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第32夜 参
lll 一緒に行こう lll




 どうしていいのか判らなかった。
 いつも笑ってる自分の主。いつも優しかったあのひとの。
 あんな姿を見たのは初めてだったから。
 扉越しに何度か声をかけてみても、何も返ってはこなかった。
 まるで、扉一つはさんだ先には闇しかたゆたっていないみたいで。怖くて。哀しくて。
 それ以上先に進む勇気が出なくて。
 何を云えばいいのか判らなくて。

 だって。
 元気を出して、とか。
 気にしないで、とか。
 そんなの、意味ないような気がしていたから。
 届かないような、気がしたから。

 ――どうすればいいのか、判らなかった。

 ただ、

さん」
「おねえちゃん」

 すたすた、と、廊下を歩いて行く少女に追いついて、レシィとハサハは同時にその腕に飛びついた。

「ん? ふたりともどしたの? ……あ、バルレルもレオルドも」
 トリスとマグナが引きこもっている、二階の端の部屋まであと半分の道のり。
 足を止めたが振り返って、護衛獣たちの姿を認め、名を呼んだ。
「あ、あの……さん」
 泣き出しそうな顔で、レシィはを見上げる。いや、もう、すでに泣き顔なのだけど。
 ハサハはぎゅぅっと頭をの腕に押し付けて、しがみついて。

「ボクたち……何も出来なかったです」

 ごめんなさい。

 ぱちくり。
「……は?」
 いきなり謝られて、の目が点になる。
「だって……ボクたちの声じゃご主人様たちに届かなかったんです。何も出来なかったんです……」
「――だと、よ」
 と一緒にふっとばされて、唯一こちらにはいなかったバルレルが、うっとうしげにつぶやいた。
 彼はトリスとマグナの沈みぶりを見ていない。
 だからそんなふうに云えるんだろうかと、思ってはいけないことさえ思ってしまう。

 それくらいには。
 あの人たちほどでないけど。

 何も出来ない、その事実に。
 追い詰められていた、自覚。

 護衛獣なのに。あの人たちを守らないといけないのに。

 何も。

「何を云ってるかなー、もう」

 顎に手を当てて、頭のなかでいろいろと整理していたらしいの、第一声はそれだった。
 それはそのことばに反して、あまりにもあっけらかんとして。明るくて。
 笑っていたあの人たちを思い出してしまうくらい、優しくて。
 しがみついていた腕を解かれてびくりとしたけど、その手はそのまま、レシィとハサハを抱え込む。
 そうして、その手でちょいちょいと、後ろで立っている残りふたりを手招いた。
「禁忌の森であんなことになってビックリしたよね」
「……うん」
 ハサハが小さく頷く。
「トリスとマグナがそういう血筋だって判って驚いたね」
「はい」
 レシィも頭を上下させる。
「……でも、君たちはトリスもマグナもあんなコトしないって、知ってるよね」
「ハイ」
 がしゃん、と、硬質な金属音。
「でも、なんて云えばいいか判らなかっただけだよね?」
「云おうにも云えねぇ場所だったしなァ」
 しれっと横を見て、バルレル。
 最後の返事にくすくすと笑みをもらして、は、抱え込んでいるふたりの頭を優しく叩く。
 それから、内緒話の体勢になって。
 あのね、と、ことばを紡いだ。

「あたし、実はデグレアの軍人なんだよ」

「え!?」

 思いっきり驚いたのはレシィだけだった。
 レオルドはまだそこまで大仰な感情表現は出来ないし、バルレルは事情を知ってるし、ハサハはこくんと頷いただけ。

「詳しい事情は後で話すけど、あたしは、今、デグレアのあの人たちを裏切ってる。召喚兵器を生み出したって人たちが、異世界の友達にそうしたように――【裏切り】ってことばにピッタリの行動、してる」
「シカシ、ソレトコレトデハ問題ガ……?」
「一緒だよ」レオルドへと軽くかぶりを振り、「背を向けたってトコロはね。規模なんてそれこそ問題外」

 それでもね、と、は小さく笑ってる。


「これはあたしが決めたこと」
 護衛獣の子たちに、そう、は云った。
「そしてあたしが望んだこと。だからその責任持っていく、覚悟くらいはしてるつもり」
 たとえ後ろ指さされようと、かつての仲間と刃を交えようと。
 それがどんな痛みを後悔をもたらすのだとしても……きっと、乗り越えられるように。
 まだ迷うだろう。まだ戸惑うだろう。
 それでも……
 まだ覚悟は決める途中だけれど、歩き出した自覚はあるのだから。

 ――でも。

「でも、トリスとマグナは違うんだと思う」

 裏切ったのは彼らではない。
 裏切ったのは遠いご先祖。

 先祖の罪を子孫に負わせるという考え方が、本当は、は嫌いだ。
 ルヴァイドが父の罪を背負っているのだと知ったとき、覚えた憤りの深さは忘れていない。

 けれどそれが、血に連なる故の烙印だと云うのなら。
 それを受け入れねば先に進めないと云うのなら。
 受け入れてこそ、見える道があるのなら。

 ……だけど、受け入れるために己を壊してどうするというのだ?

