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第29夜 参
lll 昔々の物語 lll




 昔々の、お話です――

 ファナンの街にやってきた、銀の髪の吟遊詩人のお話は、そんな出だしで始まった。
 街の子供たちや、大人たちが輪になって、その話に耳を傾ける。
「昔……まだ、ずっとずっと昔。伝説のエルゴの王が現れるよりも、ずっと昔のことです」
 それを微笑みながら見やり、詩人は続きを口にする。
 普通に話しているはずなのに、さすが言の葉操る故か。まるで歌うようにつむがれる、物語。


「悪魔や鬼神たちに狙われていたこのリィンバウムに、運命さえも変える力を持つといわれる、ある一族がいました」

 その一族の名は、いまではほとんど忘れられ、知る者はいない。
 けれどその一族が存在していたのは紛れもない事実であり、また、その一族がリィンバウムを守るために戦っていたこともまた、事実である。

「歴史として残ってはいない真実は、その気になって見渡せば、そこかしこにあるのですよ」


 数人の大人たちはそんなもんかと流すけれど、こどもたちは、知らされていない真実というものに魅力を感じるらしい。
 目をきらきらさせ、さらに身を乗り出すようにして、物語にのめりこんでいく。


「さて、エルゴすなわち世界の意志……つまり、リィンバウムのエルゴはこの世界がこの世界であるために、とても重要なものです」
 それはご存知ですね?


 問いに、全員が頷く。
 大人から子供へ語られ、また本という媒介を通し。
 語られてきた伝説は、この世界に生きる者ならおそらく誰もが知っている。


 当然、悪魔たちはそれを我が物にしてしまおうと企んだ。
 そしてそれを知った一族は、エルゴを護るために、自分たちの中から一人の人間を選び出した。
 強い魔力を持つ自分たちのなかでも、もっとも強い力を抱いた者を。

「……『エルゴの守護者』。選ばれたその人は、畏怖と敬意をこめてそう呼ばれました」

 そうして永い永い間、『エルゴの守護者』は戦いつづけた。この世界を狙う外敵と。
 リィンバウムのエルゴを護るため、その力の限り、寿命の限り。
 人間における定められた寿命は、エルゴの力によってその終焉を遠い時の彼方にまで引き伸ばされた。
 けれどやはり、終わりは訪れる。

「その前に、その人は、次代となるエルゴの守護者を選ばなければなりませんでした。それが最後の仕事のはずでした」

 ――けれど。

「……その当時の一族のなかに、守護者に匹敵するだけの力を持った者はいなかったのです」

 せめてその3分の2、いやさ半分でも良かったのだけれど、そこまで妥協しても条件に見合う者はいなかった。
 守護者として界と界の狭間での戦いを余儀なくされる、通常の人として生きる道を外れることに耐えられるだろう者も、いなかった。
 それ以前に。
 すでにその一族は、一族となるだけの数も残っていなかったのだ。

「守護者として選ばれたその人が、界と界の狭間において侵略者たちと対峙していたとき――守護者を輩出した一族は、大きな罪を犯していたのです」

 故に、一族は一族ではなくなっていた。
 ちりぢりになってしまった彼らを、もはやその一族なのだと気づく者もいなかった。

「その人は嘆きましたが……いつまでもそうしているわけにはいきません。強き力を持った一族がその形を成さなくなってしまっているのなら、これまで以上に、侵略者たちはリィンバウム目指して攻め込んでくるだろうことが予想出来たからです」

 寿命を目前にした守護者は、ひとつの決意をした。
 本来ならば輪廻の流れに立ち戻り、次の世界に生まれるはずである己の魂を、この世界にとどめようと。
 そうして次の生もまた、守護者として生きようと。

「輪廻の流れに逆らう行為でしたが、エルゴはそれを受け入れました」

 何故なら、エルゴもまた、守護する者を欲していたことに変わりはない。
 エルゴはそれを手にするもの、揮うものに対して力を与えることは出来るが、エルゴそのものはなんらかの力を行使することは出来ないから。
 見出した人間に力を与えることはあれど、自身の存在を――世界を護るための手段は有していない。
 だからこそ。
 エルゴは守護者の提案を受け入れ、それを可能にするだけの力を授けた。

