剣呑。最悪。どん底。
今のギブソン邸の居間の雰囲気を単語で表すなら、きっとこういうのばっかりが飛び出てくると思われる。
それくらい、事情を知っている人間も知らない人間も足を踏み入れたくなくなるくらい、どんよりトゲトゲした空気がその場には満ちていた。
「……とりあえず――」
そんな空気がまったくこたえていないのか、もしくは判っていて黙殺していると思われるレナードが、紫煙をくゆらしながら沈黙を打ち破る。
そうしてそのことばに、全員が一斉に彼の方を振り向いた。
が帰ってくるからと居間に待機していたトリスとマグナ以外の全員と、それを迎えに行った数人。
それからそのをつれてくるはずだった、サイジェントからの客人4人。
とりあえず、レヴァティーンさえ喚びだせる高位の召喚師とだけ紹介された誰かさんたちが、それを否定するべきかどうか迷っていたけれど、それはささいなこと。
それより重要な問題は、目下、いくつも積み重なっていた。
「嬢ちゃんは正真正銘、俺様たちの世界の人間だったんだな」
「はい。レナードさんのいた世界がわたしたちのいた世界と一緒なら、ちゃんもそうなります」
答えるのはアヤ。
世間てのは意外と狭いもんだなぁ、と、いつかの夜、に神隠しを捜査していた日本の友人の話をしていたことを思い出した彼がつぶやく。
けれど、そんなこと知らない人たちからすれば、レナードの態度はちょっと危機感に欠けて見えるらしい。
「そんなことを云ってる場合じゃないだろう」
ネスティが、据わった目でレナードを見た。
いろいろと追い詰められているせいか、顔色は悪いわ目つきは怖いわ、ちょっとした迫力がある。表情の印象を変えるという眼鏡も、ほとんど役に立ってない。むしろ強化されている。
「がイオスに連れて行かれたのなら、そこはたぶん黒の旅団の駐屯地だ。デグレアまでは無理がある。だから――」
「駐屯地の場所も判らないのに、捜しに行こうってのかい?」
ことばの続きを奪ったモーリンのセリフに、ネスティが黙り込んだ。
再び落ちる、沈黙。
「……そういえば――」
積極的にそれをどうにかしようとしたのか、それとも、単に思い出しただけか。
アヤたちが連れてくるはずだったの姿が見えない経緯を説明している間、いぶかしげに全員を見渡していたルウが訊いた。
「バルレルはどうしたの?」
と一緒にサイジェントに飛ばされていたはずの、トリスの護衛獣。
「それが……彼も、たしかに城門の前までは一緒にいたんですけど――」
困惑した顔で答えるのはクラレット。
あのあと。
出迎えに来た4人に事の次第を話して、とりあえず屋敷へ、ということになったときには、すでに彼の姿はなかったのだ。
どこへ行ったのか、と、ミモザは問わなかった。
ていうか、この状態でのこの行動となると、やっぱりあれだ。
連れて行かれたを、追いかけていったんだろう。サイジェント組がじゃれてる間に。じゃれてる云うな。
「……どうしよう……」
「アメル?」
黙って話を聞いていたアメルが、両手で顔を覆ってぽつりとつぶやいた。
隣に座っていた双子が、彼女の尋常でない様子を感じて覗き込む。
「だって、、記憶が戻ってるんですよね?」
「ええ。ちゃん、わたしに逢うまで記憶喪失だった、って云っていましたから」
その質問に答えるのは、必然的に、アヤの役目だった。
外見どおり、穏やかな表情とことばでもっての回答も、だけど、アメルには何の救いにもなっていないらしい。
ますますまなじりを下げて、彼女は、途方に暮れた顔になる。
「だって……だって、……」
ロッカとリューグが、実に複雑な表情をつくった。
他の人々の疑問の視線も意に介さず、アメルはただ、どうしようとつぶやきつづける。
「……どうしたの?」
さすがにただごとではないと察して、ミニスが、重ねて問いかけた。
そのことばに、ようやくアメルはつぶやくことをやめたけれど、首を横に振るのは、答える意はないことを示すため。
「ごめんなさい。わたしからは、云えないんです……」
の口からじゃないと、このことはだめなんです。と、それは、聞いている人間をじりじりさせるためでないと判ってはいても。を思ってのことだと判ってはいても。今は、その婉曲さが、ただ辛い。
そんな数人の感情を慮ったか、アメルは少し迷う様子を見せて、口を開いた。
「でも……」
だがそれは、秘めておくに耐え切れぬ気持ちをただ、吐き出したかっただけかもしれない。
「でも?」
「……もう帰ってこないかもしれない……っ!」
思い出すのはイオスの表情だ。
のことを訊いてきたときの眼だ。
紅い瞳の奥に、瞬時に燃え上がった炎。
あれを見てしまったら、誰だってきっとそう思う。
彼らにとって、が、どれだけの存在だというのか、容易に想像出来てしまう。
――では。
にとっても、彼らは、同じだけの存在だったのではないかと。
そうして記憶が戻ったら、それがはっきりしてしまったのではないかと。
だから、彼女が帰ってきたら、訊いてみたかった。
まだ傍にいてくれるか――ただそれだけを。
だけどそれを問う前に、は連れて行かれてしまったのだ。
アメルの爆弾発言に、居間が一気にざわついた。
だけど心配していることは、主にを人質にしてアメルの身柄を要求してくるのではないかという、いつぞやの事件からの連想。
もしくは一歩進んで、聖女ではないからと命を絶たれるのではないかという心配。
だいじょうぶだよ、と、モーリンが背中を叩いて。
は強いからそんなに簡単に死んだりしないよ、と、ユエルが息巻いて。そうですよ、とシャムロックが同意する。
連れて行ったっていうコトは、すぐに殺すつもりはないんじゃないか、と、誰かが云った。
そのひとつひとつに、アメルはいちいち頷いている。
けれど、ほんとうのトコロ何を不安に思っているのか、知っているのはたぶん、ロッカとリューグだけだった。
簡単に口に出来ないそれを知ってしまっている後ろめたさが、決断を遅め――それでも。
ガタン、と。
大きな音を立てて、リューグが席を立つ。
――同時に。
「帰ってくるぜ、は」
アヤの隣に腰かけていた、茶色の髪の召喚師――ソルという名前だと教えてもらった――が、妙に自信ありげな素振りで告げる。
出鼻をくじかれた形になったリューグが、険もあらわに彼を振り返った。
「なんでそう思うんだよ?」
と逢って、そんなに間もないヤツに何が判る、と。
そんな感情も見え見えの、かなり挑発めいたことばに、だけど、ソルは恐れ気もなく答えた。
「一生懸命だったからかな」
ただ、そう告げた。
そしてつづけた。
おまえたちの処に帰るために、は本当に一生懸命だったんだ、と。
だから、何があってもきっとはここに帰ってくる、と。
「助けに行きたい気持ちは判るが、その黒の旅団の駐屯地の所在が判らない以上、下手に動いてもどうしようもないだろう?」
だったら待っててやれよ、と。
リューグは、それに対して肯定も否定もしなかった。
だけど、黙って、再び腰をおろしたということは、きっと。