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第43夜 壱
lll デグレアってどんなトコ? lll




 その話になったのは、夕食の席。
「そういえばさ……」
 マグナのそんな一言で、それははじまった。

「あれ以来、デグレアがファナンに攻めてくる様子、ないよな」

 ファナンの郊外における戦いから数日、ついでに云うなら召喚兵器が健在ということが判明してから数日。
 特に召喚兵器の消失と復活に関しては喧々轟々の議論が出たが、結局は何も結果が出ないままに終わっている。
 ……唯一の手がかりと云えば、悪魔の云っていた謎セリフの数々。
 なのだが、当の、云われたが理由を察していないのだから、突っ込んで訊きようもないのが現実だった。
 これに関しても、これ以上はなあ……と、話を切り上げたのが昨日のこと。
 そうして今日一日は、それなりに、穏やかな空気を堪能してきたところだったのだけれど――

 その一言のおかげで、一斉に、全員が食事の手を止めた。


 思考のために固まったのは、数秒ほど。
 手を動かすことを再会したトリスが、兄の発言に首を傾げて答える。
「……あきらめた、とか?」
「そんなわけないだろう」
 まったく、もう少し考えてからものを云え。
 すかさずツッコむ兄弟子。
 むぅ、とふくれるトリス。
 あれから、何度かパッフェルを伴なって周辺の偵察に行っていたシオンに、数名の視線が集中する。
 蕎麦屋と隠密の掛け持ちをしている大将は、それを受けて小さく頷いた。
「敵の部隊そのものは、スルゼン砦の付近に布陣したままですよ」
 戦意がなくなったとは考えにくいですね。
「……おまけに、召喚兵器の実在も証明しちまったしな……」
 苦々しい顔で、ぼそりつぶやいたリューグに、スプーンが投げつけられた。すっこーん、と、軽快な音。
「何しやがる兄貴!」
「おまえも、もう少し考えてからものを云うようになれ」
「……う……」
 椅子を蹴立てて怒鳴り散らそうとしたリューグがちらりと視線をめぐらせた先には、トリスとマグナとレシィ、それに
 いつぞや、召喚兵器破壊に行った一行。
 ついでに云うなら、先日、黒騎士たちと同行した一行。
 もしや彼らは、今の心無い発言に、心を痛めやしなかったろうか。そして、ロッカがスプーンを投げたのも、まさにその心遣い故だった。

 ――ところがどっこい、そう思いきや。

「まあ、とりあえずバラしちゃったもんはしょうがないよな」
「そうそう。騎士道精神発揮してあの場はおさめてくれたんだし、こっちが根性出してアメルを守りきればいいのよね」
「がんばりましょうね」

 ……ご一行様、実に前向きな思考と発言であった。


 じと、と、自分を見つめるリューグの視線から、ロッカはしれっと目をそらす。
 その目がふと、に向いた。
「……さん?」
 彼女は食事する手を止めて、皿に視線を固定していた。
 これはやっぱり、リューグの一言が効いたのか。そう思ったのも束の間。
 顔を上げたは、考え込むような表情ではあったものの、悲痛な、とか、そんな感情は出ていなかった。
 少なくとも、見た限りは。
「……ロッカ? どうしたの?」
「いえ、なんでもないです」
 応じつつ、思う。どうしてこんなに、この人は強いんだろうか。
 何日か前の憔悴も、そうなるに至った理由も、その肩に負うには、さぞや重いものだろう。
 だのに彼女は、そこから、ひとりで立ち上がってしまうのだから。

 危なっかしくて、手を差し伸べても――だけど、そのときには、もう、笑っている。

 小さく笑って頷いてみせると、は一度首を傾げて、それからやっぱり微笑んだ。

 そうしてそこに、シャムロックの声が飛び込む。
「おそらく、本国に指示を仰いでいるのではないでしょうか?」
 ふむ、と首を縦に振るのはアグラバイン。と、
 デグレア出身のふたりに(ひとりは、出身というにはちょっと複雑だが)、つと、一同の視線が集った。
 そんななか、フォルテが肩をすくめて云う。
 ――ちなみに、彼の食器はすでに空だったりする。他の面々はまだ大なり小なり残っているのに、さすがと云おうかなんと云おうか。
「まあ、今までの調子でイケると思ってたら、ファナンでつまづいちまったんだからな。さぞかし途方に暮れてるだろうぜ」
「いくら大軍を投じても、召喚術への対策がなければ、先日の二の舞ですからね」
「そうよねぇ……あれはすごかったわ……」
 遠い目をしてルウがつぶやく。
 同時に、ほぼ全員が遠い目になった。

