- 閑話。同じ夜の異なる場所で -
カリカリ、カリカリ。
デグレア本国への――元老院議会への報告のため、ルヴァイドはペンを走らせていた。その前にはイオスがいる。
本来ならば、見張りでもないのだから、己のためそして軍のためにも睡眠をとらねばならないのだが――ルヴァイドの身を慮って暖かいものを持ってきた彼を、無下に追い出すわけにもいくまい。
……どうせ、眠れはしないのだろうから。
なにしろ、天幕の外で見張りに立っているゼルフィルドの、なんとなくピリピリした気配が、中にまで伝わっている始末だ。
「泣いている……かもしれませんね」
「……」
誰に云うでもなし、ぽつりとイオスがつぶやいた。
ルヴァイドは応えず、無言で文書をしたためていく。
「自分は、あのとき、信じてみたいと思いました」
パタリ。ペンを置く。
イオスの話に反応するためというわけではなく、作業が終わったからだった。
用紙を丸め、筒に押し込む。
ゼルフィルドに近くの兵士を呼ばせ、顧問召喚師のもとへ届けるようことづけた。
本来ならば、口頭の報告も兼ねて彼自身が出向くのが本来である。が、かの顧問召喚師はこのたびの戦いに参加していたため、不要と考えてのことだった。
それから中を振り返り、何をするでもなく立っていたイオスを、改めて注視した。
「……召喚兵器が破壊されたという、戯言をか?」
だとしたらおまえも、まだ甘いのだな。
「シカシ、一様ニ戯言ト断定スルコトモ、時期尚早デハナカロウカ」
「――ゼルフィルド?」
「虚言ヲ弄ストキ、通常ノ人間ナラバ、精神波ノ一部ニ乱レガ生ズル」
あのとき感知したかぎりでは、そのようなものはなかった、と。そう、ゼルフィルドは告げる。
「……ふむ……?」
「それに」、
イオスが、つと笑みを浮かべる。
それは、自嘲の色を多大に含んだ笑みではあった。
「は嘘などつきません」
そして早口にそう云った。強く、揺るぎなく。
笑みに含まれた意味は、結局はそこが、大元になっているのだと判っている故の、苦さだ。
けれど刹那のその表情も、すぐに厳しいものに変わる。
ルヴァイドは勿論――イオスもまた、天幕の外から近づいてくる、ひとつの気配を察したからだった。
内側を向く形となっていたゼルフィルドが、金属の音も高く、外に向き直る。
そうして夜の闇のなか、銀の髪を月明かりに照らしながら歩いてくる、顧問召喚師の姿があきらかになった。
「――こんばんは、ルヴァイド。イオス。そして……ゼルフィルド、でしたかね」
にこりと微笑み、告げられる挨拶に、けれど3人は声に出しては応じない。
唯一ルヴァイドが、小さく顎を引いたのみ。
「何の用だ? 今回の報告ならば、もっていかせたはずだ」
「ええ、たしかにいただきました。これから、一度本国に戻ろうと思いますので、ご挨拶にと」
「……このような夜更けに?」
夜は、昼間以上にはぐれ召喚獣に遭遇する確率が高い。
また、闇に紛れての物盗りなど、物騒な輩も多くなる。
イオスが胡乱げな顔でそう訊いたのは、別にレイムの身を案じてではない。その非常識に首を傾げた、というだけのことだ。
「月の導きによって進むのも、また一興でしょう」
それに、伊達に顧問召喚師などやっているわけではありませんからね。
「……」
「……そうか」
反射的に表情をしかめたイオスに変わり、ルヴァイドが相槌を打つ。
「ならば、我々に対しての指示はあるか。議会代行、顧問召喚師殿」
多分に皮肉をこめたその一言にも、レイムはそよとも動じない。
ふと考えてみれば、この男があきらかに感情を乱すのは――よい意味悪い意味ひっくるめて――が関った物事のときくらいなものだ。
そうしてこのときもやはり、レイムは変わらぬ微笑を浮かべたまま、何がしか考えるように首を傾げただけだった。
「――まあ、しばらくは待機しておいてください。ただし、本軍は一度国境まで退かせた方が懸命でしょうね」
「人数ガ多ケレバ多イホド、聖王国側ニ見ツカリヤスイカ」
「ええ。ですが、せっかくです、機会があればでかまいませんから、聖女の捕獲も一応念頭に置いておいてください。――まあ、無理はしなくとも良いですが」
「承知した」
『一応』の部分を強調して頭に叩き込み、ルヴァイドは頷いた。
その彼を見て、レイムの口の端の笑みが深くなる。
「……軍に影響を与えない程度であれば、単独での行動も認めます。今回は、私の用事が少し長くなりそうですからね」
「……そうか」
もしや、先刻の会話を聞いていたのかと問い詰めたくなるほど、嫌なタイミングでの一言だった。
けれど小声で話されていた、数十メートル以上先の会話を聞くことはまず、普通の人間には難しい。
――そうであるならば、だが。
ともあれ、よってレイムのセリフは、おそらくルヴァイドに対する嫌味あてつけの類だろうと判断され、これもまた、簡単な頷きでもって応じられたのだった。
そうして、顧問召喚師の出立後。
しばらくして、デグレアの軍勢が夜の闇に紛れて動き出した。
黒の旅団と呼ばれる、一隊を残して。
そうして軍勢の最後尾もが夜の闇に消えた頃、旅団の駐屯地と定められた場所から、人影がふたつ、ファナンへ向けて去っていった。
詩人は笑う――歌が順調につながり、物語を形作るから。
操り手は笑う――自らを操る糸に気づかず、誰もが思うとおりに踊りつづけるから。
そうして。
未だ現さぬ姿も、また、笑う。己の意図どおりに物事が進んでいるから――