そうして、日も半ば以上が隠れた頃になって、お買い物一行はようやくモーリン宅に帰り着いた。
とりあえず部屋へ荷物を置きに戻ろうとしたところ、目的地に到着するよりより先に、
「アメル」
薪割りでもするつもりなのか、腕まくりしたリューグと玄関で鉢合わせた。
彼は真っ先にアメルの名を呼んで、それからに視線を移して。最後にトリスに目をやった。
「おまえら、ちょっと道場にこい」
「特訓?」
今朝ロッカとやっていた勢いで、思わずそう訊いたら、即座に呆れた視線。
「……アメル呼んでる時点で違うって勘付け」
べしっと額をはたかれた。ただし、威力はケイナより遥かに強いけど。
ちょっと赤くなったかもしれない額を押さえて文句を云ったら、リューグは実に楽しそうに、含みのある顔で笑って云った。
「いつかのおまえに殴られたよりは、手加減してるつもりだぜ?」
「あ―――――むかつくな―――――この人は――――――!!」
それこそ本気で殴りかかろうとしたを、トリスとアメルとルウが必死こいて抑えたのは、ご愛嬌。
そうして連れてこられた道場に、一歩足を踏み入れて、
「…………」
「…………」
もトリスもアメルも、その場でがっつり固まった。
「あ、おかえり! 、それ似合う、かわいいー!」
「おかえりなさい。似合ってますよ、さん」
犬モード全開で出迎えるマグナと、にっこりにこやかに迎えるロッカ。
そしてお出迎えのふたりの向こう、道場の奥の方に立っていたアグラバインが、顔を笑み崩してる。
「おかえり」
ただし、今まで見てきたような、木こりの格好ではない。
シャツの上には立派な鎧。相当年季が入ってるようだ。
傍には使い込まれた大斧と槍。こちらも古いものに思えるが、きっちり手入れされてきたのがよく判る代物だった。
そんな物々しい格好をしたアグラバインを見るのは、もトリスも――たぶんアメルも――初めてだった。
「……お爺さん……それは……?」
付き合いの長さが勝因か。一足先に我に返ったアメルが、ぽかんとしつつそう問いかける。
「あ、そうそう!」
答えたのは、訊かれたアグラバインでなくて、マグナだったけど。
「聞いてくれよ、アグラお爺さんも、俺たちと一緒に戦ってくれることになったんだ!!」
「――て、わけだ」
たちの後ろで、成り行きを見守っていたリューグが云った。
「リューグ……話しておかなかったのか?」
道場まで連れてきたくらいなんだから、てっきり事情は説明してると思ってたよ。
黒くにこやかに槍に手をかけた兄を見て、弟は顔を引きつらせる。
「こらこら、うちの道場破壊してくれる気かい?」
決着なら薪割り出来た数かなんかで決めとくれ、と続けながら、モーリンがやってきた。
先に部屋に戻ったミニスたちあたりから、帰宅を知らされたんだろう。
そのモーリンのことばを聞いたロッカとリューグは、まったく同時にお互いを見、まったく同時に道場を後にした。
遠ざかる、バタバタとした足音に混じって、「どけバカ兄貴ッ!」「弟なら兄を立てるものだろッ!」とか、微笑ましいやりとりが聞こえる。
これでいいのか双子。
そう思ってアメルを見たら、彼女はアグラバインと視線を合わせ、にっこり笑ってくる始末。
その笑顔は云っている。
『こんなの日常茶飯事です』と。
「うまくたきつけておくと、普段の7割増しくらいの薪割りがすむんだけど……今回はどうかしら」
「まあ、あまり無理せんように、あとでおまえが云ってやれ。戦いが迫っているんじゃからな」
ある意味大物なふたりの会話に、その他一同は顔を見合わせて嘆息した。
気を取り直したトリスが、もう一度、アグラバインを上から下まで眺め見た。
その横で、も同じように、その佇まいを凝視した。
