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第39夜 弐
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 ――そんなのほほんとした光景が、ファナンで繰り広げられているとはつゆ知らず、デグレアからの大軍は、ただひたすらに東を目指して進んでいた。
 その先頭を務めるのは、の予想したとおり、黒い鎧で統一された集団――黒の旅団だ。
 中央の少し後方あたりを、総指揮官であるルヴァイドが進む。横に並ぶのは特務隊長のイオス。その斜め前に、こちらは徒歩のゼルフィルド。
「……見えるか、ゼルフィルド?」
 問いかけに、ゼルフィルドからかすかに機械音が走る。
 装備している銃の命中精度に等しく、遥か先までも見通すレーダーが、ファナンを中心とした一帯を走査した。ことこまかなものまで見通せるものではないが、ある程度の集団であれば発見は容易い。
 相手軍の大まかな動向を探るもよし、だが、今回の走査はそのためではない。
「現時点デ、大規模ナ民衆ノ移動ハ確認サレテオリマセン」
 その返答に、ルヴァイドの表情がかすかに曇る。
「……あの男――あれだけ自信ありげに云っておいて、失敗をしたのでは……」
 こちらはよりはっきりと表情を歪めてイオスがつぶやいた。
 あの男――いわずもがな、黒の旅団の顧問召喚師である。
 街の住民を混乱させ、ファナンを空にしたところに攻め込めば良い。空にするのは引き受けましょう、と、微笑みながらレイムは云った。
 彼らは、半ばそのことばを当てに、こうしてここまで軍を進めたのだ。
 だが結果は、今のゼルフィルドの返答が示している。

「……味方の失敗を希望するような発言はよせ」
「ですが、ルヴァイド様!」

 しばしの間を置いて告げられたことばに、イオスが勢いよく振り返った。
 間近に迫った戦いに気が逸っているのか、それとも、何かに怯える心を覆い隠そうとしているのか――いささか不自然すぎるほどに。
「本来ならば、この時点で、あの者は我々と合流しているはずです!」
「姿を現さないのは、失敗したと考えるべきだと?」
「……はい……」
 もっともな発言に聞こえるが、それでは失敗したという証拠にはなりえない。
 本人を呼んで問い詰めるか、ファナンの人間を引っ張ってきて、実際にレイムが現れたか、どのような動きをしていたか訊きでもしない限りは。
 それが判っているのか、ルヴァイドの問いに答えるイオスの声からは、先の勢いが半減していた。
「――だとしても、我々のやるべきことは同じだ」
 視線を正面に戻し、ルヴァイドは告げた。
「非戦闘員……余計な人間が街にまだいるのなら、ファナンの全戦力をこちらに引きずり出し、本隊の到着までに消耗させる。……その有様を見れば、抵抗の意志はなくなるだろう」
「市街戦、特ニ混戦ニナレバ、大軍ノ利点ガ失ワレマス。……的確ナ判断カト」
「……何か云いたそうだな? ゼルフィルド」
「イイエ、我ガ将」
 かすかに、ほんのかすかにからかいの混じったことばに、ゼルフィルドは、あくまでも律儀に淡々と答えた。
 機械兵士の声に抑揚はないのが通説だが……
 それでも、今の音声には、わずか揺らぎがあったように思え、ふと、ルヴァイドの口の端に、かすかに笑みが浮かぶ。
 最初にがデグレアに落ちてきたときを、思い出した。
 どうしたものかと混乱したルヴァイドから手渡されたを、たぶんあやそうとしたのだろう。数パターンの声を合成して、どうにか柔らかいものにしようと、苦戦していた光景。
 それまでは、通り一遍の機械兵士――というほど他の機械兵士を知るわけでもないが――なのだと思っていたゼルフィルドを、ただそれだけで済ませる存在ではないのだと、認識した第一歩だったのだ。

「それでも、やはり私は、今回の作戦には賛同出来かねます……!」

 舞い下りた沈黙を打ち破って、再び、語気も鋭くイオスが云う。
「常に最前線で戦うのは、我々黒の旅団のみ――本隊はいつだって、すべてが終わった後に到着するだけではないですか!」
 それは鍵である聖女の確保然り。
 ローウェン砦攻略も然り。
 そうして今回のファナン戦も、また。
 だがそれは、デグレアの民にとっては、絶対の存在からの命令だ。だからルヴァイドはそれに従っている。
 とは云え、帝国からの民であるイオスには、あまり元老院議会の絶対性は染み込んでいないのだろう。直接そのような機関と接するコトの少なかったと、同じように。
 そうしてルヴァイドは、イオスのことばに賛意を示すわけにはいかなかった。
 将として、またデグレアの騎士として。
「元老院議会の決定は絶対のものだ。判るな、イオス」
 ――そう告げるしかないのだ。
 ぐ、と、イオスが口を引き結ぶ。一秒二秒、何か云いたげに視線を泳がせたものの、やがて、まだ不満げながらも頭を下げた。
「……失言でした」
「ゆめゆめ忘れるな」
「はっ……」
「――将」
「どうした?」
 ゼルフィルドが歩みを止めて、ルヴァイドたちを振り返る。
 ただならぬ雰囲気のその声に、歩を止めて促した。
「前方ヨリ、コチラニ接近スル一団アリ――」
「噂に聞く、金の派閥の召喚師たちか!?」
 相手に不足はない、と、イオスが意気込む。
 けれど、
「……否」
 否定のあとに、続けられたことばは。

