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第39夜 壱
lll いざ出陣 lll




 ――そして夜が明ける。
 一番鶏が声高に、山の端に太陽がかかったことを告げるのと同時。

「モーリンッ!」

 ドンドンドンドンドン!!

 港の近くに居を構えている漁師が、音高く扉を叩きながら呼びつける声が、その朝の目覚ましになった。
 全員、がばりと身を起こす。
 たぶんそれは、殆ど同時。
 普段ならこんな時間には起きないはずの、マグナやトリスまでもが、が玄関に駆けつけた頃には先んじて集まっていた。
 そうしてその玄関では、モーリンが漁師と向かい合う。
「どうしたんだい!?」
 半ばは期待。予想どおりかと。
 半ばは不安。予想どおりかと。
 彼女の強い語調には慣れているのか、それとも動揺が勝ったか。負けずとも劣らず大音声で、漁師が告げる。

「ついさっき、入港した船のもんが云ってたんだ。沖合いから見てとれるくらい大量の軍勢が、トライドラからファナンに向かってきてるらしい!!」

 場は。
 ざわめきさえしなかった。
 それぞれが、それぞれと顔を見合わせる。
 まだ準備が必要な者はすぐさま部屋に駆け戻り、手の空きそうな者――カイナとミニスとアメルとレシィが台所へ走り、その他数名は必要品の準備。
 そうして同じように手にガントレット等はめれば準備完了なモーリンが、ひきつづき、漁師と話す役を買って出る。
「報せてくれてありがとうよ。――どのあたりで見かけたか聞いてるかい?」
「なあに、頼まれてたからな」
 と、豪快に笑ってみせた漁師は、「あくまでも俺らの目測だが」、そう前置きしてモーリンの質問に答えた。
 曰く、大軍勢だけあって歩みは遅そうだということ。
 早くて今日の昼、遅くとも午後には先陣がファナンに辿り着きそうだということ。
 そこまで聞いて、は少し考える。
「――デグレアの本軍……ってなると」
?」
 呼びかけに、知らず口元に当てていた手を外した。
「先陣、黒の旅団があてられてるかもしれないね」
「え? でも黒騎士が今回の軍の総指揮官なんだろ? そんな奴が先頭きって突っ込んでくるもんなのかい?」
「ルヴァイド様はその前に黒の旅団の指揮官だし……それに、旅団はそういう性質の部隊なの」
「ええ、そうですね。ローウェン砦でも、先鋒を務めていたのは黒の旅団でした」
 とっくの昔に用意を完了させたシャムロックが、早々と大剣をかついでやってきた。
「とりあえず、目指すのは黒の旅団なんだから、の云うとおりならそのほうが有難いけど」
「旅団がちょっとでも軍隊から先行してくれてれば、本軍が助けにくるのが遅れるし」
「……その間に黒騎士をどうにか出来るつもりか、君たちは」
 兄妹の会話にさらりとつっこむ兄弟子、という漫才(約一名不本意だろうが)を披露しつつ、蒼の派閥組到着。
「どうにかすんだよ。根性で」
「根性で何でも解決出来るわけじゃないだろ、リューグ」
「うるせえバカ兄貴! 根性がなけりゃ何も解決しねえだろうが!」
「根性に頼るのは最後の最後、やることをやって後がなくなってからだ」
「……てめえの『やることやって』てのは、マジでえげつねえ部分までいくだろーが……」
 ためになるんだかならないんだか。
 双子のちょっとずれた会話に、思わず笑う
「……ルヴァイド、か」
「どうした、爺さん?」
「いいや、少々気になることがあってな……」
「黒騎士と知り合いなの?」
「いや、知り合いというより……――ふむ、本人を見てみらねばいかんとも云えんよ」
 重厚な鎧の音を響かせてアグラバインがやってくれば、フォルテとケイナが問いかける。
 そのことばは、もちょっと気にかかるけれど。
 ――まあ、ご本人がまだ確証を持てないみたいですし。
 それに当人を目の前にしたら、何らかの答えは出るみたいですし。
 そんなこんなで、準備を終えた人たちから、ぞろぞろとモーリン宅の玄関の前に集合。
 ちなみに漁師さんには、モーリンが充分にお礼を云って帰ってもらった。
 そうして、戦の前の緊張感が、ひしひしと漂い始める。
 今までのような、少人数同士の小競り合いなんかじゃない。
 大勢の人と人がぶつかりあい、馬が疾駆し、血の雨が降る――そんな戦争が、これから向かう先で繰り広げられる可能性があるのだから。それこそ、そこへ突っ込む自分たちの行動もまた、それが広がるか抑えられるかの要素のひとつとなる。
「――」
 ひとつ、息をついた。
 ため息をつくのは、出来るだけこれで最後にしようと思いながら。
 いつだったか忘れたけれど、誰かから教わった記憶。ため息をひとつついたら、ひとつ幸せが逃げるんだよ、と。
 戦うから。
 大好きなあの人たちと、これからあたしは戦うから。
 それでも、その結末が幸せになるように。ほんの少しだって、逃したくない。……それはささやかな願掛けにもなるかどうか、だけれど。

「皆さーん、おにぎりが出来ましたよー」

 ……と、決意している横からほのぼのとした声。
 大量のおにぎりを抱えて最後に走ってきたのは、先程台所に駆け出した4人だった。
「……これは……?」
 人数分用意してある包みをひとつ手にとって、間の抜けた声でロッカが問う。
「おにぎりです!」
 どーん、と、背景に日の出を背負って云うのはレシィだ。
 判ってんだよそんなこたぁ! と、久々にバルレルのツッコミがその後頭部に炸裂する。
「腹が減っては戦は出来ぬと申します」
 にっこり、ケイナとフォルテに包みを渡しながらカイナが云った。
「おそらく強行軍になりますから、歩きながらでも食べられるものを、と思いまして、おにぎりを用意させていただきました」
「中身の具もイロイロですよ」
 何が当たるか楽しみですね。
 爽やかな聖女スマイルでアメルが云った。 
 ってちょっと待て。今のアクセント、なんか怖いぞ。
「……イロイロ?」
 本能で不穏なものを察したか、おそるおそるユエルが問いかける。

「ええ。馬鈴薯に薩摩芋、長芋に山芋に里芋に男爵芋にメイクイーン……他は焼き魚に梅干にキュウリにアスパラガスにニラにレバー――(以下省略)」

「…………」

 指折り数えて云うアメルを見て、全員が、がばっとカイナとミニスに向き直った。
「ごめん、もうみんな混ぜちゃった。私が作ったのも、アメルとケイナとレシィがつくったのも」
 あはは、と、笑って云うミニス。
 その笑顔が少々ひきつっているのを、目ざとい数人は見逃さなかった。

 ――これすなわち、ロシアンルーレットか。

「で、でも食べ合わせてまずいものは入れていませんから……」
「そういう問題じゃねえ! 止めろよテメエ!」
「バルレル君、それ、どういう意味なのかな〜?」
 レシィにくってかかるバルレルの後ろから、さらに聖女スマイルで迫るアメル。
「げっ……!」
 すかさずダッシュで逃げるバルレル。
 そうして少し離れたおにぎり配給場では、まさにロシアンルーレットな気分でそれぞれおにぎりの包みを手にとる一行の姿があった。
 そんなに不安なら遠慮すればいいという意見があることはあるのだが――

 遠慮する方が命が危ない、と、考えた人間が多かったのがその理由である。
 そしてその選択はおそらく正解だったと、遠く聞こえる悪魔少年の悲鳴を耳に、彼らは己の無事を喜んだのである。


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