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第42夜 参
lll 大好きです lll




「おっはよー!」

 ばたばたと台所に駆け込んできたを見て、その場にいた一同が、ぎょっとした顔になる。
 朝食当番らしいアメルが、おたまを取り落としかける。
 トリスとハサハとレシィが目を丸くしてこちらを凝視して、モーリンが、手に持っていたじゃがいもを、勢い余ったらしく握りつぶしていた。
 バキィ! と小気味いい音。……もったいない。

「おはよ……って!」
 珍しく早起きなマグナが、の後ろからやってきて、やっぱり硬直した。
 が。
「……おねえちゃん……」
 時の止まった光景のなか、ハサハだけが違っていた。
 はじめのうちこそ丸くなっていた目は、いつもどおりのちょっと細い目に戻り、次にはゆるやかに細められる。
 するりとトリスの傍を離れ、ハサハはの前にやってきた。

「……【たたかう】んだね」

 そうして、たったひとこと、つむがれることば。
 口数の少ないハサハの一言一言に、いつもどれだけの気持ちが込められているか、トリスをはじめ、みんなが知っている。
 もしかしたら、当人でさえ気づいていない何かをも込めた、彼女のことば。
「……えーっと?」
 そして、それ以上に気づいてないは、困ったように笑ってハサハを見下ろした。

 いいの、と、ハサハはますます微笑を深くする。
 なんなんだろう、と、はますます困惑顔になる。

 それでいいのかあんたたち。


 ――それは、まったくいつもどおりの光景だった。
 空元気かと思ったけれど、見る限り、そんな感じはしない。
 無理しているような印象もない。
 いつもどおりの、だった。
「…………」
 ん? と、マグナの呼びかけに振り返る様子さえ、いつもどおり、そのままの。

「わあ!?」

 腕を伸ばしてぎゅうっと抱きしめたら、彼女は、やっぱりいつもどおりに慌てだした。
「ちょ、マグナ? いきなり何?」
 わてわてと、呼びかける声とか。
 自分とは違って柔らかい身体とか、頬に当たってちょっとくすぐったい髪の毛とか。

〜……」

 あの森から茫然自失だったを思い出して、マグナは腕に力をこめる。
 自分で歩いて、動いて、でもどこか虚ろな目でいたの姿を。
 それは、ルヴァイドたちの宣戦布告に返したことばを最後に、まるで魂がどこかに行ってしまったようだった。
 連れて帰ってきて、なんとか食事を食べてもらったあと、トリスとアメルが入浴させて寝かしつけた。

 そしたらなかなか起きないし。

 そしたら今朝になったら、元通りだし!

 ぽん、ぽん。
 背中を優しく叩かれた。
 ちっちゃく笑うの声が、聞こえた。
「ごめん、心配かけちゃったみたいだね」
 すまなさそうに、でも優しく届いたその声に、ますます、その手と声の主に身を寄せた。
 みたいじゃないよ、と、告げる自分の声は掠れてて、これじゃいけないと力を込める。
「心配、したんだからな……!」
 と、強く抱きしめ――


 たかったのだけれど。
 いいところで何かと邪魔が入るのは、大所帯故の宿命である。

 ドス、と、なにやらにぶい音。
 マグナの身体を通じて伝わる衝撃――背中をどつかれたんだろう、これは。
「なっ……何するんだよ、ネス!」
 片手を背中にまわしてさすりながら、マグナが振り返る。
 からだと彼の肩越しに見えるその人は、ひどく呆れた顔をした、マグナの兄弟子様だった。
「朝も早くから突っ走るな。バカ者め」
 はあ、と、ため息混じりに云われ、マグナがむうっと拗ねた顔。
 彼が何か反論するより先に、ネスティが、視線をに転じたおかげで、それも不発に終わったけれど。
「おはよう。。……元気そうだな」
「うん。おはようネスティ」
さん、おはようございます」
「……よぉ。具合はどうだ? 
 ネスティの横から、ロッカがマグナを無視して笑顔で話しかけ、あのとき同行していたリューグが少しまなじりを下げて問う。
「あー! が起きてる!」
 と、人を指差して叫んだのはいつの間にやってきたのやら、ミニス。
さん、事情は皆から聞きました。……体調の方は?」
「すまねぇな、元はと云えば俺たちが酒場に連れてっちまったせいで……」
「とりあえずこのバカはどつき倒しておいたからね?」
「うむ、見事な裏拳でござった」
「……姉様、たくましいです」
 朝練から戻ったらしいフォルテとシャムロックと、カザミネ。
 それに付き合っていたと思われるケイナ&カイナ姉妹。
 一部不穏なセリフがあった気がするが気のせいである。せいったらせいである。

