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第34夜 参
lll いっておいで lll




 そうして、一同旅の空――と、なる前に。
 旅支度のために急遽どたばたしだしたギブソン邸に、来客がひとり訪れた。

「ラウル師範!!」

 応対に出たギブソンとミモザのことばに、マグナとトリスとネスティが顔を見合わせて、居間から駆け出ていった。
 なんだなんだと、たちも野次馬――しに行こうとしたら、
「はいはい、みんなは支度を整えないとね」
 戻ってきたミモザが、全員を居間に押し込めて、おまけに、ばったんと扉を閉めてしまった。おかげで、玄関先で何が話されているか、気になるばかりで遠耳にすら聞こえない状態。
 ていうかラウル師範ってどちら様なんでしょう。なんかいつぞや、名前だけは出てきてたような気がするんですが。
 ダメ元で訊いてみたところ、ミモザは予想外ににっこり笑って教えてくれた。
「あの子たちの育ての親、兼、召喚術の師匠よ。その実力もさることながら、人間としてもとても良く出来た方なの」
「……ああ、判る気がします」
 にっこりとアメルが頷いた。
 も小さく首を上下させる。
 マグナとトリスがあんなふうに育ったのも、ネスティがいいお母さ、いやいやいやお兄さんになったのも、きっとあの人のおかげだ。
 あの3人を今まで見ただけでも、ラウル師範という人がどういう人柄なのか、なんとなく判るような感じがした。



 ネスを恨むか、と、ラウルは訊いた。
 真実を隠していたことは、自分も同罪だからとも師範は云った。
 当のネスの目の前で何を云うんだろうと思ったけれど、自分たちは首を振った。
 それからネスティを見ると、彼は、困ったような嬉しそうな、照れてるような。そんなふうな笑みを浮かべて云った。
「……ありがとう」
 それを見たラウルが、心底安心したように微笑んだのを、ひどく嬉しく思った。
 ――だって。
 ネスティがこれまで自分たちにしてくれたこと、教えてくれたこと――接してくれた、こと。
 何にも代え難いものだって、知っているから。
 アメルだって、また、笑いかけてくれたんだから。
 それに応えたいし、第一、そんなこと思ってないし。
 ……ね。
 兄を見上げて妹を見下ろして。
 ゆっくりと笑うクレスメントの兄妹をやはり笑みを以って眺め、ふと、ラウルが口を開いた。
「それではネス、わしはもう少しマグナとトリスと話すことがあるから――」
「はい、僕はこれで」
「道中くれぐれも気をつけるんじゃぞ?」
「ありがとうございます、義父さん……」
 居間に戻ったネスティが、待機していた仲間たちの質問攻めに遇うのはとりあえず、確定済みである。
 ネスティが扉を開けたとたん、聞こえる喧騒。ざわめき共々彼を飲み込んだ扉が閉まってからほどなく、ラウルは表情を改めて兄妹を見た。
 その様子に、ふたりも自然と居住まいを正す。
「ひとつ、おまえさんたちに話しておこうと思ったことがあってな」
 ネスの目の前では、あまり話したくないことだから、と。言外に含んでるラウルのことば。
 首を傾げるマグナとトリスに、彼は、手のひらに乗るほどの小さなケースを取り出した。
「……これはネスの薬じゃ」
「え!?」
「ネス、病気なの!?」
 驚くふたりに、ラウルは静かに首を振ってみせ、
「融機人はな、その特殊な身体の構成ゆえに、病気に対する免疫が殆どない」
 定期的に投薬を受けねば、リィンバウムでは生きられないのだ。
「……どうしてネス、そんな大事なことを――」
 云いかけて。
 マグナは眉をしかめ、トリスはまなじりを下げた。
 それを告げてしまえば、話はあの禁忌にまで及んでしまう。
 ふたりの血に流れる罪を、暴かなければいけなくなってしまう。
 だから黙っていたのだと判ってしまって……だから、ことばの続きを口にすることは、兄妹には出来なかった。

「そして、この薬は蒼の派閥でしか調合出来ぬ」

 それゆえに、ネスティは薬によって蒼の派閥に縛られていたのだと。
 それゆえに、薬を代償としてマグナとトリスの監視を迫った者がいるのだと。

「え……っ」
「何ですか、それ」

 大好きな兄弟子が、誰かに利用されていた。
 告げられた事実に愕然と、ふたりが問い返す先手を打ち、
「今はそれ以上のことを告げられんが」、
 と、ラウルは付け加えた。
 証拠が揃うまでは、その人物を追及するわけにはいかないのだと。そう云うラウル自身もどことなしに悔しそうな表情。
 けれど。
「……先日来たときにネスは投薬を受けたからの、おそらく大丈夫じゃろうが……いつ何が起こるかも判らんでな、ちょいとくすねさせてもらったのさ」
 そのことばと共に、ケースはラウルの手からマグナの手に乗せられる。
 向けられる表情は、いつも自分たちを見守ってくれていた師範の、優しい笑み。……くすねた、と云ったときは、ちょっと悪戯小僧っぽい笑みだった。ショックなことを告げられたふたりの気分を、そらしてくれようとしてたんだろう。
 そうしてそのとおり、ラウルは軽く胸を叩いて、こう云った。
「派閥のことは心配せんでいい。ワシが責任を持ってなんとかしてみせる」
「師範――」
「おまえたちは、おまえたちの正しいと思うことをやりとげなさい」
 たとえやりとげきるその前に、いくつもの障害と困難が立ちふさがっても。
 嘆きに前が見えなくなっても、悔恨に心かき乱されても。


 信じているよ。おまえたちを。
 ――だいじょうぶ。その心のままに在れ、進め。


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