ぱちくり。またたきをひとつして、周囲を見る。
部屋だった。どこかの。おそらくは、一行が背にしていたあの邸宅の。
「ああ、そうか、あたし倒れたんだっけ――」
イオスたちにゼラムに連れてこられて、聖女がどうとかで戦って。
そのさなか、人質にされて……腕が妙にひきつった感じがするのは、そのせいだろう。
「……」
あとでしっかりお礼させてもらうからねイオス。
ぐっと拳を握りしめる。フフフ、と、怪しげな笑いも忘れない。
思慕を覚えるのはともかくだが、やられた以上はやりかえさねば女がすたる。
はそういう思考形態の持ち主だった。
どういう育ち方をすればこうなるのやら、などと第三者は云うかもしれない。が、誤解なきよう。
彼女の養い親は、彼女をしごくまっとうに育てた。それは当人の自負とともに、周囲の面々だってそう証言するだろう。
ではその思考形態は?
――答えはひとつ。当人の資質である。
「僕達じゃあいつらに勝てっこない! それが判らないのか!?」
「それじゃどうしろって云うんだ!!」
「……」
壁の向こうから聞こえる怒鳴り声に、やり返しの手法を考えるのをやめ、顔をしかめてそちらを見やる。
人が頭ふらふらしてるってーのに、何してるのやら。
横の部屋に、体調不良の人間がいるの、完全に忘れてるだろう思えるくらいには、怒鳴りあいは白熱していた。
よほどの理由があるのだろうか。
だが安静を邪魔されたほうからしてみれば、やかましいわうるさいわうっとうしいわ以外のなにものでもない。
重い身体をひきずって、はベッドを下りるとそのまま、怒鳴り声の聞こえる部屋のほうへ向かう。
廊下に出ると、ますます怒鳴り声が大きく聞こえての耳を直撃する。
ドアの前について、ノックしようと手を上げて――
「つくづく……! テメエって野郎はぁ!!」
ひときわ大きな声が響いたとき、のなかで何かが切れた。
ばぁん!!
上げた手をそのまま勢いつけて振り下ろし、爆音とともにドアを開ける。
それさえも頭に響いたが、怒りのほうが勝っているこの状態では気にもならなかった。
中にいた人たちが、驚いてを見る。
入り口のすぐ傍に立って振り向き、硬直しているマグナとトリス。常にふたりの傍にいるはずの、護衛獣たちの姿はない。
おそらくハサハは怖がらせてはいけないと、マグナから外に出されたのだろう。
バルレルは……めんどくさがって避難したか。
そしてロッカにつかみかかろうとしていたリューグに、それを迎えうとうとしていたのか、構えをとっているロッカ。
ふたりのすぐ真横に立って、おろおろしていた風のアメル。
全員がに注目した。
「さん、平気……?」
「だいじょうぶ?」
発されるの怒りオーラをちょっと恐れながら、マグナとトリスが問いかける。
失礼だと思ったが、はそれをきっぱり無視し、
「うるさい」
据わった目でひとこと、双子に向かって云い放つ。
「す、すみません……起こしてしまいましたか……?」
我に返った素振りのロッカが云う。
「あれだけでっかい声で騒いでたら、隣の死にかけたおじーちゃんだって吃驚して生き返る」
「……隣におじいさんが住んでるんですか……?」
「知らない」
「…………」
身も蓋もないの返事に、ことばをなくす一行。
だが、そんなのの知ったこっちゃない。
「で」
腕組みして双子を睨み、
「何騒いでるの?」
人の安眠邪魔したんだから、それなりの理由がないとどつくからね。
「あ、それは――」
「この腰抜けが、泣き寝入りしろとかぬかしやがったんだよッ!!」
説明しようと口を開いたロッカを遮って、リューグが怒鳴る。
ロッカも、それでまたかっときたのか、
「お前の云ってることの方が無理だろ!? 無茶に決まっ……」
怒鳴り返そうとしたが、の視線に気づいて思わず黙る。
気づかなかったリューグは、ロッカが黙ったことに勢いを得たのか、さらに追い打ちをかけるように大きな声で、
「そもそも連中のほうが見逃してくれるわけねえだろうが!? まとめてぶちのめすのが一番なんだよ!」
「だけど。現に村で一番強かったおまえだって、黒騎士にはかなわなかったじゃないか?」
それでも云いたいことはあるらしく、けれどを慮ってか声のトーンを落とすロッカ。
この場合、ロッカが正しい。
ますます据わるの目を見て、誰もがそう思った矢先に。
「うるせぇ、バカ兄貴ッ!」
事実を指摘されたリューグがもう一度吼える。そして。
「うるさいのはあんただーっ!!!」
ぼこぉっ!
