蒼の派閥兄弟弟子絶叫漫才後。
サイジェント組を含めた全員(バノッサはやってられっかとか云ってどこかに出かけたらしいが)を居間に集めたは、まずひとつ、深呼吸。
それから着ている服がよれてないかどうか、ふと確かめた。
実は昨日から着っぱなしのこれ、デグレア製。云わずもがな、黒の旅団の正装である。
厳密に云えば昨日の夜からだから、別に旅の途中なんて数日着替えられないこともあったから、それは気にならないんだけど。女としてどうかは別として。
ともあれ、ぴっと襟を引っ張って、形を整えた。
それから――もう一度、深呼吸。
「えーと……」
切り出すだけでさえ、声が震える。
こんなんじゃダメだと思うけど、感じていた不安がココにきて一気に膨張するような感覚がある。
「――」
飲み込まれかけた瞬間、ふと。視線を感じた。
足元に落としていた目を転じれば、そちらにはマグナ。トリス。それからアメルに、リューグ、ロッカ。
少なからずとも事情を打ち明けていた人たちが、を見ていた。
――微笑んで、くれていた。
ああ、そうだね。
も微笑う。
自分で云ったじゃないか、あたしは。
たしかめなくちゃ判らない。
このことを告げて、みんながどう思うか――それは、やっぱり云ってみなくちゃ判らない。
信じてくれるかくれないか。
……うん。
だいじょうぶ。
「見当、ついてる人もいるかもしれないけど……」
フォルテなど、記憶喪失中のを見て軍人訓練受けてたんじゃないかと思ってたらしいし。
パッフェルに至っては、過去刃を交えたことがあるし。いやスルゼン砦でなく。
――それから。
今朝レルム村からこちらに合流したアグラバインに視線を移す。
ゆうべのうちに村人の墓をすべて建て終わったらしく、今後はひとまず、こちらの一行と行動をともにするそうだ。
獅子将軍の異名を誇った彼は、今も自分は木こりだと自称しているから、さしあたっての戦力になってくれるとは考えない方がいいけど。
そう、デグレアの獅子将軍。
にとっては、尊敬しているルヴァイドのさらに上の人、というわけで、どうにも緊張感が増大してしまう。
だからって今さら態度改めるのもなんだかな、なのだけど。
そのアグラバインが、の視線に気づいてこちらを見返してきた。
……彼は。果たして、気づいていたんだろうか。が、デグレア軍と関係があるということ。
そんな疑問がの視線に乗っかっているのに気づいたんだろう、ふと、アグラバインが髭に隠れた口の両端を軽く持ち上げる。
それを見て、は宙を仰ぎたい衝動にかられた。
少なくとも軍関係者だと勘付かれてた、に、10000点。
っていうか、もしかしなくても過半数にはそれと悟られてた可能性があったわけで――
追及する人が一人たりとていなかったことに、今さらながら多大に感謝。絶大に感謝。
それを、力にして己の背を押した。
最後にもう一度深呼吸して、ようやく、それを口にする覚悟が決まった。
「……あたし、デグレアの軍人です。しかも黒の旅団所属」
それだけを告げた。
視線を足元に再度落としたい誘惑に抗し、さりとて誰かを見れる心境でもなく、ただ虚空を睨みつける。
『でした』と過去形にしなかったのは、個人的なこだわりだった。
ここで、今はもうあっちとは関係ない、と、そうすることはひどく簡単。そして、本当ならそうすべきなのかもしれない。
それでも、そうはしたくなかった。
自分から背を向けたことに、変わりはない。
けど。それでも。
――まだ、道は交わると、願っていたい気持ちは強いから。
そうして。
「あ、そうなんだ?」
と、あっけらかんとしたお返事が第一声だったものだから。
「それだけですかいッ!!」
そのことばを発したミニスを、びしっと指差して突っ込んでしまった。
すぐさま横から、
「。人を指差すんじゃない」
と、至極冷静なネスティの追い打ちがかかって、その場に突っ伏す軍人一匹。
「、だいじょうぶ?」
心配そうなユエルの声が、間近から聞こえた。同時に、彼女の手で身体が起こされる。
小柄な外見にみんなだまされがちだけど、ユエルは意外と肉体派なのだ。メイトルパの獣人ってみんなそんなもんなんだろうか――いや、レシィやフラットにいたモナティって子は……うーん。
などとずれた場所に思考を移しかけて、あわてて引き戻す。
だってこちとら、一世一代のつもりで告白したのに。
なんだって、お返事が、そんなに淡白で当たり前のコトを聞いたよーな反応になるんですか?
