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第43夜 弐
lll やっちゃえってカンジ lll




 ビーニャがここのところ不機嫌だ。
 愛しのレイム様とはこちらとあちらと遠く離れ、可愛がっていたも、デグレアの敵にまわったのだから。
 時折魔獣を呼び出しては、互いに戦わせたり、刃向かうすべを持たない矮小な存在を食わせたり、気を紛らしていたようだが、

 ――とうとう、忍耐の尾が切れたらしい。

「ねぇ、ねぇ、キュラーちゃんガレアノちゃん」

 扉からひょっこりと顔を覗かせたその仕草は、ぱっと見は、なんともかわいらしいものだった。ふと、やはり同じようにそんな仕草をすることのあったを、彼らは思い返す。
 けれど、今姿を見せたビーニャの双眸――たゆたう残忍な光が、とは違っていた。
 
 もォいいでしょ?
 そう前置きして、ビーニャは云った。
「やっちゃおうよ、レイム様だってきっと許可出してくれるわよ」
 残ってるヤツ、全部、屍兵に変えちゃおうよ――
 それが何を指しているのか理解しているキュラーは、ふう、と、ため息をついてペンを置いた。
「だましきれますかね?」
 そう云う彼の脳裏に浮かぶのは、デグレアにおける最高意志決定機関――元老院議会。
 もともと、元老院議会は機密性を重んじる。
 会議のその場に、他者が入ることは許されず、また、本人たちももったいぶってめったに表に出ることはない。
 それこそが、何十年となく続いてきた、デグレアの最高機関の姿だ。
 だからこそ、ことここに及び至るまで、すべては余人に気づかれることなどなかったのである。
 現在、勅命を受けている立場のルヴァイドたちとて、それに気づいてはいない。
 聖女奪回のために動き始めてから今まで、なんだかんだと理由をもったいつけたおかげで、黒の旅団及びデグレア軍は一度たりとてこの国に戻ってきてはいないのだから。
 不審に思うことはあれど、まさか、自分たちの仕える国の上層部が、そして今では下々の者たちの一部が徐々に――侵蝕されつつあることなど、想像もしていないだろう。

 そうして、至極当然のことを云ったキュラーのことばに、けれど、ビーニャは例のごとく高い笑い声を立てた。
「そォいう問題じゃあないと思わナイ? だって、計画はそろそろ大詰めでしょォ?」
「それは、そうだが?」
 不思議そうに問うたのは、ガレアノ。
 そうやっていると、隻眼のその姿もちったぁ愛嬌が……ないな、うん。
「もうすぐレイム様は、もとのお力を取り戻されるのよ」
 ぱっ、と、両手を大きく広げてビーニャが云う。
「だったら、ルヴァイドちゃんたちにバレちゃったところで、ねじふせちゃえばいいじゃない。その後は――」
「カカカッ……なるほど、蛆虫たちなど、どうとでもなるか」
「……ふむ……」
 この場での決定権は、キュラーに一任されている。
 何を基準に決めたか知らないが、レイムがそう告げたのだから、そうなのだ。
 彼らにとって、レイムの存在は絶対なのだから。

 顎に手をあて、キュラーはしばらく考え込んでいたけれど。
 つと、顔をあげて、期待に満ちたまなざしのビーニャと、返答を待っているガレアノを見やった。

「……まぁ、良いでしょう。所詮黒の旅団は、聖王国との戦争を本格的に引き起こすまでの捨て駒に過ぎませんからね」

 いざとの戦いには、屍人兵たちのほうがよほど、我々の命令に忠実に動いてくれるでしょうから。
「今のうちに、用立てておくとしましょうか」
 もはや、それ以外のものには利用価値などない、と、断言したも同様なそのことば。
 まだ数ヶ月前ならば、ひそやかに、少しずつ進めていた計略を、ここにきて一気にやってしまおうというのだ。
 数ヶ月前――それは、がまだ、デグレアにいた頃でもあった。
 遠い昔のように思え、けれど、自分たちがこれまでに待った年数からすれば、またたきするほどの時間だけれど。

 そしてその計略がなれば、いや、もうはじめから、それは決まっていた。少なくとも、彼らのなかでは。
 聖王国に向けて放たれたデグレアの軍勢は、祖国に戻ることはないのだと。
 その戦いの結末がどうであれ、彼の者たちが、生きて再びこの地を踏むことは、ないのだと。

 主の『計画』は、大詰めに入ろうとしているのだから。

 見越した故の、決断が、下された。

「キャハハハハハハッ! さーすがキュラーちゃん話がわっかるぅ! じゃあガレアノちゃん、早速やっちゃうわよ!!」
「カカカカカ……とうとう、民全部をか。キュラー、おまえもやるのだろう?」
「ククク、せっかくですから参加させていただきましょうぞ。久々に腕がなりますなあ……」

 そう云って、彼らは部屋を後にし、歩み始めた。
 けれど。ふと、ビーニャが立ち止まり、吹雪の吹き荒れる外を見る。

「……でもさァ……ちゃんが見たら、哀しんじゃうかなァ……?」

 うきうきとステップを踏む彼女から一歩遅れて歩いていた、キュラーとガレアノの足も止まった。
 ふたりとも、なんともいえない顔になってお互いを見る。
 が、キュラーが一歩進み出て、たしなめるようにビーニャに云った。
「我々の主はレイム様です。まずは、あの方の望みを達するべく動くのが、部下の務めというものと存じますが」
「そうとも。とて、かの記憶が戻れば、レイム様に感謝するやも知れんぞ」
「んー」
 唇に人差し指を当て、小首を傾げ、

 次の瞬間、ビーニャは、にぃ、と、満悦したような笑みを浮かべた。

「ん! そォよねェ♪」


 かの記憶。かの存在。
 知らないそれを、知る者たちは、ただ、望む。
 だけど、気づいているのだろうか。知る者たちも、知らぬ者も。
 知る者たちは、かの名を呼ばない。この名を呼ぶ。

 かのときだけを望むのならば、必要ないだろう、このときに在る名を、呼んでいる。

「あーあ、ちゃん、早く思い出してくれないかなァ――」


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