目を覚ましたのは、それが理由ではなくて、ただの偶然だった。
だけど、意識を絡めとっていた眠気をすっとばしたのは、横から聞こえた小さな寝言。
「お父さん……お母さん……」
「ちゃ――」
彼女の名前を呼ぼうとして、アヤは開きかけた口を閉じた。
「ん……? どうしたの、アヤ……」
「……しー……っ」
自分の口元と彼女の口元にそれぞれ人差し指を押し当てて、それ以上の発言を制する。
疑問符を顔に乗せて、音を立てないように上身を起こしたナツミも、そちらを見て納得した顔になった。
ちょうど眠りが浅かったのか、カシスにクラレットまで起き出してくる。
4人に注目されているというのに、それでも、は一向に目を覚まそうとはしない。
召喚術の効力自体は、もう切れているはずだけど。
つ、と、一筋。
の目じりが、窓から入り込む蒼白い光を反射して、光る。
「……やっぱり教えてあげた方がいいんじゃない……?」
見てられないよ、と、言外に込めてカシスが云った。
「……いいえ」
ゆっくりと。
口の端を持ち上げて、アヤは答えた。
何か云おうとしたナツミが、相変わらずに注がれたままの視線を追って、そうして納得した表情になる。
「強いんだね、この子」
「……そうですね」
カシスとクラレットのことばに、まるで自分のことを誉められたように、アヤの笑みも深くなる。
「6年間、ちゃんのことを面倒見てくださった方……いつかお礼を云えるでしょうか」
それは、まだ、叶うこともないだろう願い。
それでも望みつづけることを無駄だなんて、彼女たちは云わない。思いもしない。
……今は違う道を歩いていても、きっとどこかで交わると信じていけるなら、思う気持ちが無駄なんてこと、ないのだから。
「……ちゃんは、やっぱり笑ってる方がいいですね」
最後に、眠りつづける少女の頭を一度だけ撫でて。彼女たちもまた再び、眠りにその身を落としたのだった。
ジー、カシャ。ジー、カシャ。(以下数十回繰り返す)
「ふふふふふふふふふふふふふふ、やはり素直にファナンに戻らなくて大正解でしたね……」
ファナンに連れ帰ろうと彼を引っ張っていた部下は、今ごろ土中で腐り始めているだろうか?
もともとが屍人であるから、埋まったままでもさして違和感はないはずだ。
地面から青白い頭がにょっきり生えている光景をごく普通だと思えるならだが。
思えません。
背中に背負ったリュックサックに、使い終わったフィルムを放り込む。
新しいものを出そうとして、持参していた分すべてを使い切っていたことに気がついた。
「……まあ今回はこれくらいにしておきましょうか……」
写真ばかりではなくて、生の寝姿もきっちり記憶に叩き込んでおきませんと。
あやしげにぶつぶつつぶやきながら、レイムは望遠カメラをリュックにしまい、乗っていた木の枝から、器用に壁にへばりつく。
そのまま、カサカサカサ、と、まるで家庭内害虫――通称『G』――のよーな動きでもって、たちの寝ている部屋の窓の下まで移動した。
「……目を離すわけにはいかないんですよ。片時たりとも……ね」
窓の桟に手をかけて、小さく、小さくレイムはつぶやく。
片時くらい離してやれよストーカー。
なんてツッコミを放つ者はおらず、故にして、彼は切なくつぶやいた。
「ずっと――本当に長い間、私は待っていたのですから」
たとえ再び視線を交わせる確証などなくても、むしろ、その確証を自分自身でゼロに近づけていても、そうしてしまわずにはおれなかったから。
何のためにそんなことをしたのかと、以前、問われて自分は何も答えなかった。
鎖のない彼女を望み、束縛の消滅を望み、けれど、そのためには二度と彼女を臨むこと叶わず、それでも再びまみえるを望んだ。
矛盾と云われれば、反論はすまい。
自分ともあろうものが、と思う。
そこまで望んでいるのだから、いっそ、力任せに呼び覚まし、この手に納めてしまえばよいと思う。
思うけれど――
「やはり、私は、貴女にだけは弱いのですよ……」
窓の桟に乗り上がり、手を伸ばせば触れる位置にある(間に寝ているニンゲンが邪魔だが)、その人を視界におさめて微笑みながら、小さく、小さく。
他に誰も聞かぬよう、その人にでさえも届かぬよう、夜の闇に溶けてしまうように。
小さな小さな、つぶやき。そして微笑。
何の夢を見ているのだろうか、かすかな笑みを浮かべて眠る少女を飽くことなく見つめる銀の髪の詩人の眼は、普段の、そして本来の彼を知る者が見るならば、翌朝の大嵐竜巻地震雷火事親父の心配をしそうなほど、優しくて――哀しいほど、澄んでいて。
とりあえず、頭にほっかむりで背中のリュックサックにはあふれんばかりのカメラのフィルムが詰まっている格好のおかげで台無しだけども。
そしてさらに台無しにするかのように。
「うん……?」
むくり、と、目をこすりつつ、ひとりのニンゲンが起き上がった。
濃い紫の髪を肩より少し長い位置で切りそろえた少女である。
「……ん?」
数度またたきして、彼女は、窓辺にいる不審人物に気がついたらしい。
「……」
「……」
レイムと少女は視線を合わせて、同時ににっこりと微笑んだ。
ただし、レイムの方は額に脂汗が浮いていたけれど。
にっこり。少女の笑みが深くなる。
「不法侵入者発見。撤去します」
少女の枕元に置いてあった紫のサモナイト石――それに膨大な魔力が集中する。
――ツヴァイレライ!
異界の存在を喚び寄せる少女の声と同時に、ギブソン邸に爆音が響き渡った。
その直後、夜空に輝く星がひとつ増えたとか増えなかったとか流れ星が見えたとか見えなかったとか。
とりあえず、賞賛すべきはそんな爆音のなかでも熟睡していたこの屋敷の人々であることに間違いはないようだ。