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第37夜 四
lll 決意、ひとつ lll




 とりあえず、食事後、全員が改めて道場に集合した。
 たちが食事をしている間、他のメンバーは何をしていたかと云うと、まあ、それぞれいろいろやってたらしい。
 そうしてお互い持ってる情報を、すべて打ち明ける。
 たちは、禁忌の森の遺跡は破壊したことと、結界を張りなおしたこと、それからサイジェントからの客人はもう帰還したこと。
 モーリンたちは、前述のとおり――噂に関すること、後手にまわってしまった金の派閥への不信、吟遊詩人の正体。

 あんまり急に、いろいろ明らかになるもんだから、頭が混乱しそうだ。

 そうして、レイムとのやりとりを聞いていたシャムロックが、難しい顔になって頷いた。
「たしかに……それとはっきり判る証拠を提示出来なければ、軍隊ひとつの勢いを止めることはまず難しいでしょうね」
「うう、やっぱりそう思います?」
「だな。その点は、あの詩人……いや顧問召喚師か。奴の云い分が正しいぜ」
 フォルテが難しい顔でうなずく。……正直、彼がそういうのに詳しいと判り、ちょっと驚いた。
 シャムロックは、と立場こそ違えど、ひとつの軍に所属していたという共通点があるからともかくとして。いや、シャムロックの先輩なんだから、戦略に関する知識があるのは当然といえば当然だろうけど……この人もやっぱり謎である。
 証拠写真でも撮ってくればよかったかもしれない、と、冗談交じりに云って、写真って何だ、と一部から真顔で返されたのち。
「――結局、戦うしかないんだね」
「そうなるか……」
 どうしても、辿り着くのはその結論だった。
 アメルはあまり気が進まない様子で、何か云いたそうにしていたけれど――とりあえず、禁忌の森から強行軍してきたたちのこともあって、その日の話し合いは、そこで解散になったのである。



 疲れているのはたしかなのだが、家でごろごろする気にはなれなかった。
 かと云って、リューグやロッカみたいに積極的に訓練する気にもなれなかった。
 だもので本当になんとなく、ふらふら、と散歩に出、辿り着いたのは銀砂の浜。本日は無人のようだ。
 双子はモーリンの家の庭で打ち合っていたから、ここは稽古場にならなかったようだ。
 おまけに今朝方ひと波乱あったばかりだと云うし、こんな日に、のんきに砂浜まで散歩に出るような人もいないんだろう。ここにひとりいるけど。
 ザァン、ザアァ……
 繰り返し、寄せては返す波の音。
「ううぅ、洒落にならないなぁ……」
 誰も聞いてないのを確認してつぶやくと、は砂浜に背中から倒れた。
 見た目よりは柔らかい手触りの砂が、ここぞとばかりに髪にからまり、肌に服にまといつく。
 日に照らされて熱を持ったそれが密着している部分が、そこかしこ熱さを訴えた。
 そんな体勢のまま、ぼんやりと、思う。

 覚悟はした。そのつもりだった。
 ――とは云っても、現実はこうだ。
 どうしても心が揺らいでしまう。そんな自分は、やっぱりまだまだ弱いのだと思う。
 ……手が震える。
 この手がいつか、あの優しい人たちの血に染まるかもしれないことを思うと、ひどく怖かった。誰かを殺すということ。誰かの道を断ち切るということ。それが、それを、大好きな、
「――――……、く」
 泣き出したくなる。泣いて済むというのなら、実際そうしてしまいそうだ。
 だけど、泣いてばかりでは何も変わらない。
 震えていても、何も出来ない。


 いつかイオスはつぶやいた。の強さを。
 だけど気づいていないだけかもしれない。今どれだけ、彼女が崩れ落ちそうな場所に立っているか。
 どれだけ、まだ、迷いを抱いているか。
 手をとりあいたいと願うそれは、自覚しているより遥かに大きい。
 その故の矛盾を、知っているからこそ、崩れそうな足元に、座り込んでしまいたくなるときだって、ある。
 それでも、座り込んだが最後、足元は余計に崩れる可能性を強くする。
 危うくても、立ちつづける。歩きつづける。
 あるいはそれを知っているから、金の髪の槍使いは、夜の闇につぶやいたのだろうか。
 ――その口からこぼれる、ひとつのことばをいつか、欲したのだろうか。