とうとう怒り心頭に達したのこぶしがリューグを襲い、彼は床へと沈んだ。
「……女がこぶしで殴るなよ……」
氷嚢を頬に当てながら、不機嫌全開の顔でリューグがぶつぶつとぼやく。
「平手の跡が残ってほしかった?」
「……」
それに輪をかけて不機嫌なに、思わず押し黙るリューグ。
眠っていたところを叩き起こされたの機嫌は、最低の最低のさらに下の部分に達していた。
の鉄拳もとい愛の鞭によって、とりあえず頭を冷やしたリューグ、それから一足先に冷静になって難を逃れたロッカからケンカの原因を聞き、盛大にため息をもらす。
「まぁそんな感じで、全然意見の一致がみられなくってさ」
マグナが疲れた調子で補足した。
どれだけ怒鳴りあっていたのか判らないが、トリスとマグナ、それにアメルの様子を見るに、けっこうな時間、それは続いていたらしい。
止めようとしたのか観戦していたのか、どちらにしてもかなり精神が消耗しているようだった。
そりゃあ、どこまで行っても平行線、つーか180度違う意見の怒鳴り合いを延々と聞いてれば疲れるわな。
思わず3人に同情を覚える。
けれどそれはともかくとして、ここでなんとか収拾をつけないと、また同じことが繰り返されかねない。
「……は」
「え?」
不意に落ちた沈黙の中、ぽつりともらされたアメルのことばに全員が注目する。
「は、どう思いますか? どっちの意見が、正しいと思います……?」
あたしに訊くか。おい。
そう云いたかったが、兄弟のケンカにショックを受けて涙を溜めているアメルを見て、その気がなくなる。
しかもマグナとトリスは、の意見を期待のまなざしで待っているし。
ロッカとリューグもが何か云うのを待つつもりなのか、お互い視線は合わせないけれど、
「おまえはどっちをとる?」
「さんだったら、どちらの意見につきますか?」
と、似たようなことを云ってくるし。
……だからなんであたしに訊くんですか。
つーか、なんだってこう選択肢が次から次へと出てくるんですか。
つい先日も、ルヴァイドたちへの感情とここにいる皆への感情、どちらをとるかで盛大に迷った挙句、結局両方とってみせようじゃないかと決心したは思った。
そして云った。
「あたしだったら、両方とります」
とたん、双子が固まる。
マグナとトリスがはっとした顔をする。
アメルの今にも泣き出しそうだった顔が、ぱぁっと晴れた。
「な……!」
「あのね」
くってかかろうとするリューグの顔面に、ずいっとこぶしを突き出して黙らせる。
女にノックダウンされたことがけっこうショックだったらしいリューグは、その一動作で動きを止めた。
ロッカは何も云わないけれど、不審というか不満というかそんな顔。
双子とは逆に、雨雲が一気に晴れたような顔をしているマグナたち。
「あのね、あなたたちの意見って、きっぱり分かれ過ぎ」
「……」
「たしかにリューグの気持ちは判る。黙っていても襲ってくるなら、先に叩こうっていうのは。攻撃は最大の防御っていうし」
でもね、
「策もなしにただ相手に突っ込んでいこうっていうのは、勇気じゃなくて無謀っていうの。もしそれで全滅しちゃったら、それこそただの莫迦でしょ?」
「う……」
「それにロッカ」
「はい……?」
「ロッカの意見はリューグとは逆で、消極的すぎるように思える。あの炎を見たでしょ? 彼らは目的のために手段を選ばなかった。だとすればちょっとやそっとで諦めるはずなんか、ない」
云いながら、ふと、は思う。
どうしてあたしは、こんなことを知ってるんだろう。
どうしてあたしは、こんなことを知った顔して云ってるのかな……?
村を壊された憤り。
それまでの日常をすべて破壊された悲しみは、他人の想像の及ぶところではないというのに。
どうして自分は、こんなふうに、賢しげにふたりを諭してるんだろう。
じんわりと目頭が熱くなるけど、それを強く振り切る。
今自分が泣いたって、なんの解決にもなるわけない。
だけど、口から零れることばまでも、止めることは出来なかった。
「――――ごめん」
「え?」
「あたしはレルムの村に居たのたった1日。リューグやロッカやアメルみたいにずっといたわけじゃないから」
でもこれは、今の正直な気持ちで。
押し付けるつもりじゃないけれど。そう感じたら、ごめん。
けれど黙って耳を傾ける双子を見て、聞いてくれているんだなと感謝する。
だから、このことばは、最後までつむごう。
「……どっちの意見も大事なことを云ってるし、だけどどっちの意見もあたしにとっては賛成できない部分があると思うから」
あたしは、
「それをふたつ合わせれば、もっといい道があるんじゃないかなって、思った」
思うから。
ふたりの意見がひとつになったら、もっと良くなるような気がしたから。
声が聞こえる。の声。
肩を震わせて、けれど真っ直ぐにリューグとロッカを見ている。
判らなくてごめんね。
全身で、そう云ってる。
その眼も、表情も、握り締めた手のひらも。そう云ってる。
君たちがどれだけ悔しいか哀しいか、判らないのに、ごめんね。
判ってあげられなくて、ごめんね。
判らないのに、自分勝手に考えたことをずらずら並べて。
ごめんね。
いいよ、と思う。
たった1日しかいなかったに、ずっとあの村で暮らしてきていた自分たちの気持ちを判られたら、それはそれで、きっと複雑。
それで当たり前。
それでも君はそうして判らないことを嘆いてくれている。判ろうとしてくれている。
いいよ、と思う。
そうして一生懸命に考えてくれている、君の気持ちが今は嬉しい。
どちらの意見も殺さずに、どちらも生かそうとしてくれる、それはよくばりと云うのかもしれないけれど。
……いいよ。
「判った」
そう答えたのは、自分だったのか兄弟だったのか。
どちらだろう。どちらとも?
だけどそれを聞いたとき、ふわりと彼女が微笑んだのは、どうしてだろう……よく見えた。