気になってはいたのが、本当。
彼女が、こういうことで嘘をつくような性格でないのは、自分たちがいちばん良く知っている自負ぐらい、まだ持っている。
ルヴァイドも、そしてイオスも、ゼルフィルドも。
『召喚兵器は破壊された』
の仲間である、金色の髪の少女のことばが発されたとき、は、その唐突な発言に驚いていたけれど、その内容に関しては信じているように思えた。
彼女のことばでも信じられないか、と、押し出されたときも同じように。
そして、もしもそれが事実なら。揺るがしようのない、真実であるというのなら。
召喚兵器の破壊力を当てに進められている、聖王国との戦争に、それが投入出来ないのなら、戦況は大きく変わるだろう。
勝率は五割――いや、むしろ逆転される可能性がある。
そうなれば、侵攻自体を見直さねばなるまい。
そのためには、彼らのことばの真偽を確認せねばならなかった。
戯言、と、一度は切って捨てたはずのそれに、拘ってしまう理由は、結局、そうなのだ。
――のことばでも信じられないか?
あの場でそう云った、蒼の派閥の召喚師のことばが脳裏によみがえる。
悔しいが、そのとおりだと、今ここにいる自分たちは、認めざるを得ない。
信じたいのだ。――他の誰でもなく。この子のこと、だからこそ。
結局のところ、どこまでもそうなのだと……認めてしまうことは少しだけ歯がゆく、けれど少しの安堵を彼らにもたらした。
。
おまえの。君の。――幸せを、思ってる。
まだ、道を再び交えるほどには、その波紋は広がってはいないけれど。
バッ! と、宙にレポート用紙だの参考書だの、ペンだのインク壺だの(蓋閉め済)が投げ上げられた。
『っ終わったあぁぁぁぁ――――!!』
盛大に響き渡るは、トリスとマグナ、ふたりぶんの叫び声。
「ご主人様たち、お疲れさまですー!」
いっしょになって万歳し、よろこぶレシィ。
こくりこくりと船を漕いでいたハサハが、その歓声に反応して、うっすらと目を開けた。まだ眠そうに、こすって――閉じる。
そのハサハに膝枕をしていたアメルは、小さく拍手してみせた。
「おつかれさま、ふたりとも。あとはネスティさんの添削を待つだけですね」
しごく当然――といったセリフだったのだけれど。
手を打ち合わせていた兄妹の動きが、何故か、ピタリと止まった。
それから。
とっても爽やかな笑顔で、ふたりはやっぱり同時にアメルを振り返る。
「じゃあ、アメル」
じりっ……マグナとトリスの身体がかすかにかしぐ。重心の移動。
「そういうわけで」
ちらり、一瞬窓の方に向けられる視線。
『あとはよろしくーっ!』
云うがいなや、戦闘中にさえ見せない機敏さで立ち上がり、一足飛びに窓に手をかけ外へ出る。
いつの間に用意していたのか、机の下からちゃっかり外履きを取り出していくその手際、もはやプロと云ってもいいだろう。……逃走の。
「ちょっと、トリス! マグナ!?」
あわてて立ち上がりかけたアメルだったが、まだ膝にハサハが乗っていたのを思い出して、すんでのところで留まった。
伸ばした手が、むなしく宙を切る。
唐突なふたりの行動に、同じく放心していたレシィがハッと横で我に返った。
「ごっ、ご主人様! 待ってください〜〜〜!?」
同じくがばっと立ち上がり、そんなトコまで真似しなくてもいいだろうに、やっぱり窓から飛び出していく。
すでに小さくなっている二人分の足音を追いかけて、もうひとつ、小さな足音が遠ざかるそれに混じった。
それもすぐに遠くなり、先行したふたりと同じように、聞こえなくなる。
「……あれ……お兄ちゃん……?」
さきほど、かろうじてアメルの膝からの落下をまぬがれたハサハが、そこで、ようやく上体を起こした。
もう一度眠そうに目をこすりながら、自分の主を探す護衛獣の頭を、アメルはそっと撫でてやった。