少なくとも、アメルを拾ってレルム村に流れ着いてからは、ずっと木こりとして生計を立てていたはずなのに、なんてしっくり馴染んでいるんだろう。
10年以上のブランクを感じさせない、堂々とした、自然な姿。
「……まさに、獅子将軍だな」
「フォルテさん! シャムロックさんも」
「皆さん、おかえりなさい」
「買い物は満足したみたいだな」
いつの間にやってきたのか、道場の入り口に立ってこちらを見ていたのはフォルテとシャムロックのコンビだった。
「って、みんなもう知ってるんですか?」
「ああ。買い物に出かけてたおまえさんたち以外な」
ふふん、とちょっぴり勝ち誇ったようなフォルテの傍ら、シャムロックが苦笑する。
「しかし、少々驚きましたね。レルム村から忘れ物をとってくると出て行かれて、戻ってきたら、こんな一式に身を包んでおられたのですから」
「まったくだ。せめて予告してから動いてほしかった」
「はは、勘弁してくれ、若い騎士たち」
そう話しているふたりの間に、話のタネにされている本人が豪快に笑いながら割り込んで。
「少なくとも決意を見せるには、形からとは云えそこから入らねば気が入らぬものよ。なあ?」
そうして向けられた視線は、の方。
つい先日、デグレアの軍人だった打ち明け話をした記憶も新しいこちらとしては、頷く以外にない。アグラバインの云うように、デグレア軍の正規の制服でもって臨んだことも、その思いも、きっちり覚えている。
立つ場所が違ってしまっても、あれを着ると身が引き締まる感じがするのは本当のことだ。
だから、わざわざそれを持ってきて告げた、アグラバインの気持ちも判る気がする。
――と云っても。
の方は、禁忌の森でクレスメントの霊に遭遇したときに血まみれの泥まみれになってしまって、今は略式の服しか残っていない。それが、ちょっと空しいというか惜しいというか。
だからこそ、今日、トリスたちに服買いに引っ張り出されたわけなのだが。
「判る気がします。私も鎧に身を包む前と後では、感覚が違いますから」
が頷いたすぐあとに、同じように同意を示すシャムロック。
今は鎧は当然着ておらず、楽な――それでもフォルテにくらべると、かっちりした格好。
「そうかなー? 俺、派閥の制服着ても別になんてコトないけど」
「うん、あたしも」
「そりゃ普段着だからだろ」
真顔で自分たちの姿を見比べている召喚師兄妹に、呆れたフォルテのツッコミが飛んだ。
そんな彼へ、複数の視線が集中する。
不意の注目に、さしものフォルテもちょっぴり驚いたらしい。
「な、なんだよ?」
問われ、たち、答えて曰く。
「いや、ってゆーか?」
「フォルテ、ケイナにツッコまれてばっかりだと思ってたけど」
「ちゃんとボケ以外も出来たのね、って」
「……おまえら、人をなんだと思ってんだ」
夕食後だった。
当番のまわってきた食器洗いをすませて、お風呂の準備を手伝いに行こうとしていた廊下で、はその人を見つけた。
「あれ、シャムロックさんこんな時分にどちらへ?」
大剣背負って、鎧まとって、玄関に歩いて行く途中だったトライドラの騎士は、いきなりの呼びかけにちょっとびくりとしたようだった。が、声の主がであることをすぐに察してくれたらしく、苦笑しながら振り返る。
「……ああ、君か」
「なんだと思ったんですか」
「背後から声をかけられたから、驚いたんだ。気を悪くさせてたら、すまない」
子供に接してる心持ちなのか、ちょっとむくれたの頭を軽くなでようとして――
「と。失礼だったかな……」
あわてて、手を引いている。
何を今さら。
とか思わず云いそうになったのを、やっぱりあわてて飲み込む。
代わりに、にへっとマグナ直伝人懐こい笑みを浮かべて云ってみた。
「トライドラから帰るときに、もうなでてくれてたじゃないですか」
瞬間。