「一団ノ中ニ捕獲対象デアル『鍵』ノ姿ヲ確認。……直近デハろーうぇん砦デ遭遇シタ、召喚師ラノぐるーぷダ……」

「――ローウェン」
「……『鍵』」

 ルヴァイドとイオスの呼吸を刹那、止めるに、充分な威力を秘めていた。
 おうむ返しのように単語をつぶやいたふたりは、驚愕の残る声で、ことばをつづけた。
「……奴らも……ここにいたのか」
「ということは……も――なのか? ……ゼルフィルド」
ノ姿モ確認シタ」
「――――」
 先程の比ではない、重い沈黙が舞い下りた。
 けれど、その重みにあまんじて足を止めるわけにはいかない。

 あの子は云った。
 自分たちと戦う道を選ぶのだと。
 聖女は――『鍵』はデグレアには渡さないと。

 あの子は覚悟を決めたのだ。
 そうなのだろう?
 ならば、自分たちも決めねばならない。

 そうしなければ、もう、この道は進めない。

 ぎり、と、手を固く握りしめ、イオスが口を開いた。
「……好機とみなすべきです」
 歯を食いしばり、かすかな震えさえ見せながら――ただその数言を口にするのに、どれほどの労力を払っているのだろう。
「『鍵』さえ……聖女さえ手に入れば、断念していた召喚兵器の獲得を実現出来ます」
 そうなればもう、あの子も諦めるかもしれないと。
 こちらには戻ってこなくとも、刃を交える位置からは退いてくれるかもしれないと。
 ……そんな、小さな。希望とも云えないほどの。
 それでも、それを好機にしたいのだと、言外の――切望。
「――召喚兵器……か」
 は、もう、知っているのだろうか。おそらく、知っているのだろう。
 強大な力をデグレアにもたらすと云われる、禁忌の森の奥深く、眠りつづけるという、過去の遺産。
 それを忌むべきと。
 受け容れることは出来ないと。
 あの子ははっきり、そう云った。

 そしてそう云わしめた、その実体にふと思いを馳せ、気づく。
 そういえばと。
 そもそも、自分たちは何も知らないのではないだろうか。召喚兵器とやらが、いったいいかなるものなのか。

 知らずに。
 元老院議会の決定に従い、今ここにいる。
 ……いや、それで、良い。デグレアの民としては。それでも良いのだ。
 余計なことを考えていては、途切れなく下される命令をこなせない。
 何も考えるな。元老院議会は絶対なのだから。
 ただ命令を果たす、国家の手となり足となれ。

 そのはずなのに。そうしてきた、はずなのに。
「……」
「決断ハイカニ……我ガ将ヨ」
 じくりと痛むのは心臓か、それとも心というモノか。
 ルヴァイドは、静かに目を伏せた。
 押し殺せと。強く己を戒める。
 疑問も願いも、もとより抱くことは許されぬ。流れる血も開いたままの傷口も、すべてが終わるまではもう閉じ込めろ。

 ――デグレアの騎士として選んだ道を進むため。心は殺せ。痛みには目を向けるな。

 もう迷っていられる時間は過ぎた。
 そのときから、ここに至る選択は、済んでいたのやもしれぬのだから。

 鷹のように鋭い光をたたえた双眸が、開かれる。
「全軍、ここで待機だ。奴らとの接触を待って、鍵である聖女の捕獲を優先する!」
 ただ正面のみを見据え、決断は下された。



 遠くから見たそれは、まるで人の海。
 しかも黒を基調とした鎧が主体なものだから、まるで黒い海が押し寄せてくるような感じ。
 つい何ヶ月か前までは自分はあそこにいたんだと思うと、ひどく不思議な――ちょっと後ろめたい感じがした。
 それから感じる、小さな不安。
 ルヴァイドの将としての才覚も騎士としての実力も、近くで見てきた。
 真正面からそれにぶつかったとして、果たして今の自分たちで勝てるのかどうか。
「やってみなくちゃ判らないよ」
「……マグナ?」
 ぽんぽん、と、頭を軽く叩いて笑ってくれたのは、いつの間にと歩調を合わせていたのか。さっきまではもう少し前の方を歩いていたはずの、クレスメントの片割れだった。
 そんなに顔に出てたのかと自省する反面、手のひらからもらった暖かさに安堵して、気持ちがやわらいだ。
……今回は後ろにいてもいいんだよ?」
「トリス」
 もうひとりの片割れが、心配そうにそう云ってくれる。
 けれど、はかぶりを振った。
「……ううん、いい。前に出る。ルヴァイド様は無理でもイオスくらいなら止められると思うし」
「……平気?」
「……」
 即答は、出来なかった。
「平気にする」
 だけどうなずいた。もう宣言してきたから。
 ルヴァイド様たちが前に出て戦おうとするなら、それを迎え撃つ。
 ――そう、決めたのだから。
 先程レオルドが走査をかけたとき判明したのは、やはり黒の旅団が先鋒だということだった。
 ならば、あの人たちはきっと前線に出て向かってくるだろう。
 そこに自分が行かなくては、あの夜なんのために別離を告げたのか判らない。
 それだけの覚悟は、もう、したのだから。そのはず、なのだから。
「……だいじょうぶなんだな?」
「うん」
 そう、ネスティのことばに頷いたのは、ではなかった。
「トリス? マグナ?」
 きょとんと見上げると、ふたりはを見て笑ってた。
 それから、

『だいじょうぶ』

 声を揃えてそう云った。
 励ましてくれてるんだろうか、そう思って、彼らに礼を云おうとしたけれど、ちょうどそのとき、少し前を歩いていたルウが足を止めた。
 つられて、たちもそこで止まる。
 先を歩いていたフォルテたちが、歩みを止めて前を見据えていた。

 ――前を。 もはや目と鼻の先にいる、黒の旅団を。


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