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第31夜 六
lll とりあえず、帰ろうか lll




 ――ぐしゃ。

「……?」

 わしわしわし。

 それは、この上もなく乱暴で、力がこもってて、大雑把で、抑えつけられたような印象だわ、たぶん髪は乱れたわ、だろうけど。
「……バノッサさん」
 だけども。
 たぶんかなり手加減してくれているんだろうと判る、負荷とも呼べないくらいの重みは。

 ……撫でてくれてる、つもりなんでしょうか。

 頭に手を置かれた拍子に足元に落とした視線を彼の人に戻せば。
「威張れることかよ、ボケガキ」
「なッ……!?」
 ガキはともかく、いやボケもともかく。
 ふたつ合体させてまで虚仮にされたのは初めてだ。
 ――だけど。
 ガンつけてやろうとよくよく見たら、地面に放り出されたままのカンテラの明りはここまで届いて、バノッサの顔を照らし出していた。
 仏頂面の、不機嫌そうな、でも。
 それはなんとなく、まるで照れているように、見えた。
 だからして、
「たしかにあたしはボケてますけど、バノッサさんの赤い顔はよく見えてますよー」
 にへっと笑ってそう云うと、彼は案の定、目を見張ってこちらを見下ろした。
「誰がだッ!」
「バノッサさんがでぃす」
「俺様のどこが顔赤くなってるんだよ!」
「ほっぺた。」
「なってねェッ!!」
「ムキになっちゃだめですよ、また赤くなる、ほら」
「このヤロ……ッ!」
 ぐい。
「を?」
 バノッサの、空いた側の手が伸ばされていた。
 てっきり、その手によって前に引っ張られると思っていたら、それよりも先に、リューグがの腕をとって後ろに引いていた。
「リューグ?」
「バカかオマエは。煽ってどうする」
 ひどくあきれた口調で、首の辺りに腕があって、ぽんっと頭にもう片方の手を乗せられた。
 それはもしかしなくても、ずいぶんと、かなり久しぶりのことだった。
 しかも、間の悪いことに。
 もしかしたら、もうこの人たちからこういうふうには接してもらえないなと覚悟していた後だったものだから――なんだか、よけいに胸に響いた。

 ……なんで。

 なんで、怖くても泣かなかったのに、こんなことで、涙が出るんだろう。

「……とりあえず、帰りましょうか」

 こぼれた雫に、ぎょっとした顔を見せた人たちがちょっとおかしくて。その拍子に引っ込んだ涙の残滓をぬぐい、は笑った。
 そうして、ロッカのことばに頷いた。
 が。

「黒の旅団ってヤツらはぶちのめさなくていいのかよ」

 背後からえらく剣呑な口ぶりでことばが紡がれて、思わずビクリと硬直。
 だが全身が石になるより先、
「しなくていいっ!」
 音速で振り返って否定する。

 ってかあたしの大事な家族をぶちのめされてたまるか、それくらいなら自分でやったるわ!

 鼻息荒くするを見て、
「……ふーん」
 爆弾発言かましてくれたバノッサは、やっぱり不機嫌そうに小さくうなる。
 それから、くるりとハヤトを振り返った。
 こちらからは背中しか見えないけど、なんとなく、好戦的な獣みたいな印象を色濃く醸しだし、
「じゃあしょうがねぇ、やっぱ手前ェとケリつけて鬱憤晴らすか」
「あー、覚えてたか」
 闘争心剥き出しのバノッサに対し、ハヤトはあくまでそれを受け流すつもりらしく、笑いながら手を振っている。
「……なんであのふたり、あんなに仲が悪いの」
 誰ともなしにつぶやいたの問いに答えをくれたのはアヤだった。
 仲が悪いわけじゃないんですよ、と一言断ってから、
「ハヤトくんだけじゃないんです。わたしも、それにナツミちゃんもトウヤくんも、バノッサさんに勝負迫られるのしょっちゅうなんです」
「はあ? なんだそりゃ?」
「どう考えてもあの人の方が強そうじゃないですか。あ、いえ、武器戦闘はですが」
 さすがに双子も何事だと思ったらしく、こちらの会話に参加する。
 そうこうしている間にも、ハヤトは腰の大剣を抜き放ち、バノッサも二刀をその手に握った。
 ナツミちゃんとトウヤくんって誰だろう、と思ったけれど、この話の流れだとたぶん、先にゼラムに行ったというアヤの友達だろうと見当がついたので問わずにおく。
「そうなんですけどね」、
 双子の見立てを肯定したアヤは、「けど」とつづけた。
「……やっぱりバノッサさんとしても、わだかまりが全部消えたわけじゃありませんから……」

