馬で数日かかると云われたゼラムへの道のりだったが、さすがは召喚獣による空の旅。なんと、道程は数時間で終わってしまった。
すでに夕暮れ近い王都の近くの街道、休憩所の付近に降り立ったレヴァティーンとゲルニカを見て、ちょうどそこにいた旅人が腰を抜かす。だが、どうやら先んじて云い訳のために待機していたらしい蒼の派閥の召喚師と思える人たちが、彼らに何やらか説明開始。
が、それに耳を傾ける暇はフォローする猶予もない。
ついでに云えばたちを見る彼らの目は、あまり優しいものではなかったので、バノッサとハヤトがとっとと召喚獣たちを送還するとすぐ、たちは目的地である王都……ひいてはギブソンとミモザの屋敷に向かって足早に歩を進めた。
数日ぶりに見る、ゼラム周辺の風景。
黒の旅団から逃げてファナン方面へ行っていたときよりも離れていた期間は短かったのに、なんだか、ぜんぜん知らない街のように思えた。
――どうしてかと自問して、ふと気がつく。
知らないから、だ。
記憶をなくしていたじゃなく、記憶をなくす前のは、この辺りを知らないからだ。
混乱するくらいめちゃくちゃに記憶が混じりこんだわけじゃないのが幸いだったけど、どうにも違和感だけはぬぐえない。
初めてくる処だと心のどこかが云っていて、そうじゃないよ知ってるでしょうと、同じく心のどこかが告げていて――
「そういえばギブソンたちの家はどの辺りなんだ?」
と、王都に来たのは初めてらしいソルの問いが出たのは、もうゼラムの門が目の前に迫ってからだった。
街道を歩いてとりあえず王都に一直線。
そしてたどりついたのがここ、王都の門のまん前である。
何をそんなに警戒しているのか、アヤたちがひたすらバノッサを引っ張って引っ張ってここまで来て、ようやく一息ついたのだ。
バノッサが通りすがった旅人に因縁つけるとかそーいう警戒してたりしたんだろうか。
もしそうだと云われたら、なんとなく納得してしまいそうだ。
さっきも、こちらに何か云いたそうな顔をしていた休憩所のトコロの召喚師たちにくってかかろうとしていたのを、みんなで必死こいて抑えたくらいだし。
……ちらりと視線を向けたら、ぎろりと睨まれた。
「えーと、たしかここからだと――」
我ながらわざとらしさ炸裂に視線を逸らし、ちょっと歩かないといけないはずだ、と、続けようとして。
ついでに身体ごと向き直り、腕を動かして門越しにだけどその方向を指差そうとして。
「――――い」
たぶん、目が零れ落ちそうなくらい丸くなってしまったろう。
そんでもって。
その目のなかに映ってるのは、金色の髪だった。
なんで。
「!!」
「イオス――!?」
金髪の青年と、焦げ茶の髪した少女は、互いを指さして互いの名を叫んでいた。
「ちょ、なんで、イオス、ここにいるの!?」
それきり絶句したイオスと逆に、は、勢いに任せてそう叫んだ。
がしっ。
「……へ?」
なんでここにいるのかと、はたしかに訊いたのだが。
イオスはそれには答えず、全速力で突っ走ってきて、やっぱり全力でを腕の中にとっつかまえた。
「ちょ、イオス、苦し――」
じたばたじたばた。
いや、コミュニケェションは嫌いじゃないけど、息苦しくなるまでやられるとそれはそれで限度ってもんがあるんですよお兄さん!
