行ってみましょう、というアメルのことばに反対する者はおらず、またぞろぞろと歩き出す。
近づくにつれて、その吟遊詩人が曲にあわせて歌らしきものを口ずさんでいるものも、次第に耳に届きだした。
あぁ、いとしい人よ……
ぽろぉん♪
あなたを求める心は日々に日々に大きくなります
ぽろろろん♪
愛くるしい笑顔を見れなくなって あなたの小鳥のような声を聞けなくなって もう何日が過ぎたでしょう
ぽぺろぺろぉぉん♪
ジュ・テーム……
ぽぺろぴろぺろぺぺぺぺーん♪
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まてこらおい。
狂おしく切なげな表情で歌う吟遊詩人を見て、は自分の顔がひきつるのを感じた。
じゅ・てーむ じゃねーだろ。
ってゆーか何語ですかそれは。
もといなんか怖いんですけどッ!?
なんて、初対面の人間に云えるはずもなく、ひとりで苦悩しているうちに、アメルはとっととその男性に話しかけていた。
「こんにちは。きれいな音色ですね」
まじですかアメルさんッ!?
だが以外、アメルの意見に反対ぽい者はいない。
もしかしてあたし音感とか感覚とかそーいうのがずれてるんでしょうか。誰か教えて……
吟遊詩人とアメルたちが談笑しているのを聞きながら、ちょっと遠い世界にトリップしかけただったが、ふと、自分の隣に立ったまま、それ以上彼に近づこうとしないふたりの護衛獣に気づいて、我に返る。
その、ふたりの護衛獣――バルレルもハサハも、妙に強張った顔で詩人を見ていた。
というより、これは睨んでいると云ったほうがいいのかもしれない。
「どしたの? ふたりとも」
「テメエは、それ以上近づくんじゃねえ」
の問いに応えぬまま、バルレルがつぶやく。
ごく低いそのことばは、談笑しているトリスたちには届かず、とハサハの耳だけに響いた。
「バルレルくん……?」
いつになく真剣な、悪魔の少年の表情に、が再び、戸惑いながら問いかけたとき。
「あなた方のお名前は、なんと仰るのです?」
にこやかな吟遊詩人の声が、ひときわ大きく――まるで、離れた場所にいるたちにも聞かせるように、発された。
「あたしはアメルといいます」
「あたしはトリス! で、こっちが――」
「マグナです」
アメルとトリス、マグナが順々に名乗りを上げ、
「そちらのお連れさんたちも、宜しければお名前をお教えいただけませんか?」
にっこりと、微笑みながら詩人が告げる。
「私はレイム。吟遊詩人のレイムと申します」
「あ、あたしは。で、こっちの子がバルレルくん、この子がハサハちゃん、です」
どうしてだろうか、妙にことばにつまる。
にこにこと、人当たりのよさそうな笑みを浮かべた詩人を見ているうちに、はさっきとは別の意味で悪寒が走るのを感じた。
けれども逆に、妙に懐かしい感じもして。
「……えと、あの、なにか?」
レイムがじっと自分のことを見つめているのに気がついて、首をかしげて問う。
「いえ……知人によく似ていらっしゃるので、つい。失礼」
「は、はあ」
「レイムさんは、自分が語るべき歌を探して旅をしてるんですって。」
にこにこ笑いながらアメルが云った。
「そうなんですか……見つかると、いいですね」
「ありがとうございます」
同じように微笑むレイムは、本当に優しそうな風情、なのに。
なんだろう?
「では、私はそろそろ……」
「あ、はい。お元気で!」
「お話、ありがとうございました!!」
立ち上がったレイムを見て、妙に肩の荷が下りた気がした、けれど。
「また、お逢いできるといいですね。マグナ君、トリスさん、アメルさん」
こちらを見るレイムの目に。
「それに、さん」
ドクン
頭から一気に冷や水を浴びせられたような感覚を、覚えていた。
の様子に気づかなかったわけでもないだろうに、何も云わず、そのままレイムは歩いていく。
音の調子を確かめるように時折、竪琴を軽く爪弾きながら。
「おねえちゃん……」
いつの間に傍に来ていたのか、ハサハが、ぎゅっとの服の裾にしがみついた。
――怯えている。
何に?
どうして?
