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第33夜 壱
lll 6年という長さ lll




 階段を下りて居間に向かうと、待ち構えていた仲間に一気に詰め寄られた。
「ど、どうだったっ!?」
 しどもどに真っ先に聞いてきたのはミニス。
 もう夜も遅いというのに、頑張って起きているちびっこたちに感動しつつ、

 ビッ、と、親指を立てて答えに変えた。

 わっ、と湧く仲間たちのなかからふたつの顔を見つけて、彼らに呼びかける。
「ネスティ、アメル」
 名を呼ばれたふたりは、それをこそ待っていたかのように、早足にこちらにやってくる。
 立てた親指でそのまま二階を指し示し、

「いってらっしゃい」

「――ああ」
「ええ!」

 微笑をたたえて頷いたネスティ、笑顔全開で大きく首を上下させたアメル。
 するりと扉をくぐってほどなくすると、階段を上るふたりぶんの足音がだんだん遠ざかっていった。
 そうして……耳のいい人ならかすかに、ノックの音と扉が開いて閉まる音が聞こえたかもしれない。
「マグナもトリスも、もうだいじょうぶなのかい?」
「うん」
 モーリンの問いに、笑顔で頷いてみせる。
「ちゃんと自分から云ったよ。ふたりと話してみるって。呼んできてほしいって」
 ちゃんと自分の気持ちに素直に、動けてたよ。
「これで、なんとか一安心って奴か」
 ふぅ、と、紫煙をくゆらしながらレナード。
 煙がこちらに向かってくるのを察したは、しれっと横に数歩ずれた。
「ついでに護衛獣の子たちも残してきたから、そういうことで」
「なんで一人で下りてきてるのかと思いましたですよ〜」
 っていうかさん。
 こしょこしょと耳元に口を寄せて、パッフェルがささやいてくる。
「……もしかして、記憶が戻ったってことは、あの夜のことも覚えてらっしゃいます?」
 あの夜、というのが何を指しているのか、にはすぐ判った。
 まだデグレアにいた頃だ。
 夜の見回りをしていたら、侵入者がいて死に物狂いで撃退したときのこと。
 今なら判る。覚えてる――思い出した。
 スルゼン砦で刃を交えたこの人とあの夜の侵入者は、動きや影法師の輪郭をトレースしてみると、見事きれいに一致する。
 だもんで。
「思いっきり」
「ああああぁぁぁ、ご内密にお願いいたします〜〜〜〜」
 進入してたのがあちら様にばれちゃうと、戦闘中狙われまくりそうで嫌ですよ〜。
 かなり情けない顔で拝んでくるパッフェルを、はいはいはいと軽くいなして笑った。
「……ていうか、だったら砦で仕掛けてこなけりゃよかったじゃないですか」
 そしたらバレなかったかもしれないのに。
「何を仰います! 私はさんの光に惚れちゃったんですから、再びまみえられたとなれば見たいと願って当然じゃないですかっ!」
「胸張って云うコトですか。」
 おかげで記憶喪失につき戦闘のいろはも消えてたあたしは、命の危険を感じました。
「いえ、ほら、そこはそれ、ご無事だったんですから」
 それにちゃんと手加減してましたですよ。
 ぽつりとそう付け加えられて、はむっとした顔になる。
「……じゃあ、今度は本気の本気でお手合わせお願いしたいですね」
「ええ、さんがどれほど腕をあげておられるか楽しみです」
 会話こそ和やかだが、のバックには龍がいるしパッフェルのバックには虎がいる。
 そしてそのさらに後ろに、燃えさかる炎を仲間たちは見たらしい。