「こんな説があります。その一族が、これまでのどんな存在よりも強い力を持っていた理由――それは、世界がその一族を愛していたからではないかと」

 そもそも、世界は世界に生きる命を愛している。

 召喚術は――いや、失われて久しい送還術は、エルゴより授けられたものだった。世界と世界の狭間に門を開き、相手の世界に触れる術。
 そのために、門を開くために必要なのは、触れる先の世界の意思。
 求める声、開く力、そうして応える意思があって初めて成り立つ、それが送還術だった。

 ――それを基としてリィンバウムの人々がつくりあげたものこそが、召喚術。

「……だとしたら、エルゴに対して輪廻の流れに逆らう提案さえ許容させてしまったその人は、どれほど、世界に愛されていたんでしょうね……?」


「ねえ、詩人のお兄ちゃん」
 黙ってお話を聞いていた、幼い少女が声をあげた。
 周りの人たちが、物語を中断させた彼女に苦笑まじりの視線を向ける。
「その、しゅごしゃになった人は、生まれ変わってもしゅごしゃになったの? また死んだとき、今度はちゃんと次の人を見つけられたの?」
 詩人は、応えて首を振った。
 ――横に。


「残念ながら……一度その人にかけられた鎖は、そう簡単に解けるものではありませんでした」

 守護者に匹敵するだけの力を持った存在が現れなかったのも、原因のひとつ。
 けれど、一度選んだその道は、逃れ得ぬ重圧だったのだ。
 魂がこの世界から離れぬよう、かけられた鎖は、ひどく重いくびき。

「繰り返される生と死、繰り返される戦い……いつかエルゴの王が現れるそのときまで、守護者の戦いは続いたのです」

 ひとりの青年がエルゴの王となり、リィンバウムと4つの世界のエルゴたちの力を得て、不可侵の結界を張り巡らせたとき、ようやく戦いの日々も終わりを告げたのだ。
 ……それでも、一度かけられた鎖が解けることはなかった。
 エルゴの王も、その鎖を解こうと試みたけれど、無駄に終わった。
 その人は再びエルゴの守護者としての生を繰り返すことになり――けれど、それでも、戦いがないということだけは、喜ばしいことではあったのだ。
 他の世界からやってきたエルゴの守護者たちが任を終え、眠りに就くのを、その人がどのような想いで見ていたのかは判らない。
 だが、訪れた穏やかな世界は、その人の心を和ませるには充分すぎるほどでは、あったろう。


「じゃあ、その守護者っていうのは、今はどうしてるの? まだ、エルゴを護ってるの?」
「いいえ、違いますよ」

 にっこり笑う詩人のことばに、矛盾を感じた数名が怪訝な顔をする。
 エルゴの王でさえ解けなかった鎖を、おそらく当人でさえ解けなかったそれを、いったい如何様にして無力化したのだろうと。


 エルゴの王が死に、それからしばらく経った頃です、と、詩人は続ける。
「大戦の折にリィンバウムに封じられていた、とても悪い悪魔が目覚めていました。悪魔は、その人が守護者のままでいるのを快く思わなかったのです」


 そりゃあそうだ、と、何人かが笑う。
 悪魔はリィンバウムを手に入れるためにこの世界に来て、そして封じられたのだから。
 強い守護者は邪魔以外のなんでもないだろうなと、彼らは笑う。


 詩人は応えず、微笑んだ。
「ですので、悪魔はその人の鎖を解いてしまおうと考えました。そうすればその守護者は守護者ではなくなるだろうと」

 とはいえ、そのくびきは生半可な力で、いや、たとえ悪魔の全力を持ってしても、解ききれるものではなかった。
 けれど試みをつづけるうち、そこにあるひとつのほころびに、悪魔は気がついたのだ。
 鎖はリィンバウムとその人の魂を結びつけるもの。鎖が魂に結びつけられる要因となっているのは、その人の抱いているリィンバウムの記憶。戦ってきた日々の記憶。
 リィンバウムに転生しつづける以上、魂にリィンバウムの存在は刻まれる。そのための鎖。
 転生しつづける以上、記憶は積み重ねられる。故に鎖の結びつきは強くなる。
 ――ならば。
 壊してしまおうか……?

