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第40夜 壱
lll …怖かったよ lll




「おい、ちっと付き合ってくれねーか?」
「はい?」

 黒の旅団との戦いの翌日。
 昼間まで泥のように眠り抜いたが、ようやっと起き出して、井戸に顔を洗いにきたのを、まるで見計らっていたかのようだった。
 実にタイミングよく現れたフォルテが、挨拶もそこそこに切り出したのだ。
 で、声をかけられた当のはというと、きょとんとした顔でそれを訊き返した。


 もうすっかり馴染んでしまったモーリン宅の廊下を、すたすた歩く人影ひとつ。
 赤い、跳ねたひと房の髪、ちょっときつめの目。
 触覚弟ことリューグである。
 ずんずか進んでいた彼だが、目的の部屋の前に着いたらしく、足を止めた。
 引き戸を叩くべく手を持ち上げ……動きを止める。
 軽く握った手と、扉を交互に見ること数秒。
「……」
 ようやく意を決したらしく、ひとつ大きな呼吸をして、手を扉に近づけた。
 が。

「あら、リューグ。に用事?」

 まさに戸に手が触れる直前、がらっと引き戸を開いて声をかけたのは、云わずと知れたレルムの聖女、アメルだった。
 空振りした手を所在なさげに振り、リューグは一瞬黙り込む。
 それを肯定ととったのか、アメルはくすくす笑いながら身体を半分ずらして、部屋のなかが見えるようにしてやった。
 入り口にアメル、奥の机には「なんで戦いの翌日に課題なんて〜」と半泣きのマグナとトリスが陣取っている。
 そのふたりを見守るハサハ。
「……ああ、そうだけどよ……」
 そこまで見てとって、肝心の本人がいないと察したリューグは、歯切れを悪くしながらそう答えた。
 確実にいると決まっていたわけではないのだから、この可能性もあったのだけれど、実際そうなってみると、なんとも気が抜けるというか。
「うん、ちょっと惜しかったわね」
 気落ちしたのが表に出ていたのか、アメルが慰めるような顔で口を開く。
「さっき、、フォルテさんに誘われたって云って、一緒に出て行っちゃったの」
 それを聞いたリューグは、まず目を丸くした。
 数度、またたき。
 それから頭のなかでアメルのことばを反芻し、意味を飲み込むのに数分。

「なんで、あいつがを誘うんだ!?」

 半ば叫びのようなその問いは、実はその部屋にいた全員の心境そのものだったことを、彼はすぐに知ることになる。



 実は当の自身、なんで誘われたんだろうと不思議に思っていたのだけれど、半分引っ張られるようにしてモーリンの家を出、こうして大通りまで着いてきてようやく理由が判明した。
 とフォルテが立っているのは、ある一軒の店の前だ。
 フォルテに連れてこられる店と云ったら、なんとなく酒場とか武具店とかそういう印象があるが、今日は違う。
「ねえねえ、これなんか似合わない?」
「この柘榴石もきれいね〜」
「玉滴石なんかどう? けっこう安いしさ」
「ええ? もうちょっと奮発したいな、このブレスレットとか――」
 きゃいきゃいきゃい(以下略)。
 先日連れて行かれた洋服屋以上の喧騒(しかも女性限定)に包まれたこの店、どう間違っても酒場や武具店ではない。まごうことなき、ごくごく一般的なアクセサリー専門店である。
「ははは、悪ィな。俺ひとりでこういう店ってのは、どーも気後れしてよ」
「そりゃ……そうでしょーねえ……」
 むしろ、堂々と入れるような男性がいたら、それはそれで問題があるよーな。レシィや、こちらは絶対に嫌がりそうだがバルレルみたいな子どもたちは、ひとまずおいといて。
 で、そんなフォルテが何故、こんな店に用があるのか?
「もしかして、ケイナさんへのプレゼントとか?」
「あ? あーいや、そういうわけじゃないんだ、そういうわけじゃねーんだけど」
 気を取り直して問うてみたらば、フォルテは手をぶんぶん振って否定する。だが、他にいったい何の理由があれば、この人がわざわざこんな処に足を運ぶというのだろう。
 じぃっと見上げていると、どうやらが引き下がりそうにないのを判ってくれたらしい。
 振っていた手を肩の辺りに持ってきて、いわゆる『お手上げ』のポーズ。
「――まあ、なんていうか……その」
 少し頬が紅くなっている、それをなんとなくかわいいと思ってしまった。
 飄々としたフォルテの、なんだか新しい一面。
 とかが考えているとは露知らず、、頬をぽりぽりかきながら、フォルテが店の一角を指差した。

