
 おたおたと問いかけるマグナたちを見て、ファミィは、ころころと楽しそうに笑った。
 その仕草もまた、指を浅く曲げた手の甲を口元に軽く押し当てるという、いかにも上流の仕草。
 もっとも、同じ上流であるケルマさんとは全然印象が違うけれど。
「……鬼百合と白百合て感じ……」
「何が?」
「なんでもなーい」
 ひとしきり笑みを見せたファミィは、また、いつもどおりに微笑を浮かべて、
「いえいえ、いつもは専属の料理人さんたちがいますよ。でも、たまには自分で料理しないと腕がなまっちゃいますからね」
「あ……なるほど」
「そうだわ。ミニスちゃんも、今日は一緒にどうかしら」
「――えっと……?」
 さすがにそこで反射的に頷くことはせず、ミニスはたちを振り返った。
「いいよ、行っておいで。お母さんの手料理、久々に味わっといでよ」
 ひらひらと手を振って、モーリンが笑う。
 一人くらい食べる人数が減ったって、他の奴らが全部片付けるさ、と云うのは、出かける前に作り置いておいた夕食のコト。
 たぶん、帰ってから作る気力などないだろう、と見越してのことである。
 とっくに冷めてるだろうけど、今の自分たちにとっては、もはや胃に入ればノープロブレム。
 モーリンのことばにたちが頷くのを見て、ミニスは嬉しそうに、頭を大きく上下に振った。
「……うん!」
 なんだかんだ云っても、ミニスは、まだ十代の前半なのだ。
 現在進行形で過酷な旅の真っ只中なのだし、出来るならたまには親御さんに返してやりたいではないか。
 そんなわけで、ミニス一抜け決定――と、話はまとまりそうになったのだけど。

「そうだわ」と、ファミィが何か思いついたように手を打った。「一度、ちゃんとお話してみたかったんです。良かったら、一緒にお食事はいかが?」

「……へ?」

 あたしっすか?
 思わず自分を指差して問えば、
「ええ。貴女がちゃんでないのなら、違いますけど」
 ちゃんでしょう?
「え、えと。……はい。です。
「あらあら、苗字までご丁寧にありがとう」
 しどもどの対応がおかしいのか、またファミィさん、ころころ笑う。
 そうして笑っていると、妙齢の女性というよりはまだまだ少女のような印象を受けるけれど。
 いつぞや海賊が襲ってきたときの指揮ぶりは、まさに経験と自信に裏付けされた大人の顔だったのを覚えてる。
 ……女の人って、魔物だ。
 と、妙な感慨にふけっているうちに、の後ろでざわざわとざわめく声がした。
「苗字?」
「え、今のだとが名前にならない? ネスとか【ネスティ・バスク】でバスクが苗字だよ?」
「そうですね。フォルテさ……んだって、【フォル――」
「うわーわーわーわーわー!!」
「何がなってるのよアンタは!」
 ついでに、ごすッ! と、例のごとく素晴らしいツッコミが入る音がした。
 いち早く彼らに視線を戻したミニスが、目を見張って、『うわぁ……』とつぶやいている。
 すいません、怖くて振り返りたくないんですけど。
 おののくの正面では、ファミィが、その惨状を目にしているのは間違いないはずなのに、やっぱり微笑みたたえたまま、
「あら、いやだわ。説明もせずにごめんなさいね、ちゃんの国の風習では、苗字が先にくるんですって。ね?」
 ね? は、当然に向けての確認である。
 こくりと頷いたを見て、とりあえず全員納得してくれたようだった。
「あれ、じゃあレナードは――」
「俺様の国はこっちと同じさ。名前・苗字の順で問題ねえ」
「……へえ、たちの世界って広いのねえ……」
「じゃ、はこっちふうに云うなら【】なのか……」
「うわやめてお願いなんかすごい違和感」
 ただの【】でいいです。