 何の話だ。

 双子がそう云いたげな顔になって、同時にを振り返る。
 大雑把とは云え事情を聞いていた分、リューグとロッカよりは納得した顔になったのに気づかれたらしい。
 しかし、こんなん話していいのだろうか。
 融機人だの天使だの調律者だのの自分たちも相当なもんだと思うけど、魔王召喚とか誓約者とかのあちらもかなり怒涛っぽいし。
「……綾姉ちゃんにもイロイロあったってコトで……」
 で、結局、口にしたのはそれだけだった。
「……イロイロ、ですか」
「いろいろ、ねぇ……」
 あからさまに不審がられてるのがビシバシ伝わって来る双子の反応。
「うう、とりあえずあたしたちとは全然別のトコロでの話だから……聞きたくなったらあっちに直接お願いします」
 たしかにこの場でサイジェント組とゼラム組の橋渡しをしてるのってばほとんどだけと云っても過言じゃない。
 過言じゃないけど、一応、自分の干渉できる場所くらいは把握してるつもりなのだ。
 それに従うとどうしても、あの話は、自分からは越えられない一線。
 自分がこれまでの旅をアヤたちに話したのは棚の上に放り上げているが、今のに自覚はなかったりする。

 だがよ、と、そこへ割り込んできたのはバルレルだった。
「まだ旅団の陣営に近い場所だぜ? ここでドンパチやったら奴ら勘付くんじゃねーか?」
 いくらオマエが総大将と知り合いだっつっても、甘く見てもらえんのかよ?
 間合いを計っているハヤトとバノッサをちらちら見ながら、厄介ごとはごめんこうむりたいと、言外に告げつつ彼は云う。
 そしては、思いっきり首を横に振る。
 イオスやゼルフィルドが出るならまだしも、シルヴァたちならかろうじて、だが、その他の大量の一般兵士たちが自分を覚えてくれている自信はない。
 ってか大平原とかの戦いで、敵視されている可能性もなきにしもあらず。
 ってか、たぶん、されてるっぽい。
「じゃあ、話は決まったな」
 観戦モードだった腕組みを解いて、ソルが頷いた。
「おい、バノッサ!」
 そのまま、まさに一歩を踏み出そうとしていたバノッサに怒鳴りつける。
「うるせェ、邪魔すんな!!」
「申し訳ありませんが、パラ・ダリオ。」
 そうしてこちらに彼の注意がそれた一瞬、ぽつりとアヤがつぶやいた。
 いつぞや夜逃げのときにギブソンが放った術である。
 けれど、
「なッ!?」
 土中からにじみ出るように現れた、バノッサを縛り上げるその鎖は、あの夜見たものより遥かに太く、大きい。鎖の操り手は闇に紛れて見えないが、その存在の強さはたちの場所からも伺い知れるほどだ。
 バルレルが、「へェ」と、面白そうにつぶやいた。
「手前ェ、何しやがッ……!」
「こい!」
 その隙をついて、ハヤトがメイトルパの召喚術を発動させた。眠りを誘発させるつもりか。
 それにしても、ナイス連携。
 さしもの誓約者の魔力には敵わなかったか、バノッサはしばらく抵抗する仕草をしていたけれど、それもしばし。やがて、意識を失ってその場に崩れる。
「……早業だな」
 呆れたような声でリューグがつぶやく。実際呆れてるんだろうけど。
 も、強引というか力押しというかなぎ倒しというか、そんな大技な誓約者の力の行使っぷりにもはやことばもない。
「関りたくねー」
 げろ、と舌を出しつつつぶやくバルレル。たしかにアヤたちにかかっては、バルレルなんぞ正真正銘お子様かもしれない。