「この間、買い食いしてたときによ。ケイナの奴が、あれに見入ってたんだよな」

 それは、賑わう店の片隅、まるで切り取られたように静寂が満たす一角。
 華やかなものが好きなお嬢さん方が、あまり興味を示さないような、云い方は悪いけれど、地味、というか、シック、というか――そんな飾りばかりが、小さな棚に並べられている。
「……勾玉?」
 その棚の上、フォルテの指が示す先。
 それは、の記憶に引っかかる形状の、半透明の石。
 丸い石にしっぽがついたような形。その中央に穴をあけ、紐を通すようになっている。
 紐もとりたててきらびやかではやく、赤や黄色、橙色の紐を三つ編みに編んだシンプルなものだった。
 つぶやいたのことばに、フォルテが「そうそう」とうなずく。
「たしか、そう云ってたな――なんだ、知ってたのか?」
「小さいときに、向こうの世界で見た覚えがあるんですよ。たしか社会科見学でなんかの古墳か遺跡かに――って判りませんな」
「うむ。遺跡判るがコフンてのは判らねーな」
 ははは、と豪快に笑うフォルテにつられて、も笑う。
「あれ買ってくればいいんですね?」
「おう、頼むわ」
 ぱん、と両手を合わせて、拝むような仕草をするフォルテ。
 そこまでしなくてもいいんだけどな、と思いながら、お財布を拝借。勾玉の並んでいる棚の前まで行って、さっき見た、そのひとつを取り上げて、目の高さまで持ち上げる。
 振り返って、フォルテに確認。
 頷くのを見てとってから、代金を払うためにレジに並び――ふと。
 何人か間を挟んで前に立っている人影に気づいて、は、思わず声をあげて呼びかけた。

「メイメイさん!」

 なんだなんだと、呼ばれもしない他の人たちまでが、の声に振り返る。
 そんなに大きな声を出したのかと、顔に熱が溜まるのを感じた。
 俯こうとして、けれど、それよりも先に、
「あら〜、ちゃんじゃな〜い♪」
 振り返ってこちらを認めたメイメイが、以上に紅潮した頬とにこやか(すぎ)な表情でもって、応えてくれたのだった。



 とりあえず買い物を終わらせて、たちは店を出た。
 そういえば初対面のはずのフォルテとメイメイを、そこで引き合わせる。
 フォルテの方は、いつぞやこの街でが泣いて逃亡したときの話を覚えていたらしく、ペンダントの件に及ぶと、すぐに手を打って得心顔。
 メイメイもこういう性格だから、彼らはあっさり打ち解けた。

 打ち解けたのは、いいんだけど。

「にゃはははははっ、ちょっとお兄さんってば通じゃないのよ〜〜」
「はははははっ、なんのあんただってなかなかじゃないか! おお、その酒に目をつけたのか? それはなあ……」
「……」

 ここがどこかと云いますと、まあ、大通りであることに変わりはない。
 ないのだが。なくもないのだが。その、裏手なのだ。
 ちょっと入ったトコロにある、メイメイ曰く『地元人しか知らない掘り出しものの宝庫』らしい。

