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第37夜 弐
lll 証拠は何処 lll




 そうして。
 改めて目の前にした人物は、やはり予想どおりだった。
 銀の髪を背中に流した、一県女性に見えなくもないその顔立ち。優しげな佇まい。現状、血まみれで台無しだが。

 レイム。デグレア特務部隊黒の旅団の顧問召喚師。

 取り出したハンカチで口元をぬぐい、レイムがに笑みかける。
「……さん? もう以前のようには呼んでいただけないのですか?」
 優しい声音はそのまま。けれど、内に潜む氷の刃の存在を隠そうとしていない。
「レイムッ!」
 を背中にかばうようにモーリンがまわりこんで、そのおかげで金縛りにも似た硬直がようやく解けた。
 呆然としているマグナたちの視線を追うように、振り返る。
 振り返りきる前に、バルレルが舌打ちしているのが目に入った。
 いつも以上に警戒して、怯えさえ見せている護衛獣たちの姿。
 以前も何度か見せたそれは、レイムの立場がそういうものなのだと判っていたんだろうか――
 いや、リィンバウムでの身分に、異世界の住人である彼らが詳しいとは思えない。だとしたら、何に対して警戒しているんだろう。
 だが、思考をそれから先に繋げる材料は皆無。そのため、その件に関しては、結局そこで打ち切らざるを得ない。
 そうして。
 転じた視線の先には、記憶のままの吟遊詩人。
 否、デグレアの顧問召喚師として、数年間同じ地に在った人。
「……レイムさん……」
「はい」
 にこり、向けられる微笑が、ひどく怖かった。
 この人は、同輩だった自分でさえも欺いていたんだろうか。
 こんな氷のような本性を隠して、自分と接していたんだろうか。
 ルヴァイドたちは、それを知っていたんだろうか、だとしたら何故教えてくれなかったんだろう。
 考えが顔に出ていたらしい、を見ていたレイムの口元が、かすかに吊り上がる。
さんをね、怖がらせてはいけない、と、思っていましたから」
 もし今みたいにしたら、絶対に私のことを嫌いになったでしょう?
 優しく、優しく。
 羽毛で包むように、壊れ物を扱うように。
 そうしないと、小さな貴女はいつ壊れてしまうか判りませんでしたからね。

 むしろそちらが壊れてたよーな気がするんですけど。(各種読みきり参照)

 思わず半眼になったの心境を、レイムは正確に察したようだ。ふふふ、と、意味ありげに笑い、
「いえ。あれは本性のひとつです」
「……ヤな本性ですね」
 半眼どころか三白眼になる
 だが暴露ツッコミをやっている場合ではないと、気を取り直す。
「……今になって、本性っていうのか判らないけどそれを出したってことは、……あたしを裏切り者として罰するつもりなんですか?」
「いえいえ……たしかに聖女側についておられるのは意外でしたが、それは記憶をなくしていたのですから仕方のないことです」
 ですから、
「デグレアの軍人として、今からでも再び忠誠を誓われるのでしたら、私から議会にとりなしてさしあげますが」

 いかがなさいます?

 言外の問いかけに、周りにいた仲間たちの視線がいっせいに集中するのが判った。
 だけど、彼らの行動に対して覚えるのは、安堵。
 離反を咎めたり、そうするんじゃないかと疑ったり、そもそもそんな感情が全然ないのを感じたから。
 もう決定済みのモノを、改めて確認する。近いものを捜すなら、そんな感じ。
 逆にレイムに向けられる幾つかのそれは、何を莫迦なコト訊いているのかと。そんな含みを持っていた。
 そしては、

「――ごめんなさい」

 レイムに正面から向かい合い、頭を下げた。
「あたしはもう決めてるんです。……アメルのコト守るって、みんなのコトも守るって、決めたんです」
 最初からそんなの予想済みだったのか。がことばを終えても、レイムの微笑はちらとも揺るがない。
 それが、逆に、怖い。
 そして次の一言は、やっぱりそうくるか、と。覚悟していたものだった。
「養父であるルヴァイドの立場を、ますます悪くすることになっても――貴女は、そうすると仰るのですね?」
 そのことばに驚いたのは、むしろではなく、ほかの人たちだった。
「養父ッ!?」
「ルヴァイドさんが!?」
「似合わない……」
「……でも子煩悩っぽい……」
「トリス正解。」
 そういえば、デグレアの軍人だとは云ったけれど、そういう関係までは説明してなかったなとふと思い出した。
 サイジェントにいたとき、つまりあちら側の人たちには説明していたけど、出発間際にこちら側の一行と話したときには触れもしなかったし。
 それに今はとりあえず、レイムとのやりとりを進めるほうが優先だった。
「ルヴァイド様は関係ありません。……と云って、通じますか?」
「通じると思われますか?」
「……」
 あくまでにこやかに返すレイムに、そこはかとなく苛立ちを覚える。
 この人がこんなふうに自分に接するのは初めてだから、どう対応していいのか判らないせいもある。それに、こんな、のらりくらりとした会話を、たぶん自身の性格があまり好んでないというのもある。
 だから、云った。
 切り上げるための、決定的なものがほしくて。

「第一、アメルを手に入れて禁忌の森を目指しても、もう意味はないですよ」

 モーリンが、目を丸くしてを見た。
 レイムに負けないようにふんばってるせいで、生憎、きちんと見ることは出来なかったけど、ネスティが静かに頷いて、そうしてモーリンの表情が少し晴れるのを、視界の端で確認した。
 そして続ける。
「遺跡はもうないんです。デグレアが聖王国を侵攻するための武器は、手に入りません。だから――」
「ほう……? 禁断の地に入られたのですか? どうやって遺跡を見つけ、破壊なさったのです?」
 全然信じていない口ぶりで、顧問召喚師はそんなコトを云う。
 そうして、は口篭もる。

