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第36夜 壱
lll それなら、いい lll




 禁忌の森を後にした一行は、急いでファナンへ向かおうとはしたものの、気づけばとうに、時間は夕暮れ。
 日が暮れてからの大平原横断は、はっきり云って危険である。
 いつぞや、黒の旅団に夜襲をかけられた苦い思い出もあったりするし。
 話し合うまでもなく、たちはひとまず街道まで歩き、休憩所をひとつ占領することに成功した。
 しばらくゼラムで寝起きしていたせいか、野宿もずいぶん久しぶりに思える。
 野宿と云っても休憩所の屋根もあるし、簡単なものなら煮炊き用の設備も用意されているし――普通にそうするよりは、恵まれた状況であることは間違いなかった。


 ――パチ、パチ、と。
 薪のはぜる音が夜の闇に響くなか、毛布に包まって眠る数名。

 時刻はほぼ真夜中。見張りは2番手。
 とバルレル。
 初めての組み合わせではない。が、こんな状況は初めてだ。
 これまでならがあれこれ話しかけて、バルレルが適当に相槌を打つ、というのがパターンだったのだが、
「……」
「……」
 何を話すでもなく、今、ふたりは睨みあっていた。
 苛々しているのか、時折、地面に投げ出されたバルレルの尻尾が、軽く持ち上がっては落とされる。
 同じように、羽もたまに上下。
 真っ直ぐを見る目は、これ以上訊いても何も出ないと雄弁に語っていた。
 だけど、あえて、は沈黙を破り去り、話しかける。
「――知ってるでしょ?」
「何を」
 返されることば、にじむ感情はひどく不機嫌。
 気圧されてなるかと、声を強めた。

「あたしが『何』なのか、バルレルは知ってるんじゃないの?」

「……」

 返事はない。
 それは肯定なのか否定なのか判別出来ないが、それでも、
「禁忌の森に最初に入って悪魔に襲われたとき、貴方、あたしの腕に出てた光を魔力として扱ったよね」
 つづけたことばに、やっと、バルレルが反応する。
「まあな」
「サイジェントに転送されたとき、飛び方を教えてくれたよね?」
「……ああ」
 それはもはっきり覚えている事実。
 だから、ここでバルレルが頷かないはずはないと思っての確認。そして、事実そうなった。
「……それで――」
「あのな」
 もう一度、最初の問いを繰り返そうとしたの目の前に、ずい、と突き出されるバルレルの手。
 たぶんのと同じくらいか、それより小さい手――この手が、これまで槍を握って、はぐれ召喚獣や敵を叩き伏せてきたのだ。
 そう思うと、いまさらだけれど意外に思ってしまう。
 実力に外見は関係ないと知っていても、つい。
 そうこう考えているうちに、呆れたような疲れたような、バルレルの声が耳を打つ。
「オレがオマエを知ってるかどうか確かめて、どうするつもりなんだよ」
 ――沈思。
「……どうするんだろう」
「あのな」
 さっきと同じことば。でも呆れ含有率はさっきの数倍。
 突き出した手をひらひら振って、ふと、バルレルは視線を巡らせる。まわりの人たちが本当に寝ているかどうか、たしかめたんだろう。
 それから、心持ち声をひそめて、彼は云う。

「……まぁな……」
 気が進まなさそうにしながら、それでも、
「真面目な話、オレは知ってたぜ」

「じゃあ」
「だがな」、
 が云いかけると同時、バルレルがつづけた。それに押されるようにして、はことばを飲み込む。
 それに――『じゃあ』って。そのあとに、自分はなんて云うつもりだったんだろう。
 教えて、って?
 自分の知らない自分のコト、話されても混乱するだけだからって、記憶がないとき、そう偉そうに云っておいて。
 そう云って、自分で取り戻そうとしていたのに。
 このことに限って……?
「それを、オマエは知らねーはずだ」
 の戸惑いなど知らぬげに、バルレルが云う。
「記憶のなかったオマエが、デグレアの軍人だった自分を知らなかったみてーに。それどころじゃねえ。もっともっと、今のオマエから見りゃ、オレの知ってたソレってのは、界の狭間の門を隔てたくらい遠いんだ」
 小声で早口に告げられた、それは、まるで謎かけのようだった。
 それでも、昼間の一件があったおかげだろうか、一端を解くことくらいは出来る。
「……あなたも、あたしを『守護者』だって云うの?」
「人にばっか訊くな。いや、オレはニンゲンじゃねーけど」
 とりあえずツッコミ入れたバルレルの紅い瞳が、ふと、真っ直ぐにを見る。
 無言の問いかけ。

 ――オマエはどうなんだよ?