『ぼふッ』と擬音のつきそうな勢いで、シャムロックの顔が真っ赤になる。
なんだなんだと、のほうがびっくりした。
「いや、あれはその、君が疲れているのに起きていようとしていたから、早く寝たほうがいいんじゃないかと……!」
「……はあ」
「だから……つまりけっしてやましい気持ちでそうしたわけでは――天地神明に誓って私はさんに」
話がどんどんヤバイ方に転がって行ってないか。
もしルヴァイドが聞いてたら、背後から声かけるどころか、大剣の腹で後頭部どつくかもしれない。
「シャムロックさんシャムロックさん」
判りましたから落ち着いてくださいませ。
「……すみません」
パッフェルみたいな口調になりつつ、どうどうと背中をなでると、シャムロックもようやく暴走しかけるのをやめてくれた。
しかしまあ。思わず感嘆する。あのフォルテの後輩とは、つくづく、とても思えない。
なんというか……さすが騎士団純粋培養。
帝国純粋培養のイオスだって、の頭なでたくらいでここまでならないぞ。
「物心ついてからは、ずっと剣術の訓練、騎士団の仕事だったからね……そういうのに疎いと、よくフォルテ様……さんから叱られてたよ」
問えば、予想どおりのお答え。
そうですねー、と、かなり失礼な同意をしたが、シャムロックは大きく頷いた。
「あの人と違って、私は女性に縁がないから」
と、困ったように笑ってそう云った。
が。
「違うでしょそりゃ。」
、思わずビシッと空中裏拳。
だが、シャムロックは、きょとん、と目を見張る。
「……え?」
「シャムロックさんは絶対女の人にモテるタイプですよ! 女の人がお弁当差し入れたりとかなかったんですか?」
「え? ええと……ああ、そういえば親切な方が数名いたような」
「『親切』ですませてたんですか貴方わ」
「はあ……友人の姉上だったんだが、わざわざ私にまでお裾分けを毎回のように。ああ、あと親切といえば、行き着けの飲食店の方は、私が相当お腹を空かせてると思ったのか、訓練帰りに寄ると必ず一品おまけしてくれて」
「で、それも『親切』と」
「……ええ。他に何か理由が?」
「あったに決まってるでしょうが―――!」
(実況)
おっとの平手がシャムロックの背中に音高く決まった―――!
シャムロック咳き込んでいます! 鎧の上からのはずなのに、相当の衝撃が襲った模様!
だがしかし、も手をおさえてしゃがみこんでいる! 鎧を直に引っぱたけばそりゃ当然だ! あほです!!
人間勢いで行動するとロクなコトにならないいい例ですッ!!
(実況完了)
しかしシャムロックは手強い。
「……い、いきなり何を……!?」
「……何を、も、何も……そのお姉さんたち、どー考えてもシャムロックさんに振り向いてほしかったとしか」
「え? ちゃんと目を合わせて会話していたつもりだったけれど」
「違あああああああぁぁぁぁぁうッ!!!」
(実況)
おおっとの拳がシャムロックの鎧に以下省略。
(実況完了)
「要するにー」
ちょっと涙目になりながらは云った。
利き手である右の手は、手のひらも甲も真っ赤になっていた。
全身全霊というほど力を入れてなかったからいいよーなものの、運が悪けりゃ骨が逝ってたと思われる。
「その女の人たちは、シャムロックさんのことが好きで、自分だけを見てほしくて、あれこれアプローチしてたんじゃないんですか?」
「……そ、そうなのか……?」
「そうなのです」
たぶん。と、これは言外。
まだ信じられないでいる表情のシャムロックに、は思いっきり頷いてみせた。
「まったくもー、鈍いにも程がありますって」
イオスだってそこまで朴念仁じゃないですよ。
これもまた言外、表には出さない。
引き合いに出されたのが敵方の特務隊長とくれば、いい気分はしなかろうし。
けれどそれが引き金になったのか。イオスといえば、と、ふと思い出した光景がひとつ。
