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第37夜 参
lll 雇用条件や如何に lll




 レイムが去ったあと、たちとて、呆然とその場に突っ立っていたわけではない。
 禁忌の森にしろファナンにしろ、とにかく互いの事情を話し合おうと、足を速めてモーリン宅に戻っのである。

「良かった、無事だったんだね!」

 出迎えたユエルのタックルを受け止めて、その異様な歓迎ぶりにどうしたのと訊いてみたら、やっぱり原因はレイムの一件のようだった。
「怪我は……別にしてないみたいね。良かったわ」
 むしろモーリンが相手にケガを負わせておりましたが。
「おかえりなさい! ……ごめんね、こっちは駄目だったの」
 ケイナが微笑んでいる横で、ミニスが申し訳なさそうにしている。
 奥から何やら盆を持って出てきたシオンが、やっぱり少しだけ申し訳なさそうに、
「残念ながら、ファナンはこんな有様ですが……お蕎麦を用意しておきました。おなかは空いていませんか?」
 そう訊かれ、禁忌の森から戻ってきた一同は、いっせいに顔を見合わせた。
 とたん。

 ぐう。

 数名のお腹から、いかにもな音。
 発した本人は真っ赤になって発生源を押さえたり、正直にシオンの方を向いて頷いたり。
 そのなかのひとりでもあるは、トリスと顔を見合わせた。
 そうして、にへっと顔をほころばせ、同時に、シオンの大将に向かって両手を差し出す。
 殆ど餌付けされた動物のようなふたりの反応に、シオンの表情がほころぶ。
 普段なら行儀が悪いとツッコミを入れる兄弟子様も、今回ばかりはしょうがないなと苦笑していた。この時点で、今しがたまで残っていた驚愕や動揺の雰囲気が殆ど失せていたりする。
 たしかに、ついさっきのレイムとの遭遇はショックだったが、いつまでもそれにこだわってばかりもいられない。
 第一人間、ものを食べなきゃ生きていけないのである。
「はいはい。では早く手を洗ってきてくださいね」
「はーい!」
「あ、荷物はユエルが持っていってあげる!」
「私も手伝うわ。こっちはもう、お昼すんでるから」
「ねえさま、では私も……」
 そのお心遣いにありがたく甘えることにして、禁忌の森からの帰還一同は、荷物を玄関で手放した。
 我先にと走って井戸に行く者、後からゆっくり歩いて行く者、各々のペースにて食堂集合。
「おっ蕎麦お蕎麦♪ おっ蕎っ麦〜♪」
「……ご機嫌だね、
「そんなに喜んでいただけると、作っておいた甲斐がありますねぇ」
 箸にとった蕎麦に息を吹きかけて冷ましながらマグナが云って、その横からネギを刻んだものを出しながらシオンが微笑んだ。
 で、はというと、さっそく蕎麦をすすりながら、
「だってお蕎麦って、あたしの故郷にもあったから懐かしくって嬉しくて――」
「あ、そうだったんですか? だからこの間……」
 そのことばに、いつぞやようやっと起き上がれるようになったばかりのアメルと一緒に、レシィを拉致してシオンの屋台に行ったことを思い出す。 
 まだ記憶がなかった頃、それでも蕎麦というものに懐かしさを感じていた理由はこれではっきりしたわけだ。
「おや、そうなんですか……でしたら、こういうのもご存知ですか?」
「あ、いなり寿司ですね?」
「……おあげ……♪」
 の目の前に出された小皿には、狐色のおあげに包まれたご飯。
 妖狐であるハサハはやはりおあげに目がないのか、表情を輝かせてこちらを覗き込んできた。
「そういえば、ハサハさんはおあげが好きでしたっけ。……はい、おひとつどうぞ」
「……ありがとう……」
 にこり、はむはむ。とまあ、ご機嫌でいなり寿司を食するハサハ。
 なんとも可愛らしいというか、萌えというか。いや邪な気持ちではなく。
 微笑ましい気持ちで彼女を眺めていたを、ふと、シオンが振り返った。
「そういえば、さん。料理はお得意ですか?」
 不意の質問。
 その意図がどこにあるのか見えないが、まあいいかと答える
「えーと……軍隊の料理なら何度かつくったことがありますし、料理自体は好きですけど……こういう家庭料理はあんまり経験ないですね」
 小さい頃は、お母さんのつくってくれた肉じゃがとかかいわれ大根のサラダとか好物だったんですけど。
「ふむ、肉じゃがですか……やはり、シルターンのものと同じでしょうか?」
「シルターンのはどうか知りませんが、うちのは牛肉とじゃがいもと、にんじんと……あと好みで食材入れて、味付して煮込んでたかな。あたしの世界じゃ、おふくろの味の代表ですよ」
「ふむふむ……宜しかったら、今度うちの店のお手伝いをしていただけませんか? 勿論、お給金は出させていただきますが」
 いったいどこから取り出したのやら、和紙を紙の上部で綴った小ぶりの台帳のようなものにメモしていたシオンが、顔を上げてそう云った。
 が、がそれに答えるより早く。
「駄目ですよ大将さんー! さんは、私のお店のウルトラピンチヒッター様なんですからー!」
 ずたッ!
 と、天井の板を外して、つまり天井裏からそんなことを叫びながら降ってきたのは、ご存知戦うメイドさんこと元暗殺者、パッフェルである。
 同時に降ってきた埃から食べ物をガードすべく、全員が食事を持って避難する。
 細い目を、さらに心なし細めたシオンが、困ったようにパッフェルへ注意を促した。
「パッフェルさん、天井から降ってこられるのはともかく、食事中にそれは感心出来ませんね」
 ……シノビにとって天井から出現するというのは、日常なのだろうか。

