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第31夜 伍
lll 糸を断ち切る光 lll




 柄にもない。そう思いながらも、バノッサの背に走ったのは戦慄だった。
 めったなことでは驚かない自信があったはずの自分の身体に、一気に鳥肌が立つのを感じた。
「……やっぱりか」
「何がだよ」
 知らずつぶやいたコトバに、悪魔のガキが反応する。
「あの魔力は――アイツのだろうがッ!」
 指差す先には、光をまとった女。
 最初に感じた、寝ていた自分を叩き起こした大きな魔力の暴走の裏に在った力。
 それから、あの女がサイジェント付近に落ちてきたときも感じた、ぶつかりあう複数の魔力のうちのひとつ。
 そうして。いつかどこかもっと前、けれど遠くない季節のめぐりの以前において。
 ともあれ。
 間違えるはずもなかった。あれに、自分は拘っていたのだから。
 けれど。
 サモナイト石もなしに発された光、五つの属性のどれとも違う光は、それを糧に何かを喚びだそうとしているわけではないらしい。
 彼自身もよく知っている、門を繋げる気配がない。何かが現れる気配もない。
「何だアレは? 何を召喚するつもりなんだ?」
 おそらくはいちばん事情に通じていそうなのは、今、ことばを交わしているバルレルとかいう悪魔だった。
 浮かぶ問いそのまま形にして投げやると、
「何だって云われてもな……」
 答えるつもりがないのか、そのバルレルは、バノッサを見ようともせずにつぶやくというふてぶてしさ。
 人を舐めたその態度に、バノッサは怒気を発したけれど、悪魔のつぶやきはまだつづいていた。

「……召喚術じゃねぇ以上、何召喚されるって訊かれても、答えらんねえっての」

「「……は?」」
 召喚術じゃない?


 聞くともなしにバノッサとバルレルのやりとりを耳にしていた全員が、口をぽかんと開けて悪魔の少年を見た。
 それから、に視線を戻す。


 自覚して光を呼んだのは、初めてだった。
 これまでに何度かあったけど、どのときも殆ど無意識に呼び出して、呼び出したあとで気づいていたようなもんだったから。
 実はあんまり、成功する期待はしてなかったんだけど。
 相変わらず、なんでこんなもんが出てくるのか判らないけど。

 ――うん、これは力だ。

 そう実感している自分がいる。
 意図して呼べたことに、ちょっとだけ自信が持てた。

 ――うん、これ、使える。

 意思を以って。制御できるだろう、これは。
 自分の力だという実感はないけれど。

 それでもあたしは、これを使える。

 の意思に従うように、ぱち、ぱち、と、小さく点滅を繰り返す、身体にまとわりついた糸のような、それは光。――力。
 倒れこむ直前、真っ直ぐに『リューグ』の方に向けて伸ばした腕にからみついた光は、の手のひらから肩までを覆い、指先から伸びる光は彼の身体をその場に縛りつけていた。
 どうやら相当の負荷らしくて、『リューグ』がうめきながら身じろぎしているけれど、光が解ける気配はない。解く気もない。

 そして意識を集中させると、その光に混じって、細い細い、糸が見えた。

 それは、銀色の糸のようだった。
 闇を縫うようにやってきて、リューグの心を操っている。

 その存在を確認してから、慎重に光を動かした。
 手の動きに従って、光が銀糸を包む。
 包んで――

 プツッ、

 実に軽い音を立てて、糸はあっさりと断ち切られた。


「……眼福ですね」
 いつになく、もしかしたら結構久々に上機嫌かもしれないレイムを横目で見て、ガレアノは小さく息をついた。
「さ、もう満足なさいましたでしょう。戻らなくては」
「ええー? もう少し堪能してもいいじゃないですかあー」
「いきなりワガママ小僧にならんといてください」
 不気味に語尾を伸ばして駄々をこねるレイムを、無言で引っ張るガレアノ。