彼もやっぱり、女の人たちからよく付きまとわれてた。そんな、あるときのことだ。
女性とも見紛う美形っぷりのおかげで、何かっちゃあ付きまとう女性たちに、もともかなりうんざりしていたんだろう。
ちょうど隣にいたを抱え上げ、『僕は、この子という、心に決めた女性がいるから』とぬかされた日のコトは忘れない。
アレのおかげで、はしばらく逆恨まれまくって大変だったのだ。
いくら追い払いたかったとはいえ、年下の人間を犠牲にするなんて人としてどうよ。
――イオス本人は結構本気だったのだが、当時のはそんなことを思ったものだ。今も少々根に持っている。嗚呼、報われてない。
閑話休題。
「……鈍いのかな? 私は」
「ええ、鈍いです」
改めて問われ、改めて大きく頷いた。それを見て苦笑するシャムロック。
もうちょっとそーいうのに免疫つけたほうがいいですよ、と、かなり余計な世話ながら、が付け加えようとしたときだ。
「……あ!」
と、シャムロックが慌てた様子で姿勢をただす。
「え?」
「フォルテさんと夜稽古の約束をしていたんだ! 今――」
傍の空き部屋をのぞき、かかっていた時計を見て時間を確かめ、彼は傍目に判るほど硬直した。
「間に合います?」
「急げば、なんとか」
なんとなく玄関まで付き合って、ついでにお見送りしようとしながら訊けば、返ってきたのはそういう返事。
「では、いってきます」
「はい、いってらっしゃい」
応えて、ぱたぱたと手を振った。
走り出そうとしたシャムロックの動きが、ぴたりと止まる。
「――――」
「どうかしました?」
「い、いえっ、なんでも!! それでは!!!」
再び動転した声でそう云って、今度こそシャムロックは走り出してった。
方向からするに、向かうのは銀砂の浜だろう。
――戦争が近いせいか、夜の漁も控えられたあのへんは、日が暮れると文字通り人っ子ひとり通らないのだとモーリンから――
べしゃッ
――聞いたっけな、うん。
「……」
……とりあえず。
間違いなく転んでいるはずのシャムロックを、彼の名誉のために見なかったことにして戻るか、それとも様子を見に行くか。
一瞬、は本気で悩んだのだった。
鈍いのはも一緒だ、と、ここに某特務隊長がいたら云ったかもしれない。
シャムロックが動揺しまくった理由までは、絶対の絶対、教えたりしなかったろうけど。
結局追跡を断念したが、頭を振りながら部屋へ戻っていったのと入れ替わるようにして、玄関に通りかかった人影みっつ。
「……そうか、そういうことがあったのか」
「うん」
何事か考えつつのネスティのことばに、こくこく頷くトリスとマグナ。
「レルム村で見たルヴァイド、本当に辛そうだった。……あれが本当の姿なんじゃないかなって思う、あたし」
「その根拠は?」
「、ルヴァイドたちと戦うのは辛そうだから」
「……君たちの基準はしかないのか」
こめかみ押さえた兄弟子に、兄妹はにへっと笑う。
それを見て、ネスティも、額に当てていた手を放して苦笑した。
「……まあ、なんとなく判る気はするがな」
「でっしょ? だからさ、あたし、どうせなら、ルヴァイドとは一度ちゃんと話したいな」
「俺も。レルム村でのあの件は許せないけど、でも、復讐だけじゃあ何も生まないと思うんだ」
その復讐を恐れつづけて、未だあの地に留まりつづけたクレスメントの残滓たちのようにだけは。
でも、そのためにはちょっぴり厄介な壁があるのも、また事実。
「こんなことリューグたちに云ったら、絶対にどつかれるけど」
「そこをどつき返すのよ、マグナ兄さん!」
「……そういう方向にしか向かない頭をまずどうにかしろ、君たちは」
渋い顔で云いながら、けれど、ふたりを見るネスティの目はとても柔らかかったのだけれど。