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第39夜 六
lll 素敵なお母さん lll




 この戦いは黒の旅団を殲滅するのが目的ではない。
 あくまでも総指揮官たるルヴァイドを抑え、それをデグレア軍に知らしめ、進軍の足並みを乱すためだ。
 けれど、当のルヴァイドの技量がそれを許さない。
 もともとの腕前もあろうが、何か……何かに追い詰められているような。
 それが、本来以上の力を引きずりださせているような。
 率先して斬りあっているのはアグラバインだけれど、かの獅子将軍ですら、容易にダメージを与えられないでいる。
 けれど。
 そんなことに感心している場合ではなく、実際その間にも、刻々と事態は進んでいた。
「マグナ殿! このままでは――!!」
「判ってる!! ……でもっ!」
 カザミネの叫びに答えて、マグナは剣を振るう。
 傍に来ていた兵士がひとり、それで倒れた。
 けれどやるべきことはそうではなく、この囲みを破った先にある、ルヴァイドとアグラバインの戦いへの参入なのに。
 兵士の質はともかく、いや、暴言失礼。ともかく、軍隊というのは数が圧倒的に多い。
 こちらが目的に近づく前に、次々と横から現れては、こちらの足を阻むのだ。
「うざってぇんだよ! 退け!!」
「誰かリューグの援護を!」
 ブォン、大きく空気をうならせて斧を一閃させたリューグが、そのまま敵陣に突っ込んだ。
「い、行かせるな!」
「おぉっと!」
 叫んだ兵の目の前を、レナードの放った銃弾が通り抜ける。
「悪いが、おまえさんたちこそ行かせるわけにはいかんのさ」
 リューグの援護のためか、レオルドも続けざまに銃を掃射。
 ほんの一瞬できた兵の空白を抜け、アグラバインに続いてリューグがルヴァイドとの接戦に持ち込んだ。これで、2対1。
 卑怯だのなんだの云ってられるか。
 向こうは殺すつもり満々かもしれないが、こちらは出来るなら話し合いたいのだ。
 だが、そう、思惑通りにことは進まない。
 2対1に持ち込んでも、ルヴァイドは強かった。
 打ち込まれるアグラバインの斧を力任せに弾き、その勢いを利用して、連撃を仕掛けたリューグを薙ぐ。
「ぐああッ!?」
「リューグっ!?」
 風圧で彼がたたらを踏んだところに追撃をかけるルヴァイドを、すぐさま体勢を立て直したアグラバインが間に割って入り、かろうじて止めた。
 その間に、兵士の囲みを抜けてきたモーリンがストラを発動する。
「無理するんじゃないよッ! 死んだら元も子もないんだからね!?」
「奴が、無理しねぇで勝てる相手かよ! ――っておい、後ろ!!」
 隙の出来たモーリンの背中から兵士が斬りかかる。
 けれど、振り上げられた刃は下ろされることなく、その兵は倒れ伏す。
 ちょうど心臓の位置を狙った、一本の矢が致命傷。
「油断しないでね、どこから敵がくるか判らないのよ」
「ありがと、助かったよ!」
 距離を置いた場所からでも届くモーリンの礼。
 共にそれを聞いた彼女の妹の表情は、「お見事です、姉様」そう云いつつも、かんばしくない。
「……でも、これではいつまで立っても追いかけることすら出来ないのでは……」
 隣で鬼神斬を発動させつつ、カイナは戦況をざっと見て取って云った。
 後方支援に徹する彼女らの位置からは、それがよく見える。
 見えるだけに、自分たちのなそうとすることの難解さを、思い知らずにいられない。