 そうしたら、守護者は、守護者ではなくなると。


「じゃあ、守護者は……?」
「果たして悪魔が何を考え、何を実行したかは判りません。ただ、その頃を境に守護者の姿を見た者はいないと聞きます」

 と、そこでざわめきが生まれる。

「なら、今この世界のエルゴを護る者はいないのか!?」
「いいえ」

 詩人は微笑う。

「守護者は、友に頼んでひとつの鏡を創らせていました」


 その姿を映した者に等しき姿、強い力を持つ存在を生み出す、『鏡』。
 エルゴを求める者は、必ずその鏡に映った自分自身と戦うことになる。自分と同じ姿、けれど自分より強い力を持った存在と。
 後年、戦いに疲れた守護者が、己さえ乗り越えられない者ならば、こちらと戦うという手段など、とってほしくないと。

 つまり、
「今のエルゴの守護者は、その『鏡』だったということですね」


 ほう、と安堵のため息がそこかしこから零れる。
 誰しも、今の自分たちの暮らしが壊れることなど、望んではいないからだ。
 多少のいざこざはあれど、今まで続いてきた日々が、これからも続いてほしいと願っているからだ。
 ――そのために知れず戦った存在に、気づかぬままで。

 とりあえずはめでたしめでたしの物語に満足しているファナンの人々は、詩人の言葉の微妙な差異に気づかない。
 過去形。
 『鏡だった』と、詩人は告げた。
 つまり。
 鏡はすでに壊されたか、もしくは……
 けれど、彼はそこまでを告げるつもりはないらしい。
 人の良い微笑を浮かべ、寄せられる、物語に対する感想を受け止めている。その大半は、いったいどれだけの伝説をかき集めて、そんな信憑性のある話をつくりあげたんだ、というものだった。
 やはりと云うべきか、それが真実にあったのだと思っている人は殆どいないそのことに、はっきりした答えを返さないまま、詩人の笑みが深くなる。

 誰も、邪魔だったなどと云っていませんよ……?

 人知れず、つぶやかれるは、詩人の内なるコトバ。

 まったくそんなことあるわけないじゃありませんか!!!! なんといっても私n(以下強制切断)


「あっ!? 詩人さん、鼻血が出てるよ、だいじょうぶ!?」

 先ほど質問を投げかけた少女のことばが響いたときには、鼻を抑えた詩人の足元に、真っ赤な血がぼたぼたと染みをつくっていた。
 大慌てで介抱に走る人々(主に女性)を遠目に眺めていた人が、傍に立っていた友人に、ぽつりとつぶやく。
「……オレの目の錯覚じゃなければ、あの詩人、鼻血出す前に怖いくらい悦ったカオしてなかったか……?」
「いや、俺、その瞬間怖かったから。そこまで正視してねぇ」
「見てんじゃねえかよ。でもまあ、云えてる……」
「まったくですな」
「「うわ!?」」
 不意に背後から聞こえた声に、彼らはふたり、驚いて飛び上がる。
 振り返った先には、ひどい頭痛でもしているのか、こめかみを押さえて立っている、妙に顔色の悪い召喚師風の男が立っていた。
「あの御方も、アレさえなければとたまに思うんですよ……」
「は、はあ(知り合いなのか? ヤバくないか??)」
「そうですか(っつか逃げてぇ!)」
「あんなふうにすぐ興奮なさるものですから、増血剤がいくらあっても足りなくて……いったい誰がアレの後始末に苦労していると思っておられるのか……」
 愚痴である。
「あ、あの、そんな危ないのなら放置してないで助けに行ったほうが(増血剤要るくらいまで鼻血で出血してんのかよ!?)」
「そうですよほっといたらやばいんじゃ(ていうか早くどっか行ってくれ!!)」
「いえ、あれくらいなら、しばらくしたら自力復活なさいますからいいんです。それより、どうしていつもいつもいつもいつも……」
 ぐちぐちぐちぐちぐちぐち。
 そのうち復活した詩人が笑顔を振り撒きながら歩き去っても、なお、見ず知らずの彼ら相手に対する男の愚痴は続いた。
 どうやら相当苦労しているらしいが、だからと云って……思わず泣きたくなった彼らが解放されたのは、それから小一時間ほどあとのこと。

 だがしかし。
 目の前にいたのが顔色の悪い召喚師などではなく、さっきの話に出てきたリィンバウムに攻め込んでいた悪魔の一員だと知れば、泣きたくなるどころか悲鳴をあげて逃げていたに違いない。

 そういう意味では、とりあえず。  不幸中の、幸い。


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