 にこにこ笑いながら闘気をぶつけあってるとパッフェルの間に、同じようににこにこ笑いながらアヤが割り込んだ。
「まあまあ、ちゃんもそちらの方もそれくらいにして……」
 ちょっとこっちに来てください、と、の返事も待たずにアヤが腕を引っ張った。
 と云っても、連れて行かれたのは同じ部屋のなかの、それまで立っていた場所からちょっと離れた場所。
 アヤが今までいた場所だ。
 当然、その場にいるのは彼女の知り合いになるわけで。
「改めて紹介しますね。右からトウヤくん、ナツミちゃん、キールさんにクラレットさん、カシスさんです」
 ソルにハヤトくん、バノッサさんはもう知ってますよね?
「あ、初めまして! 綾姉ちゃ……さんの幼馴染みのですっ!」
 帰ってきたときに誰だろうと思った人たちは、やっぱりサイジェント組だったらしい。
 慌てて自己紹介しようとして、今さらながらに10歳のときのまま『姉ちゃん』呼ばわりしていたことに気づいて訂正すると、当のアヤがくすくす笑った。
「そのままでいいんですよ?」
「でも子どもみたいだし……」
「ガキだろうが実際」
 ことばをつむごうとしたトコロに、ぼそっとバノッサのツッコミ。
 なんかバルレルとバノッサって意地悪具合が似てないか?
 むうっとむくれたを見て、ハヤトがバノッサとの間に入った。
「おいバノッサ、あんまりうちの大事な子苛めるなよ」
「……大事な子って?」
 そこに、にこにこ笑いながらギブソンが割り込んできた。
「もしかして、ハヤト――」
 それはそれは楽しそうな顔になってミモザまでもがやってくる。
 でもってハヤトはハヤトでにっこにこ笑いながら、それは見事な爆弾を居間に投げ込んでくれたのだった。

は俺の初恋なんだ」


 ちゅごがッ

 どっか遠くで何かが爆発する音がした。
 爆発の中心地には、このところ召喚師が行方不明になる現場で姿を見られているというその当人の姿があったが、とりあえずそんなこと誰も知らない。


「……へ?」

 6年も前にちょっとしか関ってなかった人から、いきなり『初恋』宣言されりゃー誰だって放心する。だっていわずもがなだった。
 間抜けな声を出した一歳後輩を振り返って、ハヤトは笑う。
「ほら、小学校のときの学年対抗リレーあっただろ?」
「あ、はい」
 サイジェントでも思い出していたことだ。
 あれがきっかけでこの人と仲良くなったのだから、それなりに印象は強い。
 強い、けど。
「いつ泣くかなって思ってたけど、おまえ最後まで泣かなかったじゃないか。あの年頃の女子ってあそこまでいったらそのまま泣き出すのにさ」
「……はあ」
「で、俺は、それをかっこいいなと思ったわけ」
 うん、幼心に惚れたんだよ、やっぱりさ。
 そう云いつつも、ハヤトの表情には、なんら色恋めいたものは見当たらない。
「……はあ……」
 これは初恋かもしれないが、恋愛に発展するたぐいではないだろう。
 生返事する、にこにこしてるハヤトを見た周囲の面々は、そう思ったらしい。
「判った?」
「微妙」
 つまりなにか。
 半泣き状態で泣くもんか泣くもんかと頑張ってたトコロを、この人はかっこいいと思ったってことですか。
 つーか10歳児に『かっこいい』って形容詞はどんなもんでしょう。
 いや問題はその部分ではなく。
 混乱して見当外れなコトばかりを脳裏に次々思い浮かべるのパニックぶりなど気づかないハヤトは、そのまま、の頭に手を置いて、
「それにしても、大きくなったなー。6年間って云ったらやっぱり長いな」
 などと、ひとりで感心している。
「そりゃそうでしょ? あたしだって10歳のときはもっと小さかったんだから」
「ナツミちゃんは小柄ですばしっこい印象ですよね」
 小柄と云っても、ナツミ自身はより高い。アヤよりほんのちょっぴり低いけど。
「……その分君も伸びてるんだろうから、どっちもどっちじゃないのか?」
 一番身長の高い(バノッサ除く)キールが、ハヤトとを見比べて云った。
 並んでいるトコロを見て判明したことだけど、一行の中ではバノッサとキール、トウヤが同じくらいの身長だ。ついでハヤト、ソル。
 女性陣はアヤとクラレット、ナツミとカシスの組み合わせでほぼ同じ。
 付け加えるならがいちばん低かったりする。つってもたかだか数センチ数ミリレベルだけど。
「6年だったら、小学1年生が最上級生になるくらいか……たしかに長いな」
 ふ、と、元の世界に思いを馳せたのか、少し遠い目をしてトウヤが云った。
 そのことばに、改めて、自分がどれだけの年月をこの世界で過ごしてきたのかを思う。
 正直、こんなに長居することになるなんて、落ちてきたばかりのときには考えもしなかった。
 6年と云ったら72ヶ月。ときたら約2200日。ときたら――
「……だいじょうぶですか?」
 思わず気が遠くなってよろめいたを、クラレットが支える。
「へ、へーきです……――」
 そう答えて。
 ふと。
 それまでどうして気にも留めなかったのか自分で自分の頭をどつき倒したくなった。
 クラレットに礼を云って腕を放し、改めてアヤに向き直る。