 一瞬、脳裏に、
『まいねーむいず あいむふぁいんせんきゅー どぅゆぅ?』
 とかビバナイスな笑顔で云ってる自分が浮かんだのは内緒である。

「しかし、どうして貴女はたちの世界のコトまでご存知なのですか?」
「あら、意外かしら? これでも国内外のたいていの情報は手に入る立場のつもりなんですけど……」
 怪訝そうに問うネスティに、やはり微笑みながら返すファミィ。
 ていうか、【国内外】っていうの、返事になってないような気がするんですけど。いつかトウヤさんが云った【万国共通】と同レベル。
 やはりも他のみんなも納得行かず、ネスティと同じように怪訝な顔になる者多数。
 が、そこにミニスがひょっこり顔を出して、
「お母様は一度、サイジェントに行ったことがあるのよ。私の友達に逢いたいからって」
 そのときに、綾や籐矢や勇人や夏美といろいろ話してるから、詳しいの。
 と解説されたことで、一同、今度こそ納得。
 そして、ミニスは視線をそのまま動かし、に向ける。
「それで、どうする? 一緒に来る? お母様の料理、美味しいわよ」
「あ、うーん……どうしようかな」
 御指名はありがたいんですが、果たしてあたしなぞがお相伴に預かれるようなものなのかと。
 実際、上流のマナーなんてとんと知りません。
「だいじょうぶよ、私とミニスちゃんとちゃんだけだから、マナーなんて気にしなくても」
「そうそう、ナイフとフォークが使えればいいわよ」
 さすがにそれくらいはだいじょうぶ。
「――ん、じゃあ、お言葉に甘えて、お邪魔しちゃおうかな……」
 行ってくるね、と、一同を振り返れば、トリスがにこにこ笑って云った。
「うん、判った。いってらっしゃい、
「あんまり遅くならないようにな」
「ご心配無用ですわ。食事が終わって少しお話したら、うちの兵士に送らせますから」
「……あの金ぴか鎧のか……?」
「バルレル君、そんな嫌そうに云わないの」
おねえちゃん、いってらっしゃい……」
「オ気ヲツケテ」
「うん、いってきます」
 じゃあ行こうか、と、ミニスと顔を見合わせて、ファミィを見る。
 彼女はやっぱりふわふわとした微笑を浮かべて、それではこちらですわ、と、身をひるがえした。



 感想から云ってしまえば、ファミィの料理はそこらの料理人顔負けなんではなかろうか。
 数人の優秀な料理人が手がけるような、豪華なものではないけれど、質素と云いきれるほどでもなく。
 材料の持ち味を生かしていて、さっぱりとしてまったりとそれでいてくどくなく――
 とどのつまり、『美味しい』の一言に尽きたわけだ。

「はい、どうぞ」
 くちたおなかを抱えたが客間のソファに身体を預けていると、ファミィは、食後のお茶まで持ってきてくれた。
「あ、ありがとうございます」
 何から何まで、すみません。
 反射的に飛び起きたのだけど、お客様なんだから当然よ、と、笑ってソファに押し戻された。
 それからファミィは、の隣ですこやかな寝息を立てている愛娘を見て、ゆっくりとした微笑を浮かべる。
 ああ、母親の顔だ、と、なんとなしに思った。
「しょうがないわねえ、食べてすぐ寝ると猫魚になるわよってあんなに云ってるのに」

 何故猫魚。

 ツッコもうとして口をぱくぱくさせるの目の前で、ファミィは、ミニスの髪を軽くなでた。
 それから、をはさんでミニスと反対隣に腰をおろす。
 香水だろうか、ふわりと柔らかい香りが鼻孔をくすぐった。
「でも、ちょうど良かったわ。ミニスちゃんには、内緒のお話でしたから」
「……内緒の話……ですか?」
 そういえば、誘う理由に、と話をしたいから、というのがあった気がする。でも、わざわざそういう改まった話をするような仲ではないのでは、と思うのだ。
 そんなの戸惑いが伝わったのか、ファミィは、こちらを安心させるように笑う。
「あらあら、怖がらせてしまいました?」
「あ、いえ……心当たりがないので。なんだろうと思って……」
「ごめんなさいね、でももうすぐ発つと云うし、あそこで逢ったからちょうど良いと思ったの」
 デグレアまでの旅ともなると、2、3日で帰ってこれる距離ではない。
 まして、相手方の本拠地とも云える場所――にとって、自分のもうひとつの故郷であるという気持ちは、薄れていないけど――果たして、生きて帰ってこれるのか。
 そのことを今ではよく知っているから、も小さく頷いた。
 こちらを心配してくれているのも判って、ちょっとだけ緊張していた気持ちが綻ぶ。
 だけど、