 と、今度は背中にかかる3人分の重み。
 こっちは見なくても判った。
、おはようっ!」
「良かった……ほんとうに……」
「おはようございますさん〜〜!!」
 ちょっと重いんですけど。
 正面のマグナが支えてくれなかったら、そのまま床と仲良しになっていたと思われた。
 そうして。
 ちょっと大雑把に頭を撫でてくれる手のひら。
さぁ……なんて云うか、変わったね」
 手のひらの持ち主であるところのモーリンがしみじみと云って、は目を丸くする。
「変わった?」
 どこが?
 ぱちぱち、と、またたきしてみても、彼女は目を細めて微笑っているばかり。
「まとう空気が澄んでいるんですよ」
 なんと申しますか。そんな前置きの後シオンが告げて、数人が頷き、でも、は余計に不得要領な顔になってしまった。
 そんな抽象的に云われても。
 察したらしいアメルが、ちょっと笑って補足してくれる。
「うーん……ほら、今、、すっきりしてるでしょ?」
「――うん。たぶん」
 この問いかけには、迷うことなく頷いて。
 ああそうかと、は表情をほころばせた。

 今の気持ちを、なんとことばにすればいいのか判らない。
 表現できるだけの経験も、ことばも、持ってはいない。

 ただひとつ、この胸にある変わらない気持ちだけが、理性も他の感情も説き伏せる。

 ことばにするなら、単語ひとつだけれど。

「大好き」

 何人かが目を丸くして、何人かが――何故か硬直した。

「みんな、大好きだから」

 傍にいても、共に歩いても。
 敵対しても、戦っても。

 ――好きでいる。きっと違えない。この気持ちだけは。

 戦いたくないなんて甘いこと云わない。云えない。
 先が見えなくても、足元が崩れ落ちそうでも。それだけが支えになる。
 好き。
 あなたたちがくれる気持ちのどれほどに応えられるものか判らないけれど、あなたたちが好きです。

 先なんて見えなくていい。
 不安でいい。
 これから先、何度身をちぎられるような痛みに襲われても。
 幾千の後悔が心を苛んでも。

 忘れないで。忘れない、もう、これからは。
 間違えないで。この気持ちだけは。

 望む未来は、ただひとつ。
 欲しい明日は胸にある。

 ならばあたしは絶対に、あたしの欲しい明日を引き寄せる。


 どうしたい? いつも自分に問いかけることば。
 その気持ちに背を向けないで、真っ直ぐに向かい合おう。
 先に待ち受ける痛みさえ慟哭でさえ、乗り越えるだけの強い気持ちを、そのために生み出すこと出来るなら。出来るから。

 これから何度泣いて、何度膝をつくだろう。何度絶望を知るだろう?
 あたしはそんな道を選んできた。そして、まだ選んでいくだろう。
 好き好んで選択するわけじゃない。痛いのも辛いのも出来るなら味わいたくない。
 でも、

 ――だいじょうぶだ。

 そんなものいつか覆してみせるくらいに、あたしは、あなたたちを好きでいる。


 ……強き、意志が動き出す。
 それは、銀糸に囚われた運命さえも、手繰り寄せはじめた。

 ――操り手、手繰り手、共に気づかぬそのままに。


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