「あ、あの――」

 何を云おうとしているのか、それだけで、アヤは判ったようだった。
 少し、彼女の表情が曇る。

「あたしのお父さんとお母さんは――」、
 持ち上げたはずのの唇は、そこで凍りつく。
「…………」

 訊いてしまおうと思ったのは本当。
 この世界にきたとき、真っ先に、どれだけ心配してるだろうと考えたのも本当。
 だけど。
 『お父さんとお母さんはどうしてるの?』

 そのたった一言が、云えなかった。

 二度と帰れないと聞いた。
 そのときに、もう、覚悟は決めたはずだった。
 断ち切るしかないと、再会は出来ないのだと。
 折に触れて繰り返した。『元の世界に戻れたら』。叶わないと判っててつむいだもしもの話。優しく付き合ってくれたあの人。
 そう。吹っ切ったつもりだった。
 それが今になって急に湧き出たのは、――たぶん、二度と逢えないと思っていた人に、逢えてしまったからだ。

 かつて自分がいた世界とのつながりが、また、出来たような錯覚が生まれたからだ。

 ――それが幻影だと判っていても。

 口を開いては閉じる。
 それを数回繰り返す。
 訊いてどうするという気持ち、訊いたらまた、あのときのように帰りたいと泣き出すかもしれない予感。
 それでも、訊いてしまいたい気持ち。
 それぞれが交差する。

「……ちゃん」

 ゆっくりと。目の前に手のひらがかざされた。
 その手のひら、アヤの意志によって集まる光。――若草色の、これは。メイトルパの召喚術。
 何かが、目の前に出現しようとしていた。
 でも、それを感じるより前に。それよりも先に。
 急激な眠気が、を襲ったのだ。

「おやすみなさい」



 力を失って倒れたを、それを見越して傍に来ていたハヤトが支えた。
 ほとんどだまし討ちのようにして眠らせられたを心配そうに見る視線と、それをしたアヤたちへの軽い非難の視線。
「……どうして、答えてあげないのかお伺いしても宜しいでしょうか?」
 成り行きを見守っていたシオンが、低く問いかける。
 いつもと同じような人のいい笑みだけれど、どことなく――
 旧知の相手に、アヤは小さく首を振った。
「……なんて話せばいいのか判らないんです」
 がいなくなって日夜悲しんでいたこと、
 もはや望み薄とされても、捜索を打ち切れずにいたこと、
 この子と最後に逢っていたアヤに、娘を返せと迫ったこと。
 どれも、人の親としては当然の行動で。
 10歳になるかならないかの、可愛い盛りの子どもを失ったのだから、どれも、しょうのないことで。
 ……それらを問われるままに告げたところで、彼女は彼女の両親に逢い、慰めてやることは出来ないのだ。
 アヤの横に来て、が熟睡しているのをたしかめたトウヤが、一同を振り返る。
「教えてやっても、彼女はもとの世界には帰れないんだ」
 よけいに故郷への気持ちを揺り動かしても、彼女が辛いだけじゃないのか、と。
 言外のことばに、少しだけ、重い沈黙が訪れる。
「……やはり、皆さんでも無理なのですか?」
 ぽつりとつぶやいたのはカイナだ。
 そのことばに、ゼラム側の一行が『?』という顔になる。
 この一見普通の少年少女たちに、エルゴの守護者がその力を頼るようなことを云う理由が判らないのだろう。
 アヤとハヤトとトウヤとナツミが、顔を見合わせる。
 それから、一斉に視線を転じた先にはソルとクラレットとキールとカシス。
 応じるべく口を開いたのはキールだった。
「試すのも危険だ。この世界の召喚術は元来、サプレス、ロレイラル、シルターン、メイトルパという限定された4つの世界への門を開くためのものなんだ」
「その理を無視して、異なる世界への門を開こうとしても――狙いどおりに君たちの世界へのものが開くか判らないんだよ」
 カシスがつづけて、
「もしも飛び込んだ先の場所で召喚術の法則が働かなければ、一生、時空の迷い子になってしまいかねないんです」
 クラレットが結ぶ。