 そして今、それはただ、紡ぐ彼女自身を鼓舞せんがために。


「……だいじょうぶ……」

 目を閉じて。
 まぶたの上からでも容赦なくその光と熱を伝える太陽を感じながら。
 つぶやく。ただ一言。

 さ、もう一度。

「……おまえさんたちは強いな」

「――?」

 口を開きかけたとき、少し離れた防風林のところから、聞き覚えのある声が流れてきた。
 のいる場所からは死角になって、その姿は見えない。
 が、この声は、聞いた覚えがあった。
 音を立てないように身体を起こし、こそこそと、浜の石垣の後ろから声の聞こえた方を覗く。
「あれだけ過酷なものを背負わされても、それを受け止め、前へ進もうとしている……わしには、とても真似できんことだ」
 もう一度声が聞こえると同時に、の視界にその人たちの姿が映った。

 マグナにトリス。それに、アグラバイン。

 の側からでは、真剣な顔でいるアグラバインが見えるだけ。
 トリスとマグナは背中しか見えない。
 けれど、なんとなく照れているような素振りで、トリスが、両手を身体の前で振っている。
「そんなことないわよ、お爺さん。あたしたちだけだったら、たぶんうずくまったままで、いつかそれに押しつぶされてたと思う」
 そうそう、と、マグナが頷いて。
がいてネスがいて――アメルがいて。護衛獣の子たちも、みんながいてくれてさ。だから俺たち、また立てたんだ」
 心底。
 そう思っているのが判る、ことばの端々ににじむ感情。
 直接云われているわけではないのだが、なんとなく、気恥ずかしいものを感じてしまって、はその場にしゃがみこんだ。
 そうなると、もはや声しか聞こえない。
 彼らの声は、まだつづいてる。
「それに、罪から逃げ続けたってさ……いつかきっと、追いつかれちゃうよ。結局それだって、今の俺たちをつくってる一部なんだから」
「へとへとになるまで逃げて、それでも追いつかれるなら――最初から逃げないで立ち向かった方が、体力の温存も出来てお徳だと思うの」
 ……そういう問題か、トリス。
「最初から全力でぶつかれば……もしかしたら、勝てるかもしれない。乗り越えられるかもしれないから」
 最後のそのひとことは、果たしてどちらの声だっただろう。
 トリスとマグナでは声も違うし、話し方の癖も違う。
 それでも――その声は、何故か、どちらのものか判らなかった。
 そうして、沈黙がしばし。
 ややって、アグラバインの笑い声が、風に乗ってのところまで届く。
「……逃げずに立ち向かう……か」
「お爺さん?」
「ふふふっ、なるほど、そういう戦い方もあったのだな…… ふはははははははっ!」
「じ……爺さーん?」
 アグラお爺さんだいじょうぶだろうか。
 不安気な兄妹の呼びかけと、こっそり心配しているの気持ちを無視して、いや後者は無視どころか気づかんだろうが、ひとしきり、豪快な笑い声が砂浜に響いた。
 そうして。
「……ありがとうよ、おまえさんたちのおかげだ」
「え? ええと、うん」
「なんだか判らないけど、力になれたなら嬉しいよ」
 妙にすっきりして礼を云うアグラバインの声と、戸惑っているトリスとマグナのことば。それが会話の終わり。
 砂浜を踏みしめて、足音がみっつ、ふたつの方向に遠ざかる。
 幸い、こちらの方に来る様子はなかったので、そのまま石垣に寄りかかって、ずり落ちて。再び仰向けになって、は空を見上げた。

「逃げずに立ち向かう――か」

 ふたりともいつの間に、あんなに強くなったんだろう。
 アメルだってそうだ。ネスティも、きっと……と云いきるには、たまに表情に陰りがあったりするけれど。
 だいじょうぶだろう。マグナもトリスもいるし。
 大切に思ってる人の手のひらが、自分が手を伸ばした先にあること知ってれば、きっと立ち上がれる。