 思い出すのは、しごくのほほんとしていたであろう、ファミィ・マーンの表情。
 それから、彼女に召喚されし、サプレスの悪魔。――ガルマザリア。
 大地を揺るがし、多大な損害をデグレア軍に与えた、ある意味必殺の切り札だった。
 しかも、魔力が続く限り何発でも打てるのだからたまらない。
 仮にデグレア軍が一撃目を耐えていても、すぐに次撃がいっただろうことは、容易に想像がついてしまう。
 しかもこの街は、金の派閥のお膝元でもある。
 ということは、ファミィ・マーンには及ばないまでも、それなり以上の使い手もいるということであって……

 はあ、と、ケイナがため息混じりにことばをつむぐ。
「あんなもの見せられちゃ、そうそう気軽に攻め込んだりは、出来ないわよねえ……」
 私だったら絶対、やりたくないわ、と、付け加えたそれに、うんうんうん、と、同意の頷きが複数返る。
「召喚術バンザイってわけか」
「ふふーん、見直した?」
「へいへい、まあまあだな」
「もう! レナードの意地悪!」
 と、これはレナードとミニスのやりとりである。
 なんだか父娘に見える気がしないでもない、えらく微笑ましい光景だった。
 だけどさ、と、やっぱり早々に食事を終えたモーリンがつぶやいた。
 食器を流しに持っていったついでに汲んできたらしい水で、一口、喉を湿らせて、
「いちいち遠くのデグレアまで、お伺いを立てに行くのかい? えらく面倒じゃないか」
 現場の指揮官に、そういう、決定権、みたいなのはないのかい?
 モーリンの視線は、とアグラバインを見ていた。
 このなかで、デグレアの内情に通じているのは彼らふたりなのだから、当然と云えば当然だ。
 応えて、ふたりはふたりとも、首を横に振った。
 そしてネスティが、ことばとしての答えを告げる。さすが博識。
「デグレアの政治は、すべて、議会での決議によって決定されると聞く。その手続を無視して行動することは、絶対許されないんだそうだ」
「……それって、ルヴァイドたちの云ってた元老院議会のことか? ネス」
「ああ、そうだ」
「それって、いったいどういうものなの?」
 かなりの権力をもった組織のようだが、果たしてその詳細は、とのトリスの問い。
 それに応えて、ネスティが視線をめぐらせる。
 辿り着いた先は、とアグラバイン。
 が、ふたりが何か云うより先に、口を開いた人物がいる。

「とりあえず、詳しいことは、食事のあとにしませんか?」

 せっかくのお料理が冷めちゃいますし――そう云う聖女のことばに、一同顔を見合わせた。
 食事の終わった者は食器を流しに持っていこうと席を立ち、まだ途中だった者は皿を空にするべく、手と口を動かしだしたのだった。
 これぞ鶴の一声。

 ていうか、芋料理は冷めると喉に詰まり易い。
 ……そう。本日の食事はアメルお手製豪華絢爛芋の饗宴だった。



 食事の後片付けも終わり、あとは下ごしらえなり風呂なりなんなりすませて寝るだけ、と、なった状態で。
 一同がわらわらと集った先は、例に漏れず道場だった。
 誰からとなく輪になって座り、さて、話のつづきという段になる。
 元老院議会について説明するのはやはり、やアグラバインやシャムロックといった、相手方の事情に詳しい人間の役目となった。
 もっとも、にしてみれば上も上も頂点の機関であまり関りはなく、アグラバインの認識は十数年前のもの、シャムロックは他国の人間故に情報は制限されている。
 それでもいいかという前置きのあと、了承を得て、簡単な説明が始まった。

 曰く、元老院議会とは、旧王国がまだ王国と呼ばれていた時代の遺臣たちの集まりであること。
 デグレアの成立時に貢献したことから、家々ごとに強い発言力を持っていること。

「だから、意見が一致しないかぎり、許可は下りないの。どんなに急ぎの訴状だって、何ヶ月も待たされるってこともあったみたい」

 軍という組織の性質上、侵攻及び防衛に当たっての判断には、特に急を要するものもある。
 それを伝令したはいいものの、結果が出るまでに最長3週間待たされた覚えがあるは、うんざりした顔で云った。
 幸い、余裕を持って戦える相手だったから良かったようなものの、接戦も接戦だったのなら、それが命取りになることだってある。
 現場を知らない上層部の限界――そう云ってしまえば終わりだが、それにしたって、こっちの苦労も察してくれというのだ。
「まあ、今回は早めに判断も下りるだろうね」
 と、慰めるようにシャムロックが云った。
 現在こちら側のにしてみれば、あまり慰めにならないのだが、そこはそれ。
「じゃな……やつらの共通した望みは、聖王国を打倒してかつての王国を再興することじゃからな」
 今まさに、デグレアはそのために動いているのだから。

