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第30夜 伍
lll 灰色の世界 lll




 逢いたい。
 あの子に逢いたい。
 ――に、逢いたい。

 暗く、暗く、目の前の世界は灰色。
 この部屋にはもっと明るい壁紙があって、カーテンもきれいな色だった……ような気がする。
 けれどそんなもの、自分たちは忘れてしまった。

 たまに、小さな、声が聞こえる。
 扉の向こうから、自分たちを呼ぶ、声が聞こえる。
 誰の声だった? 知っている気がするけど判らない。
 それを、自分たちは忘れてしまった。

 感じているのは奇妙な既視感。
 思い出すのは派閥に連れてこられたばかりのあの日、兄妹、ただ抱き合って震えていた日。
 同じ。あのときと。
 あのときも、世界は色をなくしていた。恐怖に満ちていた。
 ――少し違うのは。
 今抱いている恐怖は、外界に対してのものじゃなくて、自分たちの中に根付いていたそれに対してのものだということ。
 だからいくら目を閉ざしても、だからいくら感覚を殺しても、それは音もなくひたひたと、自分たちを苛んだ。

 目を閉じた。
 真っ暗な世界に浮かび上がるのは、数日前に見せ付けられた自分に流れる血の示す、罪。

 召喚兵器。ゲイル。

 在るべき姿の召喚獣を歪め、異界の友を造り変えた、その結果がただ命令を遂行するだけの生きた機械。

 調律者。クレスメント。

 それを生み出したのは、自分たちの遠い祖先。
 この身に流れる血に潜んでいた、許されない罪の欠片。
 そこまで考えて、知らず、口元が笑みをつくった。

 ――ああ。おかしいったらない。
 みなし子だった自分たちが、そんなご大層な家の人間だったのだ。
 何も知らずに暮らしてきていた自分たちは、世界に対して、大勢の人たちに対して、何よりネスティやアメルに対して。
 けして許されない罪を、背負っていたのだ。
 何よりも憎まれるべき、存在だったのだ。
 ずっと以前から感じていた、派閥の召喚師たちの排他的な雰囲気でさえ、全部、自分たちの血を知っていた故ではないかとさえ思い始めてる。

 自分たちは。
 世界に対して罪を犯した一族のこども。

「……冗談じゃない……っ!」

「兄さん?」

 うめくようなマグナのことばに、しがみついていたトリスが反応する。
 身体の水分がなくなるくらいまで泣きじゃくった彼女の目からは、それでもまだ、涙が滲み出していた。

「調律者? クレスメント? ……突然そんなものおしつけられても、いったいどうすりゃいいんだよっ……!」

 兄からこぼれる単語を耳にしたくなくて、妹は耳を両手でふさぐ。
 だけど、心のなかから響く罪の意識は消えはしない。

 すべてが灰色に染め上げられた世界、記憶。
 ただそのなかで唯一――そう、唯一。
 鮮やかに思い出せるそれだけが、ふたりの正気を保っていた。
 だけどそれは、徐々に、ゆっくりと、他と同じように灰色に侵蝕されていく。

 それだけは。嫌なのに。
 止められない。自分の心なのに。

 逢いたい。逢えない。

 どんな顔して前に出ればいいのか判らない。

 ――逢いたいのに。 ――逢いたくないのに。

 堂々巡りを続ける思考の螺旋の奥で、着実に、世界の色は失われていく。
 ただひとつの心の寄る辺さえ。


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