「つまりは、どうあっても僕たちの世界への帰還は出来ない、か」

 とうに判っていたことだけど、そうはっきり云われると胸にくるものがあるな、と続けてトウヤが苦笑する。
「――そういえば前もダメだったよね。一度変なもん喚びだしちゃったアレ」
 重い空気を払拭しようというのか、ナツミが両手を広げると、つとめて明るい声で云った。
 そのことばに興味を示したのはミニスとルウ、それにミモザ。
 召喚師としての好奇心だろうか。
 ミモザの場合はそれ以上のものが見受けられるけども。
「何を喚び出したの?」
 嬉々として尋ねるミモザのことばに、遠い目をしてソルが答えた。

「微妙に表現出来ない摩訶不思議なナマモノ」

「……。何ソレ」
「だから謎な生き物だったんだよ」
「いや、あのトキは焦った。なんせフラットの庭がそいつの酸で溶けかけたもんな」
「バノッサがちょうど通りかかってくれなかったら退治するのもっと時間かかってたね」
「通りかかっただぁ!? あれは拉致しにきたって云うんだよッ!!」
「ひどいな。ちょっと北スラムに行って部下適当に張っ倒して出てきたところをパラ・ダリオってやって運んだだけじゃないか」
「それを手前ェらは通りかかったっていうのかッ!!」
「……ときとして認識のすれ違いは、哀しい結果を生み出すものだな」
「阿呆だ手前ェらはッ!!」

 あんたらいったい何喚び出した(一同心のツッコミ)

 情けないわねっ、と、ミニスがびしっとサイジェント組を指差す。
「仮にも誓約者なんてやってるんだから、溶かされる前にちゃっちゃと送還しちゃいなさいよそーいうのは!」

 ―――――――――――……

 その一瞬の間に。
 しまった、という表情になった者、ぽかんとしてことばの意味をつかみかねた者、信じられないことを聞いたような表情になった者、その他もろもろ、まるで百面相大会。
 そうしてしばしの沈黙ののち。

「あ。」
「え?」
「……なんだって?」

「……あちゃー」

 意味不明の単語が次々こぼれるなか、ミモザがぺしっと額を叩いた。
「……まさか」
 ぎきぃっ、と、油の切れた機械人形的な動きで、アヤたちがミモザとギブソンに視線を移す。
 かなりびしばし突き刺さる視線だが、しかしギブソンは困ったような微笑を浮かべ、ミモザはてへっと照れ笑いをつくる。

「貴方たちの説明と口止め、するの忘れてたわ」

 いやあもうきれいさっぱり!!

『笑って云うこと(です)か――――――――――!!』
 8人分の絶叫がその場に木霊した。

「やってられっかッ!」
 1人が、疲れきって壁を蹴り飛ばした。

 だけど、そんな騒ぎの中でも熟睡していたは、それほど大物だということなんだろうか。
 ――単に疲れと召喚術のダブルパンチなだけだったのかもしれないけど。


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