ぺしぺしと背中を叩くけど、イオスの腕は緩まない。
それどころか、ますます力を入れてくれる始末。
頼むから抱擁するならそのでこぼこのついた肩当てを外してください切実に。
「……の知り合いなのか?」
唐突な出現と唐突な行動に驚いたらしいソルが、半ば以上呆然と、つぶやいた。
どうしたんだろう。
「……イオス?」
どうにも彼の様子が尋常じゃないと気づいたのは、ようやっとイオスが手を緩め、を覗き込んでからだった。
紅玉みたいなイオスの目は、普段なら決して見せなかった、動転したような動揺しているような感情をストレートに伝えてくる。
「どうしたの? ホントに」
問えば、また、腕が身体にまわされる。
今度はさすがに考慮してくれてるのか、ふわりと包むような感じだった。
肩に押しつけられたイオスの頭は、妙に馴染んだ重み。さらさらの金色の髪が頬に当たってくすぐったくて――懐かしい。あたたかい。
……ああ。イオスだ。
そうして、消え入りそうな声で、彼は云った。
「……行方不明になったって聞いた」
奴らから、そう。聞いて。
「……捜そうと思ったけど……手がかりが全然ないから……どうしようかと思った……」
陣営に戻ったところでなすすべもなく、何が出来るわけもなく。
ほとんど意識は虚ろなままで、まるで人形のように、そもそもの任務であった偵察にまわったものの、気はそぞろ。
それで結局。
どうすればいいのか判らなくて。どうしようと思いながらここにきたら。
――そうしたら。いた。
君がいた。
君はいた。……無事でいてくれた。
「……良かった……」
自分に比べたらずいぶんと小さいの身体を、ぎゅっと抱きしめた。
さっきみたいに力任せにしたら、壊れてしまいそうな気がしたから、今度はちゃんと苦しくないように、加減して。
本当は、力いっぱい抱きしめてしまいたいけれど。存在をしっかり確認したいけれど。
――けれど。
「はいはい、そこまでな、そこまで」
妙に明るい声で割って入って、イオスからをべりっともぎとったのは、云わずと知れた今回の同行者。ハヤト。
腕の力を緩めていたのが災いしたか、あっさりとを横取りされたイオスが、キッ、とハヤトを睨みつける。
その場の流れでハヤトの腕の中におさまってしまったとしては、旧知の兄さんを立てるべきか、元同僚を立てるべきか、大いに悩むトコロだったり。
っていうか。
「とりあえず、ハヤトにーちゃんも腕放していただけると大変ありがたいです」
「ハヤトくん。ちゃん、ひとりで立てますからだいじょうぶですよ」
つっこむ彼女の横からアヤがそう云って、ようやく、は誰かの腕から開放されたのだった。
一連の出来事を面白くなさそうに見ていたバノッサと目が合って、思わず愛想笑いしてみたものの、ふいっとそっぽ向かれてしまう。
バルレルに至っては――あぁもう、その『他人の不幸は蜜の味』的表情をどーにかしなさいっつの。第一、護衛獣(仮)発言したんなら助けるくらいはしてみせてほしいもんである。
「……そいつらも、の仲間なのか?」
護衛獣(仮)の所業にぶーたれていると、そのまわりの人々を見ていたイオスが、ぽつりとつぶやいた。
「手前ェなんぞに、そいつ呼ばわりされる筋合いはねぇ」
以上に仏頂面で、バノッサが物騒につぶやいた。
それが勘に触ったか、イオスの表情が剣呑なモノになる。
「貴様に手前云われる筋合いもない」
「ンだと?」
さらに跳ね上がるバノッサの眉。
「手前ェ。誰に向かって偉そうな口利いてやがる」
「僕の目の前。顔色の悪そうなそこらのごろつきと大差ない態度の傍若無人な男だ。云われなければ判らないか」
「顔色悪いのは手前ェもだろうがッ!!」
「貴様ほどじゃない」
五十歩百歩だと思う。
じゃなくて。
「だーちょっと待って待って待って。お願いふたりとも落ち着いて」
とりあえずイオスの肩を押してバノッサから離すと、アヤたちがバノッサを引っ張ってイオスから離した。