「だけどさ」

 まるで授業風景を思い起こさせるように、手を挙げてマグナが云った。
「それって、聖王国の領主制度と、あんまり変わらない気がするんだけど?」
 結果が出るまでにかかる、すさまじい日数はおいといてさ。
 その先生役に立候補したのはフォルテ。
 胡座をかいて片肘を支えについた姿勢のまま、顔だけをマグナの方に向け、
「たしかにな。ただ、やり方がもっと徹底してるんだよ」
「そ。職業や住む場所を変えるのにも、いちいち申請、許可が下りるまで待ちなさいってね」
「えー!? 何それ!?」
「じゃあ、仮にバイト変えるとしたら、そのたびに許可が要るんですか!?」
「うん、そう」
 こっくり頷いた、さっきのと同じようにうんざりした顔で、パッフェルが天を仰いだ。
「そんなの、冗談じゃありませんよ〜……!」
 私、絶対にデグレアには住みたくありませんね!
 就業先を数えたら、きっと片手の指越えてるんじゃなかろうかってアルバイターさんの嘆き。
 その気持ちはよく判るのだが、それ以前にパッフェルさん、あなたは掛け持ちしすぎですって。

「特に、結婚には厳しいな。双方の家系につりあいがとれていなければ、いくら好きあっていても、絶対に夫婦にはなれんのだ」

 傍らでは、とどめとばかりのアグラバインのセリフ。
「……ってことは、平民と貴族が恋に落ちても」
「結婚するどころか」
「一緒にいることも出来ないわけ?」
「……妾とか燕? は、オッケイみたいだけど」
さん、そういう直截的な発言はちょっと……」
「だって、何人かいたんですよ。あたしの知り合いにも」
 まだデグレアに落っこちたばかりの頃だった。
 登城した貴族の男性と、城付きの女官がやけに親しげで、でも寂しげで。いったいどうしたんだろう、と、ルヴァイドに説明を求めたのだ。
 よくまあ、10歳児にも判るように説明できたものである。
 というより、よく説明する気になったものだと云うべきか。
 ルヴァイドのことだから、適当にごまかして終わっておくことが出来なかったのだろう。当時イオスはいなかったけれど、彼がいたら、もう少し上手に躱したのかもしれない。
 ……そういえば。ふと思う。
 ここんとこ何年か、そういう色事みたいな話は聞かないなあ……?

 いったいいつから、そんなふうに殺風景な感じになったんだっけ? と、記憶をひっくり返しかけたの周囲では、再び会話が始まっていた。
「まとめてしまえば、帝国の政治形式をもっと厳しくしたようなものだな」
 ネスティのことばにシャムロックがうなずき、
「帝国も、もともとは旧王国から派生した国家だからね」
 と、付け加える。
 そうして、何やら考え込んでいたトリスが、ぱっと顔を上げた。
「それって……つまり、その元老院議会っていうのをなんとかしなくちゃ戦争は終わらないってことじゃない?」
 何人かがハッとした顔になり、数名が同意を示す。
 が、ネスティは軽く眉根を寄せてため息をついただけだった。
「だから、前々から云っていただろう。僕たちの敵は、国家そのものなんだと」
「……あう」
「う……」
 そんなことも覚えていないのか、と、呆れ半分の兄弟子のことばに、マグナとトリスが揃って縮こまる。
 なんとも微笑ましい光景だが、考えなければいけないことが多すぎた。
 同じように考え込んでいたアメルが、ぽつり、つぶやいた。
「どうすれば、あきらめてくださるんでしょう……?」
「生半可なことじゃ諦めないだろうな。なんたってデグレアの宿願なんだろ? その、召喚兵器の確保ってのは」
「少なくとも、アグラおじいさんが現役だった頃からの目的だったようですし……」
 カイナの視線を受けて、アグラバインが頷いた。
「……完全に、勝ち目がないと判らせるまで戦うより他、ないのではござらんか」
 黙って会話に耳を傾けていたカザミネが、そう告げる。
 彼も百戦錬磨の剣豪だ。たまに疑わしくなったりするが。
 サムライは仁義を知るというし、無用な争いと判断すればそれ以上の手出しはないはず。その彼がそう云うのならば、事態はやはり、のっぴきならないものなのだ。
 現に、ほとんどの人間がそれに同意する頷きを返していた。