 結論。誓約者ってやっぱすげぇ。

 倒れたバノッサをどうするのかと見ていると、彼らは何やら召喚獣を喚び出してその背に乗せていた。
 フォルムが馬に似ているということは、メイトルパ関係の子だろうか。
 ちなみに、あとでバノッサが気づいたとき大騒動になることが予測され、実は実際にそうなるのだが、それはまた別の話。
「じゃ、行きましょうか」
 出発の準備が出来たのを見計らって、ロッカがに手を差し出した。
 もその手を握ろうとしたものの、実はまだ、リューグが押さえ込んでて動けない。
「……リューグ?」
 何をしてるんだ? と、にっこりにっこり笑顔のロッカ。本日二度目。
「行くぞ、
 だけどリューグはそれを無視して、を抱え込んだまま、王都に向かって歩き出す。
 肩のあたりを抱え込まれているせいか、どうにも歩きづらいのだけど、果たしてそれを口にしても聞き入れてくれるのか怪しいもんだ。
 後続組は顔を見合わせて、それを追いかけてきた。
「おい、リューグって云ったっけ? 歩きにくそうなんだけど」
 追いついたハヤトのことばに、ようやく彼の腕が緩む。
「……まだ疑ってンのか?」
 ちょっぴり剣呑なモノをにじませて、詰問するのはバルレル。
 もしかしてリューグは、がまだデグレア陣営の方に踵を返すんじゃないかと思っていたりするんだろうか。
 そんなことないよ、と云おうとしたら、当のリューグに先を越された。
「そんなんじゃねーよ」
 疑惑も不安も吹き飛ばすくらい、確りした声だった。
 だからそれが嬉しくて、そのままリューグの腕にしがみついたら――とりあえず、振りほどかずにはいてくれたものだから、ほう、と安堵して笑みがこぼれた。


 そんなんじゃない。本当に。
 いつかが云っていたように、人間なんて所詮自分の五感が得たものにしか実感を持てないのだ。
 そして、自分はこの耳で聞いた。
 今までと同じ、とは云った。
 この目で見ている。
 同じ方向に、は歩いている。
 じゃあ、もう、いいじゃないかと思っただけだ。
 だけど。
 ざわざわと、先刻まで心を支配していた熱のような凝りのような、黒い感情。
 思い出すたびに身の毛がよだつ。
 あんなものに衝動を任せていたのかと思うと、寒気さえ覚える。
 なんだったのだろう、あれは――
 あれもたしかに自分が感じていたものなのに、自分の心に在ったのに、今となってはもはや残滓さえも朧になった。
 その残滓でさえ、しつこくこちらを飲み込もうとしているのがなんとなく判る。

 あれは。
 本当に自分の心が生み出したモノなのか?

 あれは。
 自我さえ飲み込んでしまいそうなほど、黒く冷たい熱のカタマリ。

 あれを、自分が生み出したのなら。
 憎しみと怒りをこれ以上ないほどに膨らませ、固めつづけた果てなのだろうか。その、予兆だったんだろうか。

 あれを、いつか自分は受け容れるんだろうか。

 ……あんなものを?

「――?」
 ふわり、と。
 を引っ張っていた腕に感じる、ほんの少しの重み。
 はたと視線を落とせば、見上げてきていたとばっちり目が合った。
 リューグが振りほどかないでいるのがうれしいのか、にへっと顔をほころばせる。
 ずいぶんと。なつかしい、と云うか。
 似たもの同士、というか。
 現在ゼラムで引きこもっている、蒼の派閥の新米召喚師ふたり組。彼らの表情を、思い出してしまった。
「急ぎましょう、さん。……トリスさんとマグナさんが待ってます」
「……うん」
 ちょうどタイミングよく隣にきたロッカのことばに、笑みを消しては頷いていた。


 そうだ。
 そのために戻ってきた。
 そのためばかりじゃないけれど、彼らはどうしているだろうって気持ちが、こんなに早く、ここに戻る道をくれた。

 向かい合えたと思う。あたしは。
 歩いていこうと思う、道をひとまず定めること出来た。
 歩いていくよ。
 まだ足は重いけど、歩こうと……決めた。

 ――君たちは――


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