ぽろん……
潮風の心地好いファナンの街で、詩人が竪琴を鳴らす。
「……本当なのかい?」
不安を隠し切れない、まだ信じられないといった雰囲気の声が、その音を遮った。
気分を害した様子もなく、詩人は困ったような笑みを浮かべて答えた。
「ええ……トライドラが陥落した以上、次に狙われるのはやはり――」
つづけて告げられるのはこの街の名。
ざわざわと、彼のまわりに集っていた人々が不安と恐怖におののいていく。
同時に、金の派閥はこの事態を知らないのか、知っているのなら何故何も報せがないのかと、不信の念もつのる。
つい数日前にこの街を訪れ、数々の伝承歌や言い伝えを披露してくれた詩人はあるとき、ふと思い出したようにそれを云い出したのだ。
ただの噂だとするには、あまりにも信憑性を感じさせることばの羅列が、人々の不安を増大させる。
ぽろん……
ざわざわと響く喧騒の中心で、詩人は一人、竪琴を弾く。
ただし、これまでのように伝承や歌をうたうことはない。
ぽろん……
細く長く、その音はまるで糸のように、人々の心に絡みつく。
絡みつき、不安を煽る。
ぽろん……
けれど詩人の瞳は目の前の光景を見ておらず、視線は遥か、悠久を臨んでいるかのように。
その態度を不思議に思ったひとりが、彼を覗き見て、びくりと身体を震わせた。
澄んだその瞳が何を映していないことよりも、その奥に潜む狂気に気づいてしまった故に。
もっとも、詩人にしてみれば、それは狂気ではなく正気に類するモノだった。
そうしてその『狂気』の下、思う。
目の前のニンゲン共が恐怖に震えているのを、心地好く感じているのも事実ではあって――けれど。
それよりも、強く強く思うのは。
以前失った力への渇望。
手に出来なかった存在の切望。
そのために張り巡らせた糸を、操り人形たちのもたらす結果を、疑うようなことはしない。
このような、面倒くさいにもほどがある行為をつづけているのも、間もなく引き起こされる争いからによる、負の感情を糧とするため。
その自信が、ほんの少しだけ、糸にほころびをつくっていたことを、彼は知っているのだろうか。
……困っているんですけど、ね。
ふとつぶやく声は、小さく心のなかでだけ。
予想外の存在が舞台をかき乱しにきていることを、彼は当然、承知していた。
承知していてなお、動かない。
愚鈍だからではない。ほころびた糸の修復など、とうに終わらせているからだ。
実に不甲斐ない話だが、今の自分ではまだまだ、その予想外の因子たちに敵いはすまい。よりによって介入してきたのは、出来るなら力を取り戻してから討ち倒そうと思っていた面々だからだった。
1年前に、それまでの比でなくサプレスの霊気をリィンバウムに大量に喚びこんだ、例の儀式を敢行した者たち。
その結果として、誓約者としての力を得た者たち。
あれらを滅ぼすには、まだ、力が足りない。
ならば、自分はこちらの舞台に専念しよう。
この舞台を仕上げ、大量に生まれる負の感情をすべて糧とするまでは、多少の回り道ではあるが、確実なものを選びとる。
――それに。
自分はすでに何百年と、この地に力無き身として機を見計らってきた。今さら数ヶ月数年があろうと、何の焦りを生み出そうか。
糸の修復に用いた素材ならば、たとえ誓約者と云えどもやすやすと打ち破れはしないだろうと確信しているからこそ。
この舞台の修復が成った暁には、邪魔な因子たちも排除できると確信しているからこそ。
……ぽろん……
爪弾かれるたびはかなく零れる音に、人々の不安と恐怖を煽る魔力を乗せて、詩人は弦を弾きつづける。
いえまあ正直云っちゃえば、残念なことは、あるんですよね。
それが何かと問われれば、当然、さんがファナン組でなかったことなんですよね。
せっかくですからお逢いして、アレやコレやソレや……
「あーあ」
やさぐれたような詩人のつぶやきに、ほんの一瞬、ファナンの人々には別の意味での不安がよぎったのだった。
てゆーか、私情入りまくりじゃねえかあんた。