 きっと、いつか、大切な人の手を。またとれる日がくると信じてれば――
 そうだね。
「うん、だいじょうぶ」
 歩いていけるよ。

 迷いながらでも。傷つける予感に怯えても。
 それはたぶん、命を絶つこと絶たれることまではいかないだろうと、無意識に、過去のよすがにしがみついているのだとしても。
 歩きだす意志は生まれてく。生まれてる。

 目の前に迫る血の予感は怖いけれど。その先に、望む明日があると信じていられれば。

 そう。きっとだいじょうぶ……

 がばっと起き上がって、背中側の地面に手をつき、背をそらした。
「あたしもマグナとトリスにお礼云わなくちゃ」
 ね、アグラお爺さん。
「……なんじゃ、気づいておったのか」
「気配隠そうとしてないんですもん。ばればれですよー」
 その人を、見上げて笑う。
 さっきまでが隠れていた石垣の上に立って、微笑をたたえてこちらを見下ろしていたのは、に覗き見されていた、当の本人様だった。
 ある意味大先輩と云うか、上司の上司と云うか。
 デグレアにその人ありと謳われたと、いつかルヴァイドが語ってくれた、獅子将軍その人である。

 良いか? と一応断って、アグラバインがの横に腰を下ろす。
 ふたりで石垣に寄りかかって、しばらくは、何を云うでもなしに景色を眺めていたけれど、
「……アグラお爺さん、もしかして気づいてました?」
 先に話しかけたのはの方だった。
「何をじゃ?」
「あたしが、軍人とかそういうのだって」
「……まあ、薄々はな」
 そう云って、アグラバインは喉を鳴らして笑う。
「うちみたいなつくりの悪い家で、足音立てずに動き回れる人間は、そうそういないからな」
「……実は、フォルテにも似たようなこと云われてたんですよね……」
 ため息ついて、膝を抱え込む。
「あたし、全然、そういうの意識してなかったんですけど」
「意識していないからこそ、身体にいちばん染み付いた動きが出とったんだろうな」
 それと気づかせずに振舞ってこそ、情報収集要員としては一人前だぞ。
 そう云って、アグラバインはまた笑う。
「だが、今のおまえさんはどこから見ても普通の女の子だがのう……」
「んー、たぶん記憶喪失中ってやっぱりいろいろ警戒してたと思うんですよ」
 リューグに拾われて、大切な仲間と逢えた。そう思っているのは間違いない。
 それでもだ。
 自分の知らない世界に対して、自分の知らない感情に対して、そしてそもそもの記憶を思い出すことに対しても、緊張を覚えてたような気もする――今となっては、そのへんはおぼろげだけれど。
 それが、常に気を張る、軍人然とした身体の運びに至ったんではないかと。
 そう話すと、ふむ、と、アグラバインはうなずいた。
「そうじゃな。わしの時代は真っ先に教え込まれるのが己の命を守ることだったからの。ひとつ不安があれば、自然とその他にも配慮せざるを得んわけか」
「そーいう立派な考えで実践してたかどうかは謎ですが、あたしが教わったのも最初はそれでしたしね。命あっての物種だ、って」
「そうか……たしかおまえさんは、黒の旅団に所属していたんだったな?」
 ふと、何か思いついたらしく、アグラバインが改めてを覗き込む。
 こくり、頷いて。
 深い眼だと思った。
 強い眼だ、とも。
 森の奥の湖のように澄んでいるのに、容易にその奥を人に見せない。
 いったいどれくらいの時を過ごせば、自分はこんなふうな眼ができるようになるんだろうと――そう、思った。
「もしやおまえさんを養っていた男は……」
 アグラバインが、そう云いかけたときだ。

「アグラおじ―――――さ―――ん! ―――――! もうすぐ晩御飯が出来るよ――――――!」

 そりゃあもう元気溌剌としたトリスの声が、銀砂の浜中に響き渡った。
 とアグラバインは顔を見合わせ、ふたり同時に笑い出す。
 それから身体を起こして、迎えにきてくれたトリスとアメルの立つ場所に向かって歩き出した。

 今だけは、この穏やかな時間を。
 食事がすんだあと、道場にみんな集まってほしいという旨をトリスから聞いて、どうしてか余計にそう思う。
 今はこの決意を。
 今はこの気持ちを。
 ……貫けるように。

 眼前に迫るのは、戦いだ。
 自分が自分として初めて向き合う、あの人たちとの。


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