「そりゃあ、ねえ」
涙ながらに訴えたら、ルウが困ったような顔でモーリンを振り返る。
「だよねぇ」
視線を向けられたモーリンは、なんだか笑いを堪えているような顔で頷く。
そうしてふたりそろって目を向けたのは、カイナと一緒に座っている、弓使いのお姉さん。ケイナ。
ルウとモーリンの無言の何かを受け取って、ケイナは、にっこりと首を上下させた。
「昨日も云ったけれど――がデグレアの軍人だからって、別に何がどう変わるってわけでもないと思うわ」
「思いっきり変わりませんか!?」
ケイナの十八番である裏拳を目の前の空間に繰り出しつつ、反論。
けれど、
「だいたい、アグラお爺さんだってデグレアの将軍だったじゃない」
とか、さらり、痛いトコロをつかれてしまう始末。
いやしかし。
彼の場合は『だった』があるわけで。つまり、
「それは過去形だから……」
「過去形でも現在進行形でも」
すとーん、と肩を落として脱力しまくったを、下から覗き込んでアメルが笑う。
「はずっとあたしたちを守ってきてくれたし、今もこうして一緒にいてくれるでしょ?」
だから、それでいいの。
そのまま、アメルの腕が身体にまわされる。気がつけば、は、彼女の腕のなかにすっぽりと抱え込まれていた。
「……でも」
「たしかに、がスパイ活動をするんじゃないかという可能性も考えはしたが」
ぽつり、と付け加えるようにネスティのことば。
と、それに真っ先に反応したのはではなくて今朝立ち直ったばかりの蒼の派閥の兄妹だった。
「ちょっとネス! それって聞き捨てならない!!」
「がそんなことするわけないだろ!?」
「人の話は最後まで聞け!」
わめきたてるマグナとトリスを例によって一喝で黙らせる、さすがは兄弟子。
他にも何か云おうとした数人も、一睨みで沈黙させた。長年、弟妹弟子相手に眼光鍛えてきた成果か。……もうちょっと丈夫なら戦闘でも壁役を。いや無理。
そのネスティも、に視線を戻したときには、目を丸くして――次の瞬間、呆れたような表情になった。
何故かというと、当のがアメルの腕のなかで腹抱えて、笑うのを必死にこらえていたからである。
「すっ……スパ……」、
スパゲッティ。スパーク。スパーリング。思考は逆に笑えない連想ゲーム。それでもどうにか、ことばを搾り出した。
「スパイって……ごめん自分で云うのもなんだけど似合わな……ッ」
「……。……まあ、そういうことだ」
くっくっ、と、実はけっこう苦労してつむいだのことばに、苦虫を噛み潰したような口調でネスティは応じる。
「そうですね」
同意するように頷くのはロッカ。
先ほどネスティがスパイ発言をしたときに、黒い笑顔で槍を構えようとしていたのは、傍にいたリューグだけが知っている。
そのリューグも、利き手が武器を探して一瞬動いてたのは、やっぱりロッカだけが知っている。
「はッ、こいつにそんな表と裏使い分ける器用さがあるわけないだろうが」
「不器用で悪かったわね」
「正直者ってことですよ、さん」
思わず真顔で絡むの頭を軽くなでて、ロッカがにこりと笑う。
「……でも」
ついつい視線を動かす先には、その黒の旅団の手によって、住んでいた村を滅ぼされた人たち。
平和で、幸せな、そんな日々を根こそぎ奪われた人たち。
今でも鮮明に覚えてる。
夜空を焦がす赤い炎も、響いていた断末魔の悲鳴も、あふれる血と人の肉が焼ける嫌な臭いも。
覚えてる。
彼らの絶望と、怒りと悲しみを。
そうして、自分はその旅団の一員で。
「……憎んだりしないの? なんでそんなに――」
「さんがそうしたわけではないですから」
遮るようにことばを発したのは、ロッカだ。
のことばがあの夜を思い出させてしまったのか、硬い表情と口調。