 何のって? 酒です、酒。

 は酒をたしなむことはあまりないから判らないけれど、ふたりの上機嫌ぶりからして、品揃えの豊富さと上等さは判る。
 完全に出来上がったこの人たちを、半分持て余しながら、傍でジュースをちびちびやっていたのだけれど、そこに援軍が現れた。ただし、へのではない。
 ぽん、と、軽く頭を叩かれて、顔を上げて振り返る。
「よう、嬢ちゃん。何してんだい?」
「レナードさん!」
 いつもと同じようにタバコを斜めにくわえたレナードが、着古したコートをひっかけて立っていたのだ。
「おお、レナードの旦那! あんたも来てたのか?」
「おお〜? これはまたダンディなおじさまね〜〜?」
 同士を見つけた喜びも高らかに、気づいたフォルテが呼びかけた。
「はっはっは、サンキュー、姉ちゃん。初対面だよな、オレ様はレナードってんだ」
「あらん、ご丁寧にありがと〜♪ 私はメイメイ、しがない占い師よ。どうぞ、ごひいきにっ」
 酔ってる同士とは云え、そこはやっぱり大人ということか。
 平常時とは程遠いが、とりあえずレナードとメイメイ、和やかかつフレンドリィに顔合わせ終了。
「疲れをとるにゃ一服なんだが、昨日はちーとばかりハードだったからなあ」
 手に持っている酒瓶を手土産代わりに、レナードも相席になる。
 それはいい。
 それはいいのだ、楽しそうだし。
 フォルテもレナードもメイメイも、お酒美味しいから、大好きなんだろうし。
 だけど、
「嬢ちゃんは酒は苦手か?」
「うーん、あんまり」
「うおっと、そうだったのか!? 先に云えよそういうことは!」
 世話になったのどうのの話してるうちにいつの間にか酒の話題でヒートして、なし崩しにあたしを酒場まで引っ張ってきたのは誰ですか。
 と、云いたくなったのは、ま、とりあえずヒミツ。
「ふーむ?」
 レナードが、顎に手を当て首をひねる。
「嬢ちゃん、先に帰ってるか? 俺たちゃ、もう少し楽しんでくからよ」
 なあに、ふたりもいりゃあどっちかがつぶれてもどうにかなるさ。
「どっちもつぶれたらどーなるんでしょう」
「はははははは」
「はっはっは」
 ……朗らかな笑顔ダブルパンチに不安を覚えたが、そのときは、わりとざるっぽいメイメイに世話をかけてもらおうかと判断して、は席を立った。
 ほったらかしていいとは思っていないけど、フォルテもレナードも、自分なんかよりずっと大人だ。
 普段は飄々としていて、あまり表には出てない部分だけれど、いざというときには頼りになる人たちだ。それは確か。
「うん。じゃあそうします。お昼までには一度帰ってくださいね?」
 あと、お酒のにおいは抜いてから戻ってくださいよー。
「判った判った。気をつけるんだぞ。すぐに大通りに戻れよ、裏路地をうろつくんじゃねえぞ? ヤバイ奴がいねえとは限らないんだからな」
「はーい」
 なんかレナードさんて、お父さんみたいだ。
 そう思って、彼には娘がいたことを思い出した。
 それから、同じように心配してくれていた人を思い出した。

 ――心がかすかに痛みを訴える。

 だけど、表層に浮かび上がる前に、は無意識のうちにそれを押し込めた。そして笑顔で手を振り、店を後にしたのである。


 閑話。
 酒場で繰り広げられた会話。
「ねえねえ、ところでお兄さんとおじさまにちょっと訊きたいんだけどォ〜」
「ん〜? なんだい?」
ちゃんって、前とちょっと様子が違ってなぁい?」
「おお、よく判ったなぁ。聞いて驚け! あいつ、とうとう記憶が戻ったんだむぐ」
「声がでかいぜ、フォルテさんよ」
「へえ〜、そうなんだ〜。にゃはっ、良かったわねえ♪」
「ああ、だけど喜んでばっかもいられねえんだよな。なんせ黒騎士の旦那が親代わりだったのに、今や敵だしよ」
「おいおい、そこまでばらしちまっていいのか?」
「にゃははははっ、ご心配なく〜、実は私、こ〜見えても口は堅いわよぉ〜」
「そうそう! 占い師は客のプライバシーを漏らしちゃいけないんだぜ! レナードの旦那も同業だろ?」
「おいおいおい、ポリスと占い師が同業なのかよ、この世界は! っかぁ、俺様の商売何なんだ」
「ねえ、それよりもぉ。……ちゃん、悩んでるのかしらね〜……?」
「どーだろーなあ……どうも、悩みとかと違う次元で、嬢ちゃんがいちばん厄介な気がするんだが」
「云うにことかいてなんだそりゃあ? 癇癪起こしそうだとか云うのか?」
「あ、でも判るわ〜。なんていうかちゃんって、何しでかすか判らないトコあるわよね〜」
「そうそう。なんか煮詰まって、吹っ切って、いきなり突拍子もない行動に出たりしてな」
「はははははっ、そいつはうちの人間全員じゃねーか」
「にゃはははははは、そのと〜り〜♪」
「はっはっはっは、似た者同士ってわけだな!」
 以下、かみ合ってるようでかみ合ってない会話と、ハイテンションな笑いが続く。
 閑話休題。


