ほうらね、と。
闇の中でゆらりと微笑むは、銀色の糸の、操り手。
「まったく、誰も彼もどれもこれも――よくもまあ、思い通りに動いてくれるものです」
「レイム殿? どうされました?」
彼と同じ目的のために、かねてからファナンに潜伏していたデグレアの人間兵が、微笑を浮かべて何事かつぶやく顧問召喚師を不思議に思って声をかけた。
「いえ、ちょっと楽しいことを思い出しまして」
笑みをつかみどころのないものに変え、銀の髪の召喚師は兵士に答える。
そうですか、と、兵士は不得要領な返事を返すが、それ以上の追求はしない。
代わりに、日付が変わるかどうかの夜更けとは云え、見つかる危険を冒してまで自分たちを招集した理由を訊いてきた。
「……明日、おそらく、彼らが動きます」
笑みを絶やさぬまま、顧問召喚師は己の策に獲物がかかったことを告げた。
「左様ですか」
かねてから云い含めてあった計略である。
それだけで十を察した兵士は、同胞たちにその件を伝えるべく、彼の前を退いた。
普段は閑古鳥の鳴いているこの酒場に、突然団体が押し寄せたことを純粋に喜んでいるらしい主人が、入れ替わるようにやってきた。
「どうだい詩人さん、昼間みたいな辛気臭い話じゃなくて、ちょいと歌をお願い出来ないかね」
大勢のお客さんがいるんだし、おひねりもはずんでもらえると思うよ――
そのことばに頷いて、傍においていた竪琴を手元に引き寄せる詩人の表情を、見下ろす形になった店主が気づくことはなかった。
異様に吊り上がった口元と、狂気に光る双眸を。
――気づくことはなかった。誰も。誰ひとりとして。
……ぽつり、ぽつりと光が灯る。
禁忌の森の奥深く。天使の結界のずっと奥。
外と同じく夜の闇に覆われる、その空間に。
ぽつり、ぽつりと光が灯る。
ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ――
無数に数を増した光は、やがて空間の一箇所に集中しはじめた。
じゅうご、にじゅう、ごじゅう、にひゃく――
数え切れぬほどたくさんの、光が集まり、大きな大きな光球になる。
それはほの白い陽炎のようだと、誰かが見ていたら云ったかもしれない。
パァン。
収束した光は、やがて、爆発するように弾けた。
一瞬にして、あれだけあった光は消える。
そして。再び夜の闇に覆われた空間に、ほんの刹那の間をおいて、
ピキ、パキ――
亀裂が走る。空間にひびが入る。
パリン。
実にあっけない音をたてて、空間は割れて砕けた。
すさまじい負荷を受けて耐えていた盾が、時間をおいてとうとう消滅してしまったかのようだった。
さらさらと、光り輝く砂となった、それまで空間を覆い尽くしていた残骸が、すべて風に吹かれて消えた後。
――そこには、苔むした遺跡がぽつりと立っていた。
その遺跡の足元、半ば土に埋もれるような形で、一枚の石版が月明かりに照らされている。
土の上に突き出た部分からは、旧い時代の召喚師たちの使ったことばでこう記してあるのがかろうじて読み取れた。
『禁断の知を封印する』――
誰が気づくだろう――誰も気づくまい。
クレスメントの霊に最後の最後で身体を奪われた少女が何を成したか。何をさせられたか。
遺跡の消え去った空間は、意図的に造られた幻なのだと。
それを成した少女の記憶は、そこに関してのみ、空白であると。何故ならば、それはクレスメントが奪い去った。そしてそれごと消滅したと。
そうしてそもそも、クレスメントの霊を目覚めさせたのは誰かと。
誰が気づくだろう?
誰も気づくまい。
銀の操り糸を弄ぶ存在が、彼らの目の前に現れることは、そう遠くはないはずだけれど。
今はまだ。