答えはない。
「、どうしたの? 昨日の疲れが残ってるんじゃない?」
心配そうなトリスの声に、だいじょうぶ、と返して。
もう一度、銀の髪の吟遊詩人の背中を見る。
思うのはひとつ。
吟遊詩人って、みんな、あんなけったいな(ハートマーク乱舞)の服着てるのか……
どこを見ているおまえは。
ひとつ角を曲がったところで、レイムは足を止めた。
ふぅ、と息をついて、目を細め自分が歩いてきたほうを振り返る――さきほど出逢った少年少女たちの姿は、もう見えない。
ぐ、と握りこぶし。
「ナイスです……ナイスですさん! 相変わらず、らぶりぃちゃーみぃです!!!!」
もうあのままテイクアウトしてしまいたい衝動をこらえるのにどれだけ苦労したことか……!!!
――の悪寒は、案外、これのせいかもしれない。
いきなり叫ぶ詩人に、周辺を歩いていた人々がそそくさと避けていく。
ひとしきり恍惚とした表情をしていたレイムだったが、ふっと、なんでもなかったような顔に戻って。
もう一度、振り返る。
「――今はまだ、あなたは何も知らない」
届くことのない声を、届くことのない少女に向けて。
「記憶ではなく―― あなたは、あなたを、知らない」
本来ならもう少し、時間をかけてもよかったのですが。
「動き出したというのなら、これもまた、一興というものでしょうね」
最後に一度だけ。
ふぅわりと、レイムは微笑んだ。
刹那、強い風が吹く。そして風がやんだあとには、詩人の姿は消えていた。
だいじょうぶとは云ったのだが、他の皆はそうとってくれなかったらしい。
繁華街のほうにお茶のおいしいカフェがある、とトリスが云ったのがきっかけ。
お茶ついでに休憩しようということになり、また道を歩いていると、
「どいてどいて――――――――っ!!!」
「は!?」
背中から聞こえた大音量の女の子の声に、びっくりしては振り返る。
アメルも同じように驚いていたが、マグナとトリスは「またか」と云いたそうな顔をしていた。
続いて聞こえる、中年らしい男の声。
「待て――! ウチの肉を返せっ、このかっぱらい!!」
……かっぱらい?
「泥棒って、あの子でしょうか? 食べ物をいっぱい抱えてますけど……」
確認するアメルに、マグナとトリスが同時に頷く。
どうやら獣人らしい少女が、アメルの指摘どおり、両手に食料を抱え込んで店主とおぼしき男から逃げていた。
真っ直ぐ、たちのほうに向かってくる。
しょうがないなぁ、とマグナがつぶやいて。
すい、と少女の行く手をふさぐように道に立った。
「どいて――――っ!! どかないと、ユエルがはねちゃうぞ……っ!?」
がしっ
「ほら、つかまえた」
通り過ぎざまの少女の身体を、しっかり、マグナが押さえ込む。
じたばたと彼女は暴れるけれど、マグナの力の方が勝っていた。
が。
「ウウウウゥゥゥゥ……!」
不意に暴れるのをやめると、可愛い外見に似合わぬ鋭い牙を剥き出しにする。
そのままマグナの腕に噛み付こうとするが、
「はい、そこまでねっ」
横手から、トリスがぱしっと口をふさぐ。
反撃の手段を封じられた、ユエルというらしい獣人の少女は、とたんにおろおろしだした。
そこに、肉を盗られた店主の男が追いついて。
「いやあ、ありがとうございます。……こいつめ!」
「きゃうっ!!!」
トリスとマグナに礼を云うやいなや、いきなり殴りつける。
騒然とする一同。
「ちょっと、いきなり殴らなくてもいいじゃない!」
見ていられなくなったは、ユエルと店主の間に身体をすべりこませた。
「そうは云いますけどね、こちらは毎日品物を盗まれてきてるんですよ!?」
「だけど殴るなんて……!」
「狩りの獲物はみんなでわけるものじゃないか!」
アメルの反論を遮って、少女が叫ぶ。
『え?』とユエルを見ると、
「それを、自慢するみたいに飾っておいたりするから! それにユエルはちゃんと、もらうねって云ったもん!!」
「――あ……」
合点が云ったのか、召喚師であるトリスが目を数度、またたかせた。
も、なんとなくことの顛末を察する。
この子は――
「盗んでおいて……もう許さん! 兵士につきだして牢屋に……!」
「ひっ!?」
牢屋。
その単語が耳に入った瞬間、ユエルは狂ったように暴れだした。
これまでマグナの腕から逃げ出そうとしていたのに、逆に、彼に強く強くしがみつく。
「やだ! やだやだやだ、もう閉じ込められるのはイヤだよぉっ!!」
