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第31夜 四
lll 詩人は裏で糸をひく lll




 何度か稽古を繰り返したから、彼の癖は知ってる。
 利き足はどちらか、避けるときは右か左か、それを読むことは難しくない。
 実力も――それなりの間、一緒に戦ってきたのだ。ある程度は見極めくらいつけられる。
 ……ただ。
 身体の調子がどうにも変だった。理由は判っているけれど。
 記憶が戻ったことが、こんな形で支障を与えるとは思わなかった。
 昔受けた訓練と、ここ最近繰り返してきた稽古が混ざって、判断が少し遅れ気味になる不便。
 もともと持ってるすばしっこさがを何度か救ったけれど、体力が落ちればその恩恵にもあずかれなくなる。

「――っ!」

 うなりを立てて振り下ろされる斧を避けて、大きく間合いを取った。
 だけど着地しようとしたところに突進されてしまって、息を整える間もなくそこから再び跳び退る。

 なんと云ってもあっちは殺気持ちだ。対して、こっちは出来るだけ傷つけたくないというのに!

 寸前に迫った斧の刃を、すれすれで回避する。
 それなりの重量を誇る斧を振り回しているくせに、の動きに追いつけるというのだから、リューグの気迫は並じゃない。
 ……気迫、ではなく、覚悟、かもしれない。

「デグレアの軍人なら向かって来いッ!」
「無茶云わないで!」

 ひょいひょい避けるだけのに、リューグから苛立ち混じりの怒声が飛ぶ。
 他の人たちはと見ると、手を出そうにも出せないでいるのか心配そうな顔でこちらを見ているばかり。
 ……若干二名ほどニヤニヤしてる人、いるけど。
 そのバルレルとバノッサがふと顔を見合わせ、『ケッ』とか云いながらお互いそっぽを向いている。それがなんとなく笑える。
 笑ってる場合じゃないが。
 いや、それにしても。
「……なんなのよ、もう」
 ひとしきり振り回して疲れたところを押さえ込もうと思っていたけど、本当にどうしたんだ、この疲れ知らずな兄さんは。
 何度か稽古を繰り返したから、彼の癖は知ってるつもりだった。
 体力の限界も。
 事実今までの稽古でだって、こんなに長い間やりあったことなかったはず。
 ちらっとロッカを見る。
 異常なまでのリューグの体力に、最初はただこちらを心配していた彼の表情も、怪訝なものに変わっていた。

 そこまでの怒りを覚えたのかと納得するのは簡単。
 生きる者の精神は、ときに、肉体に限界を凌駕する力を発揮させる可能性を秘めている。
 だけど。
 思考を安直なそれに動かすには、どうにも、違和感が大きくなりすぎていた。


 か細い竪琴の音。
 それは誰かの耳に届く前に夜の闇に溶け消える。
 音に乗せて紡がれる魔力の流れ。
 それは消えることなく確実にその心を蝕んでいた。


 その人を信じていたら、信じていた分、裏切られたと思ったときの反動は大きいのだと思い知った。
 消えない記憶。炎の記憶。
 胸を焦がしつづける怒りと憎しみ。
 それを和らがせてくれていた彼女が。当の、自分たちの故郷を無残に壊した奴らの一員。
 怒りと、憎しみ。
 昏いその感情をほころばせ、むしろ霞ませていた――が、黒の旅団の一員。

 自分たちの。敵。

 そこに思い至ったとき、身体中の血が逆流したような感覚が走った。
 すぐにそれに捕われたリューグは、だから気づいていない。

 夜の闇を縫うように、自分の心に忍び込んできた竪琴の音に。
 不自然に疲れを知らぬ己の身体の異常にも、霞んでいく己の思考にも。
 ――気づかないまま。


 くすくす、詩人は笑う。
「……憎いでしょう? 悔しいでしょう?」
 貴方たちが平和に暮らしていた、これからも平和に暮らすはずだったあの場所を破壊してしまった彼らを。
「その元凶に連なる位置にいた、彼女を」
 あの双子が己の心にどれだけの暗い感情を抱えていたかなど、彼にはお見通しだった。
 あの赤髪の方を選んだのは、ただ、それがいちばん表に噴出しやすい位置にあったということだけ。
 大きさで云うならば、傍にいた兄だという少年の方が比較にならぬほどだったのだから。
「心に魔を落としましたか……ふむ……悪趣味ですな……」
「誉めコトバですか? ガレアノ」
 が傷つくことにはあまりいい顔をしないガレアノのつぶやきに、けれどレイムはお仕置きも下さず微笑んでみせる。
 それにちょっぴり冷や汗を感じた屍人使いは、ぎちぎちと身体をきしませて視線をそらした。
「いいのですよ」
 主のことばに、すぐに視線は戻されたけど。
「私もさんが傷つくことは避けたいのですけど……」
 悔しいじゃないですか。と、レイムはつづけた。
「結局思い出したのは、さんの16年分だけだったんですから」
 まだ忘れたまま。
 まだ眠りつづけるまま。
 零れる欠片でしか、私はその魂の奥を確かめられないのですから。
「……レイム様が、そうなるように仕向けたのではありませんか……」
「まあ、せっかく戻ってこられた以上、ちょっぴりずるをしてでも本来の力も見てみたいと思うのは人情でしょう?」
 うっすらと感じる存在を、確かめたいと思うでしょう?
「我々は人間ではありませんからなぁ……」