 何にまして、数で劣っているのが致命的だ。
 いくら兵士たちを倒しても、最終的にこちらの体力切れを狙われればそれで終わりなのだから。


 ……現に、召喚のための魔力がすでに枯渇し始めていた。
「くっ……、ロックマテリアル!」
 息を荒げながらネスティが喚び出したのは、初級の召喚術だった。
 ルウもシャインセイバーを繰り出すだけの余裕がなくなったのか、ぱったりと詠唱が途絶えている。
 そうなると頼れるのは戦士系……なのだけど。
 こちらはこちらで、体力の限界ってものがあるわけで。
「うわああぁッ!?」「ぐおっ……!」
「ロッカ! フォルテさん!!」
 アメルの癒しが飛ぶけれど、それももはや一時凌ぎでしかない。
 当初こそあちこちで開かれていた戦端が、だんだんと一箇所に収束する。
 最終的に、アメルを守っていたその場所が、最後の砦になった。
 四方八方から兵士は迫る。
 いったい本隊からどれだけの人間を割いたのか、本当に黒い海が津波となって押し寄せるような錯覚。
 ここで負けたら最後、その気持ちだけで、彼らはそこに踏みとどまっていた。
 ――けれど、弱音は、生まれるもので。どうしても。
「所詮、僕たちの力ではこれが限界なのか……!?」
「ネス! そんなコト云っちゃだめ、みんな一生懸命なんだからっ!!」
 パラ・ダリオで敵の数名を行動不能にしながらトリスが叫ぶけど、その顔にも疲労の色は濃い。


 そうしてそんな光景を、少し離れた場所で微笑んで見つめるのは、
「その調子です……」
 くすくすと、いつか彼らに向けたそれと同じ笑みを浮かべ、けれど目に宿る光は明らかに愉悦をたたえた男。
 それは、銀の髪の吟遊詩人。
「もっともっと、苦しみもがきなさい。自分たちの無力さを、存分にかみしめなさい」
 力を、欲しなさい?
 それが鍵になるのだから。
 その瞳の先には、蒼白になったまま立っている少女ひとり。
「極限を。限界を。臨界点を。」
 そして『貴女』を覆う薄幕を。すべて、破り去りなさい。
「ふふ……あははははは……」

「ほーっほっほっほっほっほっほっほ!!!」

 ミニスがコケた。

 レイムが「はんっ?」と奇声をあげた。

 そして、
「なっ……!?」
 緊張感の欠片もないその高笑いに、全員の視線と意識がそこに向けられる。
「うわ。」
 つい今しがたまで自失していたも、その高笑いではっとして、その人を見たところで意識が覚めた。
 長い金の髪、相変わらず胸から上の激しい露出な服、両手のでっかいガントレットもしっかり健在。
 ……お久しぶりです。
「ケルマ!」
 なんであんたがここにいるのよっ!?
 驚きも露に叫んだミニスを一瞥して、ケルマは優雅に微笑んだ。
 そして手を掲げる。
 手のひらには紫のサモナイト石。
「……油断大敵っ! ですわっ!!」
 おいでなさい!!

 喚ぶ声に答えて、姿を現したのはツヴァイレライ。
 いつか禁忌の森で目の当たりにした流星が、今度は自分たちを囲む黒の旅団に降り注ぐ――

「なんだと……っ!?」

 広範囲に渡って、しかも高密度で降り注ぐそれらから、身を守ることの出来た旅団員は少数だった。
 イオスとゼルフィルド、ルヴァイドの姿をとっさに探して、無事だったことに安堵してしまう。
 唐突な、高位召喚術の発動に呆気にとられている一同を見渡して、ケルマは、ふん、と胸をそらしていた。
「……ケルマ!?」
 失礼にも人様を指差して確認するのはマグナ。
 もっとも、この場でそんなこと注意する人間もいやしないが。
 対してケルマは悠々と、
「ほほほ……まったく、だらしがないったらありませんわねぇ?」
「よ、余計なお世話よっ!」
 ケルマが何か云ったら云い返さないと気がすまないのか、ミニスが叫んだ。
 ぴくり、と、ケルマのこめかみがひきつる。
「ま! 助けてもらっておきながらなんて失礼なのかしら、このチビジャリは!」
 そんなやりとりを見て、少し離れた位置で合点がいったように手のひらを叩く音。
「ほう、金の派閥の召喚師さんのお出ましですか……」
「ほーっほっほっほ! その名も高きウォーデン家の当主、ケルマですわ!」
 よぉく覚えておくことですわね? 北方の田舎軍隊ども!
 レイムの感心したような素振りが嬉しかったのか、ぐいんと胸をそらしてケルマは名乗る。
 どうでもいいかもしれないけど、そんな体勢だと胸が強調されてるんですが。
 あ、ほら、カザミネがカイナに耳引っ張られてるし。
 フォルテ。ケイナが睨んでるのに気づいてください。
 そうしてさすがに女性陣は冷静なもので。
「カッコつけてる場合じゃないってば、ケルマ!」
 そうトリスが叫べば、ルウがファナンを指差して。
「ルウたちのことよりも、ファナンの街が……」
 けれど、ケルマの自身満々、もとい悠然とした態度は変わらない。ふ、と流し目でふたりを見やり、
「心配は無用ですわ」
 泰然と云ってのけた。
「で、でも」
「伊達に、あの女もファナンの顧問召喚師をしているわけではないでしょうからね」
 彼女の視線が転じられる。一行も、つられてそれを追った。

