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第35夜 参
lll 血の呪縛 lll




 パァン、何かが弾けるような音。

 続いて襲ってきたのは、これまでに感じたことのない衝撃。揺らぐ大地。降り注ぐ言の葉の焔。
「――ッ!?」
 衝撃によって地面に押し付けられていた身体が、ふわりと持ち上げられ、

 バァン!!

「……っ、ぐ……」
 背中からの衝撃。木に叩きつけられたのが判った。
 そのためか、一瞬、呼吸さえもが止まる。
「げほっ! かふ……ッ」
 叩きつけられた拍子に口の中を噛み切ったのか、どろりと広がる血の味。
 飲み込むのはためらわれて、それを地面に吐き出した。
 手のひらで口元をぬぐうと、唇についた赤いものがそのまま手に付着する。
 それを見る目が、白く霞んで――もしかして頭もぶつけたか、と、やけに冷静な自己分析。
 あー……せっかくの正装なのに汚しちゃった……
 紫色のところどころにこびりついた泥、数滴の赤い染みを見て、ぼんやりと考える。

 そして、ぶん、と頭を大きく振った。

 なおも不快感を訴える頭の、こめかみに手のひらを押し当てる。正面を見るべく視線を持ち上げた。
 地面に押しつけるようだった過重は、消えていた。
 代わりに、たった今くらったばかりの召喚術のおかげで、それまで以上に身体が自由にならない。状況はむしろ悪化している。
「トリス! マグナ!!」
 持ち上げた視線の先には、クレスメントの兄妹。
 この世の者ではないかのような、虚ろな目で表情で、彼らは遺跡と自分たちの間に立ちふさがっている。
 姿を認めて叫んだものの、果たしてふたりに聞こえているのか。
 周囲はどうかと目をやれば、さすがに高等召喚術の重ねがけは辛かったのか、倒れているアヤたちの姿。
 むしろ、そのあとの衝撃で吹き飛ばされてバラバラに叩きつけられたときの影響が大きそうだった。
「……許サナイ」
 ふたり以外の全員が地に伏しているなか、トリスが口を開いた。
 ……けれど。
 その声は、普段よく耳にしていた、彼女のものではなかった。乾き、ひびわれ、暗く、昏く、澱んでいた。
 彼女の声じゃない。
 笑ったり、起こったり、感情の豊かなあの声じゃない。
 だが、その声は、紛れもなくトリスの口から発されていた。

「我ラノ技術ノ結晶ヲ奪ウ者ヲ、我々ハ許サナイ」

「……どうしたんだ、ふたりとも……!?」
「待ってください……!」
 困惑を前面に押し出して呼びかけるネスティの袖を、近くに飛ばされていたアメルが引いた。
 振り返ったネスティに、彼女は告げる。

「あれは、違います……! あの『人』たちは、トリスとマグナじゃありません……!」

「……血が鎖になってるの……」
 意外に近くで聞こえたことばにが視線を動かせば、レオルドにかばわれて、どうにか事なきを得たらしいハサハの姿。
 それでも負担はかかっていたらしく、途切れ途切れのことばながらも、彼女は一行へ告げた。

「血が、遠いご先祖様を、おにいちゃんたちに縛りつけてるの……」

 ……ということは。
 ふたりのことばが聞こえた全員が全員とも、一瞬後、ひとつの結論に辿り着く。

 つまり、あれは。

 クレスメント一族の霊?

「……って、はいー!?」

 叫ぶより先に、目は丸くなっていた。
 ここでいきなりオカルトモードに入るか!? というやけにあの世界の現代っ子ぽい思考がわいたものの、それはまあおいといて。
 ああ、どうりで。うん、とりあえず、ひとつ納得。
 異世界から鬼や悪魔を喚び出したわけでなく、この世界の霊がとり憑いているというのなら、憑依『召喚術』を使う必要もない。また、そのための召喚師もいなくたって、何の問題もないわけだ。
 代わりに、別の疑問が湧いて来はするんだけど。