取っ組み合うにはちょっと遠い距離にふたりを置いて、が真ん中あたりに立つ。
とりあえずサイジェント組に目をやって、手でイオスを示した。少なくとも当座の敵ではないのだと、それだけは説明しておかねばなるまい。
「こっちは、イオス。向こうで話したけど、あたしがリィンバウムに落っこちてから今までお世話になってた、デグレアの人」
彼の経歴を考えると少し語弊があるが、そこまでは云わなくてもいいだろう。
つづいて、同じように手でサイジェント組を示し、目をイオスに向け、
「で、こっちは――」
がし。
のことばを最後までつむがせず、有無を云わせない勢いで、イオスが両肩をつかむ。何度目だこれ。
視界の端で、バルレルが頭を抱えているのが見えた。
……いや、すいません。今さら悟りました。
と、少々手遅れになった状態で、自分が記憶を取り戻したことをこっち側の人たちはなんも知らんのだという事実を認識したに向かって、イオスが迫る。
秀麗なお顔ですから、間近で拝見すると、見慣れてるつもりなんだけどやっぱし迫力があるというか。
ことばがことばにならないのか、数度、深呼吸。
してから、イオスが口を開く。
「記憶。君、戻ってるのか……?」
「うん」
とてもとても慎重につむがれたことばに対して、あまりにもあっさりしすぎるの返事に、周りで見ていた人たちは一気にこけていた。
が。
次の瞬間、そんなほのぼのしい光景はすっ飛ぶ羽目になっていた。
まるで電光石火、いやそれ以上の勢いで、イオスがを抱え上げたのだ。
肩を抑えていた腕を背中に回し、片手は足を救い上げ、一呼吸するかしないかの間に、の身体は地面から浮いた。
間をおかず身体を反転させたイオスは、馬でも留めてあるのか、少し離れた林の方に走り出す。
「!?」
「ちゃんっ!?」
これにはさすがに驚いたのか、アヤたちがの名前を呼びながらこちらに駆け寄ってくる。
けれど、イオスがすかさず槍を取り出し、目の前の空間を薙いだため、駆け寄ってきていた面々はその場でたたらを踏んだ。
長柄の武器が空を切り裂く、耳に馴染んだ音。
それに重ねて、は非難ごうごう。
「イオス! あんた――」
あたしの幼馴染み(&そのお友達)に何てことしてくれるのよ!?
そう、叫び
「……」
きれなかった。
こちらを見下ろすイオスの視線にどきりとして、それをつむぐことが出来なかったのだ。
それは。
その表情は。
記憶がない間、出逢ってそして別れるときに、彼が見せた表情に、よく似てた。
振り回そうとあげた手の行き場をなくしたの身体を、片手でしっかりと抱えなおし、目はアヤたちのほうを油断なく見据えながら、イオスは云った。
「一緒にきてくれ」
……頼む。
「ルヴァイド様のところに……」
真摯な、切実な、心からそう望んでいるだろう、ことばだった。
頷いてしまいそうになって、慌てて、頭を振る。
「あたし……」
思い出したのは、記憶をなくした2日目の夜。そう、炎のなかでの邂逅。
手を差し伸べたイオスに告げた、ことば。
「あたしは――…」
傍にいると決めた。護ると決めた。
そうして、彼らのところに帰るために、ここにきた。
帰ってくると、あたしは彼らに約束したんだ。
そう云えばいい、ただそれだけなのに口が動かない。
あの炎の夜と同じように、彼らとの約束を守る妨げにならないのならついていくと、それだけをことばにすればいい。
だけど。
それを口にすることは、どうしても出来なかった。
この手の中に取り戻した気持ちが、記憶が、邪魔をする。
どちらかを選ぶなんて出来ないなら両方選んでしまおう――そう思った自分は、なんて甘かったのか。
あのときはまだ、ここまで切羽詰った状況ではないと思っていたからか、それとも、自分の現状認識力が欠落していたからか。
きっとそう……でも違う。