「実はね、ちゃんのつけてるアクセサリーのことなんですけれど……」
「え……?」

 そんなものの話題が出るとは思っていなかったから、心底驚いた。
 驚い拍子に身体がかしぎ、服のなかで、当のペンダントが、りん、と小さな音を立てる。
「まあ、ごめんなさい。驚かせてしまったかしら……」
 そうよね、いきなりそんなこと云われたらびっくりするわよね、ごめんなさいね、と、重ねて謝るファミィに、いいえと首を横に振る。
「でもファミィさん、あたしそんな話してませんよね?」
 ミニスから聞いたんですか?
 隠す必要もないと感じたし、ペンダントを服から引き出して、目の前にかざしながら訊き返す。
 けれど、ファミィの言葉はまたしても、想像もしないようなもので。
「いいえ、何かを身につけているだろうとは思いましたけど、ペンダントだとは知らなかったの」
 ……云われてみれば、さっきも、ペンダントだとかは云わず、ただ、アクセサリーとだけ云われたような。
 だけど、それならどうして、ファミィはこれの存在を感じたのだろう。

「実はね……ちゃんに最初に逢ったときから、気になっていたのよ」

 重ねて問えば、ファミィは、手のひらを頬に当て、軽く首を傾げながらそう応じた。
 最初に逢ったとき――というと、この街での海賊騒動のときだ。
「どうしてかしらね。貴女を見たとき、とても哀しくなってしまったの。でも、同時にひどく暖かい何かに包まれるような、そんな感じもしたのよ」
「……はあ……」
 すいません、そりゃアメルと対象勘違いじゃないですか……?
「ええ、最初はそう思っていたの。でも、えぇと、いつだったかしら? たしか仲間のリューグさんって方が別行動していた時期があったでしょう」
 うわぁいなんかこっちの行動筒抜けですかファミィさん。
 つくづく、この人が味方でよかったです神様。
 そんなコトを思いながら、ファミィ・マーンの話に耳を傾ける。

「それで貴女たちがファナンに戻ってしばらくしてから、彼もファナンに来たでしょう? そのときにね、彼から貴女に移動したのが判ったから――」

「…………」

 人間、感嘆極まっても絶句するらしい。
 理由とか根拠を挙げろと云われたら、きっと答えられない。
 それでも。
 この人は、本物なのだと、今、何の脈絡もなく、はそう思った。
 ガルマザリアが、仕方なさそうにしながらもこの人に力を貸しているのも、きっと。

 いつかミニスもこういうふうに成長するのだろうか? 楽しみなような、少し怖くもあるような――

「ガルマちゃんもね、云っていたのよ」
 がそんなふうに考えていることまではさすがに知れないか、ファミィは、訥々とつづけた。
「あの娘は今無力、故に、守ってやれ――って」
「は?」
「この間デグレアと戦ったときですけど……ガルマちゃんが起こした地震、覚えてないかしら?」
「いえいえいえいえ覚えてます全力で」
 あの大地震はすごかったです。
「それが決定打だったのよ。判らないならいいかと思っていたんだけど、ガルマちゃんがあそこまで云うのだから、きっと何かあると思ってお話するチャンスを探していたの」

 ……ガルマちゃん(伝染った)、何てぇコトを。

 だけど、と、ファミィは困ったように笑う。
「なんだか……ちゃんも、困ってしまったわよね? これ、きっと、ただのペンダントって思ってたんでしょう?」
「あ……はい」
「それじゃあ、訊き様がないわよねえ。もう一度ガルマちゃん喚んで訊いてみましょうか……」
「いえいいです」
 『か』から『い』までコンマ一秒。
 そう?_と少し残念そうなファミィに、「いいですから」ともう一度繰り返す。ちょっぴり必死に。
 こんなところで地震起こしたら、あたしたち瓦礫の下敷きですよ、とも。
 それが通じたのか、はたまた最初から本気ではなかったのか……とにかく、ファミィはそれに頷いてくれた。
「年月を経たものには、想いが詰まるというけれど……」
 の手の中にあるペンダントを、彼女の指が軽く弾く。
 云われてみれば、殆ど汚れや傷などないせいで気にしなかったけれど、これって結構古いものなのじゃなかろうか。