 ――累々と横たわる黒の旅団の山の先、迂回した軍隊が目指す場所。
 ファナンの市門から離れた、ちょうど軍隊との中間地点あたりに、金色の鎧をまとった兵士に護衛され、たたずむ妙齢の女性がひとり。

「……え?」
 その姿を確認したミニスが、ぽかんとした顔でつぶやいた。
 まあ、いきなり戦場で自分の母親を見つければ、誰だって呆気にとられるわな。


 一方、当のファミィ・マーン側――
 いつぞや微笑を浮かべたままミニスにカミナリをかまそうとした母上様は、今日も素敵な微笑でその場に立っていた。
「あらあらまぁ……」
 つぶやく声も、優雅に穏やか。
「ずいぶんと、大勢でいらっしゃったものですわねぇ?」
 お迎えの準備をするほうの立場も、考えてほしかったんですけど……
 そんなファミィ・マーンの言動には慣れっこなのか、彼女の周囲を守る兵士たちは、武器を構えたまま微動だにせずにいる。
 下手に今移動したら、確実に巻き込まれると判っているせいもあるのだが。
 何せ彼らは知っている。
 のんびりとつぶやいている目の前の女性が、これから何をするつもりなのか。
 はあ、と、ひとつ息をついて、ファミィ・マーンは頬に添えていた手を放した。
「仕方ありませんわね」
 そのことばと同時。
 片方の手に持っていた、紫のサモナイト石が輝いた。
 閃光が迸る。
 ――その一瞬後。

 薄く紫がかった煙に包まれて、サプレスの召喚獣が、その姿を現した。

 ガルマザリアの名を持つ、巨大な地震を起こして敵を殲滅するといわれる高位悪魔。
 そのガルマザリアは、召喚主であるところの女性を認めると、ちょっと疲れた様子でため息をついた。
「あのー、もしもし? ガルマちゃん?」
 その悪魔に、ほのぼのとファミィ・マーンは話しかける。
 ガルマザリアはますます疲れた顔になる。
 ……まあ、魔臣将とも呼ばれる存在に、こうものほほんと話しかけれれば気も抜けようってもんだろうが。
 そうしてそのあたりを気づいているのかいないのか、たぶん気づいて黙殺しているんだろうけど、
「お忙しいところ、面倒かけて申し訳ないんですけど」
 そう前置きして、ファナンの顧問召喚師様は迫り来るデグレア軍を指差した。

「ひとつ、どかーんと地面を揺らしちゃってくださいな?」

 そのことばに頷いたガルマザリアが、手にした剣を地に突き立てると同時。
 おおよそ見渡せる限りの大地が、急激に、震動を人々に伝えだす。


「な、なんだ!?」
 大剣を構えてこちらに攻め込もうとしていたルヴァイドが、地鳴りに足をとられてその場で立ち止まる。
「地震かっ!?」
 叫んだ拍子にタバコが口からこぼれるけれど、それにすら気づかないレナード。
 そうして、ネスティが、はっとした顔になってファナンの方を――ファミィ・マーンの立つ場所を振り返った。不意の事態への解答は、彼の口からこぼれた。

「いや、違う! これはサプレスの高等召喚術だ……!」


 ふと視線をめぐらせ、戸惑っているトリスたちの一行を見て、ファミィ・マーンは首を傾げる。
 それから、おもむろにガルマザリアに向き直った。
「ガルマちゃん、あっちの子たちのところは手加減していただけますか? うちの娘とそのお友達がいますから」
 あくまでも、のんびり、のんびり、お願いの口調。
 ガルマザリアが小さく頷いたのを確認して、彼女は再び、やってくる黒い大軍に目を戻す。
 たおやかな手をくるりと返し、「さ、本気でいっちゃいましょう」――にっこりと、微笑んだ。

「ぐらぐらぐら… どっかーん♪」

 マグニチュード――測定不可能。


 もはや立ってさえいられないほどの揺れに、ほぼ全員が体勢を崩す。
 敵味方関係なく、場にいた誰もが地に伏せて、地鳴りが収まるのを待った。
 震動がおさまっても、しばらく三半規管が悲鳴をあげるという二次被害もありはしたが。
「う〜っ! あの女めぇ……思いっきり、ハメを外しまくりやがりましたわねぇ」
 頭を振りつつ、ケルマが身を起こした。
 その少し離れた場所で、フォルテに手を借りて立ち上がらせてもらっていたケイナが、引きつった顔でファナンを眺めていた。
「は、ははは…っ」
「ケイナ?」
「見てよ、あれ」
 指差した先は、ファナン目指して進んでいたデグレアの大軍……が、いたはずの場所。
 そこに立っているものはない。
 馬も人も、すべて横たわって――倒れ伏していた。
「たった一発の召喚術で……軍隊を止めちゃった……?」
 呆気にとられて、もつぶやいた。
 これまで一度も、そんな光景を目にしたことがなかったから驚きもひとしお。
 いや、全員こんな非常識なのは初めて見る顔だが。
「これが、お母さまの本気の召喚術……」
 地面に座り込んだまま、やはり、呆然とミニスが云った。

 仮にも顧問召喚師という職に就いている由縁だろうか。ただひとり、平然と立っていたレイムだけが、実に楽しそうに口を開く。
「いやはや、まさかここまでの召喚術が使えるとは……ははは、これは完全に計算違いですね」
 どうやらこちらを――というか、金の派閥の議長の実力までは、勘定に入れていなかったらしい。
 それでもなお、動揺の欠片も見えないのは、ちょっと不可解だ。
 っていうか、こんな奥の手があるって知ってたら、ここまであたしら苦労しなくても良かったんじゃないですか……?
 いやでもルヴァイド様たち倒されたら泣くから、出てきたことに変わりはないかもしれないけど。
「今ノ大地震ニヨッテ、我ガ軍ノ戦力ノ半数ガ行動不能ニナッタ模様。作戦続行ハ、事実上不可能カト……」
 ざっと被害状況を走査したらしいゼルフィルドが、結果をルヴァイドに告げていた。
 その横で、イオスが槍を地面に突き立て、支えにして立ち上がる。
「……やはり、召喚術を無効とせねば、我々に勝機はないのか……?」
 勝機。
 それを狙う?
 こちらに勝つ道を選ぶこと、選ぶの? そうして命を?
 イオスをにらみつけようとしたの耳に、ルヴァイドの声が届く。彼は、ざっと周囲を見渡して顔をしかめ、怒鳴っていた。
「軍団の再編を急げ! 負傷者を回収後、一時離脱する!!」
 そう指示を出し、ルヴァイドは少し忌々しげにレイムを振り返る。
「……異存はあるか? 顧問召喚師殿」
「仕方ないでしょう。今回は、私たちの負けのようですし……」
 予想していたのか、笑みを口の端に乗せたまま、レイムはそのことばに同意を示していた。
「それに、貴方の忠誠心も、一応見せていただきましたからね」
「……」
「ルヴァイド……」
 トリスを助け起こしながら、マグナがなんとも云えない顔で、黒の旅団の総指揮官に目を向けた。
 その視線を受けて、ルヴァイドは何かを云おうと口を開きかけ、結局閉じる。
 ふ、と、その双眸が、トリスたちから転じられた。
 視線を追わなくても判った。判ってしまった。

 少し離れた場所に、その子はいた。
 地震の余韻がまだ抜けきっていないのだろうか、それとも、先の戦いの――彼女はまだ呆然と、我をなくして座り込んだまま。
 そのを、たしかに、彼は見ていたのだ。
 ひどく痛みを覚える色、その双眸にたたえて。
 まだ、完全に決別出来ないのだと、そう、誰かに。いや、己に訴えるように――


 ……戦いは終わった。
 ファミィ・マーンが掟破りとも云いたくなるような大技をぶちかましたため、戦果はおそらく痛み分けといったところか。
 デグレア軍の被害も、全体から見れば軽微なものであろうし、ファナン側に至っては、軽傷者が数名いるかどうか。

 そうして、その軽傷者たちは当然、先頭切ってデグレア軍に突っ込んでいった、軍としてはひどく奇妙な集団のことを指し示す。
 で、その一行は、戦いの幕が下りたのを知ると、早々に街に戻っていったのである。


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