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第40夜 四
lll その声をかけられるべきは lll




 アメルほど上手に同調は出来なくても、サプレスの召喚術に通じてるルウがいたし、トリスもマグナもクレスメントの一族としての意識を目覚めさせ……というか開き直っていたおかげでか、なんとか結界を解くコトは出来た。
 帰りに張りなおせばいいかとその場はおいて、一行は、急ぎ森の奥へと進む。
「……ていうか……なんか不気味だな」
 一度きたことがあるはずのリューグが、奇妙なものでも見る目で周囲を一瞥し、つぶやいた。
 まあ、この森自体がそもそも奇妙と云えば奇妙なのだけど。
 いったい何が不気味なのかと、マグナが振り返って訊いている。
「……なんつーか、見られてるって云うかよ……何かいるのに、隠れてやがる。この間はそんなんじゃなかっただろ」
「あー……そうか」
 思わず、同じようにあたりを見渡して、も納得。
 遺跡を破壊しにきたときと変わらない空気だったから、あまり違和感は感じなかったのだけど。
 その前、調律者だの天使だの融機人だのが明らかになって、召喚兵器と大戦闘の挙句が飛ばされたあの日と比べれば、たしかに違うのだ。
 ひっそりと静まり返った森。
 見る限り、何もいないように思えるけれど、そこかしこから滲み出す、かすかな気配。
 こちらに向けられた、意識。気配。
 敵意はたしかに感じるのだけれど、それをさえ抑えこんでいるかのような、恐怖の念を感じる。

 ――何が。 何に?

 思わず足を止めたを、マグナが振り返る。
 彼も、リューグのことばにいろいろと考えていたみたいだったけれど、いつもの人懐こい笑顔は今日も健在。そのまま、を手招いた。
「とりあえず行こう。戦いにならないなら、それにこしたコトはないし」
「……うん」
 も微笑んで頷き、
「――待って!」
 応えて踏み出そうとした足、とろうとした手を止め、叫ぶ。
 迫る。
 こちらを伺う複数の気配の合間を縫って、濃厚な殺気が。接近しつつあった。
「散れ!」
 ルヴァイドの声が飛び、さすがは指揮官の貫禄なのか、一行は、あまつさえリューグまでもがそのことばに反射的に従った。

 ――木の上から飛び降り、着地する音が、立て続けに耳を打った。

 の背ほどはあるだろう大剣を携えやってきたたソレらを、たちはよく知っている。
 血色の悪い肌、髑髏を模した飾り、背中に生えた黒い羽。
 悪魔だ。
 それが、3人。
 遥か昔この森に封じられた、悪魔。
 すかさず彼らは体勢を立て直し、こちらへ進もうとする。
 やはり、先日の戦いで倒した分だけが、封じられた全部ではなかったというわけだ――そんなの判りきっていたけど。
 この分では、あとどれくらいの数がいるのやら……
 出来ればこれ以上降ってこないでね、と、心でつぶやいたの耳に、再び聞こえるルヴァイドの声。
「展開しろ。召喚師は下がれ」
「え? あたしたちも戦えるよ!」
 とっさに反論するトリスに、イオスがちらりと目を向けた。
「こいつらは悪魔だろう。戦闘に長けている上に、召喚術への抵抗も強いと文献で読んだことがある」
 ならば、効き目の薄い召喚術を何発も叩きこむよりはこちらの方が早い。
 ヒュオン、と、槍で空を切り、イオスが構えた。
「……気にくわねえが正論だな」
 どうやら憂さ晴らしを目の前の悪魔でやるコトに決定したらしく、こちらも斧を一閃してリューグ。
「だけど――」
「ほら下がって下がって」
 まだ納得のいかなそうなマグナを引っ張り、トリスを押して、はさかさか後退した。
 その後ろから、レシィがついてくる軽い足音。
 そのさらに背後で、問答無用で悪魔たちとの戦いを開始した音がした。
 剣戟音、金属のこすれる音、地面がえぐれる音。
 そうして少し離れた処に辿り着き、マグナがちょっと情けない顔になって。
〜、なんで……」
「こないだみたいに大量に襲いかかられてるならともかく、これだけしか来てないんだから、騒ぎにはしたくないんだと思う」
「そうか。召喚術だと、爆音とか避けられないものね」
 ぽむ、と手を打ち合わせてルウが付け加えた。
 そのとおり。である。音と光に触発されて、対処しきれない数が来でもしてみろ、お話にならない。
 かと云って、目立たない召喚術だと威力もないから、それくらいなら使うなということだ。
「それにしたって……大した人ね、黒騎士」
 頷いたに、ルウが小さく囁いた。
 え、と見返すと、いたずらっぽく笑う彼女の顔があって。
「こっちの戦力を把握してるから、あんな風に手早く作戦を決めれちゃうのよ。今までの戦いでの戦力分析は完璧って感じかしら」
「……それって、こっちの手の内バレてるってコトじゃあ……」
 勘弁してくれ、とつぶやくマグナ。
 けれど、トリスが横からひょっこり顔を出して、
「でも、あたしたちだって戦いの間何もしてないわけじゃないでしょ?」
「そーそー。あくまで参考程度だろうし、あんまり深刻に考えないでいいと思うけど」
「なんかが云うと、重みがあるわね……」
「それどういう意味かなー?」
 しみじみと腕を組んだルウに、は、むっとした顔をつくってつっかかろうとした。

「――守護者!」

 そこへ響いた、そのことば。――振り返り、は目を丸くする。

 世間話の合間に展開されていたのは、当然、ルヴァイドとイオス、リューグの連合軍対悪魔たちの戦い。
 3対3と同数の戦闘とはいえ、さすがにルヴァイドたちは強い。
 その彼らと肩を並べて戦っているリューグも、強くなったのだと改めて知らされた。
 いや、それより。

 それより。

 今。何云った、あの悪魔!?