「大きな――大きな気持ちが込められている。それが護りになる。哀しいけれど、優しくて、切ないけれど、暖かくて……」
 りぃん、と、銀が鳴る。

「これを創った人には、とても大事な人がいたのね」
 ファミィが、その【創った人】でないのは、重々判っていたけれど。
 そのことばと、口調の切なさに、胸が一瞬締め付けられた。
「……そんなものを、あたし、貰っちゃったんですか……」
 お酒に気持ちよく酔っていた、メイメイの顔を思い出す。
 彼女が持っていたということは、これは彼女のものだったんだろう。
 いくら自分が泣いていたからと云って、そんな大事なものを――そう、罪悪感が、ひしひし、忍び寄ってくる。
「あらあら、どうしてちゃんが悲しそうな顔になるの?」
 だけど、それを察したファミィがすかさず覗き込んできたおかげで、涙はこぼれずに済んだ。
「……だってこれ、もともと他の人が持っていたんです。それをあたしが泣いていたから、くれて……」
「あら。持ち主さんが自分でくれたんでしょう? だったら構わないと思いますけど」
「でも」
「だってね。持ち主さんが嫌々手放したのなら、こんなに貴女に馴染んでいるはずないんですもの」
 そのことばに、改めて、はそれに視線を落とした。
 護りの力と想いの詰まった、遠い時代の細工物。
 初めて首にかけたときから、不思議と、の肌にぴたりと馴染んだ首飾り。
「……そうでしょうか」
「ええ、そうですよ」
 不安を強くにじませた問いへ、それを吹き飛ばすほどの笑顔で、ファミィは応じ、請け負ってくれた。



 ミニスが目を覚ますのを待っていたら、遅くなってしまう、ということで、寝ぼけ眼の彼女を引き連れたは、金の派閥の建物を背に歩き出した。
「う〜……ねむい……」
「ほらほらミニス、足元には気をつけてね」
 金ぴか兵士さんが送ってくれると云ったけど、さすがに辞退した。
 いや、だって、別の意味で目立ちそうだし。
 それに、一応大きな通りを選んで帰るつもりだったから、心配も要らないということで。
「……
「なあに?」
 ごしごしと目をこすりながら、寝ぼけた声でミニスが問いを口にする。
「お母様と何のお話してたの?」
「うん? えーと……このペンダント、大事にしなさいね、って」
「何それ?」
「なんかね、持ってる人を護ってくれる力が込められてるから、って云ってたけど」
「あぁ……私も判るかも、それ」
 何気なしにミニスはつぶやいたけど、は目を丸くして、年下の少女を見下ろした。
「アメルの持ってる羽根みたいな感じなのよね……召喚術の媒体に試させてもらおうって思ってて、忘れてたわ」
 今度貸してくれない?
 とのことばに、戸惑いながら頷いて……そうかそんなに大層なものかもしれないのか、と、今さらながらに、認識を改めた。
 ていうかコレ媒体にしたら、いったいどんな召喚獣が喚びだされるんだろう。楽しみで不安。
 しかし。
「それにしてもミニス……さすがファミィさんの娘だねぇ……」
 しみじみつぶやいたら、
「うん。お母様はすごいんだからね」
 と、とっても嬉しそうな声と表情が返ってくる。
 信頼と愛情と、それから自身の肉親が賞賛されたことへの、純粋な嬉しさと。
 ああ本当にお母さんが好きなんだな、と、今のミニスを見ていると思う。

 ――なんだかちゃんには無駄足を踏ませてしまったみたいで、ごめんなさいね。
 そう云って、笑っていたファミィ。
 遠い世界で、今も生きてくれているだろう、母親を思い出させる笑顔。子供を持った女性というのは、そうなるのだろうか。
 誰かを守る力と意志と。暖かさと厳しさと。

 いつかあたしも、そんな強い存在になれるだろうか?

 ――守りたい人がいて、なくしたくない存在があって……だからこその、小さな小さな自問だった。


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