 自分の前世がエルゴの守護者だからとか、そういうコト聞いたからって実感持ってそう思えるのかよ?
「……」
 答えはこうだ。
 すなわち、黙って首を振った。
 だって、昼間も話したとおりなのだ。
 前世がどうとか、興味がないわけじゃないけれど、『今の』がそれを知らないのなら、理由はあるかもしれないけど意味を感じない。
 それでも、何かと、こうやって問いかけてしまうのには、理由がある。
 もしかして、まだ、自分は何かを忘れているんじゃないかと――
 『』がまだ、思い出してないものがあるんじゃないかと――
 それを、果たしてバルレルが察したのか。
 それとも、ただ単に、煮え切らないの様子にしびれを切らしたからか。
 膝を支点についていた頬杖を外して、口を開いた。
「……じゃあこう云ってやろうか」
「え?」

「オレは、『』とは、オンナのせいで焼け出されたあの村で、初めて逢ったんだよ」

「…………」
「…………」

 沈黙、しばし。
 たったひとこと、ただひとこと。
 それだけで、ふわりと心が軽くなった。

「……そう、なんだ」
「ああ」
「『あたし』とバルレルは、あのときが初対面、なんだ」
「そう云ってるだろーが」
 ……なんだ。

「――なぁんだ――」

 現金なものだと思っても、なんて能天気だとか思われそうでも、ほころんでしまった顔の筋肉は、そんなにあっさり戻らない。
 これ以上弛まないように頬に両手を当てるけど、はっきり云ってほとんど無駄。(だったらしい。曰くバルレル、後日談)
 でもって、そんなの豹変ぶりが気に入らなかったらしいバルレルからは、びしっとチョップが降ってきた。
「テメエ、さっきまでの真剣な空気はなんだったんだ」
 そう云われると反論出来ない。
 気づけば夜以上の静寂に侵蝕されかけていたその空間は、今や、花の咲き誇る春の野ッ原。の幻影が見えてもおかしくないくらいほこほこしていた。
 やっぱりテメエ、アイツ以上に天然だ、とかバルレルがぶつくさ云っている。どこかやさぐれてしまったぽい。
 で、その正面でが和みっぱなし。
 そんな一種珍妙な空間に対するバルレルのツッコミは、正に的を得ていたと云えよう。
 だけど、
「なら、いいの」
「んー?」
 どうしてか疲れきったらしく、ずりずりと地面にずり落ちていたバルレルが、億劫そうに顔だけ上げてを見た。
「……それなら、いいんだ」
 としては結構真面目にそう云ったのだが、聞いた側のバルレルは、ケッ、とでっかく顔に書いてため息をついた。
「やっぱテメエ変な奴」
 どこかで聞いた、そのことば。
 そんなに遠い日じゃなくて……思い出したのは、夕方別れたばかりの人たち。の、ひとり。
 そう考えて、ちょっと嘆息。
「……なんでかなー。バノッサさんにも云われたよ、それ」
「そりゃそーだろ」

 ……

「納得しないでよ腹立つ」
「ケ。ホントのこったろーが」

 ……

「にっこり。」
 わざわざ擬音を口にして笑うと、は近くにあったネスティの荷物に手をつっこんだ。
 とっさの戦闘に対応できるように、予備のサモナイト石が開け口近くに詰めてあることを、はちゃんと知っている。
 マグナやトリスのでも良かったんだけれど、あのふたりは片付けが苦手だし。
 そして、ろくに確かめもせずに、取り出したのは無属性だった。
「ゲッ!?」
 顔を引きつらせて、バルレルが身を起こす。
 の召喚術は何が飛び出すか判らない、ギャンブル召喚だ。
 ミニスのパニック時の召喚に似ているが、彼女みたいにメイトルパに限定されていない。
 正に鬼が出るか蛇が出るかの世界。
 あわてたバルレルが、逃げようと翼を羽ばたかせた瞬間。
 光が疾る。
 色を持たない、透明な光。
 無駄にわくわくとした気持ちで、はサモナイト石を掲げた。
 そして、飛び立とうとしたバルレルが、動きを止めた。


 ここにはとバルレルだけじゃない。マグナもいるしトリスもいる。
 ネスティもアメルも、他の3人の護衛獣もいる。
 ――直接この場を狙いはしない。なら飛び出すよりはここにいるほうが安全。
 そうバルレルは判断した。
 その判断は、たぶん正解。
 そして一瞬後。


「天誅ー♪」

 その楽しげな声音とは正反対に、

 ドスドスドスッ!!

 と、それは物騒な音が、一同の寝ていた休憩所の周りに降り注いだのだった。


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