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第35夜 四
lll 彼らは呼びかける lll




 額を叩きたくなる衝動を抑えて、バルレルはまず舌打ちした。
 考慮に入れておくべきだった。あれらが出てきた時点で、存在に勘付かれるかもしれない、最悪間近の可能性が発生したことは。
 何しろ、よりによって、誓約者と融機人と豊饒の天使がいるこの場でだ。
 こんな事態の真っ只中で、内包していたモノを呼ばれる羽目に――かつ自分がそれを傍観してしまう羽目になるなんて、だ。
 呼びかけられた当人は、目を見開いて硬直していた。
 それはそうだろう。だって彼女は、もういい、と、思いっきり封じていったのだから。今も、奥で眠っているのだろうから。
 急にそんなこと云われたところで、にしてみれば思いっきり苦悩するしかないのが脳裏に浮かぶようだ。
 ――つーか、目の前の光景は、正にそれだし。
 だが、救いはある。
 それで、まだ目覚めてないのだと判断出来たから。
 遠い呼び声もまだ、全然聞こえない。が聞いたのは、あのクソバカ怨霊どもが発したくそたわけた呼びかけだけだ。
 かといって、それはなんら、救いにも慰めにもならない事実。
 いつどんなきっかけで起きるものやら、判らないせいだった。……そうして目覚めたが最後、またあの鎖は彼女に向かいかねない。
 ……それは。それだけは、繰り返させるわけにいかなかった。

 だが、バルレルがそう考えている合間にも、を含めた全員が思いがけない展開に硬直している間にも、事態は刻一刻と動きつづける。

 どさり。
 不意に、糸の切れた操り人形のように、マグナとトリスの身体が地面に伏した。
「マグナ! トリス!」
 ネスティの制止も振り切って、アメルがふたりのもとに走る。
 抱え上げて、胸に耳を押し付ける。心音と呼吸は――どうやら確かめられたらしい。彼女は安堵した顔で一同を振り返り――

!!」

 なんでそんな緊迫した顔で、あたしのこと呼ぶの? そう訊こうとして、口が動かせないことに気がついた。
 いつの間に? 判ってる、さっきの硬直していた隙にだ。
 手も、足も。身体のすみずみ、神経一本でさえ、の意志が及ぶところはなくなっていた。
 たとえば、声を出したいのに引き結ばれたままの口元。歩き出そうと力を入れてるつもりなのに、全然応えてくれない自分の足。

 なんだろう。これは。――気持ちが悪い。
 トリスとマグナも、こんなふうな感じだったんだろうか? そう思った。
 そして、気づく。
 もし、ふたりと同じこの状態が、やはり、ふたりと原因を同じくするものによって、だというのなら――

 気づいた瞬間、頭のなかに響く声。

『守護者ヨ、えるごノ守護者ヨ』
『くれすめんとノ一族ニオイテ最大ニシテ最強ノチカラヲ持ツ守護者ヨ』

(――……何、それ)

 エルゴの守護者。拾った単語はあまりにも意表をつくものだった。
 この場にはいない、カイナやエルジン、エスガルドを思い出す。
 ――知らない。
 そんなこと知らない。
 記憶をなくしていた頃ならともかく、今の自分には記憶がある。

 10歳まで過ごした世界の記憶を、今はこの手に持っている。

(名も無き世界のあたしが、なんでそんなコト、あんたらから云われなきゃいけないのよ!?)

『ソレハ違ウ、守護者ヨ。貴女ノ魂ハソノコトヲ知ッテイルハズダ。出逢ッタ記憶ガアルハズダ』
『転生ヲ繰リ返シ、りぃんばうむノえるごヲ護リツヅケタ守護者ガココニイル』
『守護者ヨ、界ト界ノ狭間ニ在ルハズノ貴女ガ何故コノヨウナ場所ニ在ル?』
『我ラハコノ森ニ縛ラレル前ノ記憶シカ持タヌ。守護者ヨ、何ガアッタノダ』
『今ハソレヨリモ』
『我ラニチカラヲ、守護者ヨ』
『忌マワシキ天使ノ呪イヲ砕クチカラヲ、げいるヲ守ルチカラヲ、我ラニ与エヨ』

(だから……あたしは、そんなの知らない――)

  何も 知らないの

(――って、云ってるでしょうが!?)

 召喚術など使えない。使おうとしても、見当外れのものばかり喚びだすこの自分が。いったい何の力を持っていると?