 酒場を出た先は、大通りの裏路地。
 アルコール臭のない空気を、とりあえず胸一杯に吸い込んだ。
 大通りの喧騒がかすかに聞こえるここから戻るのには、実際、そう苦労はしない。
 裏通りにあまりいい思い出もないし(某外道召喚師とか、暗殺者とか、追いかけられたとか)、だものではレナードのことばに従って、さくさくと大通りに向かって歩き出した。
 ちょっとふらつく頭を押さえながら。
「……うう、においだけでキた……」
 酒を飲んだコトがないと云えば嘘になる。
 デグレアにいた頃、戦争で勝ったらやっぱりお祝いがあって、その席で一口、二口。
 そういえば、あのときはみんなが酔っててお酒勧めにきたもんだから、ルヴァイド様が怒ってたっけな……

 曰く、無礼講はまだしも、未成年のに過度のアルコール摂取をさせるようなら、祝会をとりやめてその恰好のまま外へ出ろ、訓練に移る。と。
 ……あたたかい室内での宴会は、みんな軽装。そして外は大吹雪だった。
 その後の展開、推して知るべし。

 そうして、またしても強く実感する。
 ――守られてたんだな。あたしは。
 落っこちてきた当初から、親切にしてくれて、あまつさえ面倒をみてくれたルヴァイド。
 機械兵士のゼルフィルドなんか、抱き潰しちゃいけないからって、ずいぶん調整に苦労していた。
 イオスだって最初はやさぐれていたのに、だんだんこちらを気にかけてくれるようになって。
 今思い出せば、ちょっとおかしな(というか変な)行動の多かった、でも楽しい人たちと思ってた顧問召喚師の人たち。

 ――そして、記憶は炎に焼かれる。鮮血に染まる。
 紅い景色。
 レルム村、スルゼン砦、ローウェン砦、トライドラ。
 ――きらめく白刃。
 昨日。
 ルヴァイドがに向けた剣の切っ先。

「……!!」

 ガツッ、と、衝動のままに傍の壁を殴りつけた。
 弾みで皮膚がすりむけたのか、ひりひりするような痛みと一緒に、たらり、何かが流れ出る感覚。
「……怖かった」
 それよりもはるかに多い雫で、眼と頬を濡らしながら。
 ただつぶやいた。

「怖かった。……嫌だ。怖い、あんなの」
 零れる。
 心配してくれる人たちの前では、絶対に、云えない弱音。

「……怖いよ……!」

 動きまわったわけでもないのに、動悸が速くなる。呼吸が荒くなる。
 押しつぶされそうになる。
 泣いて、逃げ出したくなる。
 でもどこへ? 誰の場所へ?
「……」
 すぅ、と、深呼吸ひとつ。
 昨日から膨張していた何かの塊。アメルによって軽減されてはいたものの、蠢きつづけてた不安やおそれ、この足を止めかねない何か。
 それが外へ吐き出されたことで、ようやっと、心臓と気管は落ち着いてくれた。

「――それでも」
 サイジェントからゼラムに戻ってきた夜。
 黒の旅団の駐屯地で、ルヴァイドへと宣言し、
「あたしは……」
 ――この手で、その場所に背を向けたはずだろう。

 自覚するのが遅すぎた、それは、多大な自責の念を生み出している。
 今湧きあがるこの感情に名前をつけるなら、それは、後悔というのがいちばん近い。
 聖女捕獲の命令に背いて、デグレアを後にしなければ――
「良かった――わけ、ないんだ……!」
 禁忌の森、罪の証。
 あんなモノを求めるために動くなど、あれを見、知ってしまった今となってはもう出来ない。
 いや――そんな大きな、立派な建前より。
 彼らと一緒にいることを、大好きな自分がいるのだから。
 あの人たちに笑っていてほしいと、思う自分がいて。
 あの人たちに苦しい思いしてほしくないとも、思う自分がいて。
 あの人たちも、あの人たちも。……大好きで。

 どうすればいい。

 どうすれば――

 紅い、紅い、血が、の手に幾筋も滴った。
 まるで絡みつく糸のよう。
 もはや感覚さえ麻痺してしまった手のひらを、焦点の合わない目で見て――
 ふと。
 背後から耳を打った足音に、ただの反射で振り返る。

 ――裏路地をうろつくんじゃねえぞ? ヤバイ奴がいねえとは限らないんだからな。

 レナードのことばが脳裏に蘇り、もしも暴漢の類なら、今の自分は手加減出来るかと逆の意味で不安になりながら、不意の登場人物の姿を確認する。
「……!」
 だけど、そんな不安は要らなかった。
 まんまるに見開かれてるであろう、自分の両目に映るのは。
 もしもそれが幻覚や、映像なんかでないのなら。

「ルヴァイド様……イオス……!?」


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