「待って!」
ユエルの腕をつかもうとした店主から、彼女をかばうように、立って。
「あの、あたしも詳しくは知らないんだけど! この子召喚獣でしょ? 別の世界から喚ばれてきてるんでしょ?」
だったら、
「この世界のことは判らなくて、だから、おなかが空いたとき目の前にあった食べ物を盗んじゃっただけじゃないんですか!?」
当たっている自信はなかったけれど、視界の端で、ユエルが数度頷いたのが目に入る。
「ユエル、悪いことしてないもん……」
力ない声でつぶやくそれを、店主が聞きとがめて、また怒鳴ろうと口を開いたが。
「待ってください。この子はぐれ召喚獣で、この世界のことを知らないんです。代金なら俺たちが払いますし、よく云い聞かせておきますから――」
ほら、と、さらに割り込んだマグナがユエルを促す。
「この人に、謝って」
「どうして? ユエル悪いことしてないよ!?」
「……」
――この子は、ほんとうに何も知らないんだ。
胸がちりっと痛む。
リューグやアメルたちに拾われなかったら、自分もこんな風になっていたかも知れないと思ったから、なおのこと。
だからよけいに、ユエルのことを他人事とは思えない。
「この世界はね、物をもらうときに、お金を払わないといけないんだ。黙って盗るのは、泥棒なの。悪いことなんだよ」
トリスがユエルに云い聞かせる。
「そんなの、知らなかった……」
しょんぼりと俯くユエル。
それから、おそるおそる店主の方を見て、
「……ごめんなさい」
「この子ももう、こうして反省してますから。許してあげてください」
アメルが口添えする。
「だが、また同じことをされては……」
しつこいなこの人。
まだ納得のいかなそうな店主に、ずずいとマグナとトリスを示してみせて、は云った。
「この人たち、召喚師さんです。召喚獣のことだったら、きっと任せてだいじょうぶだと思います」
いきなり自分たちを出されてきょとんとしたマグナとトリスだったが、その後ろからバルレルにどつかれて、はっとする。
「そ、そうです。俺たち一応召喚師ですから、兵士より、召喚獣のこと詳しいです!」
……一応かよ。
「だからこの子のこと、あたしたちに任せてもらえませんか!?」
とはいえ、さすがにそこまで云われてはもう粘れなかったか、店主は代金を受け取るとそのまま、もときた道を戻っていった。
「はい、もう食べてもいいですよ」
怯えたまま、マグナにしがみついていたユエル。
アメルが食べ物を差し出すと、
「え?」
と云って、たちと食べ物を交互に見比べ、目を丸くする。
「いいの?」
「うん。このお兄さんたちがね、お金払ってくれたの。だから、安心して」
が云うと、ユエルは、ぱぁっと目を輝かせて食料に飛びついた。
一心不乱に食べる姿を、たちは黙って見守る。
だいたい、10分ほどだろうか。
けっこうな量だった肉は、ほとんどユエルの胃におさまってしまう。
やっと満足したらしい彼女は、口元を拭うと改めて、たちを見上げた。
「ありがと! えーと……」
「アメルです。それからこちらがマグナさん、隣が……」
アメルが順番に紹介し、ユエルはうんうん、とうなずいて、
「アメル、マグナ、トリス、。だね」
――うわ。かわいい。
ひとりひとり、指さし確認をするその仕草がまたかわいくて、思わず相好を崩す一行。
などさきほど詩人から感じた寒気が残っていたから、とくに。
そうして、ふと、トリスがユエルに問いかけた。
「ところで……あなたを召喚した人は?」
召喚獣をもとの世界に戻すには、召喚した本人でないと不可能である。
いくらトリスたちがユエルを帰してやりたくても、出来ないことなのだ。
だから、トリスの問いも当然、そこから生まれたものだったのだろうけれど。
「そうよ、帰ってこなくて心配してるかも……」
アメルも純粋に、ユエルを心配していたのだろうけれど。
ふたりのことばを聞いたユエルの表情が、みるみるうちに険しくなった。
「心配なんかするもんか! あんな嘘つき、ユエルの主人なんかじゃないよっ!!」
不意に立ち上がってそう怒鳴ると、彼女は駆けだした。商店街の出口へと向かって。
「あ、おい!」
「食べ物分けてくれてありがと!! じゃあね――――っ!!」
さすがと云うか足の速いユエルの姿は、あっという間に見えなくなる。
たちは半ば呆然として、それを見送っていた。