 なんだってこの間は出てこなくて、今日に限って出てくるんですかご先祖様。

「阿呆ッ、勝手にとり憑かれてんじゃねェッ!!」

 いやバノッサさん、好きでとり憑かれてるわけでもないと思うんですが。

 妙に元気なバノッサの叫びを聞きながら、ことばにならぬツッコミを二連発でかましてしまったは、ふと遠い目になっていた。
 と、少し離れた場所で、
「……うは、効いた……ッ」
 ぺしぺし、頬を叩きながら、ハヤトが立ち上がる。
 男性陣の方が比較的打たれ強いのはとりあえず世の常か、続いてトウヤもしっかりと、その場に二本の足で立っていた。
「これが、曰く調律者の持つ本来の魔力だとしたら、相当な潜在能力だな」
 動揺ないのかこの人は。どこまでも平然と、そんなことを仰るし。
 続いて、ナツミとカシスが起き上がる。
 その頃になると、とりあえず全員、身体を起こせるくらいには意識がはっきりしたようだ。
 足元おぼつかないのも数名いるけど。主に召喚術にあまり耐性のない人――って、なんか、自分以外全員耐性あるんじゃなかろうか。ふと思い立ち、は一同の顔ぶれを改めた。
 誓約者に護界召喚師に護衛獣たちに生粋の召喚師に天使に某魔王(関係者以外内緒)に。

 ……あたしがいちばん足手まといかい……

 それでもなんとか気を取り直し、木に寄りかかりつつ立ち上がる。これくらいでへこたれてはいけない、人には、あらゆる劣勢を引っくり返す根性というスキルがあるのだ。きっとデフォルトで。
 それから、改めて視線を転じた。
 よく恐怖番組で見たような、火の玉とか幽霊の顔とかが、ふたりの向こうに見えるわけはない。
 けれど、ぼんやりと――何か、トリスとマグナの周りに、薄い膜のようなものが生じているのは見てとれた。
 がそれに気づくのと同時、再び、ふたりが口を開く。

「求メルハ召喚兵器カ」
「コレハ余人ニ触レサセルニハ大キスギルチカラ。何人タリトモ近ヅクコトハ許サナイ」

 そのことばに、全員が目を見張る。
 つまり、この霊たちは、その思いだけでこの地に凝っていたのか。
「待て! 俺たちはそれを壊しにここへ――」
 それならば、と、ソルが叫ぶ。
 けれど、
「来たれ。流星導く気高き髑髏」
 応える声は、召喚術の詠唱。

「――ツヴァイレライ」

「なっ!?」

 空が急激にかきくもる。そうして、割れる。
 雷と共に降り立った髑髏の騎士が、高々と槍を掲げた瞬間、流星がその場に降り注いだ。宿る意志は、明らかに、たちを傷つけんとして。
「みんな!!」
 ただ、今度は先刻のように甚大な被害は出なかった。
 先のあれで、心の準備が出来ていたおかげだろうか。アメルが、ばっと両手を広げる。
 その背中から、純白の翼が広がった。全員を守るように。
 天蓋のように張り巡らされたそれは、流星の落下を遮った。
 それだけではなく、羽の天蓋から降り注ぐ光が、先程負わされた怪我を癒しさえする。
「アメル……いつの間にそんな芸当を……」
「芸当じゃないですよ、
 流星がやむと同時、名残もなく消え去った羽を生み出した少女は苦笑する。
「ここはサプレスの力が濃いから……だから、こんなふうなことが出来たの」
 他のところでは、けっして出来ないだろうと彼女は続けた。
 自分の魂が欠片となったこの地、アメルになれなかった幾つかの欠片がまだ、彷徨っているこの禁忌の森だからこそ。と。
 ――けれど。

「……あるみね……!」

 それがきっかけになったか。これまで感情らしきものを見せなかった『マグナ』と『トリス』が、恐慌状態に陥ったように、次々とことばを発し始めたのだ。

「天使……我々ガ地ニ堕トシタ天使……!!」
「何故ココニイル、魂ハ砕ケタハズナノニ」
「くれすめんとノ魔力ヲ奪イ、ソレデモ尚足リヌト云ウノカ!」

 それは良い方向にとらえようとするなら、天使アルミネへの慙愧から? ――いや、けれど、これでは。そう、むしろ、糾弾。
 だが、どういう解釈をすればそうなるのか。
 むっとしつつも注意して聞いていると、ことばが途切れるたび、微妙に話し方の癖が変わっていることを、は気づいた。
 おそらくだが、複数の霊があのふたりの周りにいるんだろう。それらが交互に、ふたりの口を使って、喋っている。
 いや、落ち着いて話を聞いている場合じゃなくて――思う間もなお、声は云いつのる。
「望ミハ何ダ、呪イノ成就ヲ望ムノカ」
「我ラ血族ノ根絶カ、らいるノ民ヲモ含メテカ」
 何を、と。こぼれた声は誰か。自分か。
 アメルが、誰かを呪うはずはない。はそれを知ってる。誰もがそれを知ってる。
 誰かを呪い、世界を恨んだ存在が、他者を癒すような純粋な力を持ちつづけられるわけがない。
 クレスメントの彼らは何か思い違いをしているんじゃないだろうか、そう思うけれど、はきとことばに出来る確証を持ってはいないのが難点だった。なにしろ、当時の真実はそれこそあの『マグナ』たちしか知らないのだ。そのことが口惜しい。
「らいるノ民ヨ、今一度力ヲ我々ニ。アノ天使ヲ封ジルノダ」
「バカを云うな!」
 真っ直ぐに手を伸ばす『トリス』から逃げるように、一歩足を退き、ネスティが叫んだ。
「おまえたちは、そうまでして、何を望んでいるんだ!?」
 困惑も露に、
「召喚兵器を余人に触れさせぬようにするというのなら、そのためにおまえたちが出来ることはない。もはや実体を持たない身で、どうするつもりなんだ……!」
「僕たちに任せてくれないか、クレスメントの一族よ。それを封じるために……いや、それこそ、誰の手にも渡らぬようにするために、僕たちはここにきたんだ」
 一歩、彼らに足を踏み出したキールが告げた。
 けれど、『マグナ』と『トリス』は大きくかぶりを振っていた。