 いつか同じことばを耳にした、マグナとトリスが驚いてを見た。
 それは、この先にある場所で告げられたことばだった。
 クレスメントの残滓たちが、何を血迷ったか、に向かって云ったことばだった。
 そうして、いったい何のことだろうかと、帰り道で話して――それきりになっていた、ことばだった。
 それを、悪魔のひとりがこちらに向けて叫んだのだ。

 致命傷としか思えない傷を負わされ、それでも悪魔は、眼前に立ちはだかるルヴァイドを振り払おうとする。
 それはもはや目の前の敵を殺すためでなく、目的の存在に向けて進むために。

 に向かって、進むために。

 もしや最初から、それが狙いだったのかと思わせるほど。悪魔は、必死の形相で、まなざしで。
 ただそれだけを為そうとする、その意志だけは、――強く。硬く。

「守護者……!」

 叫び。ガクリ、と、悪魔の身体から力が抜けた。
 他の悪魔ふたりはすでに果て、残った最後のひとりさえ、あと数刻で命は尽きると誰もが思った。
 だが、呼びかけることばの意味は判らなくても、悪魔がに向かおうとすることに、いい気分はしないのだろう。
 ルヴァイドが、とどめとばかりに大剣を振り上げる。
「いいかげんに――」
 その瞬間、
「待って!」
 地を蹴った。
 トリスたちが制止するよりも早く、は、一足飛びに戦いのただなかへ移動する。
 接近に気づいた悪魔が、に手を伸ばした。

 ――その手を、とった。

 一度は持ち上げた大剣を片手に下げたルヴァイドが、悪魔を抱くを見下ろす。
 少し離れた場所で戦っていたイオスとリューグが、戸惑いも露に近づいてきた。
 じわり、抱き上げた腕に、触れる身体ににじむそれは、血。
 衣服が汚れることも、そのときは、気にならなかった。

「……あなたは……」
「アの方ノ、ゴ命令だ。貴方ガ再び、ココに来るトキがあレバ――」 
 の問いをさえぎり、悪魔が告げる。
「あの方?」
 いつの間に傍まできたのか、怪訝なマグナの声。
 疑問の視線が複数そそがれるが、答えなんか、には判らない。
 それを求め、首を傾げて悪魔を見る。
「アレ、ば……、 、 【ソレ】ヲ為しタのは、調律者ノ薄汚レた意志デあれど魂デハなク……紛れもナイ、【貴女】ノちから、ト、告ゲ……」
「ちょっ……ちょっと待って!」
 掠れる声で懸命に語る悪魔のことばは、だが、まったくの意味不明だった。前提を問おうと制止を請うが、それは止まらない。
 あるいは、止まればそのときが悪魔の――
「……謝罪、ヲ。貴女ヲ、アノようナ、……穢れタ存在、ニ、つケイラせタ、――コト、……、……」

 ――どうかこれだけは、忘れてしまってくれますように。
 ――汚らわしい残り滓ですが、これだけは、私が処理します。せめて、ね。

 過去視の出来る者がいたらば、銀の髪持つ男性の幻影が見えただろうか。
 けれど、今ここに、そのような真似を出来る者はいない。
 の目に映るのは、今にも息絶えようとしている悪魔だけ。
「【それ】って何!? あの方って誰!? あんな存在って……!?」
 急激に力の抜ける悪魔の身体を、鞭打つようだと思いながら揺さぶった。それほどに、もまた、逼迫していたのだ。
 答えが近い。
 その予感が、彼女を動かしていた。
 だが、

「――【守護者】……」

 ひどく優しい、ひどく哀しい、――ひどく。いとおしい、そんな感情を秘めた悪魔の双眸に、は動きを止めていた。
 息を飲む。
 まるで呼吸以外の何もを忘れてしまったように、硬直する。
 そんなに、悪魔は、痛みなどもう感じなくなってしまったのか……ゆっくり、微笑んだ。
「たッタひとり……アノ御方の――――」
「だ……だから、あの人って誰なの!?」
 あなたはあたしの何を知ってて、そう云うの!?

「……ねえ!」
「……」

「……ねえってば……」
「……」

「……答えて……ッ」

……」

 ぐい、と、肩を引かれた。
 いつの間にか濡れた頬を上げると、マグナが沈痛な表情で首を横に振る。
 トリス、レシィ、リューグ。ルヴァイド、イオス。
 皆一様に同じ表情。
 何が云いたいのか、何を問いたいのか、には判る。
 その答えを期待されているコトも、判る。
 だけど。
 首を横に振り、目を伏せた。
 だって、その疑問は結局、の疑問でもあるのだから。

 ――近づいたと思った答えは、また遠くへ行ってしまった。


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