「お勉強が終わったから、ちょっと気分転換してくるんですって」
――この云い訳が、ネスティにも通じてくれるかどうかと危ぶみながら。
やっぱり、正直に、添削であれこれつっこまれるのが嫌で逃げ出したみたいです、と、云うべきかどうかとも考えながら。
帰宅後のふたりの運命は、推して知るべし。
ただし、帰宅の前にやっぱり何かに巻き込まれるこのふたり、もはや調律者がどうのではなく、生来のトラブルメーカーなのだとしか云いようがないのかもしれない――と同じように。
さっきからのものと。今また急に溢れ出したものと。
視界がかすんでよく見えなかったけれど、ルヴァイドとイオスの表情が険しくなるのは判った。
「!」
叫んで、イオスがこちらに走ってくる。
鎧の音がしないことや、ぼやけた視界のふたりのシルエットが、やけにスマートなことなど合わせて考えるに、どうやら、武装はしていないらしい。
ということは、本来の身分――デグレアの騎士として、でこの街を訪れたわけではないようだった。……あんまり隠密が似合うふたりではないけれど。
ぼんやりと、そう考えているうちに。
「バカ! 何をしてるんだ!?」
イオスの手が、壁に押し付けていたの手をとる。
ぬるり、と、何かがすべる感触。
握りなおした拍子に指が傷に触れたのか、ぴりっとした痛みが走った。
それで意識が覚醒する。
つかまれていない方の手を持ち上げて、袖口で顔の上半分をこすって――ようやく、目の前の人たちをはっきり認識出来た。
感じたとおり、鎧甲冑の類はふたりとも身につけていなかった。
顔さえ知らなければ、そのへんの旅人なのだと云われても不思議のない格好。
ただしルヴァイドは存在感がありすぎて、イオスは綺麗過ぎて、それが普通の範疇に入れさせてくれないだろうけど。あー、やっぱりふたりとも、シノビは絶対向いてないね。
「……? 痛くないのか?」
「あ……ええと……痛い」
今まさに描いていたひとたち。彼らへすがりついてしがみついてもう帰ると叫びたい気持ちを、他愛ない思考で必死に押し流す。そうこうするうち、ひどく心配そうに覗き込んできたイオスに気づいて、あわてて頷いた。
その間の抜けた返答に、特務隊長の双眸が丸くなる。それから、少し呆れた色に。
「……とりあえず、止血はしておけ」
イオスに遅れること数歩、歩いてきたルヴァイドが、同じようにを覗き込んで云った。
平然としたそのことばのなかに、こちらを心配してくれている気持ちが見え隠れ。よくよく見れば、表情も、かすかに強張っている。
「はい」
頷いて、のろのろと、懐からハンカチを取り出した。
傍の、なんだかよく判らない店の前にある井戸をちょっと拝借して、血を洗い流す。
あらわになった傷口を見て、自業自得ながら、ちょっと顔をしかめてしまった。
よほど力を入れたのか、皮膚だけならまだしも、深く抉れている部分が数ヶ所。肉が見えてる。出血の要因はそこらしい。
イオスが横から差し出してくれた手布をあてがえば、じわりと血のにじむ気配。本来なら空気に触れたほうが、血液の凝固は早いのだけれど、それよりも先に雑菌に入られてはたまったものじゃない。
まあそれはさておいて、次は当て布の固定――なのだが。よりによって利き腕をやってしまってる。
さてどうしようかと思ったけれど、それより早く、ルヴァイドが無言での手を取り上げて、さっさかハンカチを巻きつけてくれた。
ギュ、と、しばって出来上がり。
それでようやくひとごこちという気分になったのか、3人の間に、一瞬、ほわりとした空気が漂った。
「……ルヴァイド様たちは、どうしてこんな処に?」
改めてふたりを見上げ、は尋ねる。
この人たちは敵だ。ファナンにとって。……あたしたちに、とって。
だから、すぐにファナンの警備隊に知らせないといけない。