でも、瞳の奥に在る昏い感情が、今このときでさえ、けっしてに向けられることはなかった。
ふと差し伸べられた彼の手が、いつの間にか濡れていた頬をぬぐった。
「……さんが何を求めてレルム村に来ていたのかは、判りません。でも、あのときからずっとさんは僕たちを助けてくれましたよね?」
だから、いいんです。
「――」
口を。開いて、閉じて。
ことばを探すの頭を、今度は、リューグの手が乱暴にかき乱す。
「おまえを恨む理由なんか、どこにもないんだ。肝心なのはそれだけだろ」
「黒騎士たちへの感情は――もう、消しようもないですけど」
ぴくりと肩が震える。
忘れかけていたけど、そういえば、ロッカは夜逃げ騒動の真っ最中、ルヴァイドに笑みかけたを覚えてる。(それをリューグもアメルも知ってるということまでは、の知らないところだが)
つまり、今のロッカのことばってば。
「……殺して、しまいたい?」
震える声での問いかけに、答えたのはリューグだった。
「さあな」
けっしてこちらと視線を合わせようとしない彼に、知らぬ間に不安を覚えた。
覚えたけれど――
どうしてだろう。
その声を、優しく感じたこともまた、事実だった。
実は、結構、複雑な感情が湧きあがっていて、整理がつけられないでいる。
「……殺して、しまいたい?」
そう問うてくる、のことばが、余計にそれを増幅させる。
覚えてるから。あの光景を。今も、とても鮮明に。
あの夜のことは――大平原で見た、の姿は。
胸を突かれるような痛みを感じさせた、笑顔と。その前に黒騎士へ発した叫び。
村を滅ぼした黒の旅団に所属しているというを、恨むつもりがないのは本当で。
けれど、黒騎士たちへ感じる怒りは本物。
蹂躙された日々。帰ってこない過去の光景。
黒騎士たちを手にかけたところで、それが戻ってこないことなど重々承知している。
けれど、苦しんで死んでいった村人たちの苦しみの一部、辛酸の一片でも、奴らに思い知らせてやりたいと思うのもまた事実。
――でも。
「さあな」
自分が何か云うより先に、そう答えた弟のことばに、がひどく安堵した表情を浮かべているのが見えた。
そう。
怒りがある。でも。
――でも、貴女が悲しむ姿は見たくない。
――でも、村人たちの無念は思い知らせてやりたい。
考えられるうちで最高に残酷な手段でもって、黒の旅団はレルム村を殲滅した。
どれほどの苦しみが、絶望が、その場に生まれたか。
考えるだけで気が遠くなる。
けど。
「……さん」
「?」
ちょいちょい、と、手招く。ことばを待つ彼女へ何か云う代わりに、その柔らかな髪を数度なでた。
自然と笑みをつくれたのが、自分でも意外に思えた。
「……ありがと」
そうして、行為の意味をきちんと汲み取ってくれたが、ゆっくり微笑む。
それが。しあわせだと。
――ああ本当に、幸せだと。柄にもなく、思ってしまったのだ。
「つーまーりー」
すかさずロッカからをひっぺがしながら、マグナが云った。
この見聞の旅の本来の主役である、蒼の派閥の新米召喚師の片割れが。
「は俺たちの仲間っ! 今までもこれからもずっとそうっ! ――だよな?」
前半はに、後半は一同に。
そうしてほとんど間をおくことなく、以外の全員が頷いた。
戸惑って、抱きしめている当人を見上げたの目に映ったのは、やっぱり全開笑顔のマグナの表情。
視線を動かしても、なんてゆーか、が頷くのを待ってるような顔ばかり。
――ああ、もう。
どうして。この人たちは、こんなに優しいんだろう。
胸に込み上げる熱は、あっという間に涙腺までたどり着く。
とりあえず、泣き出さずに頷けるかどうかが、現時点での最大の課題だったりした。