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第39夜 四
lll 騎士として lll




 がばりと、それまで口に押しつけられていた誰かの手のひらを引っぺがして、ミニスが叫んだ。
「待機してたんじゃないの!? デグレアの軍隊、動き出してるよっ!?」
 余談だが、このときミニスの口をふさいでいたのはモーリンである。
 力自慢の彼女の手を自力ではがしたミニスは、この場合火事場の馬鹿力と解釈してもよいものだろうか。
「馬鹿な……何故、俺の出した命令を無視して動く!?」
 唖然としたルヴァイドの問い。
 誰に向けてのものでもなく、また答える者もいないと思われた、それに。
 答える存在が、いた。

「それは、私が改めて命令をしたからですよ、ルヴァイド」

 いったい、いつの間にその場にいたのか。
 気配さえ感じさせず、その接近も悟らせず。
 銀の髪に、抱えた竪琴。穏やかで優しげな……けれど今となっては冷気さえ感じるその声音。
「レイム!?」
 こちらも勘付いていなかったのか、イオスが驚きも露にその詩人……もとい、顧問召喚師の名を呼んだ。
 そしてたちの側にも、イオスに負けず劣らず驚いている人物がひとり。
「馬鹿な……」
「アグラお爺さん?」
「そんなはずなはい? たしかにあの時……」
「おい、ジジイ!?」
「お前が、どうして……ここにいるのだ!?」
 そのことばは、明らかに、たった今表れた銀髪の男に向けてのものだった。
 たちには、何故アグラバインがそこまで驚いているのか判らない。
 ただひとり、としては、ちょっと思いついたことがないではないが。

 ……まさかレイムさんもアグラお爺さんの知り合いの誰かの息子だとか云わないよね……

 それはさすがに嫌過ぎる縁だ。

 そうして、レイムはそのアグラバインのことばに対して、にこやかに、
「そりゃあもぉ、愛しい可愛いマイラヴァーさんをよりお傍で拝見するために決まってるじゃあありませんか獅子将軍殿ッ!?」
 ……いや。
 いやいやいやいや。
 この弩シリアスなときに、語尾にお星様くっつけて『きゃぴっ』な感じで云われてもなあ。
 脱力して地面に両手足をついてしまったの横で、ネスティがこめかみを押さえていた。
「……先日も思ったが……ああいうノリなのか。奴は。」
「……うん……」
「苦労してたのね、……」
「オレ今、ちょっとだけアイツらに同情した」
 好き勝手云われてるというのに、レイムにはさしてダメージになってないらしい。
 いや、なってたら今ごろもうちょっとまともな道に更正してくれてそうな気もするけども。むしろ悪魔少年に同情されたルヴァイドやイオスたちのほうが、遠い目になってるし。
 で、とうのレイムはやはり、そんなツッコミもなんのその。

「でもすみませんさん、今の私と貴女は敵! そう、敵なのです! さながらロミヲとジュリエッタのように、間に流れるソドムの川がふたりの逢瀬を阻んでいるのです! ああさん、貴女が一言デグレアに戻ると云ってくだされば、私は貴女の為に元老院議会さえも踏み潰してやろうというのに!!」

 ……いや、背後にバラ飛ばして云われても。
 それにソドムってたしか同性愛とかそういう意味の(以下削除)
 第一元老院議会潰してどうする、あんた雇われの身だろうに。