「シオンさん、それ、ちょっぴり問題が違うと思います……」
「ていうか食事中じゃなきゃ天井から降ってきていいのかよ」

 そんな横手からのツッコミを軽く受け流しつつ、シオンとパッフェルは睨みあう。何故。
「そのような些細なことはともかくとしまして」
 暗殺者からトラバーユしたアルバイターにとっても些細なのか、天井落下。
さんが大将さんのお店でアルバイト始めちゃったら、わたしの方手伝ってもらえなくなるじゃありませんかー!」
 それで何を云うかと思えば、これである。
 ふと護衛獣たちに目をやれば、達観しきって蕎麦をすするバルレル、おどおどしているレシィ。もともと人間の食事は必要でないレオルドは、さっきからコトの成り行きを黙って見守っている。ハサハはいなり寿司2コ目にチャレンジして幸せそうだ。
「ですが、最近うちも人手が足りなくて……さんなら、看板娘としてもご好評をいただけるはずですし、是非お願いしたいところなんですよね」
「何を仰います! さんにはうちの制服が一番似合うんです!」
「いえいえ、この綺麗な黒髪は、シルターン服に良く映えると思うのですが」

 さらり、

「うっわ! いきなり触らないでくださいー!?」
 もう知らん勝手にやってろ、とばかり我関せずと蕎麦をすすろうとしていたは、危うく口の中のものを噴き出すところだった。
 根性でそれを飲み込みきり、半分むせながらシオンに抗議する。
 その横から、ちゃっかり食事を終えた聖女が身を乗り出してきた。
「でも、の髪ってほんとうに綺麗ですよね。天気のいい日に外にいると、お日様の光が透けて明るい茶色になるのが不思議で……」
「……アメル……便乗しないで」
「俺は、今のの格好がかっこよくて好きだけどな。デグレアの軍服ってのがアレだけど」
 マグナまでもがやってきて、の服の裾を引っ張る。
 そういえば、その服装。これもまた、食事の場にはちょっと相応しくない。禁忌の森の戦闘後から服変えてないし(変えれる状態でもなかったし)、血が点々とついてるし、落とした泥の跡がついてるし。その点、同行した全員似たようなものだけど。
 これはもう、洗濯したって無理だろうな。
 となると、今後は、最初にイオスに貰った自分の服を着るしかないのだが……あれは、いくら厚手のストッキングがあるとはいえ、膝上より股下から計った方がいい丈のスカートという代物だ。
 そんなこと云ったらパッフェルの店の制服も、相当なもんではあるのだけど。
「あ。そういえば、に新しい服買うつもりで予算分けといたんだった……今度買い物に行こうね!」
「……武器とかそろえなくていいの?」
「足りなくなったら、ちょっと何人かにがまんしてもらえばだいじょうぶよ!」
 にっこり笑ってえげつないコト云うな、クレスメント妹。
 そうして騒いでいる横で、未だパッフェルと睨みあっていたシオンが、ぽん、と手のひらを合わせて。

「じゃあ、こうしましょう。一度お試しで入って頂いて……続けられるようでしたら、たまに手伝っていただくということで」
「そうですねえ……うちもそんな感じですし、そういうことで手を打ちましょう」

 同意するパッフェル。
 めでたしめでたしと微笑んだ、シルターンとリィンバウムのシノビと(元)暗殺者。
 だが。

「本人抜きにして雇用条件決定しないでくださいー!!」

 クレスメント兄妹と聖女にひっつかまって、今度着せ替え人形にさせられそうなの叫びが、そのふたりに届いたかどうかは……果たして、定かではない。
 ちなみに、兄弟子は黙々とそんな騒ぎのなか、ひとり淡々と蕎麦を食していた。


「……ネスティ。弟弟子と妹弟子止めようって、思わなかったの?」
「僕が口を出しておさまる問題か? ――まあ、骨は拾ってやるから頑張ってくれ」
「……うわぁお。さすが兄弟子。はらしょー。」
「棒読みで云わないでくれ」
 後日談である。


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