たぶん自分はあのとき、理由を知らない黒の旅団への気持ちより、ちゃんと自覚して育てていったトリスたちへの気持ちを優先していた。
両方なんてずるいことを云ったのは、それで自分を正当化していただけ。
だって。先に、もう、トリスたちの手をとることを選んでた。
そうして叶うなら、黒の旅団の彼らの手を、とりたかったのだ。
だって。
もう、選べない。今の自分は、このふたつからひとつを選ぶなんて、出来ない。
今イオスについていったら、彼らと決別してしまいそうな。
今イオスの手を振り払ったら、もう昔には還れないような。
それは、なんの根拠も理由もない予感だ。
けれど、だからこそ、それは何より強い痛みを伴って、へ訴えを続けていた。
だから――イオスのことばに頷けない。
だけど――イオスの手を払いたくない。
逡巡していたのは、おそらくほんの刹那幾つかの間。
「……いいかげんソイツをこっちに寄越しやがれ!」
響いた怒声に顔をあげると、額に青筋を浮かせたバノッサが、サモナイト石を取り出しているところだった。
淡い紫の光が一瞬輝き、次には奔流になってあたりを満たす。
――上級クラスの召喚術だと、にも判った。
「バノッサさん!!」
それはさすがに無視出来ない。止めに向かえはしないが、制止の意思強くこめて彼の名を呼ばわる。
「ちょっと待て!」
「やめろ、バノッサ!!」
同時に、血相変えたソルとハヤトが、地面を蹴ってバノッサに飛びかかっていった。
「こんなところでそんなもん使うなよ! どれだけ被害が出ると思ってるんだ!!」
「うるせぇ! サイジェントの城門でデヴィルクエイク連発させた手前ェに云われる筋合いはねぇぞ!!」
「あのときはもうおまえのせいで、城壊滅状態だったろうがっ!」
「あのー」
「手前ェらだってあのオンナ黙ってつれていかれたら困るんだろ! なら引っ込んでろ!」
「……もしもし?」
「だから、こんなトコでガルマザリア喚んだら城門壊滅するって!」
「レヴァティーンで飛んできたことだけで派閥の手を煩わせてるんだこれ以上は――」
「「いいかげんにしなさい――――!!!」」
ぴた。
突如響いた(ように聞こえた。実はさっきから数度呼びかけたのに反応がないから業を煮やしただけなのだが)アヤとクラレットの叫び声に、ハヤトとソルとバノッサの取っ組み合いが止まる。
「何をいつまでもじゃれてるんですか! 、もうつれていかれましたよ!?」
そう云ってクラレットの指差した、さっきまで確かに金髪の男と黒い髪の少女がいた空間には、もはや人っ子ひとりなし。
「止めなかったのか!?」
「無茶云わないでください……わたしたちはハヤトくんやバノッサさんみたいに武器を使って戦うのは苦手なんですよ?」
非難の混じったハヤトのことばに、傷ついた顔をしてアヤが答える。
云い過ぎたか、と、あわてて謝ろうとしたハヤトに向けて、
「召喚術よりも先に武器の方で向かっていってくれれば、なんとかなったかもしれませんけど……」
本人悪意はないのだろうが、なまじ真実で図星なものだから、標的になった2人にずたずた突き刺さる。
余談だが、このときソルは召喚師として生まれた自分にちょっと感謝したらしい。閑話休題。
「チッ!」
乗っかっていたハヤトとソルを振り落とし、バノッサが立ち上がる。
続いて放り出されたふたりも身を起こしたとき。
「いたいた! おーい!!」
どうやら出迎えにきてくれたらしいナツミが、キールを引っ張ってこちらに走ってくる姿が、門越しに見えた。
その後ろに、ミモザとギブソンの姿も見える。
それから、アヤたちにとっては初対面である数人。
ついでに視界の端に、いままでの一連の騒ぎにすっかり硬直して動けないでいる門番の人も。……役立たず。そう思ったのは果たして誰だっただろう。
少なくとも、今走ってきている人たちがもうちょっと早くきてくれれば、と思ったのが最低4人はそこにいたはずだった。