 要らん騒動をくれた傀儡師は、とりあえず、夜の闇へと消えていったのだった。


「リューグ! だいじょうぶか!?」

 どさり、と、文字通り糸が切れたようにの方に倒れこんできたリューグを受け止めて、地面にへたりこむと同時、硬直が解けたロッカたちが、とるものもとりあえずとこちらに駆け寄ってきた。
 その声が聞こえたのか、力を失っていたリューグの身体がぴくりと動く。
「……う……?」
 眩暈でもしているのか、手のひらを顔に押し当てて、数度頭を横に振る。
「……だいじょうぶ?」
「――ッ!?」
 何にもたれかかっているかようやく判ったのか、が問いかけた瞬間、リューグは飛び跳ねるように後ずさる。
「おまっ……! デグレアっ……!」
「おぅい。」
 まだ誤解が解けていなかったのか、右手で自分の獲物を捜しながらどもられたが、呆れまくって半眼になったところで、たぶん文句は出ないだろう。
 と。
 傍に落ちていた斧を拾って、すたすたとロッカがリューグに近寄った。
 そりゃあもぉ爽やかな笑顔で弟を見下ろし、
「リューグ、探し物はこれか?」
「何してやがるバカ兄貴! あいつはデグレアにっ……!」
「バカはおまえだ」
「――ぐ……ッ!?」
 蹴り飛ばした。
 かなりいい場所に入ったらしく、腹部を抑えてむせる弟を、実の兄はぐいっと胸元つかんで引きずり起こす。
「……いや、あの、ロッカ……あんまりやると……」
 ただでさえあたしとやり合ってて体力低下してるのに。
 と、が続けるより早く、
「いいえ、この愚弟にはつくづく愛想がつきました。今日という今日こそは人の話を聞かないとどうなるか、みっちり叩き込んでやります」
 やっぱり爽やかな笑顔で振り返り、仰ってのけるロッカ。
 しかしその背後には蠢く黒いオーラと、ところどころに飛び交う青筋マーク。
 さっきまでのリューグより怖いかもしれない。
 ザー、と音まで立てて血の気の引いたご一行であった。
「……
 ソルがてくてくやってきて、の腕を引っ張った。
「失礼」
 軽く後方――アヤを見た後に視線を戻してそう云うと、自分の胸に抱え込む。
 そして、何だ何だともがくの耳元に小声で、
「――見聞きしないほうが身のため。」
 そう告げると同時。

 描写も出来ないような音が、夜の街道沿いに響き渡――

 (情操上好ましくない映像がございましたので、一時描写を中止いたします。チャンネルを変えずにお進みください)



 リプシーどころじゃ間に合わなくて、結局アヤがプラーマを喚んでくれたおかげで、リューグは一命をとりとめた。
 妙にすっきりした顔で返り血をぬぐっているロッカを横目でちらちら見やり、改めてに向き直る。
「……で、結局どうするんだよ、おまえは」
 問えば、にっこり笑って彼女は返す。

「どうもしないよ。今までと同じ」
「……じゃあ、そのカッコはなんなんだよ」

 もともとはそれが誤解の原因だったのだ。
 指差して問うと、はちょっと決まり悪そうな顔になった。
「えーと――」
「オイ」
 だけど彼女がそれをことばにする前に、バルレルがずいっと割り込んでくる。
「個別個別に説明してどーすんだよ。そーいうのはゼラムに戻ってから全員の前でいっぺんにやれっつっただろ」
「……いつ云ったのよ」
「今だ、今」
「……」
 ふんぞり返るバルレルに、もはやつっこむ気力もなくなったらしいは、ぺたりとその場につっぷした。
「……」
 一同、どこか哀れみと可笑しみをこめた視線でもって、そんなふたりを眺めていた。


 ――それはどこまでも、これまで見てきたそのもの。
 たぶんどうしても、以外の何でもない。何にもならない。
 そして結局そう思ってしまうということは、いざこうなったところで、自分のなかにある彼女の位置はなんら変じるものではないということ。
 ……弟ほど極端に表に出したりはしなかったけれど。
 ……たぶん最初から見ていた分、誰より不安だった自覚はあったけれど。
 結局、戻ってきてくれた彼女。
 結局、こうしている自分。
 大きな動きにならぬよう、視線を転じた。この道を真っ直ぐ進んだ先には、おそらく黒の旅団の駐屯地。
 ふと、自分と同じ武器を使う金髪の青年を思い出す。
 その映像に、この人はこちらを選んだんだ、と云いきるには、まだ何かが邪魔をする。
 ――それでも。目の前に彼女がいる。それが純粋に、嬉しい。
「ありがとうございます、さん」
 呼びかけると、アヤたちに起こしてもらっていたは、にっこり笑って振り返った。
「こっちこそ、ありがとう」
 覚悟していたと判るその口調に、何か云おうと思って。だけど何も云えずに、ただ、笑って答えに替えた。