 けれど、それに頷けない人間も、たしかにいた。
「でも……それじゃ、それまでに大勢の人が傷ついてしまいます」
 むしろ自分こそが泣き出しそうな顔で、アメルがつぶやく。
 慈愛の聖女と呼ばれるに相応しい――魂の本質が天使であった彼女にしてみれば、当然のとらえ方なんだろう。
 けれど。
「……だがな、嬢ちゃん。それは仕方がないことじゃないのか?」
 火を点けていないタバコをくわえたまま、レナードがアメルに向き直る。
「話し合いで解決できねえから、人間は、戦争なんてもんをおっ始めたんだ」
 話をする気がありゃ、いきなりドンパチなんてしかけねぇぜ?
 まったくそのとおり――振り返ってみれば、今回のデグレアの侵攻は、宣告も出されずに突如として行われたものだった。
 それ以前にも裏で動いていたものもあるかもしれない、けれど、行動に移ったのは、やはり突如。突然。不意打ちと称して差し支えない。
 デグレアにいた頃、実に唐突にレルム村への偵察を命じられ、さらに唐突に聖女の捕獲を告げられたはそれをよく知っている。
 そうして、本当に突然に、黒の旅団の襲撃を受けた、彼らも――
 そう、思ったのだけれど。
 そう、思っているのだろうけれど。
 リューグとロッカは、レナードのことばにたしかに頷いたものの、アメルだけがまだ、納得できない様子で首を振る。

「だからって……話し合うことをあきらめるのは間違ってます……!」
 心なし涙の浮かんだ双眸が、を映す。

「あきらめたら、そこで、もうおしまいじゃないですか――」

 ――ああ、
「アメル……」
 そうなのか、と、心臓が小さくきしんだ。
 気遣ってくれているんだろうか。
 ルヴァイドたちといつか戦う道を歩く、この自分を。、を。
 気にしなくて、いいのに。
 あたしは、あきらめたからこの道を選んだわけじゃないんだから。
 もうそれしかないのだと、あのときはっきり思い知った。

 その通過点に向かうしかないのだと、何かがはっきりと、この心に告げた。

 運命なんて安いことばで片付けられるほど、簡単なものではないそれを、どうことばにしていいのか判らないけれど。

 どう云ったものだろうと首をひねるうち。
「ん?」
 ふと気がついたら、全員の視線がに集中していた。
「…………あ、あの?」
 いったいなんなんだ。
 ちょっと退き気味に問えば、今度は一斉に、全員が首をこくこくと上下させる。
 そうして、呆気にとられているを尻目に、一同頭を突きつけて、議論体勢に入っていた。

「話し合おうにも、我々にはあまりに向こうの内情を知らなさすぎますね」
 口火を切ったのはシャムロック。
 おい待てこら、戦うしかないというのに同意したのはどこの誰だ。
「ルヴァイドたちは、元老院議会の云うままに動いてるんだから……その議会の意図がどのへんにあるか判ればいいんじゃない?」
 何を差し置いても優先すべきなのか、それとも、半ば意地になっているのか。
「そうは云ってもよ。ジジイはもう引退してやがるし、オマエにしたって、上までにコネがあったわけじゃねえだろ?」
 バルレルが、不意にこちらを見てそう云い、ぽかんとしていたは、あわてて、うんうん頷いた。
 ルヴァイドでさえ、元老院議会そのものへは滅多に近づかなかった。
 たまにやりとりをするときは、殆どが書簡。
 命令は欠かすことなく届いていたが、その意図など、知る機会などなかったろう。
 ――レイムたちならば、議会の近くに身をおいていたらしいから、もしかしたら訊けたかもしれないが……

 と。
 ふと、スルゼン砦、ローウェン砦、そしてトライドラでの遭遇を思い出す。
 ガレアノ、ビーニャ、キュラー。
 彼らは、を知っている。
 顧問召喚師であるレイムの、部下なのだから。数年、同じ地に暮らしたのだから。
 それぞれの場所での、戦いのことを思い出す。
 思い当たるいくつかの事象。の声に反応したガレアノ、に攻撃しようとしなかったビーニャ。――そうしてトライドラ。そこで、屍人たちは、意図的に自分を避けていなかっただろうか。
 それは、が記憶喪失であるコトを知っていたせいか?
 記憶が戻ればデグレアに帰ると、そう結論づけていたせいか?
 ――そうなら。申し訳ないと同時に、嬉しい。
 ――そうであるなら。彼らに。
 逢えはしないだろうかと、一瞬考えて。
 すぐに、それをねじ伏せる。

 だって、レイムにもう宣言した。
 もうデグレアには戻らない、と。それが彼らに伝わらないなんてことは、ないだろう。

 ……もし逢うことがあるなら、そのときは、本気で戦わなければいけないのだと思う。

 ルヴァイドやイオスやゼルフィルドほどではなくとも、彼らにまつわる優しい記憶は、たしかにあって。
 小さく、それが、胸を苛んだ。


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