「……ガ・レ・ア・ノ?」
「は」

 いちいちレイムのつぶやきに反応していたガレアノは、最後の呼びかけにまた固まった。
「仏の顔も三度まで、という格言を知っていますか?」
「悪魔でしょうがっ!!」
「……フフフ、向こうへ帰ったら楽しみに待っていなさいネ?」
「〜〜〜〜〜〜」
 戦慄する部下への興味はそこで放り出し、レイムは再び、彼方へ意識を向けて笑った。

 憎いでしょう? 苦しいでしょう?
 楽になりたいでしょう?
 ――目の前の存在を手にかけてしまえば、少なくとも刹那だけは楽になれますよ?

 ひそやかに、竪琴の音が浸食する。
 ただ静かに、昏い意志は増大する。



「うーん……」
 どうにも様子がおかしいような気がする。

「おおおおおおおッ!」
「うーん……」

 雄叫びと一緒に襲ってくる斧を、半歩分の間合いで避ける。
 最初こそ、もしかしたら殺されるかもしれない覚悟をこっそり決めてさえいただったが、今はそんな気とっくに失せた。
 引き替えのように感じるのは、違和感だった。それは立会いが長引くにつれ、だんだんと増加している。
 ……単調すぎる。
 動作に全然疲れたところはないのに、彼の繰り出す攻撃がだんだんと大味になっていた。いや、もとからリューグにはそういう傾向があったけど、今のこれはなんというか――
「うーん……?」
 試しにぺしっと足をかけてみれば、あっさり引っかかってこけるリューグ。
 普段ならそーいう情けない姿を見られでもしたら、真っ赤になってムキになりそうなものだが、今やそんなこと意に介さず、ただただだけを狙って攻撃繰り出すばかり
 正気をなくすほどの怒りを覚えているというのならまだ納得は行くけど、どうもそれとは違うっぽい。
 なんだろう。
 それはどこかで見た。感覚は既視感。
 こんなふうにただ向かってくるだけの人間と、どこかで相対したような既視感だった。
ちゃん!」
 首を傾げつつ(そんな余裕まで出てきてしまった)ひらひら避けていたに、アヤの声が飛ぶ。
「変な力を感じるんだ!」横からもうひとり、「小さすぎて気づかなかったけど……そいつ誰かに操られてるぞ!」
 加勢してくれようというのか、腰の剣に手をかけて、ハヤト。
 それはいいからと手で制して、は、改めてリューグに視線を戻す。
 ふたりの助言を頭に入れた状態で彼を観察し……ああ。
 納得。
 を視界におさめているのに、見ていない。血走って、焦点が合ってない。
 それから思い出した。
 それはスルゼン砦。トライドラ。
 そのとき立ち向かっていたのは、屍人や鬼人といった――操られたモノたちだったけれど、
「リューグ!」
 呼びかけても、もはや彼から返事はない。それこそ、あのときのモノたちと同じように。
 ロッカが再度呼びかけるけれど、そちらにも反応はない。
 ……いつから『こう』だった?
 アヤたちは出逢って間もないからともかくとして、もし来る途中からこうだったのなら、ロッカが気づかないはずがない。
 となると。
 やはり、に着いてから……というのが、妥当なセン。

 でも。
 『誰』に?

 ひそやかに傀儡の旋律を奏でる詩人の姿は、本分とも云うべき夜に闇に溶け込んで、誰も気づくことはない。

 そしても気づかない。だからして、
「ああ、もう」
 誰が何のつもりでしたかなんて、どうでもいい。そういう位置へと思考は走った。
 そんなもん突き止める前に、今のこの状況をどうにかするほうが先決だ。
 違和感そのままに回避を続け、結局その結論に達したときには、すでにの息は相当上がっていた。
 けど。普段の彼ならともかく、おそらくは細かい戦術を立てられないだろう今の『リューグ』になら、十二分に勝算は感じる。
 斧を振りかぶる。
 上体を落として避ける。
 そのまま、伸び上がるようにして顎に掌底でも叩き込めばいい。――シミュレート完了。
 ちょーっと罪悪感は感じるけど。
「ごめんリューグ……ッ!?」

 ずるり。

 予定どおりに斧を避け、彼に突っ込んで行こうとしたとき。
 やはり疲れは大きかったのか、は足を滑らせて体勢を崩していた。
 好機と見たか、『リューグ』が斧を振りかぶる。
 口元がひきつった。
 斧は振り下ろすときに一番威力を発揮することくらい、よく判っていたからだ。彼自身の腕力に斧の重みが加わって、倍率ドンのさらに倍っ! 古い? 命の危機にそんなツッコミは却下!

「うわっ……!」

 刃が眼前に迫る。


 詩人は竪琴をかき鳴らす。
「……悪趣味ですけどね」
 ゆっくり、微笑んで。
「……それでも、待っていた時間の分くらい、眼福を欲したっていいじゃないですか?」
 奏でていた旋律は、終章にさしかかっていた。

 だけど、まだ、始まるのはこれからだ。
 何もかも。

 誰もまだ、それを知らないけれど。 ――それは、はじまってさえもないのだから。


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