「破壊ハサセヌ、封ジモサセヌ、コレハ我々ノミガ手ニスベキモノ!」
「永劫ニ我ラトトモニコノ地ニ在リツヅケルガ相応シキチカラ!」

 チッ、と、舌打ちの音。そうしたのはバノッサだった。
「……胸クソ悪くなるぜ……!」
 彼が、目の前のクレスメントの霊たちに同族嫌悪にも似た感情を覚える理由を、サイジェントから訪れた者たちは知っている。
 かつて彼もまた、強大な力を得るを望み、それを己に取り込むことを望み、そのためにすべてを失いかけたのだから。
 それは、季節ひとめぐり前の物語。
 ただの学生だった男女4人が、あるひとつの目的のために命を捧げようとした男女4人と出逢い、つむがれた物語。

 いつかそれを、関った人々すべてと、笑みながら話すことが出来るだろうか。
 ――今はまだ、触れるときに痛みを生じる傷として、残っているけれど。
 ――そしてまだ、あのときの人々すべてとの再会も、かなってはないけれど。

「……あの人たちはどうして……」
「霊になったおかげで、ドロドロした感情の方が先立って飲み込まれちまったんだろうよ。よくある話だ」
 半泣きのレシィのつぶやきに、ざっくりと返すバルレル。
 あんたらこんなときまで上下関係炸裂させなくてもいいでしょうに。

「主殿方ニ負担ガカカッテイルハズデス、至急解放ヲ試ミル必要ガアリマス」
「いつものおにいちゃんたちに……戻ってもらうの……!」
 いつになく性急に告げるレオルド、初めて聞く強い声で宣言するハサハ。

 護衛獣の彼らにしてみれば、いつまでも、トリスとマグナを過去の亡霊のくびきに捕えさせておくわけにはいかないということだ。
 それは、ふたりの兄弟子にとっても、また、聖女にとっても変わらない気持ち。

 アヤがぽつりとつぶやいた。
「なんとか祓うことは出来ないんでしょうか?」
「今のままじゃ難しいよ。不意をついても……一体二体ならともかく、けっこうな数がとり憑いてるもん」
 しかもふたりだからね……片方を抑えても、もう片方が、って展開になりかねない。
 答えるのはカシス。
 他の皆から何も云わないところを見ると、カシスの意見はもっともなことらしい。
 となると、誓約者の力をもってしてもトリスとマグナの解放は一筋縄ではいかないものだということなのか。……人の怨念って怖い。

 しばらく睨みあいの構図が展開されると、誰もが予測した。

 けれど。
 何かの弾みでか視線を動かした、『マグナ』と『トリス』が目を見張る。アメルではなく、ネスティでもなく。その視線の先には、

「……へ?」

 は、間抜けな声をあげて、己を指した。
 明らかに自分を凝視していると判るその視線に、感じたのはまず戸惑い。
 それから懐かしさ――どうして。
 最後に憤り――何故。

  なぜ、あんな、ひどいことを

 記憶をなくしていた間、ルヴァイドたちに感じていたものと似ている、そう感じる理由を、自身のなかに見つけられない感情。
 だけど、これは、もっともっと遠く、奥深くから――

 そうして思考はそこで途切れる。
 おおよそ一生縁なぞないと思っていた、というか、考えもしなかった呼びかけが、の耳を打ったせいで。

「守護者ヨ……!」

「…………」
 頭は真っ白。
 目の前はホラー。
 生唾を、まるで、石でも飲むような気持ちで下し、
「は?」
 ……他に何を云えばいいのか、これっぽちも判らなかった。


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