『くれすめんとノ魔力ハ、召喚術ニノミ用イラレルモノデハナイ』
『ダガ、満チ溢レルまなヲソノ手ニ握ルコトガ出来タノハ守護者ノミ』

『魂ガ眠リツヅケテイテモ、ソノちからハ刻マレタママノハズ』

 眼球さえ動かない。
 固定させられた視界に、映っているのは、倒れているマグナとトリス。ふたりの傍に駆け寄ったアメル。それからネスティ。
 ぎりぎり入っているのが護衛獣たち。
 呆然と立っている、サイジェントから来た人たち。
 全員が全員、目を見開いてを凝視していた。
 果たして、今頭のなかで繰り広げている会話は彼らに聞こえているのだろうか。
 ――聞こえていないといい。切実に。
 そしてもうひとつ切実に、お願いだから、このままいっそ攻撃してほしい。
 けれど、彼らがためらっているのは、手にとるように判ってしまう。

 そしてふたつめの切実に、思う。
 こんなの、何かの勘違いであってほしいと。

 クレスメントだとか、守護者だとか、そんな分類はどうでもいいけれど。

 自分の知らない誰かのことを、まるで押し付けられているようで。それは、ひどく、イヤなこと。

『守護者ヨ、チカラヲ――』

(……ッ!?)

 ぐぐっ、と、手が持ち上がる。
!」
 さすがに聴覚まで支配はされていなかったのか、ネスティが叫ぶ声は聞こえた。
(……ネスティ!)
 応えたいのに。だいじょうぶだよって、いつものように云いたいのに。
 代わりに、伸ばした手のひらが、一度、振られた。

 その瞬間。手のひらに出現したのは、アグラバインがアメルに託した羽根だった。金色の、それは、鍵だと云っていた。

 はっという表情になったアメルが、慌てて懐を探る。
 けれど、差し入れられた手のひらが出てきたときには、何も握っていなかった。
 それならば、今。の手のなかにあるものは、正真正銘の。

(何を……!?)

 天使としてのアメルを封じるというのなら、彼女に通じる天使の羽根を用いることは矛盾しているように思える。
 ならば、『彼ら』の目的は。

 ――嫌だ。こんなのは。

『森ヲ封ジル。何者モ、入ルコト叶ワヌ結界ヲ。コノ地ニ満チル天使ノチカラト、守護者ノ引キ出スまなガアレバ容易イコト』
『くれすめんとノ血族ニオイテ、守護者ヨ』

  やめて!

『チカラヲ我ラノタメニ!』

 勝手に身体のどこかが開かれた感覚。
 何かが身体のなかに入ってくる感触。
 意識して自分が望んでそうするならともかくも、まったく関与しない部分にそうされる、おぞましさ。
 世界の力。マナ。
 本来は暖かく優しいはずの力なのに、今はどうしてか、ひどい嫌悪を覚えた。

 ひどすぎる。こんなのは。あたしは、

  わたしはこんなことのために生きていたわけじゃない――

 その想いは、果たして、『』だったのか。
 ……それとも。

  ……ごめん ね

「いや……ッ!?」

 口が自由になっていたことに気づいた瞬間。
 身体のなかで何かが一気に膨れ上がる。
 正体不明の光を腕にまとうときの感覚に似た、けれど、遥かに規模を大きくしたそれは、痛みさえ伴なって身体中の神経を苛んだ。
 だけど、強く。出るなと念じた。通用するのかどうかも判らないままに。

 出るな。出てはいけない。
 力になっちゃいけない。
 今行使してはいけない。

「……誰か……」

 膨らんだそれを放出させようとする存在、抑えこもうとする意志。
 ひとつの身体のなかで、相反するものがぶつかりあう。
 何か云っている。何故力を貸さないのかと。何故一族のために動いてくれないのかと。
 何か答えていた気がする。何故勝手に決めつけるのかと。何故自分の意志を無視して縛りつけるのかと。
『ソレハ貴女ノ望ンダ鎖ダ』

  ちがう!!

 誰が望むものか。ただ縛りつけるだけの鎖など。
 自分の意志の介在しない、明日など。

  わたしが鎖縛を望んだのは、ただ一度だけ
  その一度が、果てしなく永い時間続いただけ

  つづく血が、うしなわれたために――

 後に――その瞬間、ほの白い陽炎をまとっていた、と、誰かから聞いた。
 光の粒子が大量にに寄り添って、爆発しようと暴れていた、とも。
 けれども今このときには、当然、そんなことは判らない。
 ただ、動いただけで。
 ただ、望んだだけで。

  止めて……!

「誰か、止めて―――――――――!!」

 叫んだ、それがその瞬間の願いだった。


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