「それはみんなも同じはず。だからあんなに心配してるんだしね」


 そのことばに、彼らもまた思い出す。
 主たちのところに通う自分たちのことを、何やかやと気にかけてくれた仲間たち。
 食事は当たり前のように人数分だったし、持って行くのが大変なときは途中まで手伝ってくれた。
 扉の前で一晩明かしたときなんか、いつの間にか毛布までかけてもらってた。
 そんな、数日間のことを、思い出した。
 ゆっくりと、が笑う。

「……たぶん、ホントに最後に届くのは、誰かの声じゃないよ」


 は、笑う。

 だってあたしは知っている。
 自分の立っていた場所とか、国と国のかかわりとか、これからの展開とか。
 イロイロ、考えて。
 決めたとき。
 傍にいたイオスの存在とか、遠く近く思い出す、懐かしいルヴァイド様のこととか。どうしているだろうと心配していた、ここの人たちのこととか。

 最後に自分にどうするかを決めさせたのは、どうしたいの、って自分の声。
 そうして。
 そうする、と決めた、自分の意志。

 本当は、そうなんじゃないかと思う。
 自覚していないだけで、選択を前にした瞬間、心はもう、進むべき先を決めているんじゃないかと思う。
 迷ったり戸惑ったり、そんな気持ちが心の声をかき消すけど。
 時折それは、自分でさえ判らない理由からなのかも知れないけど、決めてしまうだけのものは確りと、この心にあるのだろうから。
 そしてそれは、いつでも消えずに在るのだと思うから。
 これからいくら迷っても嘆いても、逃げ出したくなったとしても。ならばそれを見つけよう。
 下したこの決断は、今の自分の気持ちそのものだと思うからこそ。

 ぽん、ぽん。
 手を伸ばし、はレシィとハサハの頭を撫でてやる。
 ふわふわの緑の髪と、さらさらの黒い髪が指に絡みついて滑り落ちていった。
「一緒に行こうか」
 小さく囁いて、目を丸くした彼らに笑ってみせる。

 あたしの声だから届くわけじゃない。
 この子たちの声は届かないわけじゃない。

 あたしたちの声はあくまでも、ふたりの気持ちを起こすため。
 ふたりの心に眠る声を、ちゃんとふたりが聴き取れるように。

 トリスとマグナの心の声が、ちゃんと、ふたりに届くように。

 そのためのきっかけなら、あたしたちの声でも十分、事は足りるだろう。



 ほとんど儀礼的に小さなノックをして、
「入るよー」
 ただ一言そう云って、そっとノブに手をかけた。
 後ろでは護衛獣たちがはらはらしつつ見守っている。(一名除く)
 ギィ、と、蝶番を軋ませて扉を押し開けて中に入り――ちょっと、顔をしかめた。
 この部屋は二間構造になっていて、奥に寝室があったはずだ。トリスとマグナがこもっているのは、たぶんあっちの方だろう。
 入ってすぐのドアの脇に置かれているのは、食事の残骸――とも呼べないもの。丸々残ってる、と云い換えてもいいくらい。
 何せほとんど手付かずであり、減っているものといえばパンと水程度。
 それにしたって、18歳の男女ふたりの食事にしては少なすぎる。
 いつ持ってきたものかと訊いてみれば、今日のお昼だとレシィが答えた。
 つまりは、最低10時間ぐらいパンと水だけで生きてるというコトであって……もしかしなくても、数日間こんな調子だったりしてるんだろうか。
 ふたりのショックの度合いが知れようというものだが、それにしたってと思う気持ちも強い。

 ああ。こんなことで、あたしはちゃんとあのふたりと話せるんでしょうか。

 でも、そのために来たのだ。
 すたすたと部屋を横切って、ついでに傍の窓にかかりっぱなしのカーテンを引き開けつつ、奥の部屋に続く扉の前に立つ。
 意識を済ませてみるとたしかに、衰弱している気配がふたつ、ほんのかすかに感じ取れた。
「……」
 眉をしかめて首を傾げ、手を持ち上げる。

 ――トン、トン。

 遠慮がちな、でもはっきりとしたノックの音が、こちらとあちらの部屋に響く。

「……」

 返事はない。
 ただ、ほんの少しだけ何かが動いたような。
 ずっとこんななの、と、ハサハがようやっと聞こえるくらいの声でつぶやいた。

「……」

 むう、と、一度だけうなって。
 は実力行使すべく、扉に手を伸ばした。


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