だから、あたしはみんなと一緒にこの人たちと戦わないといけない――
なのにどうして。
「ああ。――に、頼みがあって来たんだ」
「え?」
背中に悪寒が這い上がるその瞬間、イオスが、苦笑とともにそう告げた。
だが、いったい何の頼みなのか。
聖女を渡せ、といった類のものならば、絶対に聞き入れないのは承知だろうに。
疑問符だらけのの表情を、ルヴァイドが、懐かしいものでも見るような目で眺めていた。
それから、この人には珍しく、少し逡巡するような顔になる。
「――召喚兵器を破壊した、そう云ったな」
確認か、質問か、判断のつきにくい抑揚で、彼は問うた。
けれど意図がどちらであろうと、その問いに対するの答えはひとつ。ぱっと顔を上げて、ルヴァイドを見た。
「はい」
「真実か?」
「はい!」
「どうやった?」
「……それは」、
よどみなく答えてきた口が、そこでとたんに重くなった。
「――それは、だめです。……云えません」
云ってしまおうかと、よほど思ったけれど。
もし口にしたら、やっぱり、あの人たちを巻き込むことになる。
はるか西の果てで、穏やかに暮らしているはずの幼馴染みを、その友人を。
その思いが、答えることを留まらせた。
けれど、
「……でも本当です。あたしは、それを見てました」
迸る閃光と、衝撃と。おそらくは、先日ファミィ・マーンが見せたガルマザリアの大地震以上の破壊力。
その光景を思い出すだけで、まだ、鳥肌が立つ。
「そうか……」
ただ真っ直ぐに見据えて告げる、に何かを感じたのだろうか。
ふう、と、息をつき、ルヴァイドが目を伏せた。
そして、再び開かれた目は、やはり正面からを映し出す。
「ならば、我々にその証拠を見せてほしい」
それが今日、おまえを訪ねた本来の目的だ。
「……ルヴァイドさま」
そのことばは。
「もしもそれが真実ならば」
目を見開くへ、彼はつづけた。
「デグレアの侵攻は、完全な計算違いになる。勝率が大きく落ち込んでなお、戦力を投入するほど、元老院議会は冒険好きとは思えん……」
真っ直ぐに、を見て告げられる。もうないと思ってた、静かで優しい、ルヴァイドのことば。
それは、暗に。召喚兵器がもう手に入らないのであれば、デグレアの侵攻もとりやめになるかもしれないと。
――もう、この人たちと戦わなくていいのかもしれないと。
それだけの期待を抱かせるのに、充分なものを秘めていた。
だから、
「……はい……っ!!」
目頭が熱くなるのを感じながら、は、大きく頷いたのだ。
……えっと?
何の冗談なのかな、目の前の光景は。
一瞬、脳が映像を受け取るのを拒否して、3人――マグナとトリスとレシィ――は、ぽかんと立ち尽くした。
アメルの予想どおり、添削でまでネスティにしぼられるのは勘弁してくれと、飛び出してきたファナンの街。
とフォルテに逢ったら、一緒にまわって、あわよくばフォルテに食事をおごってもらおうとまで考えていたトリスとマグナ。それから、ふたりを連れ戻すことを諦めたレシィ。
3人は3人とも、同じような顔で、同じ場所を――同じ人たちを見ていた。
繁華街の大通りから、一本はずれた道を、門の方に歩いていく人影、あちらもこちらと同じ数、3人。
赤紫の髪の、がっしりした体躯の男性と、金色の髪の細身の男性。
そのふたりを先導するように、少し前を歩いている黒髪の――後ろ姿では見えないが、きっと夜色の瞳の。女の子。
「…………?」
つぶやいた名前は、耳に、口に、よく馴染んでいた。
「え? え? えええ?? どうしてさんがあの人たちと一緒に……!?」
目をぐるぐる回しながら、レシィが騒ぐ。
が、トリスががっしとそれを押さえ込んだ。
「しー! 見つかっちゃうわよ!」
「で、でも〜〜〜〜」
「……、どうして……」
不意に胸中によぎるのは、最悪の予感。
が、デグレアに戻った……?