 誓約者さんたちに力任せに破壊してもらっちゃいました。てへっ。

 とか、莫迦正直に云えれば問題はない。……ないんだけど、云うこと自体には多大な問題が付きまとう。
 第一、あの人たちは、騒がれたくないって云ってたし。
 第二、もしそんなこと云ったら本人連れてきて証拠見せろとか云われるに決まってるし。
 第三、そうでなくても名前出したら、そっちにもデグレアの手が伸びるかもしれないし。

 ……云えねぇ……ッ!!(お見苦しい口調をお詫びいたします)

 ともあれ。
 ここでようやく気づいたコト、ひとつ。

 それすなわち、禁忌の森の機械遺跡を破壊したのはいいけど、それをデグレアに決定的な証拠を持って突きつけるだけのものがない。と、いうことだ。

「それでは、駄目ですね」
 貴女なら――軍人としての教育を、総指揮官たるあの男から受けて育った貴女なら。
 ただ数人のことばくらいで、軍隊の動きは止まらないことくらい、判るでしょう?

 微笑んだまま、レイムはそう云った。
 だけでなく、マグナもトリスもネスティも……その場の全員に、反論するすべはなかった。
 けれど、ただひとり。
「レイムさん!」
「……アメル!?」
 一行の前に進み出て、アメルがレイムに呼びかける。
「はい? なんでしょうかアメルさん?」
 返ってくることばも、口調も、以前そのまま。
 なのにどうしても、背中が泡立つのを抑えるコトは出来なかった。
 違う、と、何かが告げる。
 過去に知っていた、顧問召喚師としてではなく。最近知り合った、吟遊詩人としてではなく。
 もっと違う在り様が、目の前の存在の本性なのだと。何かが、に告げる。
 恐怖、とも違うような、それは少し奇妙な感情。
 がその感覚をとらえようと格闘しているうちに、アメルが、また、一歩進んだ。
「……何か……何か理由があったんじゃないですか? どうしてもデグレアに協力しなくちゃいけなかった理由が……もしそうだったら、あたしたちに話してくれませんか?」
「ちょ」思いもよらなかった前衛的いや好意的解釈に、は思わず云っていた。「どうしても何も、レイムさんは何年も前から顧問召喚師……」
「アメル!? そいつは君たちを騙していたんだぞ!?」
 その後ろから、驚いて叫ぶネスティ。
 アメルはこちらを振り返り、哀しそうな顔で云った。
「だって、もしそうだったら、話し合えばきっと判り合えるはずでしょ?」
 あたしたちはずっと、そうしてきたじゃないですか――
 レイムに背中を向ける形になったアメルには、銀の髪の吟遊詩人がどんな表情をしているのか見えてはいない。
 逆に、たちにはよく見えた。
 アメルのことばを聞いた瞬間、心底おかしそうに――莫迦にしているように。
 表情を歪めた、レイムの姿が。
「……ふふふっ」
「レイムさん?」
 こぼれた笑い声に、アメルが表情をやわらげて振り返り――先程に増して、強張りを見せた。
「アメルさん――貴女という人は」、
 こぼれる光は無色透明。
「つくづく……愚かですね!!」
「危ない!」
 迸る光。
 ついで、アメルがたった今まで立っていた場所に、無数の剣が降り注いだ。
 見覚えのある召喚術。
 ルウも得意としている、シャインセイバーだ。
「……ッ」
 アメルを突き飛ばした反動でこすった膝に、かすかな痛みを覚えながら、それでもこれしきと身体を起こし、かつての同胞を再び見据える。
「レイムさん!」
 すでに身をひるがえしていた、顧問召喚師に呼びかける。
 の身の振り方を確かめて用は済んだというのか、それとも、ただこちらを惑乱させるだけのつもりだったのか。
 少なくとも、がアメルを突き飛ばすほどの余裕があったということは、おそらく両方なのだろうが。
 そうして、呼びかけにレイムは振り返る。
 振り返って――微笑んだ。
 四肢の体温が一気に失われるかと、思ったほどの。それを、微笑と云うならば。
 その壮絶な表情のまま、優しげにレイムは告げた。

「もはや、デグレアの侵攻は止まりませんよ」

「――――」

 判っている。そんなことは。
 もしこの場にシャムロックやフォルテがいれば、至極不本意ながらも頷いていたろうと思われる。
 軍隊というのは、ひとつの巨大な生き物だ。
 そのうねりは、決定的な証拠ひとつ伴なわないことば程度では止められない。
「――おやめなさい、さん」
 手を懐に忍ばせようとした動きを見てとって、レイムが制止の声を投げた。
 短剣の柄をもう少しで握るところだったの指先は、それでぴくりと動きを止める。
「そこのお嬢さんから聞いていませんか? この街にはすでに旅団の手の者が入り込んでいたと」
 私が、何の予防策もなしに、のこのこと貴女たちの前に姿を現すと思いましたか?
「――あ」
 そう云われて気づく。
 改めて気配を探れば、すぐに、そのことばの裏づけはとれた。
 気が立っていて気づかなかったらしいモーリンも、はっとした顔になっている。
 ネスティが小さく舌打ちしたのが、聞こえた。
「ふふふ……」
 そうして、詩人は嗤った。
 どこまでも楽しげに、

「では、この次は戦場でお逢いいたしましょう? ふふ……あははははははははは!」

 嗤って――去った。

  『貴女』では、私には決して勝てませんよ――

 当のにさえ聞こえない、小さな囁きひとつ、残して。


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