 そうして。
「おい」
 ひどく不機嫌そうな声が、立ち上がったの背後からかけられる。
「はい?」
 思い当たるコトありすぎて、どう答えようかとひきつりながら振り返る。と、やっぱり。
 最初からあまり機嫌の良さそうな顔ではないけれど、今はそれに輪をかけて不機嫌そうな表情のバノッサが、こちらを見下ろしていた。
「手前ェの使ったアレは何だ」
 ……くると思いました。
 っつーか、何でこの人はこう、他人の力に拘るんですか。
 少しだけ考える素振りをすると、それにさえ苛々しているらしくて。
 たぶん答えを云ったらもっと怒るだろうなと思ったけれど。

「判りません」

 とりあえず、云いきった。

 とたん、予想どおり、一気に視線が険しさを増す。
「舐めてんじゃ―― 「判らないもんは判りませんッ!」
 怒鳴りかけた声に先んじ、かぶせるように先手を打った。

「あたしはこの世界にいた歴からしたら綾姉ちゃんやハヤト兄ちゃんより先輩かもだけど、別に誓約者とかやってないしただの平凡な一軍人だったし! 今回の騒動に巻き込まれるまでは召喚術なんて触ったこともなかったし! っつーかぶっちゃけ数年前に忍び込んできた暗殺者の姉さん相手に光出してたらしいけど無意識で覚えてないし! 使えるのかなって思ったら本当に使えただけで、その光がどこからきてるのかとか呪文が要るのかとか原理はどうなってるのかなんて……」

 一旦ことばを切って、息をつく。
 こちらを睨みつけるバノッサを、逆に睨みつけて。

「何にも判らないのっ! 使えるっぽいから使ってるだけなの!」

 傍観していたソルが、手のひらを顔に押し当てて夜空を振り仰いだ。
「……アヤの幼馴染みだけはある」
 どういう意味だ。
 アヤとハヤトが揃って拍手しているのは、とりあえずありがたく受け取っておくことにして、問うた。
 じっと、相手――バノッサを睨んだままで、
「……文句ある?」
 かなりケンカ腰に、そう云った。

 最悪殴り飛ばされるくらいの覚悟はした。
 くるならこいや。

 予想どおり険しさを増した赤い目が、真っ直ぐにを射抜く。
 普通にあの世界で育っていたら、それだけで泣いたかもしれない。
 こっちでも、ただ一般人として育てられてたら、やっぱり泣いたかもしれない。
 ――だけど。

 これくらいで泣くわけにはいかない。
 ひるむわけにもいかない。
 そうだこれくらい。さっきの痛みに比べれば、なんてこと、ない。
 6年間を育ててくれた、父にも等しく思っている人に恥ずかしくないように。
 これから先、いかなる相手にも、己の足で立ち己の力で相対することが出来るように。
 あの人たちの場所には戻らないと。この道を選んだ。
 その道で、誰かに屈したくない。
 この道をこそ、歩いていこうと決めたんだ。
 こんなことくらいで、こんなふうに殺人光線発しながら睨まれたくらいで、弱いトコなんか見せてたまるか。

 強く在る。在れるようになりたい。

 ――決めたんだ。
 今度こそ。『あたし』が選んだこの道を。胸を張って歩いていこうと。
 いつか振り返ったとき、悔いを残さないように。
 途中何度後悔しても、最後に振り返ったとき、それさえも弾き飛ばして笑えるように。

 強く。
 あたしは今から、あたしとして強くなる。


 ――睨みあっていたのは、たぶん、たかだか2・3分。
 バノッサの右手がじんわりと握り締められていくのが視界の隅に映って、冷や汗がにじむ。
 顔、腫れるくらいですめばいいけど。
 ……歯が折れたりしたら、リプシーで間に合うだろうか。
 足が震えないように、涙腺が緩まないように。
 つらつら考えて気を紛らして。

 だけど、その手がこちらに向けて伸ばされたときには、やっぱりビクリと身体が震えた。


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