いや、それは、もともとがいたのはデグレアで。
ルヴァイドたちの傍で。
記憶喪失の頃ならまだしも、もう記憶戻ってて。
だけど。
一緒に戦うって、云ってくれたのに。
なんで?
どうして?
嘘、ついたの?
は、俺たちをだましたの?
なんで?
……それくらいなら、最初から、伝えてくれればいいのに。
そしたら、そりゃ、悔しいし、嫌だし、哀しいし、辛いけど、でも。でも、それがのホントの意志なら、尊重してたと思うのに。
――あんなふうに。喜んで。
喜ばせといて。
今になって、俺たちに背を向けるつもりなら。
「それくらいなら、最初から戻るって云ってくれたほうが良かった!!」
叩きつけるようなマグナの声に、レシィにかかずらっていたトリスが、驚いて兄を見上げた。
そうして、すぐに彼女もまた、彼の心中を察したのだろう、泣き出しそうな顔になる。
けれど。
「トリス! マグナ! あれ、レシィも?」
さすがに、今の叫び声で気づかないわけがない。
ただ、距離がそれなりにあったおかげで、なんと云っていたのかまでは、判らなかったみたいだけど。
ともあれ、振り返るや否や、こちらの姿を認めて走ってくるの声には、離反したとか裏切ったとか、そういう後ろめたさは何もなかった。
それどころか、辿り着くと同時に、トリスに飛びついたのである。
「え、……?」
「あのね! 聞いてっ!」
ばっと顔を上げ、見つめてくるの双眸に、陰りはない。
それどころか、昨日あれほど放心していたのは、いったいどこへ行ったのかとまで問いたくなるくらい晴れやか。
そのはしゃぎっぷりに、トリスもマグナも思わず、ついさっきまでの憤りを忘れて顔を見合わせた。
そして投げかけられる、爆弾発言。
「召喚兵器をね、本当に壊した証拠が手に入ったら、デグレアの侵攻が考え直されるかもしれないの!!」
だから今から禁忌の森に行って、あそこを見てもらうんだ!
いや、だから。
何の冗談なんだ?
の気晴らしに稽古でもするかと誘いに行ったら、空振りに終わったリューグは、ちょっとくさりながらも、何をするでもなくファナンの街を歩いていた。
その途中目にした光景に、
「……白昼夢でも見てんのか?」
思わず自分の目と脳みそを信じられなくなったのも、当然と云えば当然かもしれない。
何せ、がトリスに抱きつき、マグナが羨ましそうにそれを眺め、レシィが諸手を上げて喜んで――
まあそれだけなら、何やってんだあいつら、的な感想で物事は済んだはずなのだが。
なのだが――
なんで、それを、あの黒騎士といけすかない槍使いの奴が、苦笑して眺めてやがる?
と彼らだけなら、もしかしたら(リューグは知る由もないが)、トリスやマグナのような考えに陥って、斧振りかざしてかかっていったかもしれない。
だが、もしも本当にがこちらに背を向けたのなら、トリスやマグナがあそこまで日常な行動をするわけはないし、第一レシィが喜びまくる理由がない。むしろ大泣きしているはずだ。
とりあえず、油断だけはするまいと自分に云い聞かせながら、リューグは彼らに向かって歩き出した。
そのリューグの後ろを通りかかり、同じように目を丸くしていたルウには気づかないまま。
その数分後、まだ興奮の冷めていないに、ふたりともが抱きつかれてしまうのは、とりあえず、余談である。
ついでに、同行者として追加されるのも。