 ツッコミどころがありすぎて、ドコからツッコんでいいのやら判らないって状況、本当にあるんだなあ……

 ……むしろヤツの存在自体、すでにツッコミ放題なんじゃが……

 とアグラバインがそんな無言の会話をしている間にも、レイムはますますエスカレートしていく。
「ですから私は涙を飲んで、職務を遂行することにいたしました。ああ、さん……愛だけに生きられぬ私を許してください……」
 ズチャ。ギラリ。
 遮るもののない太陽の光を反射して、レイムの首筋に突きつけられた大剣が輝いた。
「いい加減にしろ、レイム。殺されたいか」
「……おやルヴァイド。そのような真似をして、ただですむと思っているのですか?」
「その前に俺がおまえをただではすまさん」
 殺気びしばしのルヴァイドのセリフにも、レイムは動じない。
 むしろ日常茶飯事のような応対である。
「まったく……さんがあちら側になっても親馬鹿ぶりは変わりませんねえ……」
「貴様こそ、が聖女側についてもしつこくそのような世迷言を繰り返しているだろうが」
 とりあえず城内のあちこちにの写真を貼り付けるのをやめろ。掃除の手間がかかる。
 思わず、黒の旅団が総出で壁掃除をしている光景を想像したのが数名。
 城内中に自分の写真、と聞いてますます地べたにつっぷしたのが一名。
「あ、あ、ぁ――」
 そして頬に両手を添え、名も無き世界云うところの『むんく』な叫びを表現したのが一名。
「――あ、あれは貴方が指示していたのですか!? なんてことを!」
 私の夢のひとつである、デグレアの壁という壁に写真を貼っていつでもどこでもさんの視線に灼かれるという壮大な計画をつぶしていたのはルヴァイド、貴方だったのですね!?

 つぶれてしまえそんな計画。
 灼かれて焦げて炭になって消えろ貴様。

「……まあ、良いでしょう。また張りなおせば済むことです」
「……張りなおさないでください……」
 涙ながらのの訴えは、あまりに力が抜けすぎて声が小さかったために届かなかったと思われる。

 届いていても黙殺されたかもしれないが。
 そうしてレイムは改めて、ルヴァイドに向き直った。
 抜き放っていた大剣を鞘におさめ、ルヴァイドもまた、レイムに相対する。
「それにしても……いけませんねえ総指揮官殿? 作戦は定刻どおりに行っていただかないと……」
 だがルヴァイドが何か云うより先に、イオスが声を荒げていた。
「そちらの不手際を棚にあげて、何を言う!?」
「ヨセ、いおす!」
 ゼルフィルドの制止も間に合わない。
 発されたことばを耳にしたレイムは、視線を転じてまた微笑んだ。
「不手際とは心外ですね。私は、きちんと任務を遂行しましたよ? 人々が逃亡にまで至らなかったことは、結果論でしかありません」
「……戯言を……ッ!」
「それとも――」
 笑みが深くなる。

「それとも、まさか貴方がたは、平民たちが逃げぬことを理由に、ファナンへの進軍をためらっているとでもいうのですかねえ?」


 とたん、否応なしに記憶が引きずり出された。
 フラッシュバックしたのはレルム村での炎の夜だった。
 自分たちが焼け出された、あの夜の出来事。小さな村のささやかな、変わらぬ日常を砕いた轟炎。
「な……!?」
 驚愕が声になって零れ落ちた。
 何を今さら。今ごろ。
 あの夜、病人も女もこどもも老人も……無力な人間すべてをも、殺し尽くした黒の旅団。
 その指示を下した黒騎士が。

 ……何を。今さら。――今ごろ!


 ロッカとリューグが動揺しているのが、視界の端にちらりと映った。
 あからさまに揶揄を含んだ、レイムのことば。それが彼らを揺るがせたんだろう。平民たち――抵抗出来ない者たち。レルム村の人々。そう連想しただろうことは、想像に難くない。
 でも、なぜだろうか。
 レイムの発言。それは、ファナンへ進軍しないルヴァイドを煽り立てるための含みが多大にあるのははっきりしてる。
 ……けれど、一抹の真実を、かすかに匂わせてる。そのことばは。
 だがそれは、ルヴァイド自身のことばによって否定された。
「レイムよ、侮るのも大概にしてもらおうか。デグレアの騎士である俺が、そのような理由で議会の決定に背くわけがあるまい!」
 黒い甲冑に包まれた腕を大きく振って、ルヴァイドは云う。
 その視線の鋭さは、正視するのをためらわれるほどだ。なのに、レイムは微動だにせず、笑みもたたえたまま、
「ふふふふ……ええ、そうでしょう。そうでしょうとも! 元老院議会の命令は、デグレアの民にとって絶対の真実ですからね」
「……元老院議会……?」
 何それ、と云いたげなトリスのつぶやきは、けれど、続けられるレイムのことばにかき消される。
「そして私は、その議会によって派遣された、いわば議会の代行者なのです。兵を運用する権利は、私にもあるのですよ?」
 どうかお忘れなきよう、イオス特務隊長。
「く……っ」
 歯噛みしているイオスと同じくらい、なんとも云えない顔でつぶやくのはシャムロックだった。
「旧王国の権威主義……まだ、あの悪政が健在だというのか……」
「上の命令は絶対……か。どこも、似たようなものなのね……」
 昔の自分を思い出しているのか、普段の笑みを消してパッフェル。
「くそったれが!」
 そうして、声を荒げて憤りを表すのはフォルテ。
「何が、絶対の真実だ! そういう特権意識が、国ってもんをねじ曲げちまうんだっ!!」
 あいたたたた。
 そうして、数ヶ月前までまさに、その元老院議会からの命令に諾々と従っていた立場のは、耳が痛くて苦笑い。
 まあまあ、と、頭を軽く叩いて慰めてくれる誰かの手。
 一部でそんなほのぼのしいやりとりが展開されたにも関らず、目の前の状況は相変わらず厳しいコトこのうえないけれど。
「云うな!!」
 フォルテのことばが癇に障ったか、ルヴァイドまでもが声を荒げていた。
「俺はデグレアの騎士。国家に属する騎士だ! 命令は必ず実行する……!」
 それはいつも、ルヴァイドがに――いや、自分に云い聞かせるように繰り返していたことば。
「それだけが……我が一族につけられた反逆者という汚名を雪ぐ、唯一の方法なのだ!!」
「……反逆者、だあ?」
 思い切り怪訝な調子でバルレルがつぶやいた。
 そのまま、視線をに向けてくるのは、おまえは知ってるか、と問いたいがためらしい。
 その視線に応えて、は小さく頷いた。
 だけれどだって、詳しい話を聞いたわけではない。
 ただ、ルヴァイドの父が元老院議会に刃向かうようなことをしたため処刑されたのだと。裏切り者とされたのだと。
 それがアグラバインの帰還がどうのなんてことと関っていたなど、今初めて耳にしたのが本当だった。こんな状態で、果たして頷いて良いのか迷ったことはたしかだった。
 が、結局はうなずいたのだった。
 目は、未だルヴァイドに向けたまま。戸惑いも伝わるように祈りながら、ほんの小さく、首を上下させて。
 その横で、こちらも驚愕を露にアメルが呼びかけていた。
 ルヴァイドの応えはないと、判っているだろうに。
「ルヴァイドさん……貴方は…!?」
「この剣は、国のために振るわれるのみ。それが……それだけが、俺の絶対の真実なのだ!!」
「それでいいのか!?」
 けれど。
 それを断ち切るように、マグナが叫ぶ。――呼びかける。
「本当にそれで、貴方は納得してるの? ルヴァイド!」
 重ねて、トリスが。
 いきなり行動を起こした兄妹に、目を丸くしたへ、ふたりは同時に視線を向けた。
 だいじょうぶだよと。
 安心させてくれる、笑みをくれて。
 ふたりは、ルヴァイドに向き直る。
「俺たちは知ってる。貴方が、本当はこんな戦いを望んでいないってことを」
「……何を……!」
「レルムの村の人たちの墓前で、貴方はその罪を悔いて、苦しんでたでしょう!?」
「……あ」
「!?」
「え……?」
 両手を口に当てて、は知らずつぶやいた。
 リューグとロッカが、それまでで最大に驚いた顔になる。
「ルヴァイド……やはりおまえは……」
「……」
 アグラバインのことば。そしてルヴァイドは黙ったまま。
「それに――」
 追い打ちをかけるように、マグナが口を開いた。
 その横で、トリスが手を伸ばす。に。
 おいで、と、その紫の瞳が云った。
 ……行こう。
 そう思う前に、の足は、そのことばに従って動いていた。

 ゆっくりと、前に出る。
 トリスとマグナがの両側に立った。
「……本当に、ルヴァイド。貴方はと戦うつもりなのか? その命を奪うつもりなのか!」
「…………ッ」
 声も無く、立ち尽くすルヴァイドに、アメルまでもが一歩を踏み出す。
「あたしたち、から聞きました。デグレアに落ちて6年間、彼女がどんなに幸せに暮らしてきたか……それをにくれたのはルヴァイドさん、貴方じゃないんですか!?」
「そのを、本当に、貴方はその手で殺すつもりなの!?」
「……黙れ……」
「ふむ、奴の親としての心情に訴えようって腹か」
 ぷはぁ、と紫煙をくゆらせて、レナードがひとりごちた。
「……親……なのかしら……?」
 腕組みしたルウが、こちらは何やら悩み顔。
 と、さらに横からユエルが進み出て。
「そうだよッ! おまえ、今だってそこのいけすかない召喚師に親馬鹿って云われてたじゃないか! それってつまり、まだのこと子供だって思ってるってことじゃないの!?」
「いやそれは微妙に違うぞ黙れ。」
「うあルヴァイド怖ッ。」
 なんか白々しいほどの棒読みで云い、今にも大剣を抜こうとしたルヴァイドから、一同あわてて距離をとる。
「と……とにかく!」
 ビッ、とルヴァイドに指を突きつけて、ネスティが追い打ち。
「その気持ちから、いつまでも目を背けるつもりか、ルヴァイド!!」

「いいえ私はいつでも自分の気持ちに正直ですともさんらびゅぅ――――――ん!」

「テメエにゃ訊いてねぇッ!!」「貴様は引っ込んでろ!!」

 ……そして響いた、ごっつい撃墜音。

 数人が、親指たててふたりを称えた。
「ナイスバルレル! イオス!」
「ケッ」
 槍についた血糊を払い、悪態をつくバルレル。
「……僕は今、いったい何を……」
 そして、敵方からの賞賛で我に返ったイオスが、途方に暮れた顔をしていた。

 なんだこのユカイな寸劇は。
「さあ、!」
「へ!?」
 呆然と成り行きを見守っていたトコロに、いきなり話を振られれば誰だって驚く。
 それはだって例外じゃない。
「君の気持ちをルヴァイドに告げるんだ、戦うしかないとか、そういうのじゃない、本当の気持ちを……」
 ネスティが真剣な眼で見下ろしながら、そう告げた。
「いつか、君が、僕に教えてくれただろう」
 真摯に、強く。彼は云う。
 ……でもどうして今のアレを見てそんなに真面目な雰囲気を保ってられるのですかネスティ。融機人の資質ですか。
「余計なものを取り払って最後に残った気持ちが、きっと本物だと。――僕には、今ルヴァイドと戦う覚悟を決めた君の気持ちが本来のものとは思えない」
「え……いや、あの……それはほら、アメルを渡すわけにいかなくて、でも戦いたくないからって放置は出来ないから、今はこうするしか……」
「あたしのことはいいから、。あなたは、本当は、どうしたいの?」
 横から、アメルが両手を胸のあたりで組み合わせて口添えしてくる。
 その真っ直ぐな眼差しに、思わず後退したところ、後ろにいた誰かにぶつかった。
 仏頂面の、赤い髪の。
「……別に怒りゃしねえ。今を逃したら、もうないかもしれねえぞ」
 それは、今が過ぎてしまえば戦争に結局突入するつもりだからですか?
「……リューグ」
「たぶん、僕たちは貴女の本当の気持ち、知ってます。……でもそれは、貴女が自分でルヴァイドに告げてください」
「ロッカ……」

「ほら、……まっすぐお父さんの方を向いて……」

「いや厳密にはお父さん違いますって」

 優しい微笑を浮かべて背中を押してくれるケイナに思わず反論するも、場の雰囲気に流される始末。
 ……ちょっと待て、何がなんだかなんでこういう展開に?
 冷や汗流して自問しても、答えが返ってくるわけはない。
 殆ど強引に、再びルヴァイドの剣の間合いギリギリの位置まで歩を進め(させられ)た。
「……ルヴァイド様……」
「…………」
 そうして、真正面からルヴァイドを見上げる。
 いつかの夜は暗くてあまり判らなかったけれど、彼は、何故だかひどく憔悴している感じがした。

「――ええと」「何も云うな」

 惑いつつも開きかけた口は、先手を打つ形でつむがれたルヴァイドのことばで止められた。
「覚悟を決めたとおまえは云った。ならばもうこの道しかないのだろう。――俺もおまえも、もう、後戻りは出来んのだ」
「……それは……そうだけど」、
 頑なな態度。崩れぬ硬さ。ああ、そうだ。
 彼はそういう人だった。
「そりゃ、選んだ道、後戻りなんか出来ないけど」、
 ことばを紡ぐうちに、気持ちが昂ぶる。
「でも!」
 最後はほとんど、叩きつけるように。
 ……でも。でもね。
 その堂々とした宣言と逆に、寄せられた眉根と重い口調がを力づけていた。
 本当は。
 まだ迷ってる自分。
 まだ迷ってくれてるかもしれない。
 この道を歩きつづけるしかないと思い込んでいるから、傍にある別の道が見えていないだけなのかもしれない。
「……でも、ルヴァイド様」
「――」
 だから、深呼吸ひとつ。挟んで、落ち着いて、彼の名を呼んだ。
 応えはない。だけど構わない。
「前に云ったとおり、あたしはこの道を歩く覚悟、しました。戦うつもりで、いました」
 それを間違いとは思わない。
 結局突き詰めてしまえば、どうしてもあの禁忌を解放する道は選べない。
 ……だけど、この人たちと完全に手を取り合えない道を歩きたくなんか、ないんだ。
「……
 イオスが自分の名を呼ぶ。それさえも随分と久しぶりに思える。
「この道って決めて。……だけど戦うことにはまだ迷って。考えてもしょうがない、もう歩こうって何度も思いながら、それでも吹っ切れない」
「……」
 何故か。それは、
「あたしは、貴方たちが好きです」
 いつかの夜、そう告げたように。
「好きだから、戦いたくないです。……手を伸ばしたいです。手をとってほしいです。大好きなみんなと。みんなで一緒に歩いていきたいです」
「……もはや、道は交わらぬ」
 おまえはその覚悟をして、デグレアを抜けたのだろう。
 それは確かに、そのとおりと云うしかないけれど。
「そんな保証、ない――でしょう?」
 ずっと交わらない確証はないはずだ。交わる確証も、ないけれど。
 それに。
「ルヴァイド様は本当に、それでいいんですか? お父さんのことも、レルム村のことも、全部ひとりで背負って抱え込んで」
 そのままその道を進むことを、本当は躊躇っていませんか。
 いつか邂逅したレルム村で。
 連れて行かれた旅団陣営で。
 包んでくれたその腕の温かさは変わりなかったのに。
 あの炎の記憶だけは、ずっと、ひどく冷たいまま。その冷気は、貴方を束縛しつづけていませんか。
「ルヴァイド様は、ほんとうに、この道しか見えないんですか?」
「云うな……」
「後戻りは出来なくても、いまからだって、進む道を変えることはきっと」
「……黙れッ!!」
!!」

 大剣が空を薙ぐ。

 とっさに腕を引かれて後退するのが遅かったら、髪の毛数房だけですんでいたかどうか。――すんでいた、だろう。
 剣を振り下ろすその寸前、刹那の空白があった。
 その間に、腕を引かれた。それを確認して、剣は振り下ろされたのだから。
「ルヴァイド!!」
「俺はデグレアの騎士だ! 歩む道はもとよりこれだけ、よけいな迷いは要らぬ!!」
 ――これ以上俺を惑わすな!
 彼の叫びをかき消さんと、誰かが怒鳴った。
「そうやって、目を背け続けるつもりか、ルヴァイド!」
 選びたかったものとは違った道を歩いてしまっても、選択した道の後戻りは出来なくても。
 それを認めれば。ここから改めて周りを見渡せば。
 もしかしたらそのすぐ横にある、本当に歩みたい道に気づくことが出来るかもしれないのに。
 拒むのか。それさえも。

「いけませんねえ、皆さん」
 一瞬生まれた空白を、レイムの声が埋めた。
「我が軍の指揮官殿をたぶらかそうとなさるなんて……将を射るならばまず馬から、数多の雑兵を退けてから、ですよ?」
 まあ、さん相手なら私がたぶらかされそうですが。

 ふわりと微笑んだまま、レイムが告げる。
「……茶番はおしまいにしましょう。ルヴァイド、貴方の忠誠を見せていただきましょうか」
 銀の糸、手繰りながら。
「ルヴァイドさ――」
「下がってください、さん」
「シオンの大将……」
 忍装束に身を包んだ蕎麦屋の大将が、を後ろにかばうように前に出る。
「……今は戦う他ありません」
 貴女も、判るでしょう。
 言外のそれには、……頷くしかなかった。
 剣を振られた。自分に向けて。
 そのことがひどく痛い。命さえ危うかった恐怖ゆえにでなく、そうまでしても、頑なにその道をだけ貫こうとするその人が。

 反逆者の汚名を雪ぐというのは、国家の為に忠誠を尽くすというのは、こうまでしなければならないのかと。
 己の心を殺してまでも選ばなければならない道だというのだろうかと――


 アメルを横からさらわれないために数名で周囲を固めながら、かの黒騎士と渡り合う覚悟持ちの人間が、前に出る。
 召喚術を使える者は、少し距離を置いて、術のための詠唱準備に入る。
「どうする? 軍隊は動き出してるぞ」
「戻りたくてもこいつらが見逃してくれると思うか?」
 ロッカとリューグの会話を横に聞きながら。
「……軍隊がファナンに到着する前に黒の旅団を――総指揮官をおさえるしかない、ということですね」
「だな。シャムロック、ローウェン砦での雪辱戦といこうぜ」
「ええ」
 フォルテとシャムロックの会話が風に乗って流れてくる。
「……、下がって」「ううん」
 なお後ろに下げようとしてくれたマグナの気持ちだけは、ありがたく受け取る。
 そして、は剣を抜いた。
「それでいい……」
 ルヴァイドの声。
 応じて顔を上げれば、彼は、厳しいなか、それでもかすかに微笑を浮かべていた。
 俺の意志は俺を止めることは出来ぬ。ほんのわずか、細められた双眸が云う。
 ――おまえなら止めてくれるか、力を以って。やわらかな光、宿した瞳がそう語る。
 目は口ほどにものを云う、と、教えてくれたのは誰だったろう。
 本人が気づいていない気持ちまで伝えるのだと自覚したのは、つい、今だけれど。
 そうしても、少しだけ目を細めた。
 あたしがルヴァイド様倒せるほど、実力者なワケないじゃないですか、と、それは果たして届いたのか。
 イオスが、腕を持ち上げる。
「総員、行け! 一命に替えても奴らをこの場から動かすな!!」
「はッ! いつまでもテメエらの好きにさせてたまるかよ!!」
 そうリューグが怒鳴